第四話 その声は届く#C
「がっ―――!」
「―――ぁ」
「舞華!」
「姫音舞華っ!」
引き出した結果は、決して悪いものではなかった。舞華の拳はフォラスの顎に突き刺さり、その頭を揺さぶった。図らずとも、魔力を纏った手甲による一撃であった以上、確実な痛手を伴ったことは確かだ。
しかし、フォラスが咄嗟に振るった右脚の一撃もまた、確実に舞華を捉えていた。脇腹から広がる衝撃に、意識を白濁とさせながら舞華は再び地面を転がる。
「っはっ、ぁ……ぅ、は……」
「ぐ……」
「く!」
動揺を見せながらも、舞華に止めを刺さんと歩き出すフォラスへ向けて、律軌が拳銃を放つ。弾丸は当たりこそしなかったが、フォラスは動きを止めて振り向いた。
「まだ戦意があったか」
「待ちなさい……止めを刺すなら私が先よ」
「律軌!」
「ロザリオ、あなたは姫音舞華を」
虚勢であることは、誰の目にも明らかだった。僅かにだが、律軌の脚は震え、表情も必要以上に強張っているのがわかる。
更に言えば、律軌の服が徐々に霞み始め、変身前のジャージが見え始めている。今の射撃ですら苦し紛れのものだったことは間違いなく、彼女に抵抗する力が残っていないことを表していた。
「そうだな……望み通り、お前から仕留めるとしよう」
「っ……」
「り、っ……き、ゃ……」
舞華が負ったダメージは、拳で殴られたときのそれよりは少なかった。しかし、殴られた時の傷が治りきらないうちにもう一撃を与えられたことで、耐え難い痛みが舞華の意識を奪いかけている。
自身を睨みつけたまま動かない律軌に、フォラスはゆっくりと、覇気を纏って歩みを進める。
近づくほどに、律軌の息遣いが荒く乱れているのがわかる。恐怖、動揺、そんな感情が見て取れる彼女の様に、フォラスは哀れみすら覚えていた。
「っ……!」
「……判らぬ。何故お前たちはそうまでする? あの人間がそこまで大切なのか? そうではないだろう。正体も判らぬ使命感に押され、個の命に執着した結果がその様だ」
「……!」
「舞華、動くな!」
フォラスの言葉に反応して、舞華が地面を這いずる。しかし、痛手を負った今の彼女では、律軌を助けることなど到底できはしない。
律軌の頭を掴み、持ち上げる。まるで、彼女を生き物だとすら思わぬような扱い。
……そんな中で、律軌は震える腕を持ち上げてフォラスの眉間に銃を向けた。
「無駄だ。その銃が最初に呼び出したものだとしても、弾丸の威力には関わらない。何一つ壊せぬ脆い弾で何ができる?」
「それでも……諦めきれないのよ……」
震える声を絞り出して、律軌は引き鉄に指をかける。その間にも、彼女の衣服は溶けるようにして元に戻っていく。
「……いいだろう、撃て。せめて悔いのないように死なせてやる」
フォラスとしても、哀れみと呆れの混じった、諦めに近い言葉だった。全身を小刻みに震えさせ、照準すら定まらないような焦りを見せながらも、律軌は指先に力を込め―――
「―――ええ、ありがとう」
震えを止めると同時に、皮肉を込めてフォラスの頭を撃ち抜いた。
『魔力の扱いについて、詳しいことを聞いていなかったでしょう。一発の弾丸の威力を調整することはできる?』
『もちろん可能だ』
『……この服を構成してる魔力まで、全てを回した一発なら』
『無茶だ、威力はあっても当てる方法がない』
『威力は、あるんでしょう?』
『……まさか、囮になるつもりかい……』
ロザリオの力を借りて回復した魔力、そして自分に残った全ての魔力。それらを込めた一発は、フォラスの頭蓋を跡形もなく吹き飛ばした。その死によって儀式が機能を失ったのか、魔法陣と共にフォラスの体は消えていく。
魔法陣が消滅すると共に、美南の体も力を失ってティンパニにもたれ掛かる。その手から滑り落ちた二本のマレットが、音を立てて転がった。
上手く着地した律軌も、腰の力が抜けたのか不格好に座り込む。
「は……」
「全く無茶な……舞華、大丈夫?」
「大丈夫じゃないよ……死ぬほど痛い……」
比喩でもなんでもなく、文字通り死ぬほどの痛み。しかし、それを訴える舞華の表情は安堵のものだった。
ロザリオは舞華を楽な姿勢で寝かせると、美南に向けて浄化の魔法を施す。
ゆっくりと立ち上がり、寮へ戻っていく美南を見送って、ロザリオが改めて口を開いた。
「……僕にも責任がある、とはいえ、二人とも自分の命をもう少し大切にしてくれ……」
「はーい……」
「そうね……」
実の所、律軌が恐怖で震えていたのは事実であり、舞華はフォラスの蹴りを予想できていなかった。
改善点、などという言い方では済ませられない、命に関わる大きなミスであることは言うまでもない。
「動けるようになったらすぐ部屋に戻ってくれ。僕はこれを元あった場所まで戻してくる」
そう言ってロザリオはティンパニに向かって呪文を唱え、数センチほど浮かせて運び出す。
数秒の沈黙の後、舞華は横になったままで律軌に声をかける。
「怒られちゃったね」
「ええ……実際、危なかったのは確かよ」
「うん、でも……誰も死ななくて良かった」
「結果論じゃなく、過程も褒められるものにしたいところね」
第二校舎三階、音楽室。ロザリオはティンパニを元の位置に戻してから呟く。
「まったく、こんな大きなものを外まで持ち出すなんて……」
……誤魔化すように独り言ちたが、彼自身先の戦闘のことが頭から離れなかった。やはり、現代を生きるただの少女である以上、舞華と律軌の二人だけでは不安が残る。
本来、戦闘とは無縁な者を巻き込むことへの胸の痛みも尽きない。彼女達にはいくら謝っても許されないことをしている、その自責の念に圧される。
「やはり、もう一人……必要なんだ……誰も失わないためにも……」
✩
翌日の朝、目を覚ました舞華はまず自分の腹部を確認した。当たり前のことながら痣ができており、むしろロザリオのおかげでかなり薄くなっていることに安堵するほどだった。
お風呂はどうしようか、などと思案しているうちに、優乃が迎えに来る。
「まいちゃん、おはようございます」
「あ、ゆのちゃん? 待ってて、今行くから!」
ひとまず身支度を整え、部屋を出る。幸いなことに痛みは感じないため、見られなければ大丈夫、と安堵して優乃と並び歩く。
渡り廊下が見えてきた時、舞華の後ろから美南が声をかけてきた。
「ぁ、あのっ! 姫音、さん……おはよう、ございますっ」
「美南ちゃん、おはよ」
「おはようございます」
挨拶を返すと、美南は目を逸らしながらも舞華たちに並ぶように歩いてきた。
「えと、あの……姫音さん」
「ん?」
「その、昨日は、ありがとう、ございました……姫音さんのおかげで、わたし、吹っ切れたっていうか、ちょっと、背伸びしよう、かなって……」
「そっか、悩みが晴れたなら何よりだよ」
態度には出さないものの、心の底から安堵に満たされる。自分達の力で、一人の友人を救うことができた。その事実は、舞華にとって紛れもない宝物だった。
「あ、わ、わたし……宮下さんにも、お礼、言いたい、ので……お先、失礼しますっ」
「え」
「ではっ」
引き止める間もなく、美南は校舎の方へ駆けていく。
宮下さんにも―――その言葉が意味するところを、舞華は理解していた。
記憶には残らない、そう言われたはずだけどな……
「まいちゃん、何かしてあげたんですか?」
「え、ああ、ご飯食べながら相談を」
「律軌さんもご一緒に?」
「違うけど……もしかしたら、色々聞いてあげてたのかもね」
首を傾げる優乃の言葉を、なんとか流して歩き始める。
陽光の射し込む渡り廊下に出ながら、舞華は心の中に一つの確信を得た。
―――魔法少女やってて、よかった。




