第六十八話 獅子の子落としっていうけど谷から落としたら普通に死ぬ。
公王には悪いと思いつつ、マグノリアは教皇へ包み隠さず報告した。
現在彼女がいるのはサイーアの首都であるエプトマ市なので、直接教皇に面会することは出来ない。
そのため、王城の敷地内にある小さな教会で遠隔通信とやらを使わせてもらっていた。
この遠隔通信、マグノリアは初めて使用するものである。鏡に映るのが自分の姿ではなく離れた地にいる教皇だという事実が、なんだか臨場感があるようでないようで、落ち着かない。
「それはまた……君はどうも、トラブルに巻き込まれる体質のようだね」
「好きで巻き込まれているわけではないのですが……」
と言いつつ、確かに最近はトラブルに巻き込まれてばかりだなー…とマグノリアは思った。
遊撃士なんてやっている以上、平穏無事な生活は送れない。が、遊撃士なりの「平穏」というものもあって、少なくとも最近のマグノリアはそれから遠ざかっているような気がする。
「そうだったね、済まなかった。それに、君というよりは、ハルトが巻き込まれ体質なのかもしれないね。彼の父親がそうだったものだから」
「へぇ…剣帝が」
歴史の教科書や戯曲の中でしか剣帝のことを知らないマグノリアは、かの英雄殿も自分と同じような苦労をしたのかなー…と少しだけ親近感を持った。
「それにしても……ヒルダが、連れ去られてしまった……か」
何はともあれ、問題はそこである。
「公王陛下から、魔女の救出を依頼された。が、いくらなんでも国が相手となると、ハルトの身を守り切れるか自信がない。私はどうすべきですか?」
マグノリアにとって最優先の依頼は、教皇からの「ハルトをサポートしろ」である。公王の依頼がそれと相反するものである場合、引き受けることは出来ない。
当然、教皇もそう判断すると思っていたのだが……
教皇は、しばらく考え込んでいた。
「…………この段階では、教会としても動くわけにはいかない。トルディス修道会を通じて圧力をかけることくらいは出来るが……連中も、ヒルダが私の後見を受けていると知った上でこのような行動に出たということは、多少の揺さぶりでは動じないだろう」
基本的に、ルーディア聖教は国家間の対立には不干渉を貫いている…信仰が脅かされない限りは。
派閥が違うにせよ、サイーア公国もティザーレ王国も同じく聖教会に属する国家であるため、どちらかの肩を持つことは出来ない。
教皇の本心としては、娘同然のヒルデガルダを救いたいという気持ちが強いだろう。だがその立場上、判断や行動に私心を交えることを許されないのが、聖教会最高指導者としての戒めだった。
「公王のように、遊撃士を使うというのも手なんだけどね。ただ、国相手に動けるような上位連中となると、どうしても限られてしまうんだよねぇ…」
そのときの教皇の瞳の奥にチラッと見えた不穏な光に、マグノリアは嫌な予感。
「第一等級で私がすぐに連絡を取れるのは、三人……だけどそのうち一人がヒルダだから、実質は二人。しかし一人は大神官としてルシア・デ・アルシェに詰めているから呼び出すのは難しい。もう一人は気質的にこういうデリケートな案件には最も不適だから論外として」
「それ、もしかして白黒道化?」
気質的に不適と評された遊撃士に、マグノリアは心当たりがあった。
「そうそう、イシュマイール=ロペ。……ああ、そうか君は彼とも知己だったね」
「やめとこう絶対やめとこうあのキ〇ガイには一切関わりたくない」
ともあれその人物は限りなく世紀の狂人と紙一重なサイコパスとして有名なので、マグノリアは一も二もなく断固拒否。
「そういう意味では、まだあの凶剣の方がずっと使い勝手がいいんだけどね。彼女もまたどこで何をしているやら、だし。それに彼女は現在、遊撃士としての活動よりも何か優先していることがあるみたいでね」
「…………で、結局は?」
「七翼の騎士を動かすのが一番かな、と思う」
教皇の口から出たその単語に、マグノリアの表情が硬直した。
教皇はそれには気付かないフリをして続ける。
「あれは私の私設部隊だから、自由に動かせる。なんだったら、ヒルダ拉致の件で異端嫌疑をかけることも不可能ではないしね」
そう、国家間の争いに口を出すことはしない聖教会だが、そこに信仰に対する嫌疑があれば話は別だ。教皇の私設部隊であれば、教会騎士団を動かすほどには騒ぎにもならない。
「ただ、やはり事情に明るい者の案内は欲しい。となると、それは君に頼むしかないわけだが……」
言葉を止め、マグノリアの様子を窺う教皇。
異端審問で名高い教皇の私設部隊、七翼の騎士に協力しろと言われ、果たして彼女はどう出るのか。
「……………私…は…………」
「そんなに警戒しなくとも、ヨシュア…君の父親に関して、彼らに遺恨はない。まぁ誰を行かせるか、だけど………」
私情を挟むことへの忌避感と、自分の中で未だ折り合いを付けられていない感情との間で、マグノリアは揺れ動いていた。
とは言え、教皇が自分の部隊を動かすと決めた以上、彼女がそれを拒んだとしても無駄なことなのだが…
俯いていたマグノリアは、そのとき教皇が悪戯っぽい笑みを浮かべたのに気付かなかった。
「そうだねぇ………いっそのこと、ハルトに任せてしまおうか」
「……へ?」
気付かなかったのだが、思いもよらなかった教皇の発言に驚いて顔を上げて、そこで初めてその表情を見た。
「どうせ欠員補充も出来ていなかったし、ハルトは例の聖円環も持ってるし、うん、丁度いいんじゃないかな?」
「……え?」
一人でうんうんと頷いている教皇。
だが、それは本気で言っているのだろうか。
駆け出しぺーぺーの遊撃士、しかも何を仕出かすか分からない不発弾的な危険性を持ったハルトに、何を任せられると?
「これから先のことを考えると、彼にはもっと成長してもらわなくてはならないし……メルディオス殿は渋るだろうがあちらの甘やかし具合はどうも気になるしね」
「あの……それはどういう…?」
「ああ、すまない、こっちの話だ。まぁ何はともあれ、これも彼にとってのいい勉強になるんじゃないかな?」
気楽に言われてしまった。
マグノリアを遥かに超越する超現実主義且つ合理主義の教皇とは思えない、楽観的な…寧ろテキトー過ぎる考え。
「ちょ、ちょっと待ってください。いくらなんでも、ハルトにこんな厄介な案件は無理だ!それに相手はあの“黄昏の魔女”を捕らえるような連中です、私だってそんな奴らからハルトを守り切る自信はありません!」
「そんなことは分かっているよ」
「……………!」
教皇は肯定してくれたものの、それは強烈な一撃となってマグノリアの自尊心を砕く。
第二等級遊撃士として最前線で活躍し名を上げている彼女であっても、聖戦の英雄だとかそういうレベルになるとお呼びではないのだ、と言われているも同然。
「すまない、そういうつもりで言ったわけではないんだが」
屈辱に歯を食いしばったマグノリアに気付いて教皇はすぐにそんな言い訳をするが、その中途半端な気遣いが余計に悔しくてならない。
「……ただ、ハルトに動いてもらえればそれに付随して、彼の身を案じまくってる超強力な助っ人も動かせるから、ね」
「助っ人……ああ、レオニールのことか」
確かにレオニールに比べられてしまっては、自分は戦力外と言われても仕方ない。とは言え、彼はハルトに尾行を知られたくないようだから、それで戦力になれるのだろうか。
「うん、まぁそれもあるけど。あと、私の方からも護衛を送るよ。あの兄弟がいれば、うん、問題はなさそうだ」
「………兄弟?」
よくは分からないが、教皇は自分の手札からハルトのために人員を割くということか。
教皇からそれだけ信頼が厚い人物であれば、相当の実力者なのだろう。
「……分かった。それで、私は何をすればいい?」
「君は今までどおりで構わない。今までどおり、ハルトをサポートして面倒を見てたまに我儘に振り回されててくれればそれで」
「最後のは勘弁願いたいんだが…」
ハルトを補佐せよという教皇の依頼の中に、なぜだかいつの間にか余計なものがくっついている。
「まぁまぁ、そんなこと言って君も彼には甘いからね。まぁあの父子はどこか人タラシなところがあるから」
「……………それについては否定しない」
ハルトの父親である剣帝については何も知らないマグノリアだが、ハルトが父親似だと言うならなんとなく想像はついた。
「……それでは、マギー。私、教皇グリード=ハイデマンは、ハルト=サクラーヴァを七翼の騎士の臨時要員とし、ティザーレ王国の兵士と思しき者たちに拉致されたヒルデガルダ=ラムゼンの救出及び保護を命ずる。君は、彼と彼の協力者と共に適宜動いてくれたまえ」
それまでのひょうきんな雰囲気が瞬時にして厳格な指導者のそれに変わり、マグノリアは思わず居住まいを正した。
目の前の男は、普段穏やかな笑みと振舞いで他者を惹き付けるが、いざとなればその地位に相応しい威厳でもって屈服させることも出来る権力者なのだ。
「…………了解した」
色々と納得いかないことと気になることは多々あるが、それらは全て自分には言及が許されないことなのだろうと諦めるしかないマグノリアは、あれだけどなんで自分まで教皇の手下みたいになってるんだろう?とチラッと疑問に思ったりしたが、それも言ったところで無駄なことだろうなとやっぱり諦めがちに自分を無理矢理納得させたのであった。
グリードさんは過保護なんだかスパルタなんだか。これは勇者連中に対しても同じですけど。




