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宿にて

「初めて宿の部屋に入った……」

「そうだねぇ」


 ヒリングサッツ教国を出発してはや一ヶ月。ついにスターテア王国の手前にあるサリーマギ共和国に辿り着くことができた。


 そして、俺たちは今サリーマギ共和国の高級宿の一室に居る。


 そう、宿の一室に居るんだ。しかも高級宿の。


 これは俺とフィオにとって歴史的な出来事だ。従魔の俺たちが厩舎ではなく宿に居る。こんなことは未だかつてなかった。


 もちろん、厩舎で過ごしていたのは仕方ないことだと理解している。それに納得もしていた。しかし、改めて人の過ごす環境を経験してしまうと駄目だ。もう厩舎に戻りたくない。


 朝日に照らされて飴色に光る家具。嫌味にならない程度にお洒落な照明。寝心地の良さそうな寝具。どこを見ても高級感が漂っている。そんな所に俺たちが居るという事実。


 最高かよ。


「……また言ってる。昨日も聞いたわ」

「スターテア王国に近いおかげですね」


 そんな俺たちの様子を見ていたお嬢はベッドに腰掛けたまま呆れた声でそう言う。そして、傍らのベクトルがお嬢の代わりに俺たちに声をかけた。


 俺たちは昨日の日暮れ前にサリーマギ共和国に到着した。そして、そのままこの高級宿へ宿泊したのだ。


「久しぶりにまともの宿で一晩過ごせたよ」

「まともかどうかはよくわからねえけど、従魔を入れても大丈夫なのか? 色々と心配になるんだよな……」


 フィオは満足気にソファで寛いでいるが俺はそうはいかない。


 そりゃ俺だってまともな部屋で過ごせたのは心から嬉しい。だが、それと同じくらい緊張感がある。なぜなら、俺が物に触れるとガリガリと削れてしまうからだ。


 別に触れたもの皆傷つけるとかそういうのじゃない。俺の体は黒い塵の集まりで全身がやすりなので、触れた部分が削れてしまう。理屈はサンドブラストと同じだ。威力は洒落にならないが。


「別にいいのよ。これから行くところはそういうお国柄なんだから」

「サリーマギ共和国はスターテア王国の姉妹国ですからね。文化や価値観も似てくるんでしょう」


 まぁ、お嬢とベクトルがそう言うならひとまず安心だ。


 二人の言う通りで、この国はかなり魔獣に寛容だ。当然、魔獣といっても人に服従している従魔に限ったことではある。ただの魔獣など害獣とほぼ変わらないのだから。しかし、ひとたび従魔だとわかれば態度はかなり軟化する。そのおかげで俺とフィオは宿の部屋に入れてもらえた。


 スターテア王国様様だよ、まったく。


「でも、長かったなぁ」

「そう?」

「俺としては長かったんだよ」

「そっか」


 北のサンドから遠路はるばる南のサリーマギ共和国まで来たのだ。長くないわけがない。しかも最初はまさかの徒歩だ。幸いなことに途中のヒリングサッツ教国で馬車を手に入れられたからよかったものの、そこまでだいぶ時間はかかった。しかし、そこからは移動時間はぐっと短縮された。


 とはいえだ。いまだに車や飛行機があればと思ってしまう。そういう感覚が抜け切らない俺としては長かったのだ。


「まぁ、そこそこ長かったのは事実ね」

「初めは徒歩でしたからね」

「それもようやく一区切りか」

「ええ」


 どうやらお嬢とベクトルは共感してくれるらしい。


 となるとフィオの感覚はやはりいい加減……まぁ、いいか。


「昨日見た山を抜けたらスターテア王国なんだよな?」

「はい。ゲブート隧道を抜けるとスターテア王国に辿り着けるはずです」


 ベクトルが言うにはそのゲブート隧道とやらを抜ける必要があるらしい。最初は隧道と聞いてもよくわからなかった。しかし、色々と聞いていくうちにわかったのだが、イメージとしてはトンネルでいいらしい。そして、そこを抜けると念願のスターテア王国に到着すると。


「山を貫通するほどの隧道だったか」

「はい。かなり長いそうです」

「じゃあ、早く行った方がいいんじゃないの?」


 ソファで寛いでいたフィオがひょっこり起き上がってそう言った。


 確かに山を突っ切るというのなら、それなりに距離はあるはず。こんなのんびりしていては隧道の中で一晩過ごすことになるかもしれない。急いだ方が良さそうではある。


「舗装されている上に直線だから大丈夫よ。確か半日掛かるんだったかしら?」

「そうですね」

「なら大丈夫か」


 今はまだ夜が明けて間もない。少しくらいのんびりしていても、今日中にはスターテア王国に辿り着くことはできるだろう。


 そうなると急ぐ理由もない。この高級宿で寛ぐのも悪いないだろう。こういうのはチェックアウトまでごろごろするのも楽しみ方の一つだからな。


「とはいえ、ゆっくりする理由もないわ」

「結局行くのかよ」


 ……まぁ、急ぐ理由もないならゆっくりする理由もないけどさ。


 知ってはいたがやっぱりお嬢はせっかちだな。ちゃっかりいつの間にか荷物もまとまってるし。これは出発する気満々だな。


「行こっか」

「はい」


 それを見たフィオもソファから立ち上がり、荷物を背負って出口の方へ向かう。ベクトルも忘れ物がないか軽く部屋を見渡している。


「文句言ってないで行くわよ」

「言ってないっての」


 そうして、お嬢は最後まで名残惜しそうに残っていた俺に向けてせっつく。それでよくやく俺も部屋をあとにした。


 というか、口に出してないのにそういうことを言わないでほしい。


 心を読まれてるみたいでビビるだろうが。


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