やめたほうがいいわよ
しばらく車を走らせると、風景がビルや住宅街から緑の多い地域に変わっていく。周囲が畑で囲まれているところに舗装されていない駐車場のような広場があって、勅使河原さんはそこに車を止めた。
すると、そこに1台だけ停まっていた車から人が出て来た。勅使河原さんもシートベルトを外してドアに手を掛ける。
「あれが今回の依頼主です」
「勅使河原さん、私も一緒に行った方がいいですか」
「うーん、そうですね。せっかくだし行きましょうか」
勅使河原さんの返事はどっちでもよさそうな感じだったけれど、私もお試しとはいえバイトの身だ。助手席から降りると、車の後ろを回り込んで勅使河原さんのやや後ろに立って近付いてくる人を待った。
勅使河原さんに対して軽く会釈しながら近付いてきたのは、思ったよりも普通の人だった。
30〜40代くらいの女性。髪はきちんとまとめていて、メイクは口紅だけだけれど服装に合ったもの。ブラウスとスカートを着ているけれど、かっちりしすぎずカジュアル過ぎず、ちょっとお高そうな品の良い感じ。そういう服装が似合うスタイルと姿勢を保っている。
お祓いやら心霊やらオカルトなんかとは特に縁がなさそうな、ごくごく普通の女性である。何かの間違いなのではと思いながら見ていたけれど、こちらに声を掛けてきたのはその女性の方からだった。
「あの……勅使河原さんでよろしいでしょうか。私、お祓いを頼んだ佐々木の妻でございます」
「初めまして。勅使河原です。こちらは助手の早乙女です」
助手の早乙女、と言うときの勅使河原さんの声がどことなく嬉しそうだった。
佐々木さんは勅使河原さんに頭を下げたのちにこちらにも会釈をする。私も慌てて頭を下げた。
「夫は今日の件について、全て話はしてあると……」
「はい、事情はお伺いしております。今日は案内していただいて、私がお祓いを済ませ全てが終わりましたら一緒に確認していただいて、それから依頼料をお支払いいただく形に」
「そのことなのですが」
勅使河原さんの話を止めるように、佐々木さんはクラッチバッグから封筒を取り出して勅使河原さんの方へと差し出した。
「申し訳ありませんが、私は付き添いたくないのであなたたちだけで行っていただきたいんです。こちらに地図がありますから。依頼料も先にお渡ししますので、そちらで片付けてくれませんか」
三つ折りにされた白い紙と合わせて、佐々木さんは封筒を押し付けるように勅使河原さんへと渡した。そして突き返されるのを恐れるかのように、品のいいパンプスが2歩後ろに下がる。
「しかし、それだとちゃんと祓えたのか確認ができないと思うのですが」
「いいです。あの、私はとにかくあの家と関わりたくないんです。……夫は昨日の夜中に倒れて、今集中治療室にいます」
「えっ」
思わず声を上げてしまった。
さっきの話では、勅使河原さんに依頼をしたのはこの佐々木さんの旦那さんのようだった。その旦那さんが倒れて病院に運ばれたらしい。
「今日を前にちょっと確認してくると出掛けてから様子がおかしくて……たぶん、もうダメなんだと思います」
「佐々木さん、希望は捨てないでください」
「いえ、いいんです。みんなそうなるんです。とにかく、私は付き添いません。お金もお渡ししましたので、ここで終わりにしてください。帰っていただいても結構です。お祓いしてくださるなら、それでどうにかなってもうちは何もできませんから」
佐々木さんの顔がどんどん思い詰めたようになっていく。勅使河原さんは、そんな様子の佐々木さんを宥めるようにまあまあと封筒を持ったままの手を広げてみせた。
「大まかな位置は分かっているので、我々だけで行きましょう。奥様はどうぞ病院に戻って佐々木さんのそばについててあげてください」
「でも……本当に行くんですか?」
「ええ、依頼料も貰いましたから。それでは失礼しますね」
あっさりした様子の勅使河原さんに、佐々木さんは怪訝な顔をしながらも頷いた。それから私を見て「……やめたほうがいいわよ」と小さく言ったけれど、何かを振り切るように車の方へ走っていくとそのままエンジンを掛けて去っていった。県道の方へと勢いよく消えていく車を眺めていると、勅使河原さんがよしよしとほくそ笑むような声を上げる。
「ちょっと色付けて入ってる。ああいうタイプの人はチップ上乗せしてくれることが多くてありがたいんですよ」
「えっ……あの勅使河原さん、今やることはお金数えることじゃないんじゃあ」
「いえ大事ですよお金は。依頼料が増えたので、早乙女さんにもあとで分けますね」
「それはありがたいんですけど」
「今日は焼肉にしようかなー」
人里離れた場所で、付き添いを嫌がる依頼主の奥さん。そして倒れて病院にいるらしい依頼主。押し付けるように渡された依頼料。
なんか怪しい匂いがプンプンするというのに、勅使河原さんのこのユルさは何なんだろう。
「勅使河原さん、本当に大丈夫なんですか? なんか危ないことになるんじゃ」
「平気です。ほらその証拠に見てください」
懐に封筒をしまった勅使河原さんが、私の顔の少し横を指す。
「……見えないんですけど」
「あなたの龍が警戒すらしてません。ほら。のんびりした顔でウトウトしてるじゃないですか」
「いや見えないんですって」
「もし本当に危ない場所に行くなら激怒してるはずですよ。ブラック職場に行くときのような頭痛やら吐き気やらは感じないでしょう?」
「確かに頭痛はしませんけど……右の肩が重いのは」
「それは顎を乗せてるからですね。ウトウトしながら」
私に取り憑いているらしい龍も、勅使河原さんも、これから向かう先に対して危機感は一切抱いていないようだ。さあ行きましょうと勅使河原さんは楽しそうに運転席へ戻る。
見えないものを判断基準にされてもよくわからないけれど、本当に大丈夫なんだろうか。
いざとなったら走って逃げられるよう、私はスニーカーの靴紐をしっかり結んでおくことにした。