第八十九話 普段真面目な奴ほどたまに繰り出す冗談が滑り気味だという説
ハルトたちを自宅へ招待してくれたご婦人は、メリル=アントワープさんというらしい。
アントワープ家はこの集落…彼女らはここをカヌーンと呼んでいた。カナン峡谷からきた名称だろうか…の纏め役で、そもそもここら一帯の地権者だったそうだ。
地権者ということは領主、ということのはずだが、それを聞いたシャロンは首を傾げていた。
カナーン地域のアントワープ家、という家門は彼女の頭の貴族総覧には載っていないようだ。
しかしシャロンが知ろうが知るまいが、現実にカヌーンと呼ばれる集落は存在していて、決して栄えているわけではないが住民もそれなりにいて、そして何よりアントワープ家の屋敷も地権者に相応しい建物だった。
…と言うか、他の住居に比べると段違いである。
タレイラのような大都市でも、ここまでの屋敷に住んでいるのは大商人か下級貴族か。基本的にカヌーンの住居は茅葺屋根に土壁なのだが、アントワープ家は石造りだった。
白い石で建造された屋敷は、豪邸ではあるのだがゴテゴテした華美さはない。寧ろ、建材のせいかどことなく神殿っぽい高尚な雰囲気を漂わせている。
「さあさあ、上がってちょうだいな。今お湯を沸かさせるから、その間お茶でも飲みましょうか」
「ありがとうございます、アントワープ夫人」
「あ……どうも」
権力者の奥方にしてはやけに気さくでフレンドリーなメリルさんに促され、シャロンとハルトは戸惑いつつもご厚意をありがたく受け取る。
クウちゃんは他人にはまるで興味がないらしく黙ってハルトにくっついていて、ルガイアはメリルさんが時折送って寄越す意味ありげな視線を見事なまでに黙殺していた。
「それにしても、驚いたわ。まさかカナン峡谷を抜けてくる旅人さんがいらしたなんて。なんだってまた、街道を使わなかったの?」
「ええと……その、色々と事情がありまして」
ルガイアとクウちゃんがこうなので、メリルさんの相手をするのは自然とシャロンとハルトの二人に限定されてしまう。
シャロンは説明しにくいことをズバリと聞かれて、困っていた。が、確かに街道があるのにそれを使わずわざわざ危険な道程を選ぶというのは、それだけ非常識なことである。
しかし有難いことに、メリルさんはその不自然さをスルーしてくれた。単に他人に興味がない…というわけではないだろう。そうだったら、見ず知らずの旅人を自宅に招待するはずもない。
ただ、シャロンの薄汚れてはいるが上質な衣装といい、ルガイアとクウちゃんの聖職者用法衣といい、何か込み入った事情があるものと察してくれたのだ。
アントワープ家の屋敷は、人が少なかった。カヌーン集落の中では一番のお金持ちなのだろうが、それにしては使用人らしき人もハルトたちにお茶を出してくれた女中さんと、メリルさんに言われてお風呂を沸かしに行った小間使いっぽい男の子と、あと屋敷内をうろついている数人くらいだ。併せても十人いないくらい。しかも、メリルさんの家族らしき人影は見当たらない。
「あの…アントワープ夫人は…」
「メリル、で結構よシャロンちゃん。私、娘が欲しかったのよね」
「あ……ありがとうございます。それではメリル…さん、ここには一人で?」
娘が欲しかった、という表現からすると、少なくともメリルさんに女児はいないのだろう。シャロンを見る彼女は、柔らかさの中にどことなく淋しさも交えて笑っていた。
「ええ、五年前に主人に先立たれてからは、ね。子供には恵まれなかったし、再婚なんてする気にもなれないし…」
「五年も一人で……」
父と継母に疎んじられて孤独を強いられていたシャロンには、メリルさんの境遇に何か思うところがあったのだろうか。
しかしシャロンのそんな同情めいた口調を、メリルさんは明るく笑い飛ばした。
「あら、そんな顔しないで。一人っていうのもこれはこれで結構気楽なものだし、時々私を訪ねて来てくれる可愛いお友達もいるのよ。それに、こういう予期せぬ出逢いもあることだしね」
メリルさんの言う「予期せぬ出逢い」の内訳は、彼女の視線に表れている。ざっと、シャロンとハルトに対して三割、クウちゃんに一割、そして残り六割は無表情で黙りこくっているルガイアに。
先ほどから夫に先立たれた有閑マダムに控えめながらも熱い視線を送られているルガイアは、全くの平熱でそれを受け流していた。見事なほど、ハルト以外には関心を持っていない。
しかしつれない態度もまた萌え…燃える要素だとでも考えているのか、メリルさんの温度も変わらず。シャロンと会話しながらルガイアにアプローチするという、器用な女性である。
そんなこんなのうちに、風呂の準備が出来たと小間使いの少年が呼びに来たので、まずはシャロンとクウちゃんがお言葉に甘えることにする。
が、ここでクウちゃんが駄々をこね始めた。
「……や。クウちゃん、はるとといっしょにはいるもん」
「クウちゃん、我儘言ったらダメだよ?」
ハルトには何となくクウちゃんがそう言い出すだろうと予感があったのだが、シャロンの視線が冷たい。
「…………ちょ、ハルトあなたまさか、いつもそう……?」
「……え?そう…って何がですか?」
キョトンと訊ね返されて、シャロンはそれ以上の追及が出来なかった。幼女と一緒に入浴するということ自体がハルトにとって考えもつかないことなのか、或いは幼女と一緒に入浴するということがハルトにとって珍しくもなんともないことなのか、判断に迷うシャロンである。
「…はると、クウちゃんはるとといっしょがいい。いっしょじゃなきゃやだ」
「もう、クウちゃんってば。お風呂くらい一人で入れるよね?」
「…………………」
ハルトを見上げる不満げなクウちゃんの表情は、「そういうことじゃない」と如実に語っていたりしたのだが、ハルトはそれに気付かず。
因みに、精霊であるクウちゃんはお風呂に入ったことがない。
「ほら、せっかくメリルさんがお風呂を沸かしてくれたんだから、シャロンと入っておいで?」
「やーぁあ!はるとといっしょじゃなきゃやーあ!!」
幼女が少年に向かって駄々をこねる光景に、微笑ましさを見るかいかがわしさを見るかでその人物の清廉さが判明する…とかなんとか。
「…もう!いつまでもグズグズしてないの。メリルさんに迷惑でしょう?」
別にシャロンが清廉ではない、というわけではない。ただ、お年頃の少女は色々と耳年増なのだ。
シャロンと、シャロンに引きずられてクウちゃんが浴室に向かったところで、応接室にはメリルさんとハルト、ルガイアの三人が残った。
メリルさんが先にシャロンとクウちゃんにお湯を勧めたのは、レディーファーストの精神に違いない。が、それをルガイアと会話する絶好の機会と捉えていることも確からしかった。
しかし、メリルさんは心得ていた。いきなり無口なルガイアに攻め寄るような愚行は犯さない。
「ええと、ハルト君といったわね。貴方たち、どういうご関係なの?」
「え、あ、えと……」
メリルさんの矛先が自分に向いて、ハルトは困る。別に彼女には詮索してやろうだとか暴いてやろうだとか下世話な意図があるわけではない。ただ純粋に、剣士っぽい出で立ち(の割にはボンボンっぽい)のハルトと、どこからどう見ても上流階級のお嬢様であるシャロン、そして聖職者の格好をしたルガイアとクウちゃん、そして一匹の猫、という構成の一行に興味を持っただけのようだ。
そして他意はなさそうだからこそ、返答に困る。お世話になっているわけだし無下にも出来ない。そもそも、ハルトには他人を無下にあしらう、ということが出来ない。
さらに適当な嘘で誤魔化す、というスキルも持ち合わせていないので、馬鹿正直に狼狽えるしかなかったりするのだ。
「………?」
「ええええと、その、あの、えっと」
「ハルト様は遊撃士であらせられる。シャロンという娘とは依頼絡みで出逢った。私とクウは、諸国を巡礼中の神官だ」
ハルトがマゴマゴしているうちに、ルガイアが代わって説明してくれた。ルガイアとクウちゃんに関してはでっち上げなのだが、そう言えばそういう設定にしていたんだったとハルトはそこでようやく思い出した。
「あらそうなの、遊撃士?若いのに大変ねぇ」
メリルさん、感心しながらも「なんでこの青年は少年にだけ敬語なんだろう?」と思っているに違いなかった。
「んな、にー」
「……すまない、お前を忘れていたな。これは私の弟だ」
「…………………?」
「…………………?」
自分だけ紹介をしてもらえなかったネコが不貞腐れたように鳴き、ルガイアが慌てて付け足した。のだが、その内容がちょっと意味不明である。
揃って首を傾げて「こいつ何言ってるんだろう冗談言うタイプじゃないっぽいのに」と言わんばかりのメリルさんとハルトを見て、ルガイアは自分の失言に気付いた。
「……………冗談だ」
「…………………」
「…………………」
大真面目な顔でそう断言され、メリルさんとハルトは何も言えなくなってしまったのだが、ネコだけはなんだか不満そうに、にーにー鳴いていた。
「え……と、ルガイアって冗談言えたんだね。ちょっと意外って言うかイメージ違うって言うか…」
「何を仰せですかハルト様。私はこれでもま…故郷では「お茶目なルッくん」と呼ばれていたのですよ」
それは嘘だ。絶対大嘘だ。然程取り繕う気がなさそうに取り繕うルガイアを見て、ハルトはそう思った。ここに、彼の本当の弟であるところのエルネストがいたら何と言うだろう。
「ま、まぁ、子供と猫を連れて巡礼の旅だなんて大変じゃありませんこと?」
…あ、メリルさんが復活した。ちょっとやそっとの滑り気味の冗談なんかは意に介さないことにしたらしい。
「良かったら、今夜はうちに泊まってらしたら?小さな子もいることだし、あまり無理はよくなくてよ」
「……………」
親切半分下心半分のメリルさんの申し出に、ルガイアはチラッとハルトを見た。判断は任せる…と言わんばかりに。
「あ、え、その、お言葉は有難いんですけど、ボクたちちょっと急ぎの用がありまして…」
「あら、今から出るのと明日の朝出るのとでは、大して違いはないのではなくて?」
「…………言われてみれば…そう……なんですかね?」
まだ日暮れには時間があるが、確かに不眠不休で移動するわけにはいかない以上、どこかで休まなければならない。となれば、次にタイミング良く集落や街があるとも限らないし、確実に休めるところで休んでおくのも悪くないかもしれない。
…というのは建前で、ハルト自身フカフカのベッドが恋しくなる頃だったりする。
「それじゃ……お言葉に甘えさせてもらってもいいですか?」
「勿論よ、久々に賑やかなのは嬉しいわ。旅のお話しも色々聞かせてね」
メリルさんの視線は、明らかにハルトではなくルガイアを捉えていた。




