第五話 五月雨、追憶、対岸へ#C
翌日、土曜日。舞華は午後から勉強会とし、昼食に皐月を招待した。
メニューはキノコを使ったペペロンチーノ。流石に高校の敷地内にあるスーパーにはワインなど置いていなかったため、舞華としては少し物足りない味になった。
具材を順番に追加しながら炒め、パスタを茹でて絡ませるだけ。味付けに凝ったり見た目を気にしたりということが無ければ、舞華の基準で言えば簡単にできる料理だ。
「これは……姫音さん、とてもお上手なのですね」
「お陰で先月は大変だったよー」
皐月は、一目見た印象に「浮世離れ」という単語が当てはまるほどに、淑やかな所作や上品な立ち振る舞いがよく映える人物だ。
そのせいで中学生時代は一人でいることが多く、なんとなく放っておけなくなったから付き合い始めた……とは芽衣から聞いた話。
もしかすると、友達が少ないことが皐月の心に影を落としているのかもしれない。だがそんな話を単刀直入に始めるわけにもいかないため、舞華は適当な雑談を試みる。
「皐月ちゃん、課題終わった?」
「はい、昨日までに全て」
「うそ」
早っ、という言葉を浮かべたが口から出なかった、それほどの驚き。
数日に渡って出された課題のため、少しずつ進めることは可能だった。無論舞華もそうしていたため、決して進みが遅い訳ではない。芽衣達に教えるのは国語と英語だけであり、その他は先んじて進めている。
にしても、五教科の課題全てを終わらせるのにあと半日はかかるだろう、と言うのが舞華の本音だった。
「難しい課題ではありましたが、全てこれまでに学んだことの復習。ノートと教科書を見返し、無駄なく考えればすぐに終わります」
「……はは」
「では、いただきますね」
皐月がフォークを手にしてから一分弱で、舞華は後悔した。
当たり前と言えば当たり前だが、皐月は食事中ほとんど話すことがない。こちらから話しかけるのは、食べるのを急いているようで言い出せず、向こうから話しかけてくることもない。更に言えば、一口が思ったよりも遅い。よく味わって上品に食べているのはわかるが、なんとかして会話に持ち込みたい舞華としては焦らされたような感覚が拭えない。
「……とても」
「はいっ!?」
「? とても美味ですね。これだけ上手なら教えを請われるのもわかります」
―――駄目だ、ペース乱されっぱなし。
パスタを口に運びながら、改めて芽衣に尊敬の念を向ける。自分ほど特別な用がないとは言え、よく芽衣の性格で皐月と付き合えているものだ。
結局、食事が終わるまで会話らしい会話はできなかった。舞華はこの機会を逃したらどうしようかとばかり考えて、パスタの味すらあまり覚えていない。
「ご馳走様でした」
「お粗末さま」
「それで、私にどういったお話があるんですか?」
「うぇっ」
予想だにしていなかった言葉と共に、鋭い目で見られる。睨んでこそいないもの、真摯な真顔で見つめられると妙な緊張感が湧いてしまう。
悪魔の気配はない。だが上位のものともなれば、今この場で何か仕掛けてくるかもしれない。舞華はテーブルの下でブローチを握り締めた。
「ただ芽衣達のために計画を立てるなら、二人を呼ぶのが筋でしょう。ですがこの場には私しかいない」
「……」
「込み入ったお話ですね。芽衣のことですか?」
依然として、皐月に変わった様子は見られず、魔力の流れも感じない。しかし今問題なのは、悪魔の力など関係なく、彼女に舞華の魂胆が見抜かれていることだ。
落ち着いて、呼吸を整える。相手の逆鱗に触れないよう、悩みを聞き出す。決して煽り立てるような結果を招いてはいけない。
「……皐月ちゃん、何か悩み事、ない?」
「……私に?」
「うん。その、人に聞かれたくないようなことだろうし、無理に聞き出したいわけじゃないけど」
皐月は目を丸くして驚く。口元に手を当てているのが実に彼女らしい。自分の話になるとは全く想定していなかったようで、暫く迷ったように視線と顔を動かしていたが、やがて舞華へ向き直ると口を開いた。
「何故、わかったのですか」
「え、あ……な、なんとなく」
「……芽衣が、何か言っていたんですか?」
今度は、舞華が驚く。芽衣が何か知っていた、ということだろうか。
舞華から見れば、芽衣も自分と同じく他人の悩み事などに真摯に向き合いたいという性格の持ち主だ。親友が悩んでいるとなれば、他の友人に相談するなど行動を起こすことが容易に想像できる。
もし相談できないような悩みだとしても、それを全く態度に出さず課題の話をするほど器用な人物ではない。それは普段から芽衣と話している舞華だからわかることだ。
「……芽衣ちゃんと、何かあったの?」
「……いいえ。勿論、芽衣が私について悪く話していたとは思っていません」
悩み事の話をしていたはずだが、皐月は悪く話して、と言う。
ここで舞華は、皐月が抱える心の闇に気付いた。少し躊躇ったが、決意して言葉を紡ぐ。
「先に謝る、勝手に踏み込んでごめん……もしかして皐月ちゃん、芽衣ちゃんに嫌われてるかもしれないって思ってる?」
「…………先ほどから、姫音さんには驚かされてばかりですね」
当たった。しかし、その内容はにわかに信じがたい。芽衣は他人に分け隔てをしないが、それ以上に直情的で嘘をつくことができない性格の持ち主だ。そんな彼女が友人として付き合う相手に偽りの感情を向けるなど有り得ない。
そう思った舞華に対し、皐月はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「芽衣のことはよく知っているつもりです、彼女は嘘で他人と関わるような人ではないと。それでも……やはり、不安なのです」
「やはりって……」
「……中学生の頃、私は両親から強く言われ、勉学や習い事ばかりを一心にこなしていました。そんな私に、芽衣が声をかけてくれたのです。私自身、両親の言うことをただ聞いているだけでいいのか、疑問に思っていまして……そんな中で私を友人だと言ってくれた芽衣と、少しずつ仲を深めていきました」
―――皐月の親御さん、めっちゃ厳しいみたいでさー、中学ん時もやれ勉強勉強習い事ってうるさく言われてたんだってー。そんなん誰だって嫌になるっしょー?
芽衣の言葉を思い出す。皐月の気持ちは、痛いほどよくわかった。舞華も、小学生の頃は親の決めた習い事ばかりをやらされ、自分から希望したダンススクールは半年ほどで辞めさせられた経験がある。
よく、敷かれたレールの上の人生などと言われるが、強制される人間からすればたまったものではないのは誰でも同じだろう。
「……ですが、芽衣はそのうち、それまでの友人よりも私を優先するようになったのです」
「え」
「友人をないがしろにしていた訳ではありません。それでも、私といる時間が段々と増えて、最後にはこうして私を追うように天祥へ入学した……」
意外ではあったものの、同時に納得した。それだけ、芽衣にとって皐月は放っておけない、大切な人物だということだろう。しかし、それだけ一途に行動すれば、皐月がそのことに引け目を感じてしまうのは想像に難くない。
「私は、両親の目から逃れたくてここに来ました。ですが芽衣は違います。彼女ならもっと普通の学校で、多くの友人に囲まれて過ごすのが」
「皐月ちゃん!」
その先を言わせてはいけない、と感じた舞華は皐月の言葉を遮る。負い目から思ってもいない言葉を発してしまい、後悔させるのは避けなくてはいけない。
知らぬ間に熱くなっていたことに気付いたのか、皐月はばつの悪そうな顔で萎縮する。舞華は落ち着いた声色で、諭すように続けた。
「……千人の諾々は一子の諤々に如かず、だよ」
「……他人の言うことに流される千の人は、自らの正しさを堂々と言える一人の人間に及ばない」
「芽衣ちゃん、いつも皐月ちゃんのことすっごく楽しそうに話すもん。引け目なんて感じてない、後悔なんてしてないんだよ。普通の高校でたくさんの友達を作るより、ここで皐月ちゃんと三年間過ごしたいって思ってるんだよ」
一対一の関係では気付けないことが多くある。舞華はこれまでの人生でそれをよく知っていた。どれだけ仲良く話していても、疑心暗鬼になってしまう者もいる。仲良く見えても、そうではない者もいる。
己が主観だけで小さな思い込みの穴を広げて、そこに飛び込んでしまうのは最悪の選択だ。舞華の主観でも、見たままの真実を伝えれば悪い方向に行くことはないと踏んでの発言だった。
「それが……それが芽衣にとっての幸せになるんですか!? 私にはわからないのです! どうしたら……」
「……今から学校を変えることはできない、だから、どう変えたらいいかなんて考えたって仕方ないよ。でも、芽衣ちゃんはきっと後悔なんてしてない」
この場を用意して良かった、と舞華は心から安堵した。
もし、この悩みを抱えたままでいれば、例え悪魔を倒したとしても皐月は迷い続けただろう。どこかで、誰か芽衣でない人間と話す必要があった。
「だから、芽衣ちゃんと一緒に卒業できるよう、皐月ちゃんも頑張ろ?」
「……姫音さん……」
皐月は徐々に落ち着きを取り戻し、飾らない、綺麗な笑顔を舞華へ向ける。
「姫音さんは、とても優しい人ですね」
「え、あー……お節介なだけだよ」
「それでも、人の悩みを自ら聞くほど勇気のある人です。それがまた、仲違いに繋がるかもしれないとしても放ってはおけない……そうでしょう?」
―――そうだけど、ちょっと過大評価じゃないかな。
などと返しても皐月の評価は揺らぎそうにないので、返事を堪えた。
その後は、勉強会のために部屋を訪れた芽衣と杏梨を交え、どのようなやり方が二人に合っているのか、などの談義を交えながら課題を進めた。
☆
夜。
舞華は、まるで海に突き落とされたような、これ以上ないほどの悪寒に襲われて目を覚ました。
皐月自身の悩みが解決したとは言え、それで悪魔との戦いが楽になることはない。体全体を締め付けるかのような息苦しさが、これから起こる戦いの熾烈さを物語っていた。
携帯の液晶を確認すると、時刻は二十二時三分。……そして、ロックのかかった待ち受け画面には、舞華をこの学園へ送り出してくれた、友人たちとの集合写真が映し出されている。
芽衣と皐月は、舞華にとっても大切な友人だ。どんな相手であろうと立ち向かい、救い出さなければならない。決意を固めた舞華は、ブローチを手に取り強く握った。
気配は第一校舎の三階から、恐らくは未使用の教室を使用しているのだろう。
一刻も早く、皐月を助け出さなければ―――そう思って自分の部屋を出て、駆け出した舞華の視界の先で、一室の扉が大きな音を立てて開け放たれる。驚いて足を止めた舞華の前に、氷のように冷たい表情をした優乃が現れた。
「……やはり、まいちゃんでしたね」
「ゆの、ちゃん……」
無論、予想できていない訳ではなかった。優乃の性格ならば、一度確かめると決めた以上絶対に部屋から出てくる。
しかし、魔法少女でない優乃が儀式の場までたどり着くには、多少なり時間がかかるはずだと踏んでいた。それまでに決着を付けることは難しくとも、どうにか彼女を巻き込まずに終わらせてしまいたかった。
「ぅえ、あの」
「言い訳は聞きません……ですが、このまま部屋に戻るつもりもありません」
優乃の言葉は、突き放すように冷たい。一つ一つの言の葉が、まるで罪を咎めるように刺さる。
「昨日のまいちゃんを見て確信しました。私がこうして目を覚ましてしまうのは、何か意味のあることなんでしょう? ……私も、ついて行きます」