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第八十一話 谷底を往く。



 谷に吹き荒れる風に、二人の落下速度が緩やかになる。

 ハッとして辺りを見回すと、ルガイアの腕の中のクウちゃんと目が合った。

 

 谷底の川岸に叩きつけられる寸前に、風はひときわ強く下から吹き付けた。瞬間に四人の体は持ちあがり、それからそっと地面に降ろされた。



 「……………………」

 「……………………」


 クウちゃんのことを知らないシャロンが呆けているのは分かるとして、知っているはずのハルトもしばらくほけーっとしていた。

 それからふと上を見上げると、自分たちがいた道は遥か頭上。崖の中腹に、奇妙なものが見えた。目を凝らすとそれは、見るも無残にひしゃげて原型を留めていない馬車の残骸。

 

 クウちゃんが風で持ち上げてくれなければ、自分たちも同じ運命を辿っていたのだろう。

 


 「クウちゃん、ありがとう!スゴイね、みんなを助けてくれたんだね!!」

 「えへへー、クウちゃんえらい?」

 「うん、すっごくエライ!!」


 ハルトに頭を撫でられてご満悦なクウちゃん。

 ルガイアの懐からネコが顔をひょっこり出してそれを見て、面白くなさそうにまた引っ込んだ。



 とりあえずは助かった…ということで安堵したハルトだが、ここから先が問題である。

 ここは谷底。川沿いに進んでいけば峡谷を抜けることは出来るかもしれないが、徒歩だとどれだけ時間がかかることやら。

 ハルトたちはいいとして、シャロンがその荒行に耐えられるかは分からない。



 「シャロン、怪我はありませんか?」


 未だ呆けているシャロンの隣に屈みこんで、様子を窺う。

 見たところ怪我をしている感じではないが、それよりも精神的なショックの方が大きいようだ。ハルトに話しかけられても、心ここにあらずといった様子で虚空を見つめている。


 「……シャロン?大丈夫ですか?」

 「……え、あ………だ…大丈……夫………?」


 肩を軽く揺さぶられて、ようやく我に返る。ハルトの顔を見て、クウちゃんとルガイアを見て、周りをキョロキョロと見回して。


 それから、サッと顔から血の気が失せた。



 「……シャロン?」

 「ウォレスは…?」


 震える声で尋ねられて、ハルトも御者の存在を思い出した。そう言えば、彼にまで気を配る余裕はなかった。


 「ねぇ、ウォレスは何処?何処にいるの?無事なの?ねぇ!」

 「シャロン、落ち着いて」


 自分に縋り付くシャロンをなんとか宥めようとするハルトだが、たった一人の頼れる従者の姿がないことにシャロンの不安と恐怖はますます高まるようで、興奮状態が収まらない。


 しかし、それじゃウォレスを探そう、とは言い出せないハルトだった。

 御者を務めていた彼は、馬車の外側の御者台に座っていた。馬車が崖に落ちた時点で振り落とされているだろう。

 運よく落下前に脱出出来ていればいいが、最後まで馬を制御しようと一生懸命だった様子を考えると、それを期待することは出来ない。


 ひしゃげた馬車を見て、彼がどうなってしまったのかを想像し、それをシャロンにはとてもではないが話す気にはなれない。


 

 どうすればいいか、とルガイアに視線を向けたら、彼は全くウォレスの安否には無関心のようだったが、それでもこのままでは埒が明かないと助け船を出してくれた。


 「このままここにいることは出来ません。ハルト様、まずは先へ進みましょう」

 「そ、そう…だね。…あ、でも……師匠たちは……」


 目の前でハルトたちの乗った馬車が崖下に落下したのだ。当然、心配していることだろう(そうじゃないなんて思いたくない)。もしかしたら、下まで降りて探しに来るかもしれない。


 「はぐれてしまったのは厄介ですが、どのみちここにいても仕方がありません。あの場所からここまではそう簡単に降りられないでしょうし、先へ進んで上へ登る道を探す方がよろしいかと」

 「そ…そっか。それじゃあ、行こうか」


 

 ハルトたちのいる谷底は、かなり切り立っていて登れそうにない。同様に、上から下るのも無理そうだ。となると、ルガイアの言うとおりにした方が良さそう。



 「ねぇ、ハルト。どうしよう……ウォレスを探さなくちゃ」

 「落ち着いてください、シャロン。今はとにかく、先に進むことを考えましょう」

 「でも、ウォレスが……」

 「無事なら合流出来ますよ。分岐もほとんどないみたいですし、目的地は変わってないんですから」


 そう、無事ならば。

 ハルトたちはまだ聞かされていないが、シャロンがアンテスルで何処に行くつもりだったのかウォレスは当然知っているはず。

 ()()()()()、そしてこの場での合流が難しければ、彼もまたそこへ向かうはず。


 それはおそらく期待出来ないことだったが、ハルトはそう言うしかなかった。


 「ずっとここにいても危険なだけです。襲ってきた連中が他にも残ってるかもしれないし、魔獣だって出るだろうし」

 「………分かったわ…」


 渋々、というよりもまだ茫然としたままで、シャロンはようやくフラフラと立ち上がった。思わず手を差し伸べると、こんな状況にも関わらず軽く微笑んで会釈するあたり、染みついた貴族の振舞いというものだろうか。



 「それにしても、どうして急にこんな……」

 「おそらく、刺客たちが何らかの小細工を残していたのでしょう。馬は繊細な生き物なので、僅かな刺激にも興奮状態に陥ってしまいますから」


 それまで大人しく従っていた馬たちが急に制御不可能になってしまったのも偶然ではないと、ルガイアは考えているらしかった。


 「それじゃ、師匠たちも……」

 「安全と言い切ることは出来ませんが、目の前で我々が落ちたのを目撃した以上は警戒を強めるでしょうし、今あの者たちのことを心配する必要はないかと」


 正しく言えば「心配する必要はない」のではなく「心配しても意味がない」なのだが、その二つはルガイアにとってほとんど同義である。


 

 ハルトがシャロンを支えながら歩き始め、クウちゃんはハルトの横にぴったりくっつき、ルガイアはその一歩後ろについた。


 「そう言えばクウちゃん、ベルンシュタインはどうしてる?」

 「くっついてきてる」


 小声でクウちゃんに確認すると、黄金の精霊ベルンシュタインは彼らの後についてきているそうだ。

 

 「そっか、良かった」


 とりあえずは一安心。ベルンシュタインがいないと、黄昏の魔女の居場所も分からなくなってしまう。

 同じ精霊であるクウちゃんについてきているのかハルトについてきているのかは分からないが、崖から落ちてもついてきているからにはそう簡単にはぐれることはなさそうだ。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 三人と一匹(と一体)の足取りは、遅々としてなかなか進まなかった。

 足場が悪いということもあるが、シャロンのペースに合わせているので仕方ない。



 「…ハルト様、もう少しペースを上げることは出来ないでしょうか。この分ですと、谷底にいる間に日が暮れてしまいます」


 ハルト以外への思いやりの欠片もないルガイアがそう提言した。無表情の中にどこか苛ついたような気配を感じ取って、シャロンが居心地悪そうに身を縮めた。


 「それはそうだけど、これ以上は無理だよ。シャロンも頑張って歩いてるんだし」

 「ハルト、私なら大丈夫。もう少し急ぎましょう?」


 気を使ってシャロンはそう言うのだが、既に数時間歩き続けて疲労困憊なのが傍から見ても明らかである。これからあとどれだけ歩けばいいのか分からない状況で、あまり無理をさせるわけにはいかない。


 「駄目ですよ、シャロン。無理したら怪我しちゃいます」

 「でも、急がないと五日なんてあっという間に過ぎてしまうわ」


 シャロンが気にしているのは、刺客やこの状況、ウォレスの安否だけではなかった。

 彼女がハルトたちを雇ったのは、五日という期間。馬車で行ければ問題ない日程だが、徒歩が続けば続くほど猶予はなくなる。

 

 下手をするとアンテスルに到着する前に…最悪はこの峡谷の中で…契約期間が満了してしまう恐れもあった。



 遊撃士の仕事において、期間の区切りというのは一筋縄ではいかない問題である。

 余裕のある日程なのに遊撃士の失敗や不手際でそれがクリア出来ない場合、責任は遊撃士側にあるので無償で期間を延長することがほとんどだ。

 逆に、依頼主に問題があった場合は再交渉が行われる。その場で契約終了か、追加料金で継続か。

 今回のケースで言えば、五日という期間は長くもなく短くもなく。護衛という名目で雇われた以上、襲撃者の細工を見抜けなかったハルトたちにも責任はある。

 しかし、自分が狙われているという事実と街道ではなくカナン峡谷を抜ける予定だという重大事項について、事前に分かっていたにも関わらず依頼内容に記載していなかったシャロンにも瑕疵がある。その二点に関しては、依頼の難易度にも報酬にも直接影響してくる事柄なので、無視は出来ない…峡谷を抜ける点に関しては、それを承知で依頼を受けてしまったのはハルトなのだが。

  

 以上の点から、もし約束の五日を過ぎてしまったとしたら彼女の護衛はどうなるのか、というのが問題なのだが、ハルトにその判断は出来ない。マグノリアと違って、そういう経験がないためだ。

 当然、彼は期間に関係なく目的地に着くまでシャロンの護衛を務めるつもりでいるのだが、当のシャロンはそうは思っていない。


 五日が経過したら、見棄てられても仕方ないと思っている。

 


 「うーん…そうは言っても…………あ、そうだ!」


 少し考えて、妙案が浮かんだとばかりにポンと手を打ち鳴らすハルト。

 

 「ちょっと、失礼しますね」

 「え、あ……ちょっと!」


 キョトンとしたシャロンを、いきなり抱き上げた。

 突然お姫様抱っこをされてしまったシャロンは当然ながら驚くのだが、ハルトは意に介さない。


 「な、何してるのよ!重いでしょ、下ろしなさい!」

 「大丈夫ですよ。シャロンさんとても軽いから、全然平気です」



 世の女性の八割方が憧れるというお姫様抱っこだが、言う程易しいものではない…抱っこする王子様側からしたら。背負うのと違って、両腕の力だけでお姫様側の全体重を支えなければならないのだ。

 写真撮影の一瞬だけ…とかいうのでなければ、あまりやらない方が賢明である。


 細身のハルトでは、すぐに限界が来るとシャロンは思った。

 しかし意外なことに、ハルトはその言葉どおり平然としている。確かにシャロンは小柄な方ではあるが、それでも羽根の様に軽いとかそんなレベルではないことは彼女自身にも分かっている。



 「それじゃ、急ぎましょうか」


 ルガイアとクウちゃんに目配せすると、なんとハルトはシャロンを抱いたまま走り出した。

 しかも、小走りとは言えない勢いで。



 「えええええ?ちょ、ちょっとハルト!!」

 「揺れますから舌噛まないようにしてくださいねー」


 慌てるシャロンに走りながら注意喚起する口調も、のんびり歩いているときと変わらない。

 まるで平地の短距離走のようなスピードで、シャロンを抱きかかえたハルトとクウちゃん、ネコを肩に乗せたルガイアと空中を浮遊しているベルンシュタインは、谷底を疾走していった。




お姫様抱っこほど、見た目の優雅さと実際の労力が釣り合ってないものはないですよね。やったこともやられたこともないけど。

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― 新着の感想 ―
[一言] >世の女性の八割方が憧れるというお姫様抱っこだが……  ……ハルトが自覚しているかどうかは分りませんが、やはり父親譲りの筋力および持久力を持っているという事でしょうか。  前回の感想返し…
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