痴漢を見るような目やめて
窓がないせいで光が届かず、廊下の先は真夜中のように暗い。
その暗い場所で何かが揺らめいた気がして、私はその場で立ちすくんだ。
見てはいけない気がする。
けれど、体が動かない。
「……」
恐怖に気が付いてみると、どうしてさっきまで平気だったのか不思議なほどだった。
どくどくと音が聞こえそうなくらいに心臓が激しく動いているのに、手足が冷えていくような気がした。寒気がするのに、いやな感じの汗が流れる。
目を凝らして暗闇をじっと見つめていると、その中で動くものを見つける。
それがふらりと近寄ってきたところで、ひゅっと肺に息が入った。
「イヤアアアアアーッ!!!」
「早乙女さん?!」
全身全霊で叫んだ私の声に、勅使河原さんは素早く反応した。
後ろから肩を掴まれて、驚いた喉がさらに悲鳴を上げる。
「早乙女さん、落ち着いて!! 大丈夫だから!!」
パニックになりかけた私の背中を強めに叩いた勅使河原さんのお陰で、近くに立っているのが怪しいけど知ってる相手だと気が付いた。
人間だ。
恐怖と安心にもみくちゃにされた私は、なりふり構わず勅使河原さんにしがみつく。
「助けてー!!」
「さ、早乙女さん大丈夫だから落ち着いて……マジで落ち着いて!! 見てる!! 龍がすごい怖い目でこっち見てる!! 冤罪だ!!」
勅使河原さんは見かけの怪しさに反して、抱きついてみると意外にしっかり筋肉が付いていた。手加減なしに抱きついた私を受け止めるだけの体幹もあるけれど、その両手は私を引き剥がすことなく私の肩の近くで慌てたように上下している。
「違うから! 俺が抱きついたわけじゃないから! いや見てただろ! 痴漢を見るような目やめて!! 早乙女さんも怖いのはわかるけど落ち着いて! ちゃんと俺が守るから!! ていうか龍が守ってるから俺の出番はないと思うけどとりあえず何かあっても守るから!」
「……勅使河原さん……」
予想外に厚い胸板にしがみついていると、着物の生地越しに体温を感じて落ち着いてきた。勅使河原さんが慰める言葉を絶え間なくかけてくれていたおかげかもしれない。
絶対に守る、だなんて、普通の街中で聞いたら自分に酔ってるようにしか聞こえないだろうに。
脅威に囲まれているこの状況で聞くと、なんか、ときめいてしまった。
「……絶対守ってくれますか?」
「守るから! もう守られてるし! ほら! その代わり俺も身を守る行動していいかな!! 俺の目の前3センチで龍がすごい睨んでるんだけど!」
「目の前……」
着物のあわせから顔を離して見上げる。
龍は見えなかったけれど、勅使河原さんとはバッチリ目が合った。
丸メガネの下から見える目は、レンズ越しに見るよりも大きくて切れ長だった。
「……」
「……」
「……」
「……」
見つめ合ってしまい、勅使河原さんの顔がちょっと照れてるように顔が赤くなった。羞恥心も一応持ってるんだな、と思いつつ、そこに突っ込むことはできなかった。私も照れてしまったからである。
「すみません、あの、いきなり」
「いや……大丈夫だから」
慌てて離れて、無意味に前髪を直したりして気持ちを落ち着ける。勅使河原さんは不自然な感じで咳払いをしていたものの、突然「いってえ」と頭を抱え出した。次の瞬間に私のこめかみにも頭痛が走る。
「うっ頭痛が……まさか怨霊が……?」
「いや、龍だから。早乙女さんにずっと取り憑いていて色々チェックしてる龍が拗ねて甘噛みしてるだけだから。……俺には若干本気っぽかったけど」
向かい合って頭を抱え、そして呼吸を整える。
気まずい雰囲気をどうしたらいいかわからなかったけれど、廊下の闇の中でうごめく気配に私はハッと恐怖心を思い出した。羽織の袖を掴んで暗闇の方を指す。
「勅使河原さん!! あそこに何かいます!!」
「ああ、うん。流石に“見えない”早乙女さんでも気付いちゃったか。もしかしたら本当は見える体質で、龍が護ってて普段は見えないのかもしれないな」
「何言ってるんですか、あんなにはっきり見えて動いてますよ」
「うん、見ての通り、あそこにいるのは元々この土地に渦巻いてる怨念の塊みたいなもので、近付いた人間に呪いを振りまいてる元凶のひとつ。まあ初めて見る異形がアレはちょっとキツいかもしれないけど、ちゃんと守」
「何言ってるんですか勅使河原さん!!」
廊下の奥を眺めながらも落ち着いて話している勅使河原さんの腕を掴んで私は訴えた。
「どこ見てるんですか!! 私が言ってるのはアレです!!」
「え? どれ? どこ?」
「そこ!!」
「……どこ? 手前の低級霊?」
「そこですってば! ほら動いた!!」
勅使河原さんが鈍すぎるので、私は指差すのもイヤな存在に対して人差し指を向けた。
闇を切り取ったようなそれは私の指に反応するように、複数の手足を使ってカサコソ……と壁を移動しはじめ、私はまた悲鳴を上げることになった。




