幽霊がいたかもしれない
「おはよう早乙女さん。なんか調子良さそうですね」
「ぐっすり眠りました……」
昨日、先立つものもあるでしょうから、と勅使河原さんはバイト代を前払いしてくれた。
使ったのは電車賃くらいだったけれど、その夜、私は久しぶりに驚くほどぐっすり眠ったのである。古い天井がガタピシ鳴る音よりも、家賃の心配がないという安心感のほうが圧倒的に強かったようだ。
「あの、服装は自由って言ってたので一応スーツで来たんですけど大丈夫でしょうか」
「不自由はないけど、スーツだと汚れたらクリーニング代とか心配ですね」
「大丈夫です。激安スーツなので」
「靴もヒールよりは動きやすい方がいい気が」
「すみません。スニーカーは穴が空いてるやつしかなくて……」
「まず靴屋に行くべきですかね」
相変わらず着物を着た怪しい服装の勅使河原さんと共に、駅前の靴屋へ行く。最も安いスニーカーにしようとする私と履き心地とデザイン重視で5ケタのスニーカーを買わせようとする勅使河原さんとで一悶着あったものの、店員さんプレゼンツでお互い妥協できる価格帯のスニーカーが見つかったためにことなきを得た。
とはいえ、数千円のスニーカーなんて数年ぶりである。履き替えてお店を出ると、足元が光っているように見えた。
「すごい! 履きやすいです!」
「靴は脚に負担がかかるしお金かけた方がいいですよ」
「すみません、食費も削る生活だったので……でもこれであと5年は靴の心配をせずにすみますね」
「耐用年数超えてますねそれは」
中敷きも買ったので、足の形にフィットしていてとても歩きやすい。出費は痛いけれどそれだけの価値はあるなーと思いながら歩いていると、勅使河原さんがメガネをサングラスに変えた。
「勅使河原さん、今日曇ってますけど」
「眩しいのは太陽じゃなくてあなたの龍です」
「私の龍ではないです」
「いえ、もうほぼあなたの龍です。あなたが楽しそうなので龍もテンション上がってるのか、尻尾とか頭をブンブン揺らしてます。感じませんか?」
「……そういえば肩が重い」
人が楽しい気分のときに肩凝りを悪化させるのはやめてほしい。私のテンションと連動してはしゃいでいるらしいので、私は足元を意識せずなるべく平常心で歩くことにした。
「それで、どこに行くんですか?」
「駅前の駐車場に車を置いてあるので、乗って30分もかからないくらいのところですかね。まあ今日は見学がてら気軽な気持ちでついてきてください」
電動の立体駐車場で出てきた車は外車だった。なんか知ってるエンブレムが付いているし、ピカピカに磨かれている。
お祓いって、儲かるんだな。
バイト代を払ってもらう身としてはありがたいけれど、こんな怪しい人に惜しみなくお金を払える人が世の中に沢山いるということに今更ながら感心した。
「あ、誰か乗ってるな。ちょっと待ってください」
勅使河原さんは、私を待たせたまま車に近付き、運転席ではなく後部座席のドアを開けて何やら話しかけている。最終的に手で追い払うような仕草をしてから、何事もなかったかのように「お待たせしました」と笑いかけてきた。
もちろん後部座席には誰もいないし、勅使河原さんが誰かを追い出す前から誰もいなかった。少なくとも私の目にはそう映っていた。
「お好きな場所にどうぞ。後ろの方がゆったり座れますからこっちに座りますか?」
「助手席でお願いします」
「ああ、会話もしやすいですしね」
会話とかじゃなくて、幽霊がいたかもしれない座席には座りたくないだけである。できるなら車そのものも遠慮したいけど、その辺勅使河原さんは気にならないのか普通に乗り込んでいる。私も恐る恐る乗り込んだ。座り心地はいい。
シートベルトを着ける前に後部座席を振り向いてみたけれど、怪しい気配も変な匂いも人型に濡れた形跡もなかった。
「あの、今何がいたんですか?」
「無害な霊ですよ。この場所通り道になってるみたいで、たまに車に入り込んで出れなくなるのとかいるんですよね」
「それ、そのままにしておくと事故に繋がるんじゃ」
「流石に悪霊が来ないように対策はしてるので大丈夫ですよ」
「いや自分の車に霊が乗ってるだけで普通の人にとっては恐怖の極みですけど」
勅使河原さん、霊に対する感覚が麻痺しすぎてないか。
この人についていって大丈夫なんだろうか。
心が不安に傾いている私といつも通りっぽい勅使河原さんを乗せて、車は静かに発進した。
ちなみに途中のコンビニでペットボトルを買ってくれたので、私の気持ちはまた「バイトしてもいいかな」に傾いた。