第八十三話 キャンプの夜って言えば恋バナと相場が決まってる。
「ここ、どのあたりなんだろう…」
カナン峡谷の谷底の、川から少し離れた洞窟っぽい岩屋でハルトは独り言ちた。
もうすぐ、日も落ちる。辺りはすでに暗くなり始めていた。今日は新月、きっと森の夜は完全な暗闇に閉ざされることだろう。
体力的にはまだまだ余裕の三人(ハルト、ルガイア、クウちゃん)と一匹(ネコ……だってずっとルガイアの肩の上だったから)ではあるが、そしてシャロンもずっとハルトにお姫様抱っこをされていたので消耗は少ないが…とは言え抱っこされてても少しくらいは疲れるものなのである…、流石に暗闇の森の中、道なき道を進むのは危険だということで、今日はここで夜を明かすこととなった。
問題は。
「夜になると、流石に冷えるわね……」
自分の肩を抱くようにして身震いするシャロン。山間部ということもあり、陽が落ちると一気に気温が下がる。
「それに、おなかもすいちゃいました」
「んにゃ、なーお」
ハルトは寒さより空腹の方が気になっている。道中、馬車の中で軽食を食べたきりなのだ。そしてネコも同意の鳴き声を上げた。
彼らの荷物の大半は、嵩張るものは後ろの馬車の荷台に、身の回り品は自分たちの馬車の中に積み込んであった。
当然、彼らの馬車はぺちゃんこで置き去りである。
ハルトはつくづく、魔界から持ち出した自分の荷物をマグノリアたちの馬車の方に乗せていて(何しろけっこう嵩張る荷物なのだ)良かった、と思った。あれらは父親の形見であり、金銭的価値は別として代わりのない品々だからだ。
しかし、野外照明も天幕も簡易炉も行動食も、全てそっちである。実を言うと仮に手元にあったとしても使い方が分からなかったりするのだが、それでも在ると無しでは安心感が違う。何しろ、エルネスト曰く「魔王が地上界を旅していた際に使用していた道具たち」なのだから。
今ハルトが持っているのは、剣と腰のポーチに入っている多少の路銀とポーションくらいである。シャロンは何も持ち出せていない。クウちゃんは元々、何も持っていないし、ルガイアは…どうなのだろうか。この状況にもまるで平然としているが、それは慣れているとか余裕とかいうのとは違うような気がする。
洞窟の中では、焚火がパチパチと音を立てて彼らに灯りと暖を提供してくれている。
野営道具など何一つ持っていない彼らがどうやって焚火なんて出来たかと言うと、多分ネコの功績である。
最初は、誰も火のことなんて考えなかった。
ハルトもシャロンも、箱入りで育ってきたために野営の知識なんてない。ルガイアもまた、魔界でも屈指の名家の生まれであるため、そんなものは持ち合わせていなかった。つい最近自我が芽生えたばかりのクウちゃんは論外。
辺りが薄暗くなってきた頃、彼らを洞窟に誘ったのもネコだった。ルガイアの肩の上でにゃーにゃー鳴いてから地面に降りると、さっさと洞窟に入り尻尾をたしたし。
ルガイアはそれで何かを察したらしく、そこで夜を明かすことをハルトに提案した。
それから、またもやにゃーにゃー鳴いて外に出て小さな木の枝を加えて戻ってきたネコを見て、彼らは暖を取るにも灯りを取るにも食事を摂るにも火が必要であるという一般常識を思い出した(クウちゃん除く)。
火付け石なんて誰も持っていなかったが、ルガイアは魔導が使えるので問題なかった。何の知識もないまま適当に拾ってきた枝はゴツイものばかりで普通に火をつけるには難儀したであろうが、魔力による炎はそう簡単には消えはしない。
ネコに導かれるままに、最低限だが野営の準備を整えるハルトとルガイア。
とりあえず、目の前の小川で魚も数匹捕まえてみた。つい最近まで、川を泳ぐ魚が食べられるものであるということすら知らなかったハルトだが、その程度はマグノリアに師事するうちに学んだ。
問題はそれが彼らボンボンの口に合うか否かだったが、疲れと空腹のためか、或いは自分たちで捕らえたものだという特別感からか、案外抵抗も少なく食することが出来た。
いつしかとっぷりと夜も更け。
疲れていないわけではないが興奮のためかなかなか寝付けないハルトとシャロンは、ただ焚火を見つめるしかやることがなかった。
シャロンが、夜の冷気に身を震わせた。それに気付いたハルトが、自分の上着をシャロンの肩に掛ける。
「…い、いいわよ。貴方だって寒いでしょう」
「いえ、平気ですよ?風邪ひいたらいけないので、使ってください」
にっこりと笑うハルトは、強がっているようには見えない。シャロンは仄かに頬を染め、厚意に甘えることにした。
「………ごめんなさい」
「…え?」
唐突にシャロンが言い出したので、ハルトは一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「こんなことになってしまって…………最初から、全部話していれば……」
「そんなこと気にしないでください」
ハルトはそう言うが、そして自分も本気で気にしていないのだが、本来なら少しは気にするべきだし気にさせるべきだ。
今回のシャロンの依頼には、不自然な点が多すぎる。貴族令嬢でありながら少なすぎる報酬や、そのくせ求める遊撃士のレベル、指定された道程。
魔獣対策ではなく、自分が狙われていることを知っていながら何故事前にそれを告げなかったのか。
仮に全てを出発前に明かしていれば、少なくともこんな事態は避けられたはず。
…ではあるのだが、ここには厳しいマグノリアもアデリーンもいないので、ルガイアもクウちゃんもそんなこと(というか現在のこの状況なんて)どうでもよさそうなので、言及する者は誰もいない。
おそらく、この点について一番気に掛けているのは、他ならぬシャロン本人らしかった。
「…だけど………私のせいで」
「シャロンのせいじゃないでしょう?あの黒服の連中のせいですよ」
「いや、だけど……そもそもこんなことになったのは…」
「…………?あいつらが、シャロンを狙うからこうなったんですよね?」
「……………ありがとう」
本気でシャロンを責める気がないハルトに、シャロンはポツリと呟くように礼を言う。それをハルトの優しさだと受け止めたのだが、そしてある意味それは間違いではないのだが、別にハルトは「本当はシャロンのせいだけど気にさせまいとそう言っている」のではなくて、単純に刺客たちの仕業で馬車が落ちたのだからそれは刺客たちのせいだ、と考えている。
「…ねぇ、ハルト。貴方、フォールズさんとはどういう関係なの?」
唐突に、シャロンがそんなことを言い出した。
「師匠は、ボクの師匠ですよ。遊撃士になる前から、いろんなことを教えてもらいました」
「へぇ………それだけ?」
女性であるシャロンの目には、それだけではないように見えていた。特にマグノリアのハルトを見る目は、ただの師と言うには随分と熱心すぎるときがある。
「それだけ……ですけど」
「…そう。それじゃ、アデリーンさんは?」
「アデルさんは………」
一瞬、アデリーンと自分の関係を考えて表情が曇るハルト。単純なパーティーメンバーと言ってしまえばそれだけなのだが、あの魔導オタクに今までされてきた諸々を考えると、とてもではないがそうは思えなかったのだ。
しかし、自分が彼女に受けてきた仕打ちをここでシャロンに打ち明けるのは、些か憚られる。
結果、
「アデルさんは、もともと師匠の友達で、その関係でパーティー組むことがあったりするんです。ああ、でも…魔法を教えてもらったこともあるんで、魔法の師匠って言えなくもないですけど」
とかいう風に表現しておいた。
「そう……なの」
「はい」
「…………………」
「あの…シャロン?」
質問するだけしておいて黙りこくったシャロンを不思議に思い、ハルトは彼女の顔を覗き込む。
何故か、頬が赤かった。焚火の熱のせい…だろうか。
「ねぇ、ハルト」
「はい?」
再び口を開いたシャロンは、何か強い覚悟を決めた戦士のように、表情を引き締めていた。
そのときルガイアは外の様子を見に行っていて、クウちゃんはうとうとと微睡んでいた(精霊なのに眠るのだろうか)。
彼女がこんなことを言い出したのは、きっと他に誰も聞いていないからに違いない。
「貴方……その、お付き合いしてるご令嬢とか、いるの?」
「いませんけど」
「………!そ、そう……」
一瞬の驚愕と、その後の安堵。
驚愕は、公爵家の嫡男…しかも聖戦最大の英雄の息子という超サラブレッドな血筋である彼にならば許嫁の一人や二人いてもおかしくなのに、というものであり(二人はおかしい)、その後の安堵は……
「あ、あのね!その、ええと、あの、私……」
「けど、将来を誓い合った人はいます!」
「………………え?」
シャロン、硬直。必死の思いで固めた決意は、あっさりと砕け散る。
と言うか、付き合ってないのに将来を誓い合うってどういうことだよ。
「その人は、ボクが遊撃士になる切っ掛けを…いえ、強くなりたいと思う切っ掛けをくれた人でした。とても強くて、綺麗で、純粋で、でもどこか儚げで守ってあげたくなっちゃうようなところもあって、だけどボクなんかよりずっとずっと強くて、今はまだ届かない存在なんですけど」
ハルトがそんな言い方をするものだから、シャロンはてっきり彼が憧れの存在を語っているのかと思った。
将来を誓い合う、というのも、いつかパーティーを組もうとかそんなことなのではないか、と。
しかし、チラリ、と見たハルトの表情が完全に熱に浮かされていることに気付き、そして続く言葉に少なからぬショックを受けた。
「ボクは、彼女に並ぶくらいに強くなって、ずっと彼女と一緒にいられるように前へ進むんです。彼女も、ボクを待っていてくれてます。ボクが彼女に追いつけたなら、ボクと彼女は…………エヘヘ」
エヘヘの中に隠されてしまったフレーズは、彼の表情を見れば明らかだった。
実のところそれはハルトの勝手な思い込み…ストーカーにありがちな妄想だったりするのだが、彼は一言も「その人」の気持ちなど聞いていないのだが、シャロンはそんなこと知る由もない。
「そ…そう。それは、きっととても素敵な方なのね……」
「はい!それはもう、すっごく素敵な女性なんです!!」
だから、ウットリと自分と「その人」の将来を語るハルトの言葉を聞きながら、無駄に傷付いてしまった乙女心を持て余すのだった。
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自分、ちょっと落ち着こうか。
崖の途中に生えている木の枝に引っかかってプラーンプラーンしながら、レオニールは自分の軽挙妄動を反省していた。
咄嗟に崖下へダイブしてしまったのはいいものの(いや、よくない)、考えてみれば自分には浮遊術式の持ち合わせはなかった。
魔導剣士であり護衛騎士であるレオニールは、攻撃術式と防御術式のレパートリーは豊富なのだが、補助系術式に関してはさっぱりなのだ。
そんな自分が崖から落ちたら、どうなるか。
当然、谷底に叩きつけられてぺちゃんこである。
頑強な魔族と言えども、これだけの高さから落ちてタダで済むはずがない。落ちた先が岩だったりしたら、ちょっと生きていられる自信はない。
運よく彼を引っかけてくれている木の枝があったから命拾いしたものの、これからどうしたものか。
崖を降りる道具など、持っていない。崖を降りる方法など、知らない。
だが、彼の使命は、持っていないから知らないからという理由で諦めていいようなものではなかった。
道具、知識、技術。
手段の全てはここにない。
ならば、自分が頼ることが出来るのは、一つだけ。
自分に出来ることは、一つだけ。
「ふ……フフフフフフ。この私の忠誠を試そうというのだな。よかろう、私の我が君への忠誠は何物にも揺らぐことはないと、ここに証明してやろうではないか!こんな断崖絶壁などに恐れを抱く必要などない。ただ降りればいいだけなのだから、簡単なことではないか!!」
要は、根性である。
非科学的な精神論で己を鼓舞し、レオニールは命綱なしで絶壁を降下し始めた。僅かな凸凹を手掛かり足掛かりに、何もない場所では自分の指を絶壁に突き立て(お前の指はアイゼンか)、決死の表情で断崖を降りるレオニールの姿は、騎士というよりも戦場の修羅のように見えなくもなかった。
この面子の中で一番苦労を経験してきてるのは、間違いなくエルニャストです。
彼、幼少期は相当大変な思いをしましたから。野営なんて朝飯前。不遇な少年時代を過ごしたんですね。その分、今は気ままにやってます。ちょっと気まますぎるけど。




