第九十二話 運命の出逢いって一方通行だとストーカーの始まり。
クウちゃんは、むくれていた。
ハルトは、クウちゃんのハルトなのである。
何故ならば、ハルトがクウちゃんを定義づけたから。ハルトが、クウちゃんに自我を与え、肉体を与え、その存在を確定してくれたから。
だから、ハルトはクウちゃんのハルトだし、クウちゃんはハルトのクウちゃんなのだ。
それなのに、また一人ハルトにくっつくのがいる。
あの気色悪い魔導士と、ガサツな剣士だけならまだ我慢…したくないけどハルトが言うなら我慢する。
さらに、小生意気そうな娘も加わったが、そいつはまぁ仕事で仕方なく…って感じだから諦める。
だけど、こいつはなんなのか。
いきなり現れて、いきなり我が物顔でハルトに抱き付いた。図々しい上に身の程を弁えないのにも程がある。
こんな奴、吹き飛ばしてしまえ。殺さなければ、ハルトもクウちゃんを叱ったりしないだろう。
風は、クウちゃんにとって手足のようなものだ。術式を構築する必要も、霊素を働かせる必要もない。
ただ、そう願えば事足りる。
しかし、早速実力行使に出ようとしたクウちゃんを、ネコが頭の上に乗っかってきて止めた。
こいつ、煩いしウザいしムカつくけど、本当に怒らせない方がいいとクウちゃんは直感的に知っている。そしていつもみたいにクウちゃんを揶揄するような感じではないので、今のところは大人しく従っておくべきだ。
…本当は、ハルト以外の命令なんて聞きたくないのに。
だけど、不思議なことにネコとるがいあだけは、なんだか逆らう気分を失くしてしまうのだ。
その代わり…もしこれ以上ハルトに馴れ馴れしい様子を見せるようだったら、覚悟しておくがいい。
仔猫を頭の上に乗せた幼女、という実に微笑ましく愛らしい姿の内面で物騒なことを考えつつ、クウちゃんはとりあえず様子を見ることにした。
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ハルトは、頭の中が随分と冷えていることに気付いた。
夢にまで見た人。夢にまで見た状況。
ずっとずっとこうしたいと願い続けてきたことが今、現実になっているというのに。
……違う。何か、違う。
「ああ、主上、我が君、お逢いしとうございました。この日を、どれだけ待ち侘びたことか……」
ハルトの胸の中で感極まって声を潤ませる、その少女。
やっぱり、違う。
「君は…誰?」
自分の胸に顔を埋める少女に、ハルトは問いかけた。
メルセデスと、同じ顔。同じ髪。同じ姿。同じ声。
だけど、この娘は彼女じゃない。
ハルトに問いかけられた瞬間、少女はメルセデスと同じ顔を上げてハルトを見た。
ハルトの誰何に、ハルトの声に、酷く冷たいものを感じ、表情を強張らせる。それでも、少女はハルトから離れようとしなかった。
「ご挨拶が遅れました。私、ユグル=エシェルの姫巫女エリーゼと申します。ずっと貴方様をお待ち申し上げておりました」
「……ゆぐるえしぇる?」
初めて聞く名に、ハルトは眉を顰める。
聞いたことのない名前だ。そして、姫巫女というからには、ルーディア聖教会の関係者なのだろうか。
そう思ってルガイアの方を見たが、ルガイアは首を横に振った。少なくとも、教皇グリード=ハイデマンの管理下にある者ではない、ということ。
そして何より不可解なことに、
「えっと……君とボクは、会ったことがないと思うんだけど。待っていたって、どういうこと?」
これが魔界での話なら、なくもないことだろう。
ハルトの存在を知る魔族は限られているが、それでも知っている者ならば一目でも拝謁したいと願うはず。
しかしここは地上界で、魔界以上にハルトのことを知る者は少ない。いくら父親が有名人とはいえ、その息子でしかないハルトに会いたがるというのも、理解出来ない。
それに何より、彼女の姿。
他人の空似、と言ってしまうには不自然なくらい、メルセデスと酷似していた。
エリーゼ、と名乗った姫巫女とやらは、ハルトの問いににっこりと微笑んだ。
「偉大なる御神の加護により、私には切り取られた未来の一頁を視る力が与えられております。その力により、貴方様のご降臨を拝見致しました」
「……降臨て」
大げさな言い方に、ハルトは辟易する。臣下たちならばまだしも、地上界の民に崇め奉られる筋合いなどない。
「貴方様のお姿を拝見したとき、私は悟りました。貴方様こそが、私の運命そのものである…と」
「すいません多分それ気のせいです」
熱っぽく語るエリーゼに、ハルトは素気無く返した。
なんだか、すごくめんどくさそうな感じのする少女だ。
実のところ、メルセデスのことを語るハルトだって似たようなものである。が、自分のことは驚くくらい見えていない彼なので、そんなことは棚に上げてエリーゼの唐突な台詞に面食らっていた。
さて、どうするか。
よく…どころかさっぱり分からないが、このエリーゼという娘はハルトに敵対する感じではなさそうだ。
しかし、未来を視るだとか我が君だとか主上だとか、なんだか彼にとって不穏な単語がチラホラと。
このまま放置するのは良くない気がする。
こんなとき、師匠がいてくれたらいいのに。
シャロンは大胆な行動に出たエリーゼに茫然とするばかりだし、クウちゃんは何故かむくれてる。ルガイアは、こういうことでは全然頼りにならなさそう。
とりあえず、じっくり話を聞きたいとエリーゼを自分から引き剥がしたところで。
「姫様!このようなところにいらしたのですか!!」
突然、鋭い声がした。声と同時に、一人の女性が部屋に飛び込んでくる。
声と同じくらい鋭い印象の、若い女性だ。身に纏うのは灰色の法衣だが、腰には剣が吊ってあり、立ち居振る舞いも剣士のようだ。
その女性は、部屋に入るなりエリーゼと…ちょうど彼女を引き剥がしてその両肩に手を置いているハルト(図らずも、まるでこれから引き寄せようとしているかのような体勢だ)を見ると、酷く慌て、そして気分を害したようだ。
そして、よせばいいのに怒りに任せて剣を抜いた。
「…貴様、姫様への狼藉、許さぬぞ!」
おそらく、彼女はエリーゼの付き人か何かなのだろう。とても忠誠心の塊なのだろう。
しかし、ここにはそれ以上に忠誠心の塊がいた……勿論、エリーゼへの、ではなく。
「……………!?」
ハルトに剣を突きつけようとしたであろうその女剣士は、中途半端に構えたところでフリーズした。
彼女の喉元には、いつの間にか鋭い刃がピタリと当てられている。
それは、氷で出来た刃だった。見るからに、触れただけで切れてしまいそうな鋭利さを持っている。
「……愚かな虫ケラが」
氷刃に負けず劣らず冷たく鋭い、低く押し殺したような声が、更に女剣士に戦慄を与える。
ルガイアが、無表情の中に激情が燃え盛る双眸で、睨み付けていた。
女剣士が、ごくりと喉を鳴らすのがハルトにも分かった。
彼女は今、選択を誤れば二度と後戻りは出来ない瀬戸際に立たされている。
死の恐怖に硬直した女剣士に、ルガイアはそれ以上何も言わなかった。言わなくても分かるはずだ、とばかりに。
事実、女剣士の表情を見れば、充分過ぎるほど理解しているようだった。彼女が怖れたのは刃かルガイアの双眸か、或いは突きつけられた死の未来か、いずれにせよ構えかけていた剣をそろそろと下ろした。
女剣士の無抵抗を確認したルガイアは、つかつかとハルトに歩み寄ると、茫然と成り行きを見ていたエリーゼの襟首をグイっと掴み、やや乱暴に女剣士へ向かって突き飛ばした。
「……ルガイア、女の子に乱暴はいけないよ」
「申し訳ございません」
すかさずハルトに窘められ、殊勝に頭を下げる。が、エリーゼと女剣士には目もくれない。
それどころか、まだ怒りは収まっていないようで、重苦しい空気が彼を中心に渦巻いている。
ハルトは、溜息をついた。
ルガイアも魔界の臣下たちと同じ。自分に何かあればすぐに対処するが、自分に仇なす者には怒りを隠そうともしないが、彼らの見ているのはハルトではない。
彼らは、ハルトの中にハルトではない者を見ている。
彼は今、ハルトのために腹を立てたのではないのだ。
そのことが酷く虚しかったが、魔族たちが魔王の臣下である以上、ハルトにはどうしようもないこと。どうにかしたければ、ハルト自身が魔王を超える何かを為さなければならない。
とりあえず、ギスギスしてしまったこの場の空気をどうにかしよう。
「…あの、ごめんね。怪我はない?」
女剣士に抱き止められる形で茫然としたままのエリーゼは、ハルトの気遣わしげな声に調子を取り戻した。
流石に再び抱き付こうとはしなかったが、それでもはにかんだような笑みを浮かべ、
「ええ、その、不躾な真似をして申し訳ございませんでした。ただ、我が君にお会い出来たことが嬉しくて……」
そう言われては、ハルトとしても悪い気はしない。
女剣士は相変わらず険しい表情だが、一触即発の空気は霧散した。後は、落ち着いて話をすれば問題なさそう。
「あらあら、姫ったら皆さんと一緒にいらしたのね?もう、急にいなくなるから心配してしまうじゃないの」
そこへ、無意識なのか敢えてなのか分からないが空気を読まないのんびりした調子で、メリルさんがやって来た。
ポカンとしたシャロンと、むくれているクウちゃん(頭の上にネコ)と、蔑むような眼のルガイアと、険しい表情の女剣士と、モジモジ照れ照れしているエリーゼと、メリルさんの登場にホッとした様子のハルトを見て、あらまあ?と首を傾げる。
「なんだか……お取込み中だったかしら?」
「いえ、丁度いいときに来てくれました」
ハルトとしては、気の利く女主人にこの場を仕切ってもらいたいところだった。
ようやくメインヒロイン登場か?
……と、思いきや。なかなか「うちのカミさん(Byコ〇ンボ)」状態から脱することが出来ないようです。自分でもメルセデスの存在忘れがち問題。
それにしても、姫巫女にはまともなのいないんでしょうかね。育ち方からしてまともにはならないんでしょうね。




