第九十五話 蛙の子は蛙
さてはて、メリルさんをして草食だと…純朴で無垢で男女が営む崇高な行為について何の知識もなさそうで赤ちゃんはコウノトリが運んでくると未だに信じていそうな今どき珍しいくらいの純真な…と言わしめたハルトの部屋には、こちらにもお客人が訪問していたのだった。
相手は言わずもがな、エリーゼ姫さま。純情そうな顔をして、なかなか積極的な乙女である。
「……ふぅん。ティザーレ王国は、トルディス修道会とかいう宗派だって教皇さんには聞いてたんだけど」
「確かに、公式にはそうなっております。が、ここ十年程で私たちエシェル派が急成長しているのですわ」
基本的に、他人の出自だとか所属だとかには興味を持たないハルトではあるが、今回ばかりは別だ。エリーゼの力がどんなもので、何をどこまで視ることが出来て、自分のことをどれだけ掴んでいて、そして彼女の属する組織がそれとどう関わってくるのか、はっきりさせなければ不安で堪らない。
グリードは自分に協力的かつ好意的だが、全ての聖教会信徒がそうとは限らない…と言うか寧ろその逆だろう。
もし自分の正体が彼女の一派にバレてしまえば、これ以上メルセデスを追いかけることが出来なくなってしまう。
それは絶対ダメだ。絶対に嫌だ。
それを防ぐためなら、手段は問わない。
「それで、エリーゼはそこの姫…巫女?」
「左様にございます。御神の尊き声を受けそれを知らしめるのが、私の務めです」
ベッドに横たわったまま、エリーゼは胸の前で両手を組み合わせた。彼女の表情は確かに信仰に満ち溢れた清浄な巫女のものだったが、この状況ではやや訴求力に欠けるのではなかろうか。
……まぁ、ハルトとしては別に構わないのだが。押しかけたのも望んだのも彼女だし。聞きたい情報の対価として叶えてやる希望としては、実に控えめだと思う。
「それで、ボクのことを視たって言ってたよね?それは、どういう風に?君は、その力でボクのことをどのくらい知ったの?」
くすぐったそうに声を上げるエリーゼの希望を叶えてやりつつ、矢継ぎ早に質問。あまり考える余裕を与えない方が、多くの情報を正確に手に入れられる気がする。
「私は、私の力は、そう多くを視られるものではございません。視ることが出来るのは、ほんの一瞬を切り取った光景のみ。けれども、私にはそれとは別に御神より下されるお言葉を聞く力がございます。その二つが合わされば、より世界の真実に近付くことが出来るのですわ」
「…………へぇ」
これは、ちょっとマズいかもしれない。
ハルトは、神託というものがどんなものか直接には知らない。だが、例えば魔王の復活だとか、勇者の誕生だとか、そういったものを言い当てたのも神託ではなかったか。
言葉だけでは解釈の幅が大きくとも、それに未来視による映像が重なれば、誤差は限りなく小さくなる…のではないか。
「それで、ボクのことはどういう風に視えた?君は、ボクを何だと思う?」
「貴方様は……世界の楔。我らのよすが。未来の絵の中に貴方様のお姿を拝見したときに、私はそう悟りました」
「…………?」
エリーゼの言葉は随分と抽象的で、よく分からない。少しばかり興奮させ過ぎてしまったか。
しかし、嘘をついたり誤魔化したりする様子はないので、もう少し続けてみよう。
「…変なの。それじゃまるで、ボクが創世神の遣いみたいに聞こえるじゃないか」
「遣い……いいえ、違いますわ」
カマをかけたら、引っかかった。疑う余裕がないのだろう。
「貴方様は、尊き御身。御神のご意志を継ぐ御方」
「……ボクが?」
ちゃんちゃらおかしくてヘソで茶が沸きそうなことを言ってくれる。
言うに事欠いて、魔王の後継である自分が、創世神の意志を継ぐ?
いくらハルトでも、そこまで節操なしではない。
「そうでなければ、説明がつきません。御神は、愛し児が道を誤らぬことを願う、と仰ってました。それと同時に、一人荒野に立つ貴方様のお姿が視えました。私は…私は、そんな貴方様の御心をお守りしたいと思いました」
「………君が、ねぇ」
ハルトとしては、出来ればそれはメルセデスにお願いしたいところである。
不思議なことに、全く同じ姿をしているに関わらず、彼の目にはエリーゼとメルセデスは似ても似つかぬ存在に映っていた。
エリーゼが視た未来と受けた神託の具体的な内容は分からないが、どうやら彼女はハルトを創世神側の存在だと誤解している。
それは、創世神と魔王がそもそもは同じ存在であるからして自然なことでもあるのだが、それならそれで好都合。
ただし、
「それで、君の一派…エシェル派、だっけ?そこの人たちにも、ボクのことを伝えてあるの?」
創世神の意志を継ぐだとか何だとか大袈裟なことを吹聴されてしまうと、目を付けられてしまうかもしれない。
「尊き御身の存在は、お伝えしてあります。けれども、貴方様がここにご降臨なされたことに関しては、私の胸一つに納めてありますわ」
「…どうして?」
「それは…その、知られてしまうと、このような時間を作ることは出来ませんでしたから」
恥じらいながらも、キッパリと言うエリーゼ。なかなか食わせ物だ、とハルトは思った。
けれども、結果的にはグッジョブ、である。
エシェル派とかいう聖教会の一派は、創世神の関係者が近々現れると姫巫女から伝えられているだろうが、それとハルトを結びつけることが出来るのはエリーゼだけだ。
すなわち、エリーゼを黙らせておけば、心配はない。
「…あのさ、エリーゼ。お願いがあるんだけど…」
お願い、と言いつつ彼女がそれを拒むはずがないと既に確信しているハルト。
「なんでしょう、我が君?」
そしてハルトの想定どおり、すっかり身も心も彼に委ねているエリーゼは、彼の全てを肯定し受け容れるつもりのようだった。
「その、ボクが君の視た人物…創世神の意志を継ぐ者だ…ってことは、他の人には内緒にしておいてほしい」
「承知致しました。けれど……明らかにすれば貴方様は全ての敬虔な者たちの崇拝を受けることが出来ますのに、よろしいのですか?」
よろしいも何も、見ず知らずの、しかも創世神を崇める人々からの崇拝なんてハルトは必要としていない。そんなもの受けた日には、ギーヴレイが卒倒するか嫉妬に狂うかしてしまうに決まってる。
「不特定多数の崇拝なんて、ボクは要らない。ボクは、ボクの欲しいものは自分で手に入れるよ」
「それは……今宵のように、ですか?」
「ん……まぁ、そう…だね」
エリーゼの言い方だと、彼女もまたハルトの欲しいものの内に入っているように聞こえるが、ハルトは敢えてそれを否定しなかった。
彼が欲しいのは、メルセデス只一人。それ以外は、もちろん師匠だとかアデリーンだとかクウちゃんだとかは確かに大切な存在だが、彼女らが欲しいわけではない。
そして目の前の少女も、姿はメルセデスと同じだが決して彼女の代わりにはなれない。こうして抱いてみたところで、彼女への想いが満たされることは決してありえない。
ハルトにとって、メルセデスは唯一無二の存在なのだ。
「…もう一つ、聞いていいかな?」
「はい、何でしょうか」
メルセデスと同じ顔をしたエリーゼが、メルセデスと同じ瞳でハルトを見上げる。
しかし、メルセデスの瞳に射抜かれたときのような衝撃が、ハルトを襲うことはない。
「ボクは、君ととてもよく似た人を知っているんだけど……メルセデス=ラファティって、知ってる?」
ハルトがそう問いかけた瞬間、彼の身体の下でエリーゼが身を強張らせたのが分かった。
「メルセデス…私と、よく似ていると……?」
「う…うん、そうなんだけど…」
エリーゼの表情と声色が急速に温度を下げ、ハルトは思わず彼女から体を離そうとした…ところで、ガシッとしがみつかれてしまった。
「……その名を持つ者は一人だけ、心当たりがございます」
「え、そうなの!?」
底冷えのするエリーゼの声ではあるが、貴重なメルセデス情報を逃したくないハルトは、深く考えずに食いついてしまった。
「知り合い?やっぱり、姉妹とか?彼女が今何処にいるか、知ってる?」
「…………お話しするに、やぶさかではございませんけれども………」
「……………エリー…ゼ?」
深く考えずに食いついて、エリーゼの瞳の中の炎を見た。
「それよりも先に、私にもお聞かせ願えますか?ハルト様と、メルとはどのような関係なのか」
「え、あ、あの……エリーゼ?」
般若の形相の姫巫女に気圧されながら、メルセデスの愛称はメルっていうんだ可愛いな…とか現実逃避気味に考えて、そのせいで余計に逃げ道を奪われてしまったハルトは、そこから脱するのにほぼ一晩丸々を費やしたのであった。
……はい、とうとう本性を現しました。
そりゃ、あの父親の息子ですから。草食なはずないじゃん。
しかしながら、ハルトとしては「メルセデス一筋」なのです。かなり本気で。そのあたり、父親よりもゲス度合いは上と言えますね。あっちは自分の節操の無さを自覚してましたから。




