第二話 天使を呼ぶ舞#C
「ふん、結局はその程度よ」
「そうね、でも私は違う」
「くだらん強がりを!」
狼の素早い動きと、悪魔の持つ大剣の破壊力。それらを一手に引き受けなければならないのは、銃を扱う律軌にとって致命的すぎる不利。
それでも、自分がやるしかない。短機関銃のグリップを握り締め、悪魔の鳥のような顔を睨みつける。
「舞華、大丈夫かい?」
「ありがとリオくん……ねえ、あれは?」
「あの悪魔が行おうとしている儀式だ。完了してしまえばあの生徒の魂は消滅する」
「消滅……」
「上位の悪魔であれば、自分の存在を漏らさないために魂を残したまま操ることも可能だけど……あいつにそんな力はないはずだ」
熾烈な戦闘の様子を見つめ、ロザリオが言う。
「リオくん、あの悪魔のこと知ってるの?」
「……復活を試みる悪魔は、宗教や伝説の境などなく世界中からここに集まる。あれはアンドラス、ソロモン七二柱の序列六十三番目に値する悪魔だ」
「アンドラス……」
「舞華、無理に動く必要はない。これ以上戦えないのなら、そのブローチを返してくれれば」
ロザリオの言葉を遮るように、舞華は振り返る。
天井に縛り付けられた生徒。その表情は紛れもなく苦悶のものであり、また重力で体にかかる負荷も大きなものだろう。
「ごめん、もう大丈夫……律軌ちゃんに任されちゃったんだもん、やるよ」
「……無理はしないようにね」
「ありがとっ!」
言葉と共に走り出す。
先ほど舞華がアンドラスに与えた傷は、再生や回復の様子を見せない。それ相応の魔法が必要なのか、その手段を持たないのかは不明だが、その傷で律軌の絶望的な不利が緩和されていることは間違いなかった。
して、その傷を与えた際の隙は、儀式を守るために見せたもの。あれを傷つけられるのは致命傷に等しい、ということだろう。
どうやって防御を掻い潜り、天井にある魔法陣を傷つけるか。
ただ剣を投げつける、切りつけに行くといった行為ではまず無理だろう。黒い狼に跨った今のアンドラスの速度なら、並大抵の手段を封じられる。
おそらく、一人では無理だ。
「んー……むむむ……なにか、テレパシーみたいなのができれば……」
『姫音舞華』
「ぅわっ!?」
唐突に、律軌の声が頭の中で響く。あまりの驚きに舞華は体制を崩して転んだ。
『まだ戦えるようね。ブローチを通じてこうした念話ができる、これで向こうに悟られないよう会話するの』
『う、うん……わかった。それで、どうすればいい?』
作戦を練っていることを悟られてはならない。舞華は念話に集中しながらも、全力で跳躍し魔法陣を切りつけんと近づく。
当然、それをさせまいと狼が襲い掛かり、その対処に追われるうちに魔法陣からは離れてしまう。
さらに、アンドラスはこれを見越していたのか、動かなくなった左手から狼を召喚することで律軌の攻撃と舞華の攻撃を同時に捌ききっている。
これをかわす手を、考えなくてはならない。
『姫音舞華……あなた、あの悪魔に止めを刺す勇気はある?』
『……私が、止めを』
律軌とて、舞華の心情を案じた上での提案だった。それでも、自分達より遥かに強い悪魔を出し抜くには、形振りに構っている場合ではない。
舞華は幾度も跳び上がり、狼と格闘しながら先の感覚を思い出す。肉を切り、骨を断つには、それ相応の重圧を自分自身が受け止めなくてはならない。
……相手は悪魔。紛れもない純粋な悪意の塊。そして生贄にされようとしているのは、ただの生徒。
割り切らなくてはいけない。あの声が舞華を呼んだのは、舞華が必要だったから。そのはずなのだ。
『……やるよ』
『……ありがとう、ごめんなさい』
暫くの間、律軌の声が頭の中で響き渡る。舞華は走り回りながらもその言葉を刻み付けるように覚えていった。
『……いけるわね』
『うん!』
返答と同時に舞華は壁を蹴り跳躍。再び狼が襲いかかってくる。その眉間目掛けて剣を振り下ろした舞華は―――そのまま重力に従い、律軌とアンドラスの元へ落下していく。
「アンドラァァァァァス!」
「何!?」
「今!」
舞華が―――剣を持った方の人間が自ら斬りかかってくるはずがない。そう考えていたアンドラスにとって、その行動は完全に予想外だった。人間という存在を軽んじていたこともあり、舞華の復帰を可能性として考えていなかった。
そして、その驚愕は大きな隙となる。律軌は短機関銃を天井に向け、弾道がバラバラになるように発砲。
動き始めが遅れてしまえば、全ての弾丸を防ぐことなど不可能。体育館の中で、スパークのような音と光が何度も瞬く。
「貴様アァァァァァ!!」
「うわああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
……まるで、空を切ったかのような感覚だった。覚悟していた重みが手にかかることも、血が飛び散ることもなく。アンドラスの姿は幻影のように歪んで消えていく。
体育館全体に張り付くような気配が消え、舞華は糸が切れたようにその場に座り込んだ。
緊張と集中が解けたせいか、纏っていた鎧が消え、元のパジャマ姿に戻る。
「まったく……悪魔を斃すだけが仕事じゃないのよ」
「ふぇ」
声をかけられ見ると、律軌は変身を解かずに天井に縛られていた生徒を抱き抱えていた。
苦悶の表情でうなされる生徒を床に寝かせると、そこへロザリオが歩み寄ってくる。
「二人共、お疲れ様。初めてなのに援護もできなくて悪かった」
「ううん、大丈夫~……律軌ちゃんのおかげだよ」
「……私もこれが初陣よ。あなたがいなければ危なかった、感謝するわ」
律軌も変身を解除し、学校指定のジャージ姿になる。
舞華は思わぬ言葉にしばし呆けたあと、小さく笑った。
「……なに」
「いや、邪魔にならなくて良かったなって」
「ああ、二人が上手く協力してくれたおかげだ。あとは僕に任せてくれ」
そう言うとロザリオは、ローブから五芒星と呪文の描かれた手のひらほどの紋章を取り出して生徒へ向ける。
ロザリオが目を閉じると、彼の周囲に明るい緑色の光が湧き出す。光はゆっくりと生徒の方へ近づいていき、その体を包み込んだ。
「これは?」
「彼女の体から、悪魔の持っていた魔力の残滓を浄化しているんだ。強い魔力は本体が死んでも残る、それを他の悪魔に利用されるわけにはいかないからね」
「なるほど……悪魔を倒して、生徒を助けて浄化するまでが魔法少女の仕事なんだね」
「そうだね。今は僕がやっているけど、君たちのブローチにも同じ機能が備わっているんだ。僕が不在の時や時間がない時は頼むよ」
光が弾ける。すると、生徒がひとりでに起き上がって歩き出した。
あまりに突然の出来事に、舞華は大声を上げてひっくり返る。
「わぁ!?」
「浄化の際に、今夜のことを忘れて自分の部屋へ戻るよう簡単な魔法をかけているんだ。そうしなければ、彼女は悪魔の儀式を知ってしまうからね」
「え……寝てたのに?」
「出遅れてしまったのよ。あれは儀式が完了する直前の状態だったの」
律軌は、ばつの悪そうな表情でこぼす。
それをフォローするように、ロザリオが話を続けた。
「悪魔は、強い願望を持った生徒を操って儀式の下準備をさせる。ある程度の準備が整ったら、君たちと同じように音楽の詠唱を用いて自分自身を召喚させるんだ。そして操った生徒を生贄にして、儀式を完了させる」
「つまり、彼女が儀式の一部に組み込まれていた時点でギリギリだった。間に合って良かったわ」
「そっか……」
舞華が立ち上がると同時に、律軌はギターを背負い直して出入り口へ歩き出した。
「あなたも早く寝なさい。明日も学校があるんだから」
「あ、そうだった! えっと……リオくんは?」
「僕はこの学校に隠れ家を持ってる。すぐに帰るよ」
「そっか、じゃあ、また明日!」
ロザリオに手を振り、舞華も律軌の後を追う。
―――その後ろ姿を見て、ロザリオは小さな声で呟いた。
「……彼女たちなら、最後まで戦えるかも知れないな」
✩
翌朝、舞華は六時に起きた。
激しい戦闘による肉体的な疲労と、自分の意思で生き物を殺したという精神的な疲労が重なったせいか眠りは深く、目覚めた時にはほとんど回復していた。
朝食を取り、着替えが終わったところで部屋の扉が叩かれる。
「はーい」
「おはようございます、まいちゃん。一緒に行きませんか?」
「おはよーゆのちゃん、今行くから待ってて!」
鞄を持ち、優乃と並んで寮の廊下から渡り廊下へ出る。
多くが複数人で登校している生徒たちの中、舞華は一人で歩く律軌がいるのを見つけた。
「律軌ちゃーん! おはよーっ!」
「……」
律軌は、こちらを一瞥したもののすぐに前を向いて歩き出す。
その瞼は、まだ眠っていたいと重く閉じかけていた。
「もう、朝だって言うのに眠そうな顔」
「ふふ、律軌さんも誘いましょうか」
二人で歩みを早め、律軌の肩を叩く。
―――こうして、姫音舞華の少し不思議な学園生活が始まった。