第八十二話 希望と願望は似てるけどちょっと違う。
「アデル、そっちはどうだ?」
「……無理ね、どう考えても降りられそうにないわ。公子、そっちは?」
「し……死ね、死ね死ねクソ死ね、死ねやクソ!」
「……すいませんやっぱ何言ってんのかさっぱりです」
焦燥と不安の中、マグノリアとアデリーン、セドリック公子は渓谷の底を流れる川まで降りる道はないかと探し回っていた。
刺客たちを難なく返り討ちにしたのはいいものの、その直後にハルトたちの乗った馬車が突然暴走を始めてしまった。
それを見たマグノリアたちは慌てて後を追いかけたのだが、最悪なことに、ハルトたちの馬車は彼女らの目の前で谷底へと落下していった。
すぐさま馬車を停め谷底を覗き込んだときには、馬車もハルトたちも既に見えなくなっていた。
「……くそっ、してやられた……!まさか、あいつら道にまで細工してやがったとは……」
「随分と周到ね。自分たちが失敗しても確実に標的を仕留められるように保険をかけておいた…ってとこかしら」
歯軋りするマグノリアに、アデリーンは幾分冷静なようでいて静かな憤怒に燃えている。セドリック公子は、狼狽えるばかりだ。
しかも、刺客たちは流石にプロだけあって、細工を仕掛ける場所にも拘っていた。
ここは、渓谷の中でも最も深く切れ込んだ谷。底を流れる川も、木々に遮られているのと高さのため、視認することすら出来ない。
この高さから落ちて、助かるとは到底思えなかった……普通の人間ならば。
「あいつら……無事だよな」
「ちょっとそれは、分からないわね」
無理矢理自分を落ち着かせようと同意を求めたマグノリアだったが、求められたアデリーンは容赦なく現実を告げる。
「確かに、ハルトは普通じゃないしあのルガイアとかいう司教も相当の実力者だとは思うけど、それとこれとは別でしょ。どれだけ強くたって、剣技に優れていて高難度の魔導を使えたって、こんな崖から落ちるときには無意味だわ。寧ろ、補助系の浮遊術式でも習得していれば別でしょうけど」
アデリーンとて、彼らの無事を願わないわけではない。頼むから無事であって欲しい、と心底願っている。
だが、ここで気休めの楽観を述べたところで、それこそ無意味だと分かっているのだ。
「浮遊術式……ハルトは使えないだろうけど、ルガイアは?もしかしたら、使えるかもしれないよな、神官なんだし」
「神官が全員補助系術式に強いとは限らないし、もし使えるならここまで上がって来てるでしょう」
「………………そうか…」
一縷の望みをルガイアに賭けてみたかったマグノリアだが、やはりアデリーンにあえなく否定されてしまった。
「クウちゃんも、風系の術式が得意っぽかったけど……流石にあの年じゃ、この高さを遣り過ごすような風は吹かせられないだろうし……」
「…………クウちゃん?」
ポツリと呟いたアデリーンの言葉に、マグノリアが反応した。
「そうか、クウちゃんがいたか……!」
「いや、だから、流石に無理でしょ。風系の魔導適性はピカ一かもしれないけど、体を浮かせるような術式なんて聞いたことないわ。かと言って、術式に頼らずに風だけ吹かせても大した威力にはならないんだし」
アデリーンは、クウちゃんのことを「風の精霊元素にやたらと高い親和性を持つ魔導士の卵」だと思っている。だからこその発言なのだが、
「いや、クウちゃんなら……もしかして…………」
クウちゃんは「風の精霊元素と親和性が高い」のではなくて正真正銘の「風の精霊」だということを知っているマグノリアの表情に、希望の灯が宿る。
精霊元素を操り特定の事象を引き起こすためには、術式を用いるのが一般的である。一応は術式に頼らなくても魔力を扱える者ならば多少の変化は起こせるが、アデリーンの言うとおりそれは非常に限定的だ。
炎であれば、小さな火花を散らしたり、雷であれば、静電気を起こしたり。風であれば、微かなそよ風を起こす程度。
天使族や魔族、竜族などの高位生命体であれば魔力だけでもっと大きな事象を起こすことも不可能ではない。だが、廉族にはそれが限界なのだ。
だが……風の精霊、言わば意思を持った風そのものであるクウちゃんならば。
「……アデル、先に進むぞ。谷底と合流出来る地点を探す」
「ちょっと、私の話聞いてた?気持ちは分かるけど、多分彼らを探しても無駄よ」
突然いつもの調子を取り戻したマグノリアに、アデリーンは慌てる。もしかしたら、ハルトたちの死を認めたくなくて現実逃避しているのかも、と思ったのだ。
可哀想だが、ハルトたちは助かるまい。そしてこれも、遊撃士である以上は無縁ではいられない運命の一つなのだ。
マグノリアならばそんなこと百も承知だろうし、彼女自身パーティーメンバーを失った経験だってあるだろうに。
しかし、かつての彼女からは考えられないくらい、弟子に対して強い思いを抱いている今のマグノリアには、どうしても現実を認められないようだった。
自分たちの馬車の御者に何やら指示している相棒の、まるでハルトたちが生きていることを疑いすらしていない後ろ姿に、気の済むまでつきあうしかないか、とアデリーンは思った。
隠遁の魔導士とて、そのくらいの優しさは持っているのである。
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なんということだ。
目の前で主の乗った馬車が奈落の底へ落ちていく光景に、レオニールは生まれて初めての絶望を覚えた。
せっかく、せっかく追いついたのに。もう少しだけ早ければ、間に合ったかもしれないのに。
ティザーレ―レプトルス間の国境で大騒動を起こしたレオニールは、しつこい追手を千切っては投げ、千切っては投げ、必死に主の後を追った。
そしてイトゥルに辿り着いたのと入れ違うようにして、ハルトたちの馬車は出発してしまった。
レオニールは、徒歩である。馬車なんて探している暇はない。主らの目的地すら知らないため、ここではぐれたら合流はもう不可能に近いと思われた。
だから、頑張った。頑張って、走った。
健脚の彼ではあるが、馬車と同じ速度で休みなく走り続けるのは並大抵のことではなかった。
しかし、引き離されるわけにはいかない。
王太子殿下をお護りするという使命感と、シレっと馬車に同乗している魔族の先輩兄弟に対するやっかみを原動力に、彼は走った。
途中で道を間違えてしまったりその先で魔獣に絡まれたりという不測の事態を切り抜けつつ、一度は見失った主の馬車をようやく見つけた、と思ったその瞬間に。
その馬車は突如暴走し、道を外れ、吸い込まれるように崖下へと落ちていった。
一瞬だけ己の役立たずぶりに膝をつきそうになったレオニールだったが、すぐさま思い直した。
魔王の後継者たる主が、この程度で死ぬはずがない。すぐ傍には、魔王の眷属にして最高幹部に匹敵すると言われるマウレ兄弟も控えていたのだ。
きっと……否、絶対に無事に決まっている。
ならば、自分のなすべきは一つだけ。
彼は、躊躇うことなく崖下へ身を躍らせた。
主につきまとっている遊撃士の女二人は、谷底を覗き込んでいて彼の存在には気付かなかった。
ただ、最近主の近くをうろついている偉そうな態度の若者だけが、ぎょっとした顔で彼の行動を見届けていた。
浮遊術式は、風ではなく大地属性です。それに風属性を組み合わせると、飛行術式に。けど制御がとんでもなく難しいので、意外と上級者向け。
やたらと落ちるのは、魔王父子のお約束なんですかね?




