第十六話 灰の果実に彩りを#B
肯定する間も惜しいと、ロザリオは「頼み」を話し始めた。
伝えられる作戦を聞きながらも、舞華は悪魔の顔を鋭く睨みつける。既に、冷静でいることが難しい程に感情が激っていた。頂点に達しそうな怒りを押さえつけて、どうにかロザリオの言葉に耳を傾ける。
そして頭に響く声が途切れた、次の瞬間。舞華は踵を返し、脱兎のごとく走り始めた。悪魔は急な変化に驚き、杏梨の体を自分に寄せる。
「なんだ!?」
「ゆのちゃんっ!」
「はい!」
三十メートルほど走ったところで素早くターン。来た道をより速く引き返す。その先には、片膝立ちの優乃の姿。
―――全速力で駆ける舞華の右足が、優乃の重ねた両手に乗る。そのまま、優乃は力の限り舞華の体を直上に押し上げた。
手甲から尾を引く光が、悪魔の頭上まで至る直線になる。舞華の位置が、悪魔より高くなった。
しかし、これだけではまだ状況の打開に至らない。依然として杏梨が盾に使われたままであるうえ、翼を持つ悪魔にとって空中の自由が効かない舞華は恐れるに足るものではない。
「だから何だと」
「今だ、優乃っ!」
「っ!」
舞華を押し上げた優乃は、立ち上がり悪魔の背後に向けて走り出す。その先には、ローブの力で姿を変え、悪魔に気付かれないよう接近していたロザリオの姿があった。
すれ違いざまに、ロザリオが優乃のブローチに触れる。
「一度きりだ、外すな!」
「わかっています!」
言葉を返しながらも優乃が手を突き出すと、光の線が弾丸のような速度で飛び出し、まさに振り返ろうとしていた悪魔の体に触れた。
その途端、悪魔は突如現れた魔法陣によって縛られる。最も有利に動ける条件である翼が、石膏の中にあるかのように動かない。
「な……!」
「覚悟しろ……!」
悪魔は咄嗟に生贄の―――杏梨の体を動かそうとして気付く。体の動きと共に、魔法の行使が封じられた。一秒にも満たないような刹那だが、優乃の動く間も落下していた舞華の速度はそれよりも早い。
優乃のメイスと、律軌の拳銃が舞華の手甲へ吸い寄せられる。一回り大きくなった手甲は、三色の光を纏いながら悪魔に狙いを定めた。
「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
雄叫びにも近しい咆哮と共に、舞華の拳が再び悪魔の顔へと突き刺さる。途轍もない力を一身に引き受けた悪魔は、身をよじることすらままならない。その頭はねじ切れて吹き飛び、体は痙攣しながら地面へ落ちていった。
それと同時に、優乃の変身が解けパジャマへと戻る。悪魔の頭は大きく跳ねたあと、グラウンドの端に転がった。
「ぐおおお……!」
怨恨とも痛みとも取れる声を漏らしながら、悪魔の体が消えていく。舞華は、ただ憐れむようにその様をじっと見つめていた。
やがて悪魔が完全に消滅すると、杏梨が遅れて落下してくる。飛び出した律軌が、その体を抱きとめて着地した。
続いて魔法陣が消えたことを確認すると、舞華は憑き物が落ちたかのように大きな溜め息をつく。
「……お疲れ様、姫音舞華」
「うん……良かった」
「はぁ、はぁ……」
「優乃、無理をさせてすまない。水を飲んで」
舞華と優乃は疲れ果てたように膝に手を当てる。特に優乃は消耗が激しいようで、ロザリオから木製の水筒を受け取っていた。
ひとまず杏梨を浄化し部屋へ戻したあと、律軌が口を開く。
「ロザリオ、さっきのは」
「ああ。一度きりだけど、優乃に束縛の魔法を撃たせたんだ。僕が使える数少ない魔法さ」
「そんなのあるなら、普段から使わせてくれたら」
「いや、あれは本来自分より力の劣る相手に使うものだ。悪魔を相手にして通用するものじゃない」
舞華の軽口を遮って、ロザリオは否定の言葉を挟む。
「じゃあ、なんでさっきは効いたの?」
「あの悪魔が本来の力を出しきれない状況にあったからだ。舞華があの子のしがらみを払ってくれたおかげで、悪魔の糧となる憎しみが消えたからね」
「……ファインプレー、ね」