第十五話 あの日を見せる陽炎の#C
放課後、夜。いつもならば夕食や入浴、課題に割いている時間だが、今日に限っては違う。舞華は杏梨に連れられ、グラウンドに来ていた。
ほぼ全ての運動部が既に撤収している中、ただ一人。走り高跳びをひたすらにこなす人影が見える。
前を歩く杏梨の足取りが重くなるのがわかった。舞華はその肩に手を置き、心配いらないと頷いて見せる。
「……水野、美空先輩」
「あなた……アッシュベリーさん?」
ハーフという珍しさからか、一度自分の前に現れたからか。その人―――美空は杏梨のことを覚えていたらしく、目を丸くして驚いている。
だがその表情も束の間、対面した相手の目的を察したのか唇を引き締める。
「あなたがこの学校にいるということは……まさか」
「はい……美羽の話を聞きにきました」
美空は、隠すこともなく苦い顔をする。その表情から真意は読み取れないが、何か悔やむようなものを舞華は感じた。
「彼女を突き落とした犯人に……落とし前でもつけて欲しいの?」
「……!」
挑発的な物言いに反応してか、杏梨の全身に力がこもる。咄嗟に、舞華がその手首を握ったことでなんとか心を持ち直した。
杏梨としても、真実を聞き出すまでは冷静でいなくてはいけない。深呼吸を挟んでから、今一度言葉を紡ぐ。
「本当に、水野先輩がやったんですか」
「……」
「もしそうなら、そこまでした理由を教えてください」
美空は流れる汗を拭うこともせず、ただ杏梨の目をじっと見つめていた。杏梨も返す視線を決して逸らさず、平静を保とうと呼吸を意識する。
しばらくして、根負けしたかのように美空が髪をかきあげる。
「……そうね。わざわざこんな変わった学校まで押しかけてくるんだもの。あなたには……話した方が良さそうね」
「……」
既に陽も落ちた中で、強い明かりで照らされたグラウンドは昼の如き明るさを放っている。
逆光を浴びながら、美空はついに……真実を告げた。
「彼女に怪我を負わせたのは私じゃないわ。他の三年生部員が結託してやったことよ」
「……じゃあ」
「ええ。私は利用されたの。彼女に最も近い記録を持っていたから、自分が一番になるためやったと」
美空は、犯人ではなかった。それも、彼女自身が他の部員の犯行だと知っている。
では何故、それを今まで黙っていたのか。
「どうして噂を払拭しようとしなかったのか、って聞きたいんでしょ? 脅しをかけられていたのよ。話せばもう一度彼女に危害を加えると」
「そんな……」
「私自身、下級生に怪我させるなんて本当にやると思ってなかった。だから動揺してその次の大会でミスを連発…… 自分の身も危ういと思って部活を抜けたの」
見れば、杏梨だけでなく美空の体も震えている。当時は中学生、それも周りに敵しかいない状況に陥っていた、その恐怖は察するに余りある。
「もちろん、何もしなかった訳じゃない。卒業する前に先生と、美羽さんのご両親には話をした……真犯人の連中、ただでは進学できなかったでしょうね」
「……」
「あなたも含めて、お友達は私に文句を言わないよう、彼女から口止めされていたんでしょ?」
杏梨は、今になって理解する。美羽が深く詮索することを止めたのは、真実を知られればまた自分が襲われるかも知れない状況にあったから。
美空が犯人だという噂が広まったのは、彼女を孤立させ本当の実行犯をうやむやにするため。
「……」
「これが真実よ。実際、美羽さんと私は今もまだ交流がある。お互い、あんなことがあったから公式に陸上をやる気はもう無いけど……それでも私は、好きでやっていたことを忘れたくない」
歯ぎしりをする美空の姿からは、強い悔恨と苦悩が見て取れた。彼女もまた、理不尽を背負わされてしまったのだ。
その発言からするに、何の対策も取れなかった訳ではないだろう。しかし、中学校を卒業するまでに二人が背負ったものは余りにも大きすぎる。
「……なんだぁ……」
ふっと力が抜け、杏梨が膝に手を置く。言いようのない感情が、心の中で混ざったり離れたりを繰り返している。視界が徐々に滲んでいくのは汗か涙か。
「アタシ、なんにも……できなかった」
「……そんなことないよ」
舞華が杏梨に寄り添い、その肩を強く抱く。
「傷ついた時に寄り添ってあげて、心を晴らすためにここまで来てるもん。立派な人じゃないと、こんなことできないよ」
「姫……」
「……あなた、いつもいい友達に囲まれてるのね」
向けられた笑顔には羨望、あるいは悔恨のような複雑さが見える。まるで期待を託すような表情を
、美空は早々に振り向き隠した。
「美羽さんには私から話しておくわ。文化祭にでも来てもらえるといいけど」
「……水野先輩、ありがとうございました」
頭を下げ、寮へと向かう。今にも涙が溢れそうな杏梨を支えるように舞華は歩いた。
再び一人になったグラウンドの中心。寮の方角から聞こえる声は、まるでどこか別世界のように遠く感じる。
眩しすぎる照明の光を受けながら、美空は静かに呟いた。
「ふふ、おかしな子……ありがとうはこっちの台詞なのに」
☆
「では、杏梨さんは無事に」
「うん。良かったって言って部屋まで戻った」
「……なんと言うか、さすがね」
夜は深まる。一点の曇りもない空に浮かぶ月の明かりは、さながらスポットライトの如く。
悪魔の気配はグラウンドから。舞華たちの気持ちに揺らぎはない。
「もう悩まくていいように……絶対勝つよ」
固い決意の言葉と共に、舞華は拳を握り締めた。




