第八十六話 再会
妙なこともあるものだ。
蔦に絡まれモガモガしながら、レオニールはその光景を半分くらいは感心して眺めていた。
彼の視界が捉えていたのは、ポカンとして立ち竦む主とキョロキョロと落ち着かない小娘の姿。
なんとか頑張って、ここまで追いついた。
幾度か死にそうな気分を味わいつつ絶壁を降り、ハルトたちの痕跡を辿り、ここまで追いついた。そんな自分を褒めてやりたい。
主たちがいる谷底を同じように追いかけたのでは、遮蔽物が少なくてすぐに見つかってしまう。
そう危惧した彼は、藪の中を突っ切ることにした。
しかしそれはそれで厄介で、あちらこちらに吸血性の植物型魔獣だとか食人花だとかが生息していて、現在進行形で彼に絡みついている蔦もその一種なのだが、もう本当に相手にするのが面倒臭い。
幸い地上界でもどちらかと言えば低レベルに分類される程度の魔獣なので、レオニールが苦戦することはない。が、地味に邪魔をされる。地味に足止めを食らってしまう。
そんな苦労を重ねながらもなお前へ進むレオニールが追い付いたとき、主は戦闘の真っ最中だった。
レオニールは、少し目を離した隙に目覚ましく成長した王太子の姿を、感動に打ち震えながら眺めた。絡みつく蔦魔獣に思いっきり頭を齧られてもまるで意に介することなく、ひたすらその勇姿に注視する。
それまでもずっとハルトのストー…護衛を続けてきて、確かな成長を主に感じてはいたのだが、ここ最近はさらに目を見張るものがある。
彼からすると箸にも棒にも掛からぬ雑魚魔獣ではあるが、地上界に降りた直後のハルトとはまるで別人。
その体捌きも、剣筋も、そして眼差しも、どこからどう見てももう素人ではない。主に付きまとう例の女遊撃士にも決して劣っていない。
単体では然程強敵ではないキラーエイプも、群れとなると話は別。数に押され翻弄され、苦戦を強いられるケースはよく見られることである。
しかし、今の主にその心配はなさそうだった。
隠れなければならない自分とは違って堂々と主の傍に付き従うことが出来るマウレ兄弟が、手を貸さずに呑気に見物しているのかが若干腹立たしくもあるが、それでも主は精霊娘の力を借りつつ、見る間に敵を狩っていく。
まだ魔獣の戦意は旺盛だが、この調子ではあと数分もしないうちにそれも分水嶺を越えるだろう。
そう思って安心して見守り活動を続けられると思ったレオニールだったが。
離れている彼からは、一匹のキラーエイプが妙な行動を取っているのが丸見えだった。主たちを避けるように、大回りしてどこかへ向かおうとしている。
群れ型魔獣が一匹だけ戦線離脱、というのは考えられないことなので、何をするつもりかとそのまま見ていると、どうやらその一匹は主が連れている廉族の小娘の方を狙っているようだった。
レオニールにとって、主の身の安全以外は、どうでもいい些末事である。と言うか、廉族が主の周りを必要以上にウロチョロすること自体が気に喰わない。
従って、魔獣を止めるでも娘を助けるでもなくそれを見物していたのだが、魔獣は何故か娘を襲わずに逃げていってしまった。
釣られるように、他の個体も。
一瞬、魔獣は娘を怖れたのかと思った。だがそれにしては、タイミングがおかしい。それに、魔王の後継たるハルトならまだしも、脆弱な廉族を魔獣が怖れるはずもない。
「……ふむ。恐怖の感情は伝染すると聞いたことはあるが……こういうケースもあるものか…?」
ずーーっと蔦に頭をカジカジされながら、レオニールは驚き半分感心半分で、考え込んでいた。
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ハルトたちが谷底へと消えた日。マグノリアたちは、なんとか谷へと降りる道はないか必死に探し回っていた。
馬車をこまめに停め、藪を漕ぎ茂みをかき分け絶壁を見下ろし、その落差と急勾配に肩を落とし、再び進み、その繰り返し。そのおかげで、驚くほど距離を稼げない。
「ねぇ、マギー。やっぱりもう無理よ。とりあえず一度公国に戻って、公王と教皇に報告した方がいいって」
現実的なアデリーンがそう提案するが、彼女以上に現実的なはずのマグノリアが頑なにそれを聞き入れないのは何故か。
「……いや、あいつらはきっと無事だ」
それは、任務の失敗を報告したくないという保身というにはあまりに確信めいた表情と声色だった。
「そんなこと言ったって……ん?」
呆れて自分は馬車で昼寝でもしようかと踵を返したアデリーンは、視線の先の道…木々に遮られ全貌は見えない…に何か動くものの影を見た。
「あれは………馬車?珍しいわね」
「馬車がこんなとこに?なんだってまた……」
アデリーンの呟きに気付いたマグノリアも視線を上げて、それを見る。
それは確かに、一台の馬車だった。二頭立ての、マグノリアたちが乗っているのと同じくらいの大きさの、幌馬車である。
カナン峡谷は、イトゥルから北部の入口の街、ロワーズの間に位置している。なので向こう側から来るのが全てアンテスルからの旅客とは限らない。しかしそれにしても、街道があるのにわざわざ危険で道の悪い渓谷を選ぶだなんて物好きにも程がある。
自分たちのことは棚に上げて…彼女らには事情があるわけだが…そう思いながらその物好きな馬車を見ていたマグノリアだが、ふと気付いた。
向こう側から来るのであれば、この先に谷へ降りられるような場所があるかどうか、聞けば分かるかもしれない。
気付いたマグノリアは、即行動に出た。
則ち、その馬車を止めにかかった。
……いきなり、前に飛び出して。
こんな山道ではスピードだってそれほど出ていないのだから、呼びかければ気付いて止まってくれただろうに、そこのところは気の焦りが思いっきり出てしまったマグノリアである。
気の毒な向こうの御者は、相当慌てたことと思われる。魔獣には気を付けていても、いきなり人間が目の前に飛び出てくるとは思いもよらなかっただろうから。
慌てふためいた御者が手綱を思い切り引き、馬車が止まったのはマグノリアのギリギリ手前。
車はそんなに直ぐに止まれないのだ。飛び出しダメ、絶対。
「なななな、なんですか急に!危ないじゃないですか!!」
向こうの御者が、慌て半分怒り半分で怒鳴るのも無理はない。だが、マグノリアは謝罪も恐縮もなく、と言うか相手の反応なんてまるで気にせず、自分の用件を果たすことしか考えていない。
「なぁ、あんた。この先、谷底に降りられるような場所はなかったか!?」
「え?へ?谷…底?……いきなり何を言ってるんですか…?」
険しい絶壁で知られるカナン峡谷で、わざわざ危険な谷底に降りようとする者は普通、いない。当然、聞かれた相手もそんなの意識して馬車を走らせてきたわけではなく、しかしマグノリアの真剣な眼差しに気圧されて適当にあしらうことも出来ず、困惑する。
そのとき、
「あの、何かあったんで………あれ?」
「…………あ」
相手の馬車の中から様子を窺うべくひょっこりと出てきた顔に見覚えがあって、相手もマグノリアに見覚えがあって、双方が目を丸くした。
その馬車に乗っていたのは、ハルトの同期の遊撃士…デビュー早々第五等級でスタートとなった期待の新人、シエル=ラングレーだった。
「お前……シエル!?なんでこんなところに……」
「フォールズさん!?なんでこんなところに……」
二人してほぼ同時にほぼ同じ台詞を吐く。が、お互いの職業を考えれば、状況も似たようなものなのだろう。
「ええと…アタシらは、ちょっと仕事中なんだけど……お前もか?」
「はい。これから人を迎えに行くんですけど………ハルトはいないんですか?」
どうやらシエルはこれからお仕事らしい。しかし、いつもマグノリアにべったりのハルトがいないことに気付いて辺りを見回した。
「…そう!そこなんだよ!!」
「えぇええ!?ちょ、あの!」
いきなり声を上げるとシエルの両肩をぐわし!と掴んで攻め寄ったマグノリアは、シエルの困惑なんてそっちのけである。
「シエル!この先に、谷底に降りられる場所はあるか?多少無理っぽくてもいいから、低くなってるところとか、藪が薄くて下が見えるところとか!!」
「ちょ、ま、待ってくださいフォールズさん。いきなりどうしたんですか?」
「少し落ち着きなさいよマギー。その子、困ってるじゃない」
戸惑うシエルに助け舟を出したのは、アデリーン。普段は怪しい目つきでハルトとクウちゃんを追いかけまわしたり迫ったりしてるのに、こんな風にしてるとまるで常識人のように見える。
「あ……あの、貴女は?」
「私は、アデリーン=バセット。今回は、彼女らとパーティーを組んでるのよ」
お互い初対面のアデリーンとシエルではあるが、シエルはアデリーンの名前を知っていたようだ。
「アデリーン……もしかして、貴女があの“隠遁の魔導士”?」
「え…まぁ、そう…なんだけど」
いざ目の前で二つ名を呼ばれると、なんだか照れてしまうアデリーンである。それが決して良い意味で付けられたものではないと分かっていても。
「それで、一体何があったんですか?フォールズさんがこんなに慌てるなんて珍しい…」
「あー、うん。そのね、ハルト…とあと何人か、落っこっちゃったのよ」
「………は!?」
今のマグノリアよりは自分の方が適している、とアデリーンはシエルに事情を…差し支えない程度に説明した。
敵の罠のせいで、依頼人とハルトの乗った馬車が谷底へ落ちてしまった、というくだりを。
「それは……その、大丈夫…なんでしょうか」
話を聞いたシエルは、不安と困惑を浮かべて谷を覗き込む。木々の隙間、眼下に僅かに見えた谷底は遠く深く、落ちたとなると無事とは思えない。
「…正直、大丈夫とは思えない…んだけど」
「あいつらはきっと無事だ」
口ごもるアデリーンを遮るように、マグノリアは断言した。その口調の揺るぎなさに、シエルは都合の良い願望以上の確信を感じる。
「…フォールズさんは、そう考えてるんですね?」
「ああ。ちょっと理由は話せないが、根拠がないわけじゃない」
マグノリアの根拠とは、ハルトの正体不明の力とクウちゃんの存在なのだが、その両方ともアデリーンでさえ知らないことなので、おいそれと第三者に告げることは憚られた。
要領を得ない返事ではあるが、シエルはそれで何かを感じ取ったようだ。
「…分かりました。落ちたのは、どの辺ですか?」
「ここを少し戻ったところだ。そこからは、降りられそうにない」
刺客たちは、それも計算のうちで罠を張ったのだろう。
出来るだけ助かる可能性が低く、出来るだけ救出が困難な場所を選んで。
「……そうですか。ここから三十分ほど行ったところに、橋が架かってるんですが、もしかしたらその辺りから下に降りられるかもしれません。獣道っぽいですが、下方へ続いているような跡がありました」
「…本当か、それ!」
獣道ならば、辿れないことはない。マグノリアは期待に顔を輝かせた。
それは、弟子兼パーティーメンバーを案じているにはやや過剰な思い入れのように、シエルとアデリーンには感じられた。
「それで、落ちたのはハルトとあと何人ですか?」
「三人だ。依頼人と、若い神官の男と小さな女の子。ただ、神官と女の子に関しては多分だけど、あまり心配しなくていいと思う」
「……?」
クウちゃんは精霊なので肉体的な死とは無縁だし、なんとなくだがルガイアは殺しても死ななさそうな気がする。感覚的に、レオニールと同類…しかも格上の…感じがするのだ。
問題は、シャロン。
ハルトもまた例の奇妙な力で場を切り抜けているかもしれないが、正真正銘の只の人間でしかないシャロンには、身を守る術などあるまい。
マグノリアたちにとって、移動手段としての意味合いしか持たない依頼ではあるが、しかし遊撃士として人として、依頼人の無事は気にかかる。
「とにかく、ハルトとシャロンお嬢さんを重点的に探さないと……」
ポツリと零したマグノリアの呟きを、シエルは聞き漏らさなかった。
それはおそらく、彼にも心当たりのある名前だったからに違いない。
「…シャロン?それが、貴女たちの依頼人の名前…ですか?」
「あ…ああ」
一瞬、マグノリアはそこまで明かしていいものかと躊躇した。
遊撃士には、ときに守秘義務がある。特に護衛などのセンシティブな事情が絡む可能性の高い依頼の場合、依頼主の名前や事情は伏せた方がいい。
だが、マグノリアが躊躇う必要は、どうやらなさそうだった。
「もしかして……シャロン=フューバー嬢……だったりしませんか?」
「……!どうして、彼女を知ってる…!?」
シエルの口から出た名前に、次はマグノリアたちが驚く番だった。
何故、依頼人の名をシエルが知っているのか。
もしかして…と強めた警戒はしかし、空振りに終わった。
シエルの顔色が、それまでは純粋なハルトたちへの心配だけだったのだが、そこに焦燥というか不安というか、そんなものが混じって蒼くなっていた。
「実は……オレは、アンテスルという都市のとある筋からの依頼を受けまして、イトゥル市まで人を迎えに行く最中だったんですけど……」
「………まさか」
「……はい、その、迎えに行く相手というのが、フューバー伯爵令嬢、シャロン様…なん…ですけど……」
シエルは、そこまで言って黙り込んだ。
なんという偶然か、マグノリアたちとシエルの依頼は部分的に重なっていたのだ。
「…こうなっては色々と聞かせていただきたいんですが……まずは、シャロン嬢たちを探すのが先決ですね。オレにも協力させてください」
「あ…ああ、それは助かるよ」
風精を使役するシエルならば、効率的にハルトたちを探すことが出来るだろう。彼の申し出は、非常に心強かった。
その時のマグノリアは、ハルトたちの無事を確認して合流する…という一点のみに気を取られていて、すっかり忘れていた。
かつて教皇が、シエルの何かを隠したがっている素振りを気にしていた…ということ。
それを可能な限り探るように、とマグノリアに命じていたこと。
あの教皇グリード=ハイデマンが、シエル=ラングレーを警戒していた…ということを。
久々にシエル君、登場です。この人色々と設定持ちなんですけど、どこまで書こうか悩み中。




