第八十話 倒した敵の身ぐるみを剥いでいいというのはファンタジー特有の法律である。
「あのさ、一ついいか」
戦闘が終わり、一息つくその前に。
マグノリアは、ルガイアをじとーっと睨み付ける。
「あんたの仕事は分かってるつもりだ。けど、護衛対象が頑張ってんのに自分は高みの見物だなんて、随分とお偉いこったな」
先の鎧蛙のときもそうだが、ルガイアは全く何もしていない。しようとすらしていない。
彼は教皇からハルトの護衛を命じられているのだから、一緒に戦うだとか援護するだとかないのか。
しかし、至極当たり前のマグノリアの抗議も、ルガイアには全く響いていなかった。
彼は無表情のままシレっと、
「私はハルト様の御身に危険が及ぶ場合にそれを排除することを命じられている。あれしきの脆弱な雑魚共相手に、その必要などなかろう」
それって、あの連中にはハルトに傷一つ付けられない、と言っているのか。
いやいや流石にそれはハルトを買い被りすぎだろう。彼の余裕っぷりの根拠はいったい何処にあるのか不思議である。
「あのなぁ…!」
「…ねぇ、終わったの……?」
なおも食い下がろうとしたマグノリアは、馬車から恐る恐る顔を覗かせたシャロンに遮られてしまった。
顔色が悪い。馬車の中で執事に守られて縮こまっていたとしても、外の喧騒は嫌でも届く。魔導の爆裂音だとか刺客の苦悶の叫びだとか、箱入りお嬢様に聞かせるには刺激が強すぎた。
世渡り上手なマグノリアではあるが、デリケートな箱入り娘の繊細な心情をフォローするほどには全てに通じているわけではない。
依頼主の精神的な面まで世話を焼くのは仕事のうちには入らないのだが、突然の襲撃に怯えている少女を慰めるくらいはしておいた方がいい。ただ、実のところ「怯える少女を慰める」というのはほとんど経験がなくて、どうすればいいのか分からない。
そこに、ハルトが進み出た。シャロンの方へ駆け寄り、彼女の肩に手を置いて優しく馬車へ戻す。
「はい、もう終わったので大丈夫ですよ、シャロン。けど、出発は少し落ち着いてからの方がいいですね。あ、水飲みますか?」
「あ……ありがとう。貴方たち、強いのね。驚いたわ」
とかなんとか、そんな遣り取りが馬車の中から聞こえる。
おいちょっと待てお前いつの間にそんな気配り上手さんになったんだこの野郎。
マグノリアはそう言いたい気持ちを抑えて、しかしシャロンを落ち着かせることには賛成なので、その間に刺客たちを調べることにした。
これが魔獣だったら魔晶石で臨時報酬!なのだが、流石に人間を切り刻むわけにもいくまい。
とりあえず刺客たちの覆面を引っぺがし、ご尊顔をよーく拝謁し奉る。
が、取り立てて何がどうというわけでもなかった…イケメンだとかブサメンだとかいう問題ではなく。
「どう、見た顔はある?」
アデリーンも一緒になって刺客たち(故人)の顔を覗き込む。が、彼女の表情からしても収穫はなさそうだった。
「いや、少なくとも手配書にある顔はないな。てことは、後ろ盾のある連中か」
「デビューしたてのルーキー暗殺者かもよ」
「ルーキーの動きじゃなかっただろ」
というか暗殺者でデビューってなんなんだ。
さらに、覆面の次は身ぐるみ剥いでみる。勿論、いやらしい目的ではない。
入念に調べてみたが、身元を断定できるようなものはおろか、その手がかりになりそうなものすら持っていなかった。
「持ち物は、武器に暗器に毒薬に……魔導具は貰っとくか」
ハイポーションを幾つかと魔導石を数種類、男たちの懐から見付けたマグノリアは躊躇うことなくそれを没収。
やってることは山賊と変わりないが、相手は死人。しかも身元不明の暗殺者。人道的になんだかんだと難癖つける聖人気取りもここにはいない。
調査と収集(強奪?)でシャロンが落ち着くための時間を稼ぎ、もうそろそろいいだろうと出発することにしたのは一時間後だ。
全員馬車に乗り込み、御者は再び静かに馬に鞭を入れる。
「大丈夫ですか、シャロン?」
動き出した馬車の中で、だいぶ顔色も良くなった…とは言えまだ完全というわけではなさそうなシャロンを、ハルトは気に掛けた。
「え、ええ……大丈夫。ちょっと驚いたけど、もう落ち着いたわ」
強がりだということが見え見えな台詞だが、刺客に命を狙われて強がることが出来るあたり、貴族のお嬢様というのはなかなか豪気なものである。
「……凄いですね、シャロンは」
「え?え?なに、いきなりどうしたの?」
しみじみと呟いたハルトに、驚くシャロン。この流れでまさか褒められるとは思いもすまい。
「凄いって……私は何もしてないわよ?それより、貴方たちこそあっと言う間にあの者たちをやっつけてしまうし、凄いと思うけど……」
「それは、そういう仕事ですから」
まだ遊撃士になって何か月も経っていないのにまるでベテランのような口振りのハルトだが、ここにそれを咎める本当のベテランはいない。
「そうじゃなくて、怖いのにそれを我慢しようとするのが、凄いなって」
「………え?」
「何も怖くない人より、怖い気持ちを乗り越えられる人の方が凄いと、ボクは思います」
ハルトはずっと長いこと、怖いことなど何一つない生活を送っていた。
しかしそれは、周りの臣下たちが彼を脅かすもの全てを事前に排除していたから。だからハルトは、メルセデスと出逢ったあの日まで、自分の中に恐怖の感情があるということすら知らなかった。
あの日ハルトは、恐怖にただ身を固くして縮こまるしかなかった。メルセデスが助けてくれなければ、間違いなく魔獣に喰われていただろう。
そしてその次に地上界に来たときは、それよりは多少マシだったとは言え、実に無様だったと自分でも思っている。
立ち向かわなければ絶対に死ぬ、という確信があったからこそ、無我夢中で魔獣を倒すことが出来た。しかしもしもう一度あの瞬間に戻ったとして、他に頼れそうな相手が近くにいたり、逃げられそうな状況だったりしたら、自分は情けなくもそれに甘えたに違いない…とも思う。
ハルトは、自分自身には何もないと知っている。何も持たない、からっぽの王太子だと知っている。自分一人では、大したことも出来ない存在なのだ、と。
そして、自分を強く保たなければすぐに甘えたり逃げたりしてしまう弱さを持っている、と。
だからこそ、戦う術も持たないのに気丈に振舞おうとするシャロンに、自分にはない強さを見た。
彼にとっての強さとは、相手を屈服させる力ではない。どんな相手にも、難局にも、屈服させられることのない心のことを言う。
「そ……そんな、買い被りすぎよ。私だって、貴方たちがいなければきっと怖くて諦めてたと思うし…」
「けど、アンテスルに帰るんですよね?自分が狙われてるって知ってても」
「………え…」
ハルトに言い当てられ、口ごもるシャロン。
「狙われてるってことは聞いていませんでしたが、でも何もなければわざわざ上位を指定して遊撃士を雇ったり、安全な街道を外れて峡谷を選んだりするはずないですよね?」
「それは…………」
魔獣を警戒するのなら、遊撃士を護衛に雇うのは分かるにしても街道を外れるはずがない。それなのに一般的なルートを外れるということは、魔獣以外の襲撃を警戒していたからだ。
狙われているという自覚があったから、刺客から逃れるために敢えて危険なルートを選んで敵の目を逃れるつもりだったが、相手にはそれもお見通しだった、というわけだろう。
やけに冴えている今日のハルトだが、実は彼の考えではない。出発前にマグノリアがこそっと、彼に耳打ちしたのだ。
これこれこういうわけでシャロンは自分が狙われていることを知っているようだから、事情を聞き出せ、と。
流石は師匠、いちいち指示しなければハルトが自分の考えで動くことはないということも、同じことを聞くなら自分よりハルトの方が聞き出しやすいということも、考慮の上だ。
「本当は、話したくないなら話さなくてもいいって言ってあげたいです。けど、教えてもらわないとこれからシャロンのことを守れなくなるかもしれない。だから、教えてもらえませんか?」
この台詞、マグノリアやアデリーンあたりが言ったのでは「教えてくれなきゃ守ってやらないぞ」的な脅しにしか聞こえないのだが、マグノリアの予想どおり、ハルトの純情そうな顔で言われると、相手は彼が自分のことを心底案じていると感じてしまうのである。
無論、ハルトに駆け引きめいた狙いはない。心底、シャロンを案じている。
「………そう、ね。危ないことに巻き込んでしまったのだし、話さないのは礼儀に悖るというものね」
シャロンの躊躇いは、長くはなかった。もしかしたら、彼女の中に打ち明けてしまいたいという願望があったのかもしれない。
どこか安堵したような表情で、彼女は意を決したように顔を上げた。
「私は、確かにアンテスルに戻るのだけど、実家に帰るつもりはないの」
「え、それはどういうことですか?」
実家のある都市に帰るのに実家には帰るつもりがないというのは、どういうことなのか。尋ねるハルトに、シャロンは続きを説明しようとした……そのとき。
突然、馬車が激しく揺れた。それまでの揺れ方とは明らかに違う。
次いで、狂ったように嘶く馬の鳴き声と、必死に宥めようとする御者の声。
「きゃあ!」
「大丈夫ですか!?」
バランスを崩したシャロンをハルトは慌てて抱き止めた。咄嗟にクウちゃんとルガイアの方を見ると、クウちゃんはいつもの顔でキョロキョロとするだけだが、ルガイアの表情は硬い。
揺れが収まる気配は一向になく、速度は増すばかり。これではまるで……
「暴走…してる?」
ここは、峡谷の山道である。狭く曲がりくねった道のすぐ脇は、眼下に絶壁が続いている。
こんな調子で暴走を続ければ、いずれは……
ハルトの危惧がまるで切っ掛けのようなタイミングで、馬車が大きく傾いた。不吉な浮遊感。
このままでは落ちる、と瞬時に悟ったハルトは、シャロンを固く抱き寄せた。
「ボクはいいから、クウちゃんをお願いします!」
そう叫んだのは、ルガイアが自分を守ろうと手を伸ばしてきたからだ。
それを断り、シャロンを抱きしめたまま馬車の扉を蹴破り、ハルトは躊躇うことなく外へと飛び出した。
深く考えてのことではない。彼には、こういう事態のための知識はない。
ただ、このまま馬車の中にいたら崖を転がり落ちて一緒にぺちゃんこになってしまうだろうと考えただけのこと。
しかしその咄嗟の判断は正解だった。
ハルトに続いて、クウちゃんを抱いたルガイアが馬車を飛び出た後、馬車は転がりながら崖下に落下していった。
モタモタしていたら、回転する馬車の中で平衡感覚を失い、脱出すら叶わなかっただろう。
…とは言え、彼らもまた馬車を出ただけである。ここは、崖の途中である。当然、重力の法則には逆らえない。
片腕でシャロンが落ちないよう強く抱きかかえ、空いた手で手近な木の枝を掴もうとするハルト。しかし、その枝は二人分の体重を支えるには儚く、あっさりと折れてしまった。
このままでは、崖下に落下して全員お陀仏か……
ハルトは、覚悟なのか諦めなのかはっきりしない感覚を覚えた。
その瞬間、頭の中がやけにクリアに晴れた。清涼な風が、脳内を駆け抜けたような。
自分の、あるべき姿。やるべきこと。
自分を定義づける、在り方という楔。
今なら、手を伸ばせば容易く手に入るような気がした。
そう、それはとても簡単なこと。息をするのと同じくらい、彼にとっては自然なこと。
認めてしまえばいい。
委ねてしまえばいい。
受け容れて、そして……流されてしまえばいい。
そうすればきっと、自分は在るべき場所へと運んでもらえるはずだから。
無意識のうちに、手を虚空に伸ばしていた。もう、自分が落ちている最中だという事実さえ、どうでもいい。
もう少し。あと少しで、それに触れることが出来る………
その瞬間、シャロンがいっそうハルトに抱き付く腕に力を込めた。
その、弱々しくも力強い感触に、ハルトの意識がこちら側に引き戻される。
再び身体を襲う落下感。
我に返ってしまったのは良いことなのか悪いことなのか、判断する余裕さえなく………
猛烈な風が、ハルトとシャロンを包み込んだ。
マウレ兄弟は、武王たちと違ってハルトにちょっとスパルタです。本当に危険が及ばなければ助けてあげないよ、みたいな。
同じ忠誠でも、色々です。レオニールはレオニールで、またちょっと違った形。




