第七十七話 箱入りにだって色々あるのだ。
イトゥルを出てしばらくは、街道を進む。
国境近くの辺境とは段違いに整備された石畳の街道をガタゴトと馬車に揺られ、スタートはそれなりに幸先の良い感じではあった。
「……意外だな、アデル」
「あ、何がよ?」
後ろの使用人用の馬車…とは言えそこまで乗り心地が悪いわけではない…に乗ったマグノリアは、自分の向かいのアデリーンの選択が不思議だった。
彼女は、迷わず後ろの馬車を選んだ。
「いや、だって前の馬車の方がどう考えても乗り心地良いだろ。広いしクッションも良いし振動も少ないし寝心地もいいだろうし」
今まさに、アデリーンは寝ようとしていた。道中ずっと(緊急時を除いて)そうするつもりだということは明白で、だったら寝心地の良い馬車に乗りたがるのではなかろうかとマグノリアは思ったのだが。
「何言ってんのよ。ハードが良くてもソフトがダメなら意味ないでしょ」
「???」
「あんな我儘お嬢様と同席してのんびり寝てられないわよ」
「あー……そゆことね」
だったら今同席している我儘公子様はどうなのか、と思わなくもないマグノリアだが、通訳と引き離されてしまったセドリック公子はすっかり大人しくなっている。
どうせ何を言っても無駄だと諦めているのか、或いは少しくらいこちらに打ち解けてくれたのか。
「そんなことより、アンタこそあっちの馬車に乗ると思ってたんだけど」
アデリーンは、マグノリアがこっちに乗っているのが不思議だったようだ。
「いや、だって…ルガイアの奴が先に我が物顔で乗り込んでたし」
「一緒にいなけりゃハルトの身を守れないじゃない」
「死ね?死ねクソ?」
「悪いけど公子、何言ってんのかさっぱりなんで」
「死ねクソ…………」
何かを問いかけようとしたセドリックを冷たく黙らせてしまうアデリーン。一国の王太子の扱いにしてはぞんざいじゃなかろうか。
「んー、まぁ、ルガイアがいれば大丈夫だろ。クウちゃんもいるし」
「死ね?クソ死ね?」
「すいません公子、何言ってんのかさっぱりなんで」
「死ねクソ………」
マグノリアも大概だったりする。
◆◆◆◆◆◆◆◆
「ねぇ、貴方ハルトっていったわよね」
「え、あ、はい」
前方の馬車では、主に会話しているのはシャロンとハルトだった。
クウちゃんはただハルトに黙って引っ付いているだけで、ルガイアは押し黙ったまま一言も発しない。
奇妙な沈黙に耐えられなかったのは、馬車の持ち主であるシャロンの方だった。
「いったいどこの家?貴族なんでしょ?」
「え、ええ?」
いきなりズバリと切り込まれ、ハルトは慌てた。
貴族…というか魔界の王太子なわけだが、そんなこと言えるはずがない。
そう、彼は実家の宰相から、万が一正体がバレるようなことがあったら即刻連れ戻すと言われているのだ。
目の前にルガイアがいる以上、逃げ切ることなんて出来ないだろう。
だから、なんとしてでも自分の正体は隠さなければならない。
慌てたハルトの様子に、シャロンは何か勘づいたようだった。
「ふーん……貴方も訳アリ?けど、平民を装うんだったらもう少し徹底しなきゃダメよ」
「え、あ、そう……なんですか?」
何故か説教めいた指導が入った。
「そうよ。分かってないかもしれないけど、体に染みついた立ち居振る舞いってのはそうそう簡単に変えられないものよ。所作とか姿勢とか、歩き方一つ取ってもそうだし、あと身に纏う雰囲気とかもね」
「え……そうだったんですか…?」
「平民がいくら豪華な衣装を着て貴族のフリをしたって、すぐに看破される。それと同じで、貴族がいくら平服を着て粗末なものを食べたって、見る人が見たらすぐに分かるものなのよ」
なるほどそれでシャロンはハルトを貴族だと思ったわけか。
しかし厄介なのは……
「けど、貴方の顔は社交界で見たことないし……もしかして外国の人?」
「え、あ、その………」
「貴族のお坊ちゃまがどうして外国で遊撃士の真似なんてしてるのよ」
「え、あ、その………」
マグノリアがいれば、きっと上手い具合に話を逸らしてくれたのだろう。
しかしハルトにはそうするだけのスキルはない。かと言って、誤魔化すだけのスキルもない。
自分の事情は詳しく話したがらないくせに、ハルトの事情には興味津々のシャロン。もしかしたら、ハルトを追及することで自分のそれを有耶無耶にしてしまおうと考えているのかも。
しどろもどろになったハルトに助け舟を出したのは、ルガイアだった。
ただし、ハルトさえ驚く情報で。
「ハルト様は、聖都ロゼ・マリスのサクラーヴァ公爵家のご嫡男であらせられます」
「ええ!?」
「ええ!?」
ルガイアの爆弾発言に、揃って驚愕の声を上げるシャロンとハルト。
「……ってなに貴方まで驚いてるのよ。自分のことでしょ」
「え、えええ、あ、あの、そう、そうなんですけどその」
余計にしどろもどろになって、視線でルガイアに説明を求めるハルト。
自分は魔界の王太子だが、地上界で爵位貴族の嫡男だなんて聞いたことがない。
単純に知らされていなかったのか、或いはルガイアのでっち上げなのか……
「……ちょっと待って。公爵家?貴方、公爵家の跡取り!?」
遅ればせながらシャロンはその事実に冷や汗を流した。
フューバー家は伯爵。国が違うとは言え、公爵とはかなりの身分の差がある。そして何より気になるのは、「聖都ロゼ・マリスの」という言葉。
ルーディア聖教の総本山である聖都ロゼ・マリスは、教皇を国主とする宗教国家でもある。しかし宗教色が強いため、そして人口も少ないため、貴族の家門も同じく少ない。
公爵家なんて、それこそ数えるくらいしか………
「…………サクラーヴァ?貴方、今、サクラーヴァ公爵家って……言った?」
「え、えとあの、ええと」
言ったのはルガイアであってハルトではない。ので、自分に聞かれても困ってしまうハルトである。
サクラーヴァ公爵家だなんて、生まれて初めて聞く家門だ。
ハルトが困っているので、ルガイアは再び助け船。全然助けになっていないけど。
「ハルト様のお父君は、剣帝リュート=サクラーヴァ公爵閣下です」
「………………えぇえ!?」
さらに目を丸くするシャロン。ハルトは、父の別名はこんなところまで知れ渡ってるんだ…と感心した。
「あ……貴方、あの剣帝閣下の息子…………?」
「え…ええと、そう…みたいです」
自分のことなのにはっきりしないハルトだが、シャロンはそんなことを気にしている場合ではないようだ。
見る間に表情が強張っていく。
「そ……そんな、私、公子に対してなんて失礼を……」
「あ、あの!そんなの、気にしないでください。父は父、ボクはボクですから」
貴族というのは身分に守られている一方でそれに強く縛られてもいる。自分よりも家格が上の相手に対し…しかもそれが聖戦の英雄の息子…随分と失礼な態度を取ってしまったことに、シャロンは顔を真っ青にしていた。
ハルトは慌てて、彼女が畏まる必要なんてないのだと力説する。
「だ…だけど……」
「そもそも、ボクは父みたいに凄くないし、強くないし、立派でもないし、ただ父の息子だってだけで特別扱いしてもらうのっておかしくないですか?ボクはボクの力で成し遂げたことで認めてもらいたいし、認めてもらうまでは只のハルトでいたいと思ってるんです」
それは、シャロンだけに向けた言葉ではなかった。
ハルトの向かいに座りじっと見つめるルガイアも、その膝の上のネコもそれに気付いていたが、何も言わなかった。
…何も、言えなかった…のかもしれない。
ハルト殿下だってねー、色々と思うところはあるんですよ。多分。




