第七十五話 初めての社交場って緊張しちゃうよね。
クウちゃんが指差した方向…北部で最大の主要都市は、アンテスル…という。サイーア公国と、さらに中央大陸の最北に広がるグラン=ヴェル帝国と接している国境の都市で、特に動向のはっきりしない帝国を警戒しているのか軍備の増強に余念のない地帯だ。
「…やっぱり、アンテスルを目指す?」
「イトゥルから見て北だっていう以上の手がかりがないから、魔女がアンテスルにいるって保証はないけどな。とりあえずアンテスルまで行ける通行許可があれば、道中は問題ないだろ」
遊撃士組合イトゥル支部に初めて足を踏み入れたマグノリアとアデリーン。ちょっかいをかけられやすい風貌のハルトとクウちゃん、ハルト以外に関心のないルガイアとネコ、死ねクソしか言えないセドリック公子は外で待機である。
支部に入った瞬間に突き刺さる視線は、遊撃士ならお馴染みのものである。
特に二人はティザーレでの活動実績がない。完全な余所者なので、イトゥル支部に出入りしている地元の遊撃士が見ない顔の二人に好奇と警戒の視線を浴びせるのも自然なことだ。
マグノリアは慣れたものなので、アデリーンは他人の視線なんか気にしないので、平気な顔で掲示板に向かう。
遊撃士という職業はその性質上、男女比に著しい偏りが見られる。およそ八割以上が男。女性は嫌でも目に付いてしまう。
どんな業界でも同じなのだが、そういう状況で男性が女性に対して抱く感情はおおよそ二つに分けられる。
度を越した好意か、度を越した嫌悪か。
そして遊撃士などという命知らずな荒仕事に就いている男たちは、その両方を見事に混ぜ合わせた感情を抱くことが多い。
こんな危険な仕事に就いてるなんて女のくせにやるじゃねーか、という偏狭な感心と、
女のくせにこんなところにいるんじゃねーよ、という短絡的な反感と。
しかし彼らを一概に責めることは出来ない。
余程の手練れでない限り、男と女ではその戦闘力に大きな差が出る。魔導においてはその差は見られないが、しかし戦闘において動ける魔導士とロクに動けない魔導士では、同じ評価を受けることはない。
言うなれば、女性にとって遊撃士業界はアウェーのようなものなのだ。
特にマグノリアのような力勝負の剣士となると、男たちが上記のような感情で見るのは無理もない。
そしてこれまたお約束なのだが、だいたいどこの支部にも、自分たちという掃き溜めの中に飛び込んできた鶴を放っておけない輩が存在する。
「おう、嬢ちゃんたち。来る場所を間違えてねーか?ここは舞踏場じゃないんだぜ?」
下卑たニヤニヤ笑いで二人に声をかけてきた壮年の男は、それでも今のところは嫌悪より好奇が勝っているように見えた。
ちょっと揶揄って泣かせてやろう…程度の。
確かに、マグノリアとアデリーンは彼らから見るとお嬢ちゃんである。
二十二のマグノリアと、十七のアデリーン。きっと彼らの目には、駆け出しの新人同様に映ったことだろう。
しかし、マグノリアは年齢こそお嬢ちゃんだが、キャリアはここにいる誰にも負けていない。
男の嫌味に、彼女はニヤリと笑って返した。
「へぇ、そうだったのか?こんなに色男が揃ってるんだから、てっきりそうだと思っちまったじゃないか」
余裕があり、しかも男の面子も崩さないマグノリアの返しに、周囲の男たちの空気がやや和らいだ。このお嬢ちゃん、話せるねぇ。とでも思っているに違いない。
「へぇ、お嬢ちゃん分かってるじゃないか。見ない顔だが、どこから来た?」
「レプトルスからさ。もともと根無し草だけどな。ここは初めてだから、どんな依頼があるのかなって思ってさ」
しかしマグノリアの目的は初対面のおじ様がたと交流を深めることではないので、そう言ったきり掲示板に目を向ける。
今の遣り取りでマグノリアに一定の評価を下したおじ様連中は、彼女の邪魔をしようとはしなかった。
「どう、いいのある?」
「そうだな………流石にアンテスルまで行けるような依頼はなさそうだ」
そうそう都合よく物事が運ぶことはないということか。もっと手前まで行く依頼ならば多少はあるので、妥協してそれにすべきか他の手を考えるべきか、二人は悩む。
「お嬢ちゃんら、アンテスルまで行きたいのか?」
二人の会話を盗み聞いていたのか、最初に声をかけてきた男が尋ねてきた。
特に他意はなさそうなので、珍しい女子二人組の会話が気になっていただけなのだろう。
「ん、いや、出来るだけ北に行きたくてさ。けど今、やけに移動が厳しいだろ?何か良い手はないかと思って」
マグノリアは素直に打ち明ける(勿論本当の目的は隠すが)。
遊撃士連中は、こぞって国家権力には阿らない。遊撃士になるだけの実力があって忠誠心も高いなら、軍人を選んだ方がよっぽど見入りがよく安定しているからだ。
敢えて遊撃士なんか選ぶということは、権力に縛られたくないか脛に傷を持っているか。彼らにこの程度のことを打ち明けても危険はないだろう。
「だったら、カウンターで聞いてみるといい。少し前に、護衛だか何だかでそっち方面に行きたいお貴族様の依頼が入ったみたいだぜ」
「え……それ、本当か?」
思わず聞き返すマグノリア。それが本当なら願ったり叶ったりだが、だったら何故掲示されていないのか。貴族からの依頼なら、けっこうな高報酬で志願者も多いだろうに。
マグノリアの内心が表情に出ていたのか、男は付け足してくれた。
「なんでも、依頼主の要求水準がやけに厳しいらしいぜ。そのくせ、報酬も大したことないみたいで、しばらくそこに貼られてたんだがこないだ受付のにーちゃんが剥がしちまった。今ならまだ、取り下げられてないんじゃないかな」
「良いことを聞いたよ、ありがとな!」
やはり、同業者との情報交換は大切である。特に慣れていない土地の場合、地元民を敵に回して良いことは何一つない。
マグノリアの処世術はほとんどリエルタ支部長のレナートに叩きこまれたものだが、それを律儀に守り続けていて良かった…と彼女はここにいない恩師に感謝した。
「あの、すみません。北へ行く護衛依頼のことをさっき聞いたんですけど」
「え……あ、少しお待ちくださいね」
突然現れた見慣れぬ遊撃士に、受付の青年は少し驚いたようだった。が、すぐに彼女の言う依頼に思い当たったのか、カウンターの奥へ引っ込む。
そして、一枚の紙きれを手にして戻ってきた。
「この依頼ですか?アンテスルまでの、護衛依頼ですけど……」
「そうです。詳細を教えてください」
幸運だった。いつまでも引き受け手が現れない依頼は、ギルドから依頼主へ返却されてしまうことがある。或いは、しびれを切らした依頼主によって取り下げられてしまうことも。
もう少し遅かったら、そのどちらかになっていたかもしれない。
「ええと……依頼主は、フューバー伯爵令嬢、シャロン=フューバー。アンテスルの自宅までの護衛で、報酬は五万イェルク。期間は五日間。ただし、上位遊撃士に限る……とのことです」
「…………へぇ」
依頼内容を聞いたとき、マグノリアは「へぇ」しか言えなかった。
イトゥルからアンテスルまでは、直通馬車でも五日はかかる。道中は魔獣の闊歩する地帯もあり、隊商のような大所帯でもなければなかなかに危険な道程である。
上位遊撃士に限る、というのはそこのところを考えてのものだろうが、上位を五日間も拘束して魔獣との戦闘も行わせて五万イェルクというのは、ちょっと遊撃士を舐めていないだろうか。
それが貧しい平民とか言うのならば話は別だが、伯爵令嬢で五万て。
ティザーレは決して裕福な国家ではないが、身分差が激しい。平民が貧しい分、上流階級は潤っているはず。
いや、身分差が激しいからこそ、遊撃士ふぜいにはその程度で充分…とでも考えているのかもしれない。
志願者が出ないのも当然だ。
遊撃士は確かに権力には阿らないが、そしてお世辞にも高潔な連中とは言えないが、それでも自分たちの仕事と腕には誇りを持っている。こんな、安く買い叩かれるような仕打ちを受けるのはまっぴらだ。
マグノリアも、北へ行くという目的がなければこんな依頼、即断で却下である。
「その依頼、受けてもいいですか?」
しかし、今回は金が目的ではない。彼女が求めているのは、ただの交通手段だ。その点、護衛であれば素材収集だの魔獣討伐だのと違って時間のロスなく目的地に向かうことが出来る。到着後は、すぐにお役御免で自由の身だ。
まるで彼女らの足元を見ているとしか思えないような内容の依頼ではあるが、渡りに船とは正にこのこと。
「構いませんが……いいんですか?その、あまり条件が………」
「はい、お願いします」
条件が良くないのは百も承知。それでも、ハルトの勉強くらいにはなるだろう。
こうして一行は急遽、初めて訪れた地で予定外のお仕事をこなすことになったのである。




