第八十七話 気分って伝染するよね。
「な……なんだったの…?」
「なんだったんでしょうね…?」
キラーエイプの群れに置き去りにされて茫然とするシャロンとハルト。奴らは一体、何に怯えて逃げ出したのか。
もしかしたら、もっと強くて恐ろしい魔獣が近付いてきているのかも?と危惧したハルトだったが、そんな気配はない。キラーエイプが去った後の谷底は、静まり返っている。
それに、キラーエイプはシャロンを見て、叫び声を上げたような気が……
「なんだか、シャロンのこと怖がってたみたいですね」
「ちょ…ちょっと、何言ってるのよ失礼ね!私のどこが怖いのよ!!」
魔獣にさえ怖れられる人間…みたいな言われ方に、憤慨するシャロン。言ったハルトとて、本気ではない。
シャロンはどう見ても、人畜無害で非力なお嬢様だ。まかり間違っても、魔獣が悲鳴を上げて逃げ出すような凶悪な面構えはしていない。
――――怒ってるときの師匠だったら魔獣も逃げ出すかもしれないけど。
ハルトがそんな風に思ったのはここだけの話である。
「まぁ、それは冗談として…」
「ほんとに冗談でしょうね」
「アハハ…アハ、冗談ですってば。そりゃ確かにシャロンを見て逃げたみたいに見えましたけど、何か別の原因があったんじゃないですか?」
…とは言え、その原因が何なのかと言えば分からない。
「…おさるさん、そいつのこわいのうつった」
「……え?クウちゃん今なんて?」
いきなりクウちゃんがシャロンを指差して言った。
その意味がすぐには理解出来なくて、ハルトは聞き返す。
「だから、そいつのこわいのうつっておさるさんもこわくなった。そんで、にげちゃった」
「こわいのうつって……怖いのが伝染って?」
それにしても、精霊とは同族だけでなく魔獣の気持ちまで分かるものなのか。そこのところは謎だが、しかしクウちゃんは断言している。
「ねぇクウちゃん。怖いのが伝染るって、どういうこと?」
「だから、そいつがこわくなって、おさるさんもこわくなった」
「??…………???」
クウちゃんとハルトとの相性は最高なのだが(だって主従だし)、しかしクウちゃんの語彙力とハルトの理解力との相性は最悪だ。
同じことを繰り返すクウちゃんに、同じことを聞き返すハルト。そこから先が進まない。
そこへ、困り果てている主を見かねたのかルガイアが口を挟んだ。
「以前に、奇妙な性質の天恵のことを耳にしたことがございます」
「……ぎふと?」
天恵って何だったっけ。響きからすると、神とか魔王絡みの言葉っぽい。
だとすれば、魔界での授業で勉強したはずなのだが……
思い出せないのは、偏にハルトの授業態度のせいである。
興味のない事柄に関しては、決してお世辞にも優等生とは言い難い姿勢だったりしたのだ。
そんな主君にも、ルガイアの表情は変わらない。
軽蔑するでもなく同情するでもなく理解を示すでもなく。
そしてそんな臣下の無表情が、ハルトには気まずい。
「天恵とは、得能の上位版です。特に強い加護…のようなものでしょうか。得られる者は限られており、またその能力は稀少だったり強力だったりするものです」
「……ああ!うん!なんか聞いたことあるよそれ!」
説明されてから知ったかぶりするハルトに、ルガイアの肩の上のネコは「んななーお」と鳴いて肩をすくめた(猫に肩はあるのか?)。
「…で、それで、奇妙な性質って?」
「はい。それは、反射の特性を持つ天恵でした」
「…………反射?」
反射と言われてハルトが思い浮かべるのは、鏡や水面が風景を映す様である。
勿論、天恵だ得能だいうときの反射とは、そういうものではないのだが。
「元来、反射の特性とは状態異常無効化の変化したものと言われております」
「……………???」
「無効化とは違い、そのエネルギーや効果は保ったままベクトルが反転するのです」
「……………??」
「対象であればなんでも跳ね返してしまうということです」
「……………?」
「魔法を跳ね返したり攻撃を跳ね返したり出来るわけです」
「……………あ、そういうこと!」
理解の悪いハルトに、ルガイアの説明は少しずつレベルを下げていく。
とうとう小さな子供でも理解出来るくらいになって、ようやくハルトは頷いた。
「……で、その天恵が、何?」
「私が以前出会ったのは、精神系の反射能力の持ち主でした」
せっかく理解しかけたと言うのに、精神系とかルガイアが言うもんだからまたもやハルトの頭の中は???である。
炎や雷を跳ね返すなら分かるが、精神系反射って?
「精神感応の一種と言ってもいいでしょう。自分の感情や希望、意志を他者に呼応させたり、或いはその逆であったり」
「………?????」
なんだか、ルガイアはワザと分かりにくく説明しているのではないかと思い始めたハルトである。
勿論そんなことはなく、堅苦しいのはルガイアの性分のようなものである。
「嬉しかったり怖かったりする気分を他者に伝染させるわけです」
なので、頭の中身がお子様な主君にきちんとレベルを合わせることだって出来るのだ。
「伝染………あ!怖いのが伝染ったって……そういうこと?」
「おそらく、この娘は精神系反射の天恵の持ち主かと。……非常に脆弱ではありますが」
ハルトとルガイアが揃ってシャロンの方を見た。
いきなり注目されたシャロンは、まだよく分かっていないようで戸惑うばかり。
「え…え?え?天恵?私が?って何それ?」
荒事とは無縁の民間人であるシャロンには、得能だの天恵だのの知識はない。が、二人の会話と様子から、自分のことを話してるのだとは分かった。
「要するに、シャロンが魔獣のことを怖がったから、その怖い気持ちが魔獣にも伝染したってことだね」
「クウの言葉と状況を考えれば、おそらくそうであるかと思われます」
ルガイアが言うには、シャロンのそれは微弱すぎる能力であるため、人間のような知性体には無効らしい。
通用するのは、獣や魔獣のような知能の低い相手のみ。
だがそれが本当であれば、シャロンは自分の意志で魔獣を退散させたり手懐けたり出来るということ。
「へぇ、シャロン凄いじゃないですか!これなら魔獣も怖くないですよ!」
「え……?凄い…の?何が?」
シャロンは、未だ分かっていない。今までこういう危険とは無縁で生きてきたため、能力の使い道や有用性がピンとこないのだ。
「聞くところによりますと、魔獣遣いなどと呼ばれる者たちはそういった能力を有している…とか」
「そうなんだ!それじゃ、シャロン魔獣遣いになって遊撃士登録出来ちゃいますよ!!」
「……えー………」
世の中の人間全てが自分と同じとは限らない、ということをハルトは分かっていない。
と言うか、遊撃士になれると言われて喜ぶお年頃の少女は限りなく少ない。
シャロンの能力が本当に精神系反射だとしても、使いこなせなければ意味がない。が、先の現象が彼女の力によるものならば、ここに生息するレベルの魔獣は恐れる必要がないだろう。
…彼女にとって問題なのは、寧ろ魔獣ではなく人間だ。
小休止の後、一行は再び先を急ぐ。
まだまだ峡谷は続き、上へ登れる道があるかも分からない。それに、谷底に落ちたからといってシャロンを狙う刺客がこれで終わりとも限らない。
それに、アンテスルに到着すれば一件落着…ではないのだ。
彼女がアテにしている領主の元へ辿り着く前に、フューバー伯爵の手の者に見つかるかもしれない。或いは…これはシャロンには言えないことだが…もし領主がフューバー伯爵側についていたとしたら。
その時、シャロンは孤立無援となる。
そしてそうなった場合、ハルトは果たしてどうするべきか。
遊撃士としては、契約で定められた依頼を完遂すればそれで終わりだ。その後にシャロンがどのような状況に陥ったとしても、彼らの与り知るところではない。
ただでさえ、彼らの真の目的は他にある。そのための手段でしかない依頼に、いつまでも時間を取られるわけにはいかない。
しかし厄介なことに、ここにハルトの幼稚で短絡的な正義感を制御するマグノリアはいない。
ハルトがどんなつもりでいるかなど、分かり切ったことだった。
一説によると欠伸がうつるのも危険を共有するための本能とかなんとか。
ってことはテレパシー?




