第一話 旋律の軌跡、歌う草原、舞い踊る華#B
「え、えぇー……夢なのぉ……?」
……私立天祥学園、学生寮・一二八号室。現在時刻、午前五時。
昨日よりこの学校に入学し、華やかな青春を謳歌する予定であった舞華の初日の朝は、謎の夢を見たことで完全に意識を持って行かれてしまった。
寝ているというのに濃密な情報を頭に叩き込まれたせいか、頭痛がする。登りきらない朝日が窓から差し込み、どこからか小鳥のさえずりが聞こえてきた。
あの夢はなんだったのだろうか。謎の声、天使らしきものと戦うため、ベースを弾いて銃を握る女性。そして……
「あれは……なんだったんだろう……」
酷く現実離れした思考と、ごく当たり前のような朝の風景が乖離する。
なぜ、あんな夢を見てしまったのだろうか。疲れは感じず、思い当たる理由がない。
「天使を呼びなさい……心のままに踊れ、か……」
窓の向こうの青空を見つめる。広がる快晴は見ているだけでも心地よくなるほどで、今日からの高校生活を祝福してくれるようにも思えた。
きっと、何かいいことがあるはず。不思議な夢はその前触れ。
前向きに結論づけて、舞華は栗色の髪を結い始めた。
✩
ここ私立天祥学園は、「日本で最も閉鎖的な女子高」としてその名を広く知られている。
全寮制、進学率百パーセントの創立からたった五年の新設校。そして何よりも―――「学校から出られない」という規則の存在。
テーマパークと見紛うほどに広すぎる敷地の中には、学校関係の建物の他にも、スーパーマーケット、カフェ、庭園、教会と最早何を作りたかったのかわからなくなるほどの施設が揃えられている。
さらに生徒は基本自炊、校内での私服着用禁止、外出は非授業日にのみ許可制……とおよそ女子高生として扱う気のないような校則で縛られる。
そのため広まっているのはほとんどが悪名、入学者数も四十人前後と広すぎる施設を運営するには少なすぎる。
となればどこから資金が出ているのかが謎であり、悪い噂も後を絶たない。
更に、学校のある奏野市には名門校と名高い県立奏野第一高等学校がある。そんな肩身の狭い状況にある天祥学園にわざわざ入る人間は、ほとんどが物好きか訳ありだと考えても差し支えないだろう。
そして、舞華たち一年生も一クラス四十二人しかいない。現時点で二つのクラスがあるのは三年生だけだという。
そんな四十二人が集まった教室で、最初に行われた授業とは……
「自己紹介をしてもらいます」
ごく普通の自己紹介だった。
クラスの担任教師兼学年主任、間宮俊子。厳格さ漂う釣り目と真一文字の口は、教師というよりもさながら鬼教官を思わせる。
「これから皆さんは三年間この顔ぶれで授業を行い、学校行事に参加し、進路を決め卒業してもらいます。全員と仲良くなれとは言いませんが、一刻も早く慣れることが大切です」
威厳ある声色ではきはきと話しながら、間宮は黒板に文字を記していく。
名前、誕生日、趣味。綺麗な文字を縦三列に並べ、生徒たちに振り向いた。
「この三つは必ず言うこと。その他に言いたいことがあったら言っても構いませんが、人数が多いため一分を超えないようにしてください」
では、と間宮が黒板の前から退くと共に、出席番号一番の生徒から順番に自己紹介が始まった。
舞華は、一人一人の情報を可能な限り頭に入れていく。彼女にとって学校生活で一番大切なのは友人であり、今までも多くの友達に支えられてきた。
三年間、できることならその先まで共に過ごせる相手を見つけ、すぐにでも仲良くなりたい。逸る気持ちを抑えながら聞いていると、一人の生徒が目にとまった。
ベージュに近い、薄めの茶髪をした大人しそうな生徒が前に出る。一目見ただけで優しさを感じるその生徒は、柔らかな声色で話し始めた。
「歌原優乃です。誕生日は九月十五日、好きなことは歌を歌うことです。どうぞよろしくお願いします」
優乃と名乗ったその生徒の自己紹介は、目立つことないありきたりなものだった。
ただ一つ、「歌うことが好き」という発言が、大人しそうな印象に対し意外であったことが舞華の中で彼女に強い印象をつけた。
その後暫くして、舞華の番が回ってくる。四十一人のクラスメイトと担任教師の視線を浴びながら、しっかりと言葉を紡いだ。
「姫音舞華です! 誕生日は八月十七日、得意な科目は文系科目! ダンスがすっごく大好きで、習い事とかで何種類か学んでました。元気が一番の取り柄です! 三年間よろしくお願いします!」
決して小さくない緊張の中、なんとか言い切って席へ戻る。一息をついてから暫く、自己紹介を聞いていると、信じられない光景が舞華の目に飛び込んできた。
舞華より暫く後、黒板の前に立った一人の生徒―――その顔は、あの夢で見たベースを持った女性によく似ていた。
見惚れるようなストレートの黒髪に、きつく結んだ唇。クリーム色のブレザーが似つかわしくないほどに大和撫子という単語が相応しく見える。
夢で見た女性と違う点があるとすれば、目の前の彼女は無関心を顔に出したように冷たい表情をしている、という一点。
あまりの出来事に目を見開き、その言葉を食い入るように待つ。
「……宮下律軌です。誕生日は七月七日、得意な科目は理系科目……趣味は音楽を聴くことです」
淡々と、目立たないように努めた内容を話すと、生徒……律軌は自分の席へと戻っていく。
他人を寄せ付けないその顔つきは、舞華の心に深く染み付いた。
それから暫くして、チャイムの音が授業の終わりを告げる。あるものは自己紹介を聞いて気になった相手の元へと赴き、またあるものは誰かからの声を待って、それぞれの交友関係を築こうとしていた。
舞華も席を立ち、真っ直ぐにその席―――歌原優乃の座る席へと歩いていった。
「どうも!」
「あなたは……姫音さん?」
「舞華でいいよ。優乃ちゃん、だよね?」
朗らかな笑顔で声をかける。直感的に、この人となら仲良くなれそう、と思っての行動だった。
優乃も柔和な表情で舞華に返す。
「はい、これからよろしくお願いしますね……えっと……」
一転して顔つきを曇らせる優乃を見て、踏み込みすぎたかな、と舞華は気付く。
呼び捨てでいい、と言ったことが、優乃の生真面目な部分を悩ませているというのはすぐにわかった。
舞華は友達を作ることが得意だと自負しているが、同時に強く踏み込むことで相手を困らせたり、仲違いした経験も持ち合わせている。
やがて優乃は顔を上げると、照れたように微笑んだ。
「まいちゃん、と呼んでもいいですか?」
「おぉ、いいね! すっごくいい! これからよろしくね……うーんと、ゆのちゃん!」
「はい!」
予鈴が響く。授業の始まりを察して、生徒たちは自らの席へと歩き出す。
また後で、そんな言葉を残しながら、少しずつ教室の笑顔が増えていた。
新たな希望を胸に抱いて、華の高校生活が始まる―――