第六話 その瞳は誰よりも真っ直ぐ#A
第一校舎、三階。第一校舎は一階が職員室・保健室など職員用のフロアとなっており、二階と三階にある四つの教室のうち半分を一年生と二年生、三階の半分を三年生の二クラスで使っている。そのため、二階と三階は半分の教室が空いているのが天祥学園の変わった点の一つである。
基本的に、空き教室に生徒が踏み入れることは禁止されており、それが解除されるのは授業に教室を使う際か文化祭の時くらいのものだ。
「……で」
先に二~三階間の踊り場で待っていた律軌が、溜め息と共にこぼす。
「どうして歌原優乃がここにいるの……」
「やはり、律軌さんも一緒でしたか」
―――美南さんの件、私に嘘をついたんですね。へぇ。
優乃に刺すような視線と言外の言葉を浴びせられて、舞華は思わず顔を逸らす。ここに来るまでもまともに会話などはできず、ひたすら背後からの視線に耐えつつ階段を登ってきた。
その様子を見て律軌も事の次第を察したのか、悩ましそうに首を振る。
「……あなたのせいよ」
「反省しております……」
言い訳ができない自分の性格が、今日この瞬間ほど恨めしかったことはない。
舞華は自分を呪いながらも、どうにか話を進めるよう促す。律軌もどことなく息苦しさを感じていたのか、優乃の顔を見ないように三階を見上げた。
「……この先の空き教室ね。歌原優乃、危険だからあなたは下がっていなさい」
「私、まだあなた方が何をしているか伺っていないのですが」
無論、説明もなしにただ危険だと言われても納得は行かないだろう。だが、どうにもかなり怒っているらしい優乃の毅然とした態度に、律軌は少したじろいだ。思わず、聞かずともわかるような質問を念じてしまう。
『……どうして何も言わないの』
『逆に聞くけど、律軌ちゃんこの状況で魔法少女ですって言える……?』
『……』
沈黙。いくら状況が状況とは言え、真面目な人物である優乃に向かってそんなことを言えるはずもない。いくら彼女に素質があろうと、今が緊急事態であることに変わりなく、舞華達は一刻も早く皐月を助けに向かわなければならない。細々と説明している暇も無ければ、危険な場にいきなり身を投げさせるわけにもいかない。はっきり言って、今の優乃は邪魔者だ。
どうにか優乃を帰らせようと策を練る二人だったが、そこに下階から足音が聞こえてくる。見れば少し遅れてロザリオが階段を登ってきていた。舞華達を見つけ、優乃の姿を見た彼は驚いて舞華へ駆け寄ってくる。
「舞華、彼女は」
「あーーりがとうリオくんずっと待ってた!」
「ロザリオ、事の説明を彼女にしてあげて。私達は先を急ぐ」
「じゃあゆのちゃん、この子……子? が全部話してくれるから! それじゃ!」
ロザリオの肩を掴んで優乃の方へ向けると、舞華と律軌は言い訳を叫びながら三階へと駆け上がっていった。
呆気に取られて、二人のいなくなった踊り場を見つめるロザリオの肩が、強い力で掴まれる。
「それで……あなたは、どちら様でしょうか?」
☆
二つある空き教室のうち、片方の部屋の鍵が開けられていた。儀式が完成すれば生徒と成り代わる、その関係上鍵を壊す訳にも行かなかったのだろう。
そして、教室の中は―――巨大な二つの魔法陣と、謎の呪文で埋め尽くされていた。天井と床に、鏡合わせになるよう一対の魔法陣が描かれ、壁や黒板、窓には言葉を羅列したような、不気味な文様がある。
そして、教室の中心には皐月が、フルートを片手に生気のない表情で立っていた。
「……来る」
「飛び出して来るかもしれない、先手を取るべきよ」
皐月がフルートを吹くよりも素早く、二人は教室の中へ飛び込み詠唱を始める。
《魅せよ、第一の舞・契約の主天使達! 悪を打ち砕き、正義を貫く我が身に光を! ドミニオンズ!!》
《轟け、第一の戦慄・契約の能天使達。掟に従い、悪しきを正す我が手に武器を。エクスシーアイ!》
光に包まれ、武器を手に取る。構える二人の視線の先で、皐月はゆっくりとフルートを吹き始めた。美しい音色に呼応するように、壁や床の文様が光を放つ。だが、それはフォラスの時とは違った不快感を醸し出していた。
床と天井、上下の魔法陣から、半透明の生き物……魔力の塊が現れる。警戒を強める二人を気に留めることもなく、「ソレ」は皐月に迫った。
「……ほう。それ、がお前、の……い、いだろ、う……私がお、前の望、みを……」
ノイズの走った声が聞こえた直後、皐月を取り巻いた魔力が、次第に何かを形作っていく。
……人の形。それも見慣れた、否、見慣れすぎたほどのその姿は―――
「芽衣、ちゃん……?」
「ふざけた真似を……!」
萩村芽衣の、その姿。赤い魔力の光は手足を少し動かすと、呆然とする舞華達に問いかける。
「……お前たちが、天使の力の担い手か。どうだ、この姿は? こいつの―――愛するものに似ているか?」
舞華は歯を食いしばり、走り出しそうになる自分を抑える。表情や仕草が全く違うものだとは言え、芽衣の姿をしたものを傷つけることを躊躇した。正確に言えば、それによって本物の芽衣に被害が及ぶかも知れない、という思考がなんとか舞華の脚を止めていた。
その様子を見て、悪魔は満足そうに頷く。余裕を体現したかのような芝居がかった動作だが、そこに油断や隙は見られない。
「満足のいく出来であるようだな……私はウァサゴ、七十二の柱が三番手……お前たちが、私を止めるのか?」
三番手……序列三位。これまでに相手したどの悪魔よりも、桁違いに強い。それだけでも望みは薄く、それ以上に芽衣の姿という最悪の手段で立ちふさがっている。
絶望的な状況、ウァサゴは表情こそ嘲笑のそれであるが、力量の差は歴然だった。
「……あのさ、敵に向かってこんなバカみたいなこと聞きたくないんだけど」
「なんでも問うといい。過去、現在、未来、全ての出来事に答えてやろう」
「お前を斬り伏せても、本物の芽衣ちゃん……その姿の持ち主に影響はないの?」
「この姿は私の性質……そこな人間の「愛」を覗き込み擬態したものに過ぎない。本物に影響はないと約束しよう……これが嘘でないこともな。何故なら」
一瞬の前傾姿勢、それを舞華は見逃さなかった。咄嗟に剣を斜めに構え、そこへ一拍の間を置いてウァサゴの手刀が突き刺さった。手の周囲には魔力が刃を形成している。
「どんな姿を取ろうと、私がお前たちに負けることはないからだ」
「ぐ……!」
剣が上に弾かれる。なんとかしなきゃ、と頭では思うもの体が動かない。すると、舞華の意志を汲み取ったかのように右脚が動き、ウァサゴの腹を蹴った。咄嗟に身を引かれ上手く捉えることこそできなかったものの、距離を開くことには成功した。
「……そっか、私達、二人だけじゃないもんね」
「ええ、そうね」
今までは、たった二人だと思っていた。だが、違う。自分達のために、天使が力を貸してくれている。
勝ち目が薄くても、きっと大丈夫。そう信じて、舞華は小さく呟いた。
「―――行くよ、ドミニオンズ」
☆
「なるほど、大筋の話は理解できました」
優乃の放つ謎の圧力に圧されながらも、ロザリオはなんとか魔法少女についての説明を終えることができた。
最初こそ懐疑の視線を向けていた優乃も、舞華が美南や皐月にこだわる理由と辻褄が合うとわかってからは素直に話を聞き入れていた。
そしてこれは、ロザリオにとってまたとない機会でもあった。優乃が三人目の魔法少女となってくれれば、舞華達の命の危険は格段に下がり、悪魔退治における一人あたりの負担を減らすこともできる。
「えっと、優乃だね。君にも、魔法少女として戦う素質はある。もし君がそれを受け入れると言うのなら、このブローチを」
「いいですよ」
ロザリオの言葉を遮って、優乃は差し出されたブローチを二つ返事で受け取る。あまりに早い決断に、ロザリオは思わず口を出した。
「ま、待ってくれ! さっきも言ったが、命がかかっているんだぞ!? それをそんな簡単に」
「だって、まいちゃんと律軌さんは受け入れたんでしょう? 二人が命をかけて戦っているのを知っておきながら無視はできません。それに―――」
ブローチを返すまいと強く握り締め、優乃は階段の上を見上げた。
「……きっと、まいちゃんは自分の命を厭わない」
☆
舞華とウァサゴの戦闘は、激化の一途を辿っていた。
得物がないことから一撃の素早いウァサゴを前に、舞華は自分の認識を超えた部分を天使に委ねることで、以前よりもスムーズに相手の動きに追いつけている。
反応できる部分は自分に、そうでなければ天使や律軌達に。自分の持てる力を再認識したことで、舞華の戦闘力は格段に向上していた。
そして、それは律軌も同じ。
「そこっ!」
「させない!」
防御の姿勢を見せた舞華、だがその腕を蹴ったウァサゴが、隙を確信し手刀を構える。しかし、その一瞬を見逃さなかった律軌の銃弾によって手刀は弾かれた。
互いに無防備となった刹那、先に立て直した舞華の剣がウァサゴの左肩を捉える。腕を切り落としてしまえば有利になると思っての行動だった。
「ッ!」
「なるほど……確かに、天使の力を使いこなせている。その人間らしからぬ覚悟、気に入った」
剣が、壁にでも突き刺さったかのように動かない。純粋な魔力の塊が、障壁となって舞華の攻撃を阻んでいた。
危険を感じ取った舞華はすぐに距離を取ろうとするが、僅かに遅い。ウァサゴの右脚が、既に舞華の左頬に迫っている。
「っご」
視界が、脳が、乱雑に揺さぶられる。不完全な当たり方が、むしろ舞華の神経に負担をかけるようにその肢体を転がした。
起き上がろうとするが、目の焦点が定まらない。床に手をつこうとするも、思うように力が入らず上手く床を捉えられずにいる。
「だが……もう少し相手を知るべきだ。ただ我武者羅に得物を打ち付けるだけでは意味がないと……わかっているはずだがな」
聞こえてくる声の意味すらまともに処理できず、舞華は無様に身悶える。混乱もさることながら、ただ根性だけで戦おうという意志が空回りしているのが律軌にははっきりとわかった。
その様を見て、ウァサゴは顎に手を当てて思案するような素振りを見せる。
「さて、お前」
「……何」
「次はお前だ。この狭い部屋では不利だろう? 条件を合わせてやる、選べ」
―――何を偉そうに。
律軌は歯軋りしてウァサゴを睨みつける。あろうことか、もう舞華に戦う力がないと判断したウァサゴは、舞華をここに置いて律軌と戦おうとしている。それも、教室という不利な条件をわざわざ覆してまで。
無論ながら、場所を選ぶうちに不意打ちを仕掛けるなどそんな気はない。未成熟な律軌では自分に勝てるはずもないと踏んでの言葉であることは明らかだった。
「っ、ぐ、ふぅ……っ!」
その言葉を聞いてか、はたまた思考を棄てて本能でか、舞華がやっとのことで起き上がる。その眼光は鋭く、律軌はフォラスの時を思い出し警戒を強めた。
一方でウァサゴは驚いたような表情を見せながらも、まるで舞華を心配しているかのように声をかける。
「馬鹿な…… お前は女だろう、自分の顔が傷つくことに恐怖はないのか」
「ふざ……けんな……! 人の顔、蹴っ飛ばし、といて!」
吐息と共に言葉を吐き出した後、舞華は天井近くまで飛び上がってウァサゴに襲いかかる。無論、いくら怒ったと言っても空中で取れる行動に変わりはない。ウァサゴは右手を突き出し防御の構えを取る。
が、舞華はウァサゴの目の前に剣を突き立てる。予想外の行動で反応が遅れたウァサゴの右頬に、剣を軸にして回転した舞華の踵が突き刺さった。先の舞華と同じように、ウァサゴがふらついて後ずさる。
「……っぐ!」
「ふぅ……これで、おあいこ!」
―――何をつまらないこと、と言いかけて、律軌は言葉を引っ込める。あくまで舞華の言葉は、自分たちを奮い立たせるためのもの。多少の無理をしてでも、空元気であっても、諦めてはいけないという決意の現れだからだ。
しかし、舞華が戦えるような状態かと問われれば、難しいと答えるしかないだろう。疲労の蓄積に加え、直接頭を蹴られたとなればそのダメージは察するに余りある。
「う」
「姫音舞華!」
頭を抑えてふらついた舞華を、律軌が滑り込みで抱き抱える。痛みというよりも、頭を揺さぶられたことで発生した体内の違和感と嘔気が原因で、舞華は立っているのもやっとという状態だった。
律軌は歯噛みする。例えウァサゴが舞華をこれ以上狙わないとしても、一人でこの強力な悪魔と対峙して勝てる自信はない。舞華がこれまで戦えていたのも、律軌が隙を見て弾丸を撃ち込んでウァサゴの動きを制限していたからだ。フォラスですら一人で対処しきれなかった律軌に、これ以上何ができるというのだろうか。
「……ぐ、自分より他人を優先するか…………だが、今のでもう動けまい」
「くっ!」
拳銃をウァサゴに向ける律軌だが、まだ舞華を抱えたままだ。ギターに重ねるように寝かしているために追加の詠唱もできない。だからと言って舞華を置いて戦うことがどれだけ危険かは火を見るより明らかなことだ。
手が震えているのがわかる。だが、こうして銃を向ける以上の選択肢を律軌は考えることができなかった。
能う限りを巡らせる律軌の思考―――それを断ち切るように、教室に優乃が姿を表した。
 




