第九十八話 別れの挨拶って気恥ずかしくってなんか上手くいかない。
馬車の旅は、車内の雰囲気を含めないのであれば実に快適だった。
峡谷と違って小さいながらも街道を通るので、中で昼寝が出来るくらいに快適。実際には昼寝出来るような空気ではなかったが。
エリーゼとしては、物足りなかったのだろう。その表情が、声音が、仕草が、もっとずっとハルトといたいと声高に主張していた。
ラナの手前、言葉にこそ出してはいなかったが、それは傍目にも明らかだった。隣に座るラナの溜息が、時間が経過するにつれどんどん深く長くなっていくのを、ハルトはちょっと申し訳なく思っていた。
しかしエリーゼのささやかな?願いも虚しく、そしてラナの願いどおり、予定されていた時間でロワーズには到着してしまった。
ハルトたちはここでエリーゼと別れ、アンテスルに向かう。エリーゼは、ここのエシェル派教会に帰るのだと言う。
「ああ、我が君…ハルト様、ここでお別れだなんて身が引き裂かれる思いですわ」
「………そう?見たところ大丈夫そうだよ」
つれないハルトの返事に悩まし気な溜息で応じ、エリーゼはドサクサ紛れに、最後の抱擁を試みる。
…が、馬車の中でヤキモキもやもやを持て余しまくっていたラナが、それを許すはずがなかった。
ハルトへ突進しようとしたエリーゼの腕を、がっちりとホールド。
腕を組んでいるようにしか見えないが、決して離すまいという執念が感じられる。
「…さあ、姫様。神殿の者もお帰りを待ち侘びております。帰ったらすぐに禊にてお体を清めましょう」
「ラナ、そんなに急かさないで?もう少しゆっくり皆さまと別れを……」
「神の思し召しがあればまたお会いできるでしょう!さあ、さあさあさあ!」
「あ……」
強引にラナに引き摺られながら、エリーゼはずっと手を振っていた。
曲がり角で、姿が見えなくなるまで振っていた。もしかしたら、姿が見えなくなっても振っていたかもしれない。
ハルトは、自分の視界から完全にエリーゼとラナが消えたことを確認すると、人目をはばからず大きな溜息を一つ。
自分に好意を寄せてくれているのは分かるが、こちらにその気がないのに察してくれないのは疲れる。
自分もメルセデスに対して同じようなことをしているという自覚はないまま、ハルトは昨夜のエリーゼとの遣り取りを思い出していた。
◆◆◆◆◆◆
「彼女…メルセデス=ラファティは、私の姉、或いは妹です」
ベッドの中で何故かむくれながら、エリーゼは言った。
「……え、それって………」
「双子、というものですわね。と申しましても、幼い頃に離れ離れになったので、今彼女がどこにいて何をしているのかは、私の与り知るところではございません」
しかも、口調がなんだか辛辣。血を分けた姉妹のことを語るにしては、親愛だとか懐かしさだとかが見当たらない。
しかも不思議なことに、ハルトはエリーゼに対して全く自分の心が動いていないと感じていた。
メルセデスと同じ顔で微笑まれ、同じ瞳に見つめられ、同じ声で囁かれても、ただ違和感だけが積もる。
「姉妹なのに、連絡とか取り合ったりしないの?」
「ですから、彼女が何処で何をしているのかも存じ上げないのです。今の今まで、その存在すら忘れておりましたわ」
エリーゼの口調はまるで、赤の他人のことを語っているようだった。
仮にも肉親であれば、愛情だったりその裏返しの憎悪だったりわだかまりだったり、何らかの感情がありそうなものなのに。
今のエリーゼは、ただ単にハルトの口からメルセデスの名前が出てきたという点に腹を立てているだけのように見えた。メルセデス自体には、何ら関心を持っていない。
「まさか、彼女がハルト様と縁を結んでいたとは……きっと、私とハルト様の運命が、彼女にも何らかの影響を与えたのですね」
…いやいやそれは違うと思う。なんならその逆だと思う。メルセデスとの運命が、変な具合にエリーゼにも影響を及ぼしてしまったんだと、ハルトは思う。
けれどもエリーゼは、誰に何を言われたとしても持論を曲げるつもりはなさそうだった。
◆◆◆◆◆◆
「…………行っちゃったわね」
「…………行っちゃいましたね。さ、ボクたちも行きましょう」
エリーゼとラナを茫然と見送ってから、四人(と一匹と一体)はアンテスルまでの乗合馬車を探すことにした。
北の玄関口であるロワーズ市からは、北部各地に向けて馬車が出ている。直通もあるので、上手いこといけば今日中にアンテスルに着けるかもしれない。
ようやくゴールが見えてきた。未だにマグノリアたちとは合流出来ないが(もしかしたらロワーズで待っていてくれるかも、とも思ったのだが)、まずはシャロンの身の安全が第一だ。アンテスルまで行ったら探せばいいし、いざとなれば教皇にお願いしてタレイラで落ち合うことにしてもいい。
「えっと、乗合馬車って何処に行けばいいんでしょうか?」
「集中停車場はこっちよ」
シャロンはロワーズに来たこともあるらしい。ハルトたちを先導して歩き出したのだが。
「……クウちゃん?ちゃんとついてこないとダメだよ、はぐれちゃう」
クウちゃんが、立ち止まったまま動かない。
「クウちゃん?」
「はると。おっきいの、ここにいるって」
「………え?」
クウちゃんは虚空を見上げて、そう言った。そこには、見えてはいないが黄金翼の聖獣がいるのだろう。
…と言うか、今の今までベルンシュタインのことを忘れていたハルトである。
「ここにいるって……ベルンシュタインが?」
「…うん。ここにいたいって」
ベルンシュタインは、魔女の気配を追っている。この地を離れたくないということは……
「魔女さんは、この街にいる………?」
ハルトは、思わず辺りをキョロキョロ。当然だが、魔女の姿は見えない。見えないが、唯一の手掛かりであるベルンシュタインが言うのであれば、間違いない。
「……えっと、どうしよう……?」
今は、シャロンの護衛中なのだ。とりあえず、アンテスルまでは行かなくてはならない。
いやいや、そもそもの目的は魔女の保護であってシャロンの依頼はその移動手段のためでしかなかったのだが、いくらなんでも命を狙われている少女を放置して魔女探しというわけにもいかない。
「ハルト、どうしたの?」
悩むハルトに、シャロンが尋ねた。
彼女は当然、ベルンシュタインは見えていないし魔女の件も知らない。それに関しては部外者であるため、事情を話すわけにも……
「実はボクたち、人を探してて。で、その人がこの街にいるかもしれないんです」
話すわけにもいかないのだが、遊撃士の守秘義務のことをすっかり失念しているハルトは話してしまう。
とは言え、個人を特定できるような情報は漏らさないあたり、マグノリアの教育の賜物か。
…いや、たまたまだろう。
「人探し?大切な用事なの?」
「えっと、その…そうですね、はい。そのために北へ行かなくちゃいけなくて、それで丁度いい依頼を探してたらシャロンと出逢ったってわけで」
「そう……だったの」
シャロンは、自分の依頼がハルトたちにとって「二の次」であると知り、少し肩を落とした。しかしすぐに気を取り直し、
「…だったら、依頼はここまででいいわ。アンテスルまではあと少しだし、それなら私一人でも…」
「それはダメですよ、危険です!」
シャロンはハルトたちを気遣い、ハルトはシャロンを心配した。
いくらアンテスルまではここから馬車で半日程度とは言え、シャロンは狙われているのだ。教会の立派な馬車とは違い、乗合馬車であれば刺客たちが狙ってくるかもしれない。
よしんば、刺客たちがシャロンの生存を知らなくても、アンテスルに到着すれば彼女の父親はそれを知るだろう。
知って、今度こそ…と思うに違いない。
「けど、大切な用事じゃ…」
「シャロンのことも、大切です!!」
シャロンの両肩を掴んで、真正面から言い切るハルト。マグノリアがいれば、「そういうとこだぞ」と指摘してくれるのだろうが、ここに優秀なツッコミ役はいない。
ルガイアは冷めた目で見ているし、クウちゃんはむくれているし、ネコは面白そうにニヤニヤするばかり。
「…ハルト………」
「とにかく、アンテスルまで行きましょう。それで、シャロンが領主さんにちゃんと保護されるまではボクがシャロンを守ります。いいですね?」
仕事だろうが何だろうが、イケメンに真正面から見つめられて「ボクが守る」なんて言われた日にゃ、揺さぶられない乙女心はないだろう。
ハルトに他意はないと分かっていながらも、ちょっとばかり淡い夢を抱いてしまったとしても仕方ない。
「ハルト、私ね……」
「……シャロン……シャロンなのかい?」
衆人環視の中だろうが構うものか、とシャロンが一大決心をした瞬間、背後からかけられた声が彼女の決意にストップをかけた。
ハルトが声のした方を見ると、身なりの良さそうな壮年の紳士が、そこにいた。
やや細面で、すらりとした長身。白髪混じりの頭も、品の良い年輪を感じさせる。どこに出しても恥ずかしくないくらいの、ナイスミドルだ。
呼びかけられた瞬間、シャロンは固まった。それから、そろそろと後ろを振り返り……
「……おじさま……トールおじさま………?」
震える声で、相手の名を呼んだ。そして、次の瞬間、紳士の胸の中に飛び込んだ。
とことん罪作りなハルト君です。




