コイコイ3
「ん?」
ぱちっと目が覚めた。
起きると、障子戸越しに柔らかな朝日が部屋を明るくしている。鳥の声が爽やかだ。私は布団から起き上がって首を捻った。
「いつ寝たっけ」
「ちょっと庭に降りようかって話した直後だよ……」
「うわびっくりした。勅使河原さん?」
「おはよう早乙女さん……」
鶴やら亀やらの描かれている襖の向こうから、勅使河原さんの声が聞こえてきた。近寄って開けると、すでに着替えた勅使河原さんがフフ……とどこか疲れた声で笑う。
「あ、そうだ、私がホタルか何かを見た気がして」
「今秋だけどね……」
「それで中庭が綺麗だし降りてみようかって話をして……して、どうしたんでしたっけ?」
「龍が俺をしっぽで隣の部屋に押しやりつつ障子を閉めて、早乙女さんは寝ちゃったんだよ」
思い出した。突然勅使河原さんが障子の向こうに消えたかと思うと、急激な眠気に襲われたんだった。どうにか布団に辿り着いたところで私の意識は途絶えてしまった。いつになく突然の入眠だったけれど、ぐっすり眠ったおかげか心身共に随分スッキリしている。
「勅使河原さんは眠れましたか?」
「ちょっとはね……流石に2センチの距離で龍にガン見されながら熟睡はできなかったよ」
「なんかすみません」
勅使河原さんと夜の散歩、ちょっと行ってみたかったな。
私がそう思っていると、肩に重みが戻ってきた。どうやら龍がいつものように巻き付いてきたらしい。
私たちはそれから、丁寧に作られた懐石朝食をいただいた。夕食とは違いお寺の皆さんと一緒に食べたのだけれど、皆さんが怨霊地蔵の件をとても感謝していたらしく、お礼されまくりでちょっと居心地の悪い朝食だった。とはいえ朝から和食はとてもおいしかった。
重ね重ねのお礼と共に、もう少し泊まっていってはいかがか、と申し出もいただいたけれど、次の予定もあるので断った。ついでに何故か私がこのお寺でお勤めしないかと誘われたけれどそれも断った。いくら掃除が行き届いているとはいえ、こんな山中で何日も過ごすと恐ろしいものと出会ってしまいそうだ。
「じゃあお元気でー」
「有難うございました。また何かあればよろしくお願いいたします」
深々と頭を下げるお坊さんに挨拶をして、また車に乗り込む。道中店が少ないのでとお昼用のおにぎりまでいただいてしまった。
「見てください勅使河原さん、竹のカゴですよ! 竹っぽい葉っぱに包まれたおにぎりですよ!」
「情緒あるねえ。でも俺は早乙女さんの稲荷寿司のほうが」
「こんな高そうなカゴ……これ返さなくていいですよね?」
「うんくれたんだと思うよ。よかったら早乙女さん持って帰っていいよ」
「本当ですかありがとうございます! お弁当箱がそろそろダメになってきてたので嬉しいです」
「ああ、早乙女さんタッパーにヒビ入っても使ってたもんね」
私が適当に作ったおにぎりでも、竹のカゴに入れたら立派に見えそうだ。竹っぽい葉っぱも綺麗に洗って、使えるだけ使おう。思わぬお土産を貰って私は上機嫌だった。
「早乙女さん、あそこのカーブミラー見てみて」
「ミラーですか? 対向車は来てないみたいですよ」
「あははやっぱり何も見えないんだねえ」
10時に出発し、トイレ休憩などを挟みつつ、私たちはまた山道を走っていた。曲がりくねった道を進んでいると、背の高い木々のせいで昼間でもなかなか暗い。とはいえ木漏れ日の下をドライブするのはなかなか楽しく、時々勅使河原さんが外にいる何かを指摘してくるものの、おおむね見えないものだったので支障はなく進んでいった。
「あ、また電源切れましたね」
「あー、なんかヤバそうだねえ」
私は液晶画面の隣にあるボタンを何度か押す。
山道を抜けて田んぼが並ぶ風景を見ながらドライブしていると、カーナビの調子が悪くなった。それまで順調に行き先を示していたそれが、明らかに変な方向へと案内しようとしたり、まだ到着していないのに「目的地付近です」とナビを終わらせたりするようになったのである。
ちなみにスマホは圏外だった。私の旧型スマホはもちろん、勅使河原さんの最新スマホもずっと圏外表示である。いくら山道だったり田んぼばかりとはいえ、ここまで電波が届かないことがあるだろうか。
「まあ電子機器に異常が生じるのはよくあることだよ」
「よくあったら大変ですよ。リコール問題ですよ」
「そっちに地図入れてあるから取ってくれる?」
ダッシュボードの収納を開けると、地図の本がいっぱい入っていた。カーナビが壊れるのに慣れているようだ。その中から今いる地域のものを取り出してパラパラめくる。依頼先の住所と照らし合わせて今いる場所を探そうとするけれど、なかなか見つからない。
「あれ? 鬼殺し村ですよね?」
「御荷古路村ね。まあ語源は鬼殺しだけどね。しかも殺しきれてないっていう」
「おかしいなあ。索引見ても載ってないんですけど」
「ちょっと確認がてら停まろうか。まだ約束の時間まで余裕あるし」
道路脇の空き地のようなところに車を停めて、私たちは地図を眺めた。
「あれー? 去年もこの地図使ったんだけどなあ」
「紙の本でもバグったりするんですか?」
「いやそういうことはほとんどないんだけど」
「まれにはあるんですね」
勅使河原さんがいくら本をパラパラめくってみても、索引のページを開いたまま空中に擦り付けるという謎の動作をしてみても、事態は変わらなかった。
「毎年こんなことが起こってるんですか?」
「いやー、去年までは結構スムーズに行けたけどねえ。といっても、村の周りがかなり複雑でね。毎年途中まで村の人に迎えに来てもらって、先導してもらう形で行くんだけど」
「ここからその待ち合わせ場所まで近そうですか?」
「のはず、なんだけど……道、思い出せないなあ。なんか変」
勅使河原さんがメガネを外してこめかみのあたりを揉んでいる。
普段から車を運転しているだけに、私が知る限り、勅使河原さんが道に迷ったことはない。普段も、仕事が少ない日のお昼に何年か前に行って美味しかった蕎麦屋に連れていってもらったりしているけれど、道順をしっかり覚えているようだった。
年に1回とはいえ、毎年行っているのであれば、勅使河原さんなら道を覚えていそうなものだけれど。
「何か幽霊的な原因があるんでしょうか」
「んー、龍はいつも通りだから、変なことにはならないと思うんだけど」
私には全然見えないけれど、勅使河原さんには私に憑いている龍が見えているらしい。
勅使河原さんいわくかなり力の強い、ぶっちゃけ神に近い感じの龍なので、危険なものがいるかどうかの判断にも使えるそうだ。私は見えないし、なんでそんな龍が憑いているのか、ていうか本当に憑いているのかすら本当は全然わからないけれど、その龍のおかげで依頼が解決することもままあるので何かあるのだろう。龍はともかく、勅使河原さんのことは信頼できるので、彼が大丈夫といえば大丈夫なのだろう。
「とりあえず早乙女さん」
「はい」
パタンと本を閉じた勅使河原さんがにっこり微笑む。
「おにぎり食べようか」
「そうですね」
実はちょっとお腹が減っていた。勅使河原さんの言葉に、私はいそいそと準備を始めたのだった。




