第十二話 繋ぐのは想いに気付いているから#B
律軌が状況に打ちのめされていることなど知る由もない舞華は、校舎の中を駆ける。あちらとは違い、いくら走っても特定の位置に戻されるといったことはないが、それを幸いと思うこともまたない。
そして、当たりを引いたのは他でもない舞華だった。
「っ!」
「―――おっとぉ、見つかったか……っひひ」
三階廊下の一角、唐突に炎が燃え広がるようにして人の姿を形成し、その中から長槍を持った人間の姿が現れる。魅力的な長髪の男だが、左手に生気のない生首を持っていることもありそれが悪魔だとすぐに飲み込めた。
いた。どうする、斬りかかるか、下がるか。
思考が錯綜する。無論ながら、最善の手段はここで下がって仲間と合流することだ。しかし、この悪魔がそうさせてくれるとは到底思えず、隙を晒す訳にはいかない。
「お前は」
「俺かぁ、俺はアミー。地獄の大総裁さ……逃げるのはやめた方がいいぞ。お前はもう仲間と会うことはない」
―――意趣返しみたいな名前して。
怒りがこみ上げるが、続く悪魔……アミーの言葉に含まれた意味を探る。ここで舞華を殺す、というだけでなく、何か別の意図を感じる。三人を分断したことすらも狙ってやったことだとすれば、既に何らかの仕掛けが動いていると考えたほうが妥当だ。
「一人は部屋に残したな。そしてもう一人は俺の術で閉じ込めた。これで一対一……脆弱な人間のお前と、悪魔である俺。どっちが先にくたばるかな?」
やはり、罠。閉じ込めたという言葉から律軌の身を案じるが、この場で舞華ができることは目の前の悪魔を倒す以外にない。何らかの魔法が働いているとなれば、合流は不可能とみて間違いないだろう。
呼吸を整え、剣を構える。相手の得物は長槍、自分よりも遥かにリーチのある武器だ。迂闊に距離を取れば舞華の方が危ない。
姿勢を低くし、脚に力を込める。一息に踏み込み、手傷をつけるための動きだ。アミーが余裕を持ち、油断している間に早期決着を狙うのが舞華の立てた算段だった。
穿つほどの力を込めて、床を蹴る。風を切る音が一瞬遅れて聞こえた。だがそれでも、まだ悪魔に及ぶ速度ではない。視界の先、槍が横薙ぎに振るわれようとしているのが見て分かる。すぐに上体を後ろへと倒し、スライディングの形でアミーの足元へと滑り込んだ。
「ほぉ……」
「っ!」
踵を床につけて速度を落とし、左手と剣の柄を使って跳ね起きる。魔法少女となったその身体能力は舞華を空中まで飛ばし、そのまま胴体を軸にして縦に回転させた。この時、ブレーキに使った右足は伸びたまま、左足を畳んだ姿勢となっている。
一回転からの踵落とし。あらゆる勢いと力の込められたそれが、アミーの右肩へと突き刺さる。あまりに強い力を一点に集めた攻撃であるせいか、舞華自身も右足の感覚が少し麻痺した。
しかし、アミーの体が怯むことはない。効かないと即座に判断した舞華は、体を捻りつつ左足でアミーの腕を蹴って距離を取る。
「中々の判断力だ。少し動物的すぎるがな……だが、やはり女の子供。力がない」
「お節介どうも!」
軽口を叩きつつも、内心では焦りが生まれつつある。こちらの攻撃がほぼ通用しないとなれば消耗戦だ。優乃からもらった加護も、彼女から離れすぎたせいかほとんどの効力を失っている。
―――落ち着け。まだ蹴り一発与えただけだ。
自分に言い聞かせ、再度走り出す。今度は眉間を捉えた突き。迫り来る穂先を剣の腹で逸らす。右手を引いて一際強く踏み込んだ後、飛び込むように剣を突き出した。
「……!」
「残念っ」
確かに、剣先はアミーの右胸に刺さっている。しかし、その感触は生き物を斬った時とはまるで違う、金属でも刺したかのような硬さだった。そして、剣が抜けない。アミーの堅牢な筋骨が、剣ごと舞華を捕らえて離さないのだ。
手放して距離を取れ。やられる。そう頭では理解していても、体が思うように動かない。
アミーが左手に持った生首を舞華へと向ける。何かの魔法を警戒し、咄嗟に舞華は目を閉じ―――その行動が仇となり、腹を蹴られて後方へ飛んだ。
背中を打ち付け、呼吸が乱れる。衝撃のせいか視線の焦点が定まらない。
―――
「っあ! は、ぐ……うぁ……」
何か聞こえたような気がする、幻聴だろうか。
どうにか意識を手放さないようにしながら、舞華は思考を整理していく。アミーは迫る様子も追撃の意思も見せず、ただその様子を見つめていた。
☆
一方で、優乃も苦戦を強いられていた。
「……これは、少し不利ですね……」
儀式を攻撃されまいとアミーが仕掛けた罠。魔法陣から伸びた髪の毛のような物体が安美を取り返さんと向かってくる。メイスでの迎撃こそできるものの、安美の体を抱えながらでは十全な立ち回りができない。
教室から出ようにも既に窓と扉は塞がれており、消耗戦を強いられる形となってしまっている。
「手早く済ませてくださいよ……!」
☆
舞華はなんとか立ち上がり、体制を立て直す。喉奥から嘔気が湧き上がり、臓器が軋むような感覚に今にも意識を持って行かれそうだ。それでも、視界は明瞭。四肢の末端まで力を込めることができる。
まだ、負けてはいない。
―――
「……何か言った?」
「何を言ってる、どこかおかしくなったか?」
剣は既に抜かれたらしく見当たらない。こちらに怪訝な目を向けるアミーが、なぜ舞華に止めを刺さなかったのかはわからないが、少なくとも剣を抜く以上の行動は起こしていないようだ。
暫くの沈黙のあと、アミーが唐突に舞華へ問いかけた。
「なあお前、あの人間が何を思ってるか知ってるか?」
「……知らないけど」
舞華の回答に、アミーは前髪を払うように大きく頭を振った。歪んだ口角と見下すような目がよく見える。
「不安なんだよ。あいつは避けられ、謗られて後ろ指をさされるのが怖いんだ。自分が役に立ってない、他人のためにならなきゃ生きられないって震えてるんだぜ」
無意識に、舞華は青筋が浮かぶほどの力を全身に込めた。得意げに、知ったような口で安美のことを語られる、そのことに対する怒りは瞬く間に沸点を超える。
その様子を見てアミーはさらに醜悪な笑みを見せ、言葉を続ける。
「他人に見捨てられたらお払い箱、そうわかってるからあいつは他人に尽くすんだ。嫌だよなぁ人間って。弱いから縋らなきゃいけない。弱いから祈ったりする」
「……それの何がいけない、何が悪い」
―――
走り出したい衝動を抑えて、言葉を紡ぐ。少なくとも、舞華にとって安美は弱い人間ではない。打算も何もなく、自分よりも他人を優先した行動を取ることができるのは、精神的な強さの証拠にほかならない。
思考を巡らせる。今、手元に武器はなく、単純な力勝負では敵わない。逃げ出そうにも相手は槍を持っており、優乃達との連絡も繋がらない。いわゆる「詰み」……敗北が決まったと言える状況だ。
だが、まだ一つ。
「人間なんだ、弱くて当然だ。支えあって生きることが人間の美しさだ! だから私は助ける!!」
「ならどうする、力で勝てないお前が、武器も持たず支え合う仲間もいないお前が! どうやって俺を殺そうと言う!!」
―――マイカ。
先刻まで幻聴だと思っていた音が、はっきり声となって聞こえる。そして、それが天使の声だということも理解できた。夢に出てきたものでも、共に戦っている主天使のものでもない、初めて聞く声。
そして、その存在を認識すると同時に、頭の中に振り付け……詠唱が流れ込んできた。
―――私と、一緒に戦ってくれるんだ。
「いるよ、仲間なら!」




