かげのおり12
「勅使河原さん、大丈夫ですか? 体調悪くなりました?」
「いや……だいじょうぶ……」
撮影の邪魔にならないよう小声で話しかけると、勅使河原さんが全然大丈夫じゃなさそうな顔で大丈夫と弱々しく言った。
青白い顔に脂汗を浮かべ、私の肩に掴まりながら後頭部を押さえている状態の「大丈夫」というのは、もはや「ダメ」と同義だ。
「頭痛いんですか?」
「うん……」
「病院行きます?」
「いい……あのさ、」
痛みに顔を歪ませている勅使河原さんは、どう見ても急病人だ。仕事だから無理をしているのかもしれない。横瀬さんに理由を話して抜けさせてもらおうかと思っていると、勅使河原さんが白い顔でヘラッと笑った。
「早乙女さん、家帰る?」
「……私も一緒に帰るという意味ですか?」
「ううん、早乙女さんだけ。俺は仕事あるから」
「なんでそうなるんですか」
私は肩凝り以外は全く元気だ。ここで早退の必要性があるのは勅使河原さんだけだ。
勅使河原さんが抜けて私だけ残るという選択肢はあっても、その逆をする意味がわからない。さっきまで元気だったのに、いきなり正常な判断ができなくなるほど体調不良になったんだろうか。頭痛がひどいようだし、救急車呼んだ方がいい気がする。
「とにかく勅使河原さんは病院行ってください。今日はお祓いでもないし、私で大丈夫なら代わりに撮影やっておきますから」
「いや、病院は行かなくてよくて……あのね早乙女さん」
「はい」
「この家あんまり入らない方がいいよ」
滲み出てきた汗を拭いながら、勅使河原さんが廃墟となった住宅を見た。
浦上さんが生配信の撮影を始めていて照明を使っているせいか、見上げた建物は暗闇の中でぼうっと浮かび上がるように見えている。照明が揺れると影も揺れるので、建物そのものが不安定な印象がした。
「危ない霊がいるんですか?」
「いや、霊じゃない。……でも早乙女さんがここ入ると、かなり怖い目に遭うから。帰ったほうがいい」
「勅使河原さんはどうするんですか? 危ないなら一緒に帰ったほうがいいですよ」
「いや、俺は大丈夫だから。死ぬわけじゃないから」
「えっ私が入ったら死ぬんですか?」
「それはありえない。早乙女さんに傷ひとつ付けることすら龍が許すわけないからね」
弱々しく話していた勅使河原さんが、最後だけキッパリ言い切った。顔は白いけれど、龍についての見解はいつもと変わらないようだ。
傷ひとつ付くことなく、けれど、かなり怖い目に遭う。
想像して、ちょっとゾッとした。
どれくらいデカい……いや、どれくらい足の多い……いや、どれくらい黒光り……
つられるように出てきた冷や汗を誤魔化すように、空いている手でバッグに触れる。
落ち着こう。私には武器がある。
「怖い目に遭うだけなんですか? ケガもしないんですよね?」
「だけ、って。そんな簡単に片付けられるようなものじゃないよ」
「でも、ケガしないんですよね? 刺されたり腫れたり倒れたりしないんですよね?」
「腫れ……? うん、しないけど」
「じゃあ私は残りますから、勅使河原さんは病院行ってください。運転無理そうならタクシー呼びますから」
「待って。本当に残る気なの?」
いつもより呼吸の浅い勅使河原さんが私をじっと見て言った。
「忘れられなくなって、外に出るのも怖くなるかもしれない目に遭うよ」
「そんなのわからないじゃないですか。それに、勅使河原さんが残るなら私も残ります。勅使河原さんが病院に行ってくれるなら私も帰ります」
それならどうですか? と訊くと、勅使河原さんは苦い顔をした。
しばらく悩むように斜め下に顔を向けていたけれど、やがてゆっくり首を振る。
「俺は行かないと、あの人たちがどうなるか見とかないと危ないから」
「あの、撮影、浦上さんたちにお願いしたら中止してくれるんじゃ」
「無理だよ。どうせ、今日諦めたとしてもまたやろうとするだろうから。何度でもね」
勅使河原さんは撮影している3人を眺めながら、深々と息を吐いた。こんなことなら引き受けるんじゃなかった、という呟きは、勅使河原さんらしくない、弱音をそのまま出したような響きだ。
勅使河原さんは、何を見たんだろう。何を感じたんだろう。厄介なのからは逃げるのも手、と日頃から言っている勅使河原さんが、どうしてこの状況からは逃げ出そうとしないんだろう。
……それは、相手が「霊」じゃないせいだから、だろうか。
「とにかく、私も一緒にいます。勅使河原さん、もしこれ以上具合悪くなったら言ってください。救急セットの中に薬もありますから」
「俺は平気だけど、早乙女さんが心配」
「その言葉、そのままお返しします」
怖い目に遭うというのがどういうものなのかはわからないけれど、命の危険がないなら、私は勅使河原さんの手助けをするほうがいい。
「……もし、ここにいるのが霊じゃない『もの』なら、私がいたほうがいいんじゃないでしょうか?」
私が言うと、勅使河原さんが瞬いた。
見えないけれど、私には龍が憑いている、らしい。しかも金色だ。勅使河原さんだけでなく神宮寺さんも見えてたんだから本当なんだろうし、少なくともその辺の怨霊よりは強いらしいのは今までの現場で体験済みだ。
私じゃ勅使河原さんの力になれることはあまりないかもしれないけれど、私に憑いているものは、きっと何かの助けになる。
そう言うと、勅使河原さんは「早乙女さん、意外とたくましいね」と弱々しく笑った。
「できるだけ守るつもりではあるけど、どこまで対抗できるかわからないから。早乙女さんは自分のことだけ考えて」
「大丈夫ですよ。今までの現場でも散々怖い目に遭ってますから。今日は殺虫剤いっぱい持ってるし、逆に勝てる気しかしません」
「それはなんか違う気がする」
「霊とかそういうのは全然見えないんで逆にどう怖くなるのかわからないし」
「それはちょっと羨ましい」




