第四話 その声は届く#B
―――一方で、律軌とフォラスは。
遠くから、フォラスの身のこなしをしっかりと見ることができた律軌は、怪我の功名といった形で対処できていた。
近づかれれば、詠唱の波動を利用して力技で距離を取り、フォラスが近づいてくる間に詠唱で呼んだ短機関銃を撃って少しでも痛手を与えようと試みる。当然ながら、銃などまともに扱ったことのない律軌にとって、無造作に弾丸を撒ける短機関銃が最も信頼を置きやすいものだった。
しかし、当たらない。拳銃を一撃をもってその威力を知ったフォラスは、相手を倒すことよりも優先して攻撃が当たらないように動いていた。
律軌も、最悪の状況を想定して拳銃は捨てずに腰のベルトに挿してあるもの、単発かつ当たる可能性の低い拳銃よりも波動に頼ったほうが確実だという安心感がある。
「く……!」
「お前たちの弱点はその武器の形にある。天使たちは、お前が想像する通りの形に変わっているようだが、そのせいで種族としての十分な力を引き出せていない。いくら群体の天使であろうと、その弱点がある限り……一人で我と対峙するのは不可能だ」
冷静な声色で語りながら、その豪腕を律軌に向けて振るう。対する律軌も、銃を投げつけると同時に魔力でピックを作り出しギターをかき鳴らす。
一見して、平行線のような光景。しかし、両者の間には明確な違いがあった。
一つは、知識と理解。フォラスは舞華と律軌の使う魔法を理解しているようだが、律軌たちは違う。相手がどんな手段を隠し持っているかもわからない。
そしてもう一つは、種族としての決定的な違い。魔法少女となったことで、変身時もそうでない時も基礎的な身体能力が強化されている二人だが、それでも元が人間であることは変わりない。舞華が殴り飛ばされたように、悪魔を前にすればその身体能力は見劣っているとさえ言える。
今は凌いでいても、律軌が油断や焦燥から攻撃を受けることがあれば、例え一撃でも致命傷になり得ることは明白だった。
「無駄だ、人間。そこで大人しく見ているか、死なないうちに退くのが賢明だぞ」
「そういう訳にも、行かないのよ……!」
無論、ここで退くという選択肢はない。自らの蘇生を試みる悪魔にとっても、無関係な命が贄とされる人間にとっても、この一夜を逃すことはできない。
律軌は、防戦一方になりながらも必死で考える。何か、この戦況を覆す手段はないか。
その時だった。波動を受けて飛び退いたフォラスが、接近することをやめて語りだす。
「同じことの繰り返しでは埒が明かぬ。お前のその詠唱、どうやら有限ではないらしいな。波動は召喚される天使が生み出す、余剰的なものか……」
動く気配がない。こちらの油断を誘っているのか、何か別の意図があるのだろうか。
しかし、これ以上相手の話に気を取られるつもりはない。律軌は迷うことなく発砲した。
「だが」
変わらぬ語調が、結果を伝えるようだった。
四発放たれた弾丸は、フォラスの胸に命中した―――そのはずだった。
「お前の弱点はもう一つあることに気が付いた。その武器……銃だな。銃そのものは天使が姿を変えたそれだ。だが、そこから打ち出される弾丸……それはお前の魔力で出来たものだな」
弾丸は、フォラスに触れると同時に崩れていく。あまりの出来事に、律軌は目を見開いて動きを止めた。
「詠唱に割く魔力を常に残しながら、攻撃でも魔力を消費している。悪魔でさえ魔力の量は有限だ、必ずどこかに綻びが出る。お前は、その衣服と弾丸だ。発砲はそう多くないが、詠唱を繰り返せば魔力が大きく減り……攻撃・防御共に弱くなっていく。長期戦に酷く弱いのが、お前の最大の欠点だ」
形容しがたい恐怖。そんな感情が、律軌を追い詰めるように湧き上がってくる。どこかで攻撃に転じるつもりで詠唱を利用していたが、それによって自分自身の首を絞め、攻撃できない状況を作ってしまっていた。
これまでのように、詠唱をその場しのぎに使うことはできる。だが、その度に弾丸の威力は削がれていき、フォラスの言葉通りであれば鎧の役目を果たす衣装も力を失っていく。そして、やがては詠唱も行えなくなり、負ける。
どうすることもできない。接近されれば律軌に打つ手はなく、既に自分の攻撃は通用しなくなっている。
「……やはり、人間としてもまだ幼いな。だから言ったのだ、退くか見ていろ、と」
「…………」
完全な敗北。最早負けを認めるしかないのだろうか。四肢から、徐々に力が抜けていくのを感じる。
律軌から力が抜けていく様子を見て、フォラスは呆れたように言い放った。
「威勢は良かった。咄嗟の対処も悪くはないだろう。だがお前は無知だった。せめてあの人間と共に我が糧としてや」
「おおぉぉおおおぉおぉおぉぉおおおぉぁぁぁっ!!」
怒号。突然響いたその大声と共に、フォラスの右肩から背中にかけて剣が深く潜り込む。
―――その様を見て誰より戦慄を覚えたのは、他でもない律軌だった。不意を突かれながらも飛び退くフォラスの向こう、剣を握り締めて立つ舞華の表情は、さながら獣の如き獰猛さを備えている。
「……貴様」
「やらせない……! 私の友達は、一人だって絶対に!」
再び構え、互いを見据える舞華とフォラス。触れれば弾けるような張り詰めた空気の中で、律軌の頭にロザリオの声が響く。
『律軌、無事か!?』
『……ええ……その、ごめんなさい』
『いや……僕の説明不足も原因だ』
張っていた空気が、弾ける。
舞華は表情こそ怒りのそれであるもの、思考は極めて冷静だった。考えなしに突っ込めば動きを読まれる。焦りを抑え、確実に相手の隙を見つけることに専念していた。
近くにいれば邪魔になると考えた律軌は、ゆっくりと後ろに下がる。現時点で戦う力を出し切ってしまった以上、今できることはない。
『今そっちに行く。姑息な手段だけど、一時的に魔力を補おう』
『わかったわ』
校舎を回り込んで律軌の元へと向かうロザリオ。その間にも、舞華とフォラスの戦闘は激しくなっていく。
武器を持たない代わりとしてか、フォラスはその肉体を魔法により強化しているらしく、今度はただ避けるだけでなく腕や拳で刃を受け止めるようになった。
しかし、その力が完全でない以上弱点がある。美南の演奏によって魔法が発動しているため、タイミングが舞華でも簡単に把握できること。それによって舞華は、フォラスが攻勢へ転じることのないように剣を打ち込めていた。
「……落ち着いたな、焦りが消えた」
「そっちは相変わらず余裕そうで!」
互いに目立った傷は負っていないが、いつかは舞華の方が目に見えて早く疲労する。それがわかっている以上、決着は早急に着けなければいけない。
体を捻り、どうにかしてフォラスに剣を突き立てようとする。しかし、条件を理解している以上余裕のあるフォラスは、舞華の動きを見てから軽く受け流すなど冷静に対処してくる。
このままでは、どうにもならない―――舞華がそう思わない理由は、先の不意打ちにあった。
アンドラスとの戦いで、与えた傷が最後まで癒えなかったのは大きな勝因の一つだったと言えるだろう。そして、フォラスも同様に傷を治そうという気配がない。舞華が負わせた傷は深く、このまま戦闘を続ければ確実に痛手として響く。
悪魔とて生き物であることに変わりない、一瞬でも隙が生まれれば……という、半ば理想論に近い思考が舞華の脚を動かす。しかし、ここで決着を着けなければならないという使命感に圧迫される中では、一縷の望みすら大きな光に見えていた。
石のタイルを踏み、跳ぶ。自分ではなく、相手を軸にして回転や跳躍を仕掛けて翻弄する。最早、舞華は自分がどこまでなら動けるのか、など考えていなかった。
「お前……本能的に、今の自分がどれだけ動けるのかをっ、理解しているのか……!」
「人を獣みたいに言ってくれちゃって……!」
フォラスの言うことは、的を射てはいなかった。事実を言えば、今の舞華の思考に正確性はない。「避ける」「攻撃する」といった単純な思考を、体が勝手に汲み取って動いている。それが舞華から体感した印象だった。
加えて言えば、軽口を叩いているのは恐怖を紛らわすためでもある。当然のことながら、腹部を殴られたことに加え、律軌が追い詰められたことを踏まえれば、元よりごく一般的な少女である舞華にかかる精神的負担は前回の戦闘の比ではない。
ただ未知の相手と戦う、それだけでも本来ならば酷く怖いことだ。少しでも気を許せば負の感情に呑まれそうな中で、舞華は剣を振るう。
その一方、少しずつ後退していた律軌はロザリオと接触することに成功していた。フォラスからすれば、あくまでも勝利を確信したうえで見逃しているにすぎないだろうが、それでも律軌はこれをチャンスと捉えていた。
「律軌!」
「外傷は無いわ、そう焦らないで」
『……聞きたいことがあるの、あいつには見抜かれないように』
「ひとまず、魔力の回復を」
『わかった』
ロザリオはローブから青色の液体を取り出し、律軌のブローチへ水滴を落とす。その間にも、二人は念話を通して戦況の打開策を練っていた。
「よし、これで」
『なるほど……でも、この土壇場でそんなこと』
「ありがとう」
『ええ、最後の手段よ。姫音舞華が追い詰められた時のための』
律軌は、強い眼差しでロザリオを見つめる。それは、冷たい印象を放つ彼女が責任を感じているという印であった。
どこまで冷淡に徹しようと、宮下律軌という人物はお人好しである。その事実にある種の安堵を覚えながら、ロザリオは小さく頷いた。
そんな二人が向ける視線の先では、舞華の動きが徐々に鈍り始めていた。相手に次の動きを悟られまいと激しく動き回っていたせいで、フォラスが隙を見せるよりも早く舞華に限界が見え始めている。
無論、その事実が見逃されるはずもない。舞華は距離を離し、両者は再び睨み合う形になった。
「……まだまだ、余裕がありそうだね」
「当然だ、お前たち人間とは違う。 ……お前がつけた傷で、動きが止まる瞬間を狙っていたのだろう。無駄だ、いくら深い傷と言えど、お前を仕留めるのに一つとして不自由はない」
「あはは……はぁ…… ほんと、困っちゃうよね」
全身の力を抜いた舞華の四肢が、垂れる。
―――その次の瞬間には、舞華の体が数メートルの距離を詰めフォラスの目の前まで迫っていた。
全力の疾走、会話はブラフ。しかし、そんなことはフォラスとて理解していた。力を抜いたようでも、走り出す際の筋肉の動きは隠せない。
そして、舞華もそこまではわかりきっていた。相手が悪魔である以上、こんな手段は子供騙しにすらならない。
だからこそ、もう一手。先に行かなければいけない。
「っ!」
「なっ!」
至近距離からの、直剣の投擲。あくまでも舞華の攻撃が武器ありきのものである以上、その動作は予想できるものではなかった。
律軌の所作を見ていたフォラスは、詠唱が無ければ武器を呼び出せないことは知っていた。そして、知っていなければここで驚くこともなかった。
殴打のために構えた拳で、剣を弾く。その瞬間に、ほんの僅かな隙が生まれた。
舞華は、全力で地面を蹴る。そして、構えた拳を前に出した。