第六十六話 やっぱりさらなる厄介ごとが起こってるっぽい。
クウちゃんが指した先は、森のさらに奥だった。
「死ね、死ねクソ死ね死ね?」
「このまま行くと、ティザーレ王国との国境を越えちまうぞ?…だ、そうです」
ちょっとマズいんじゃないか、といった感じの表情でセドリック公子が言った(通訳:ハルト)。
流石にここを狩場にしているだけあって、そのあたりは詳しいようだ。
「国境か……それはちょっとマズいな」
それを聞いて、マグノリアは足を止める。
“黄昏の魔女”の件だけならばまだしも、国家間の問題が発生してしまえば、マグノリアたちには荷が重い。
「けど、クウ…ちゃんが言ってるのってこの先でしょ?」
アデリーンの視線の先。
まだまだ森は続いているが、もう少し行くと隣国との国境で、さらに進むと森は終わる。地図では平原が広がっているはずなので人目にもつくだろうし、警備兵もいるかもしれない。
このまま進むか、一度戻って出直すか。
マグノリアの逡巡は一瞬だった。
確かに公子の呪いを一刻も早く解いてもらいたいという公王の気持ちも分からなくもないが、彼女らとしてはそのために不法入国というリスクは犯したくない。
公王も為政者である以上、トラブルが起こったときに彼女らを切り捨てることだって考えられるし、公子が他国に不法侵入という事実が相手国側に知られるのは一番避けたい事態だ。
これが友好国とのことならまだしも、サイーア公国とティザーレ王国はあまり仲が良くない、と言うかほとんど国交がない。
歴史的な問題(過去に何度も領土紛争があった)と宗教的な問題(サイーアは聖央教会、ティザーレはトルディス修道会)のせいで、過去五十年以上国交が断絶されている。
もともと排他的なお国柄であることも併せ、他国との関係は決して良いものではない。
少なくとも、進むか否か彼女の一存で決められることではなかった。
ここは一旦王城に戻り、公王にこのことを報告した上で責任を押し付け…もとい、判断を仰ぐのが最善だ。
「一旦戻るぞ。魔女の家のことと言い、なんだか嫌な感じがしやがる」
「そうね、面倒臭いけどそれがいいわね」
アデリーンもトラブルの臭いを嗅ぎ取ったのか、二度手間を厭わず賛成した(普段だったら出直すのが面倒だからこのまま行こう、と主張するタイプだったりする)。
公子は元より帰りたがっていたので、一も二もなく「死ね、死ね死ね」とコクコク頷いた。なお、「それがいい、そうしよう」との意…らしい(ハルト訳)。
クウちゃんは何でもいいみたいだし、ハルトもマグノリアに反対する理由も必要もないので、一向は満場一致で来た道を戻ろうとした……ところで。
轟音が森の木々を揺らした。驚いた鳥たちが、慌てふためいて空へ避難するのが見えた。
「うわ、なんだ!?」
マグノリアたちのいるところまで、地響きが伝わって来た。
思わず音のした方角に目を向けると、遠くに煙が立ち昇っている。
「………今の、爆発…か?」
「魔導反応があったわ。誰かが爆裂系術式でも使ったんじゃ…」
アデリーンがマグノリアに説明している途中で、再び爆発音。
全員、顔を見合わせる。
「…………クウちゃんが言ってた方向……だよな、どう考えても」
「考えたくない」
「そういうわけにもいかないだろ」
嫌な予感に現実から目を逸らそうとするアデリーンを、マグノリアは窘めた。
そりゃあ、ここで何も気付かなかったことにして立ち去ることが出来ればそれが一番楽チンだということは分かっているが……
「行くよ、クウちゃん!」
「りょーかい」
「あ、阿呆が!何勝手に……ああもう!!」
独断専行でハルトが、それに続いてクウちゃんが走っていってしまう。
この二人から目を離すと色々とやらかしそうで怖いので、マグノリアは慌てて追った。
まだまだ未熟なハルトではあるが、身体能力を始め基本性能はやたらと優れている。森の中で足場が悪いということもあって、マグノリアの脚でも追い付くことが出来ない。
……クウちゃんはまぁ、もともと精霊なので見た目に反して足が速いとかそういうことは考えるだけ無駄だろう。
結局、マグノリアが二人に追いつけたのは、二人がそこで足を止めたから、だった。
遅れてアデリーンと公子、公子の護衛騎士が後ろから息を切らして到着する。
そしてハルトが足を止めたのは、目の前で異変が起こっていたからだった。
異変と言ってもまぁ、パッと見には何の変哲もない戦闘行為、である。
五人対七人で、男たちが戦っていた。
しかし奇妙なことに、敵味方に分かれている総勢十二名は、皆揃いの制服に鎧、兜を装備している。
「格好からすると、兵士……みたいだな」
「死ね死ね、死ねクソ」
「あの格好は、ティザーレ王国軍の装備のはずだ……だ、そうです」
茂みに隠れてそのぶつかり合いを覗く面々。公子は流石に一国の王位継承者だけあって、交流の無い国の正規兵の装備も知っていた。
「…てことは、あれはティザーレの兵士…?けど、同士討ちにしか見えないわよ」
「同士討ち……なんだろうな」
「って、何でよ?」
「アタシが知るかよ」
…と、マグノリアとアデリーンはコソコソやっていたのだが。
同士討ちと言っても、その気になっているのは五人組の方だけで、七人組の方はひたすら戸惑っているようだった。
「待て、いきなりどうしたんだ!?」とか、「やめろ、何のつもりだ!?」とか、必死に相手に呼びかけている。
五人組は仲間(のはず)の言葉を無視して…まるで聞こえていないみたいに…表情を変えずに襲い掛かり、おそらく先ほどの爆発音はその中の一人の魔導術式だったのだろう、詠唱を続ける顔も能面のようで、七人組はと言うと明らかに相手に殺す気が満々なので仕方なく応戦のために剣を抜いてはいるが、裏切りの割には淡々とした仲間にどう対処したらいいのか混乱していた。
「…………何かいますね」
ハルトがぽつりと呟いた。クウちゃんも同じ方向を見つめている。
「何かって、なんだ……………ん?」
「え、どこ?何?」
木立の向こう側に何かが佇んでいることにマグノリアも気付き、まだ分かっていないアデリーンにもそれを指し示す。
「あの岩の近く。透けてるから分かりにくいけど」
「んーー?……………あ」
それは、色調のせいで木漏れ日に紛れていた。
金色の光で作られた獣……のように見えた。
それは、無表情で錯乱しているかのような五人組の背後に、静かに佇んでいた。
「なぁ、あれって………」
「間違いないわ。ベルンシュタイン…お師匠の契約してる、金色の精霊よ」
アデリーンの口調は確かだった。
そして黄金の精霊の支配属性は、精神。と、いうことは……
「あれは“黄昏の魔女”の仕業で、暴れまくってる方の連中は精神を操られてる…ってことでいいのか?」
「普通に考えれば、そうなるわね」
一体全体、何があって“黄昏の魔女”がティザーレ王国の兵を操ってティザーレ王国の兵を襲わせるのかは分からないが、そう考えると魔女の家を破壊したのもティザーレ王国が絡んでいるのではないか…と考えてしまう。
それは則ち、魔女とティザーレ王国との間で何がしかのトラブル…衝突が起こっている、ということで。
「……なぁ、あれ見なかったことにして、帰ったらダメか?」
「ん……そうね、公子はまぁ、これが口癖だってことで諦めてもらうとか」
極めて面倒臭そうな事態が迫っていると確信し、マグノリアは提案した。アデリーンも、異論はなかった。
しかし、
「クソ、死ねクソゴミクソ死ね死ね死ね!?」
「おい、それはないだろう俺を見捨てるのか!?…だ、そうです」
品性の欠片もない口癖を設定されそうになり、焦る公子。
「…………まぁ、そうだよなー。他に呪いの解き方があれば別なんだけどなー……」
「どうする?」
「どうするって……とりあえず、精霊がいるってことは魔女も近くにいるってこと、だよな?話が出来ればいいんだけど…」
とか何とかやっているうちに、五人組の方の魔導士がぶっ放した雷撃系術式で、七人組のうち三人が吹き飛んだ。残りの四人も、無表情狂戦士と化した五人の手に掛かり、次々と倒れ伏していく。
七人全員を倒し終えた五人は、そのままパタリと倒れてしまった。
「……終わったみたい、だな」
マグノリアは、精霊を警戒しつつそろりそろりと兵士たちに近付く。
精霊は、マグノリアたちには気付いているものの気にはしていなさそうだった。
兵士たちが全員昏倒ないしは死亡していることを確認し、マグノリアとアデリーンは辺りを見回す。見回すついでに、
「お師匠?お師匠、いるんでしょ?出て来てください、話があるんです!!」
アデリーンは声を張り上げた。
しかし彼女の声は木立のざわめきに吸い込まれて消えた。返事はない。
「ヒルデガルダ=ラムゼン!サイーア公国の公子の件で、貴女にお願いしたいことがある、出て来てはもらえないか?」
マグノリアも同じように呼びかけるのだが、反応はなし。
「あの、師匠、アデルさん」
仕方ないからこの辺りを捜索してみよう、と思い立った二人に、ハルトが声を掛けた。
「クウちゃんが何か分かるみたいです」
「え?」
「なんでクウちゃんが?」
アデリーンは驚いているが、確かに同じ精霊であるクウちゃんならば、ベルンシュタインと意思疎通が可能…なのだろう。
「ね、クウちゃん。この子、何言ってるのか分かる?」
「おこってる」
クウちゃんはベルンシュタインを見つめたまま、短く答えた。
「おこって……怒ってる?どうして?」
「こいつらが、ご主人をつれてったって。むりやりはなされたから、おこってる」
クウちゃんの説明に、その通りだと言わんばかりにベルンシュタインは目を細めた。
通訳がいるおかげか、こちらを敵とみなしてはいなさそうなのが助かる。
「連れてった……無理矢理、離された…?」
「やっぱり一度、公国に戻った方が良さそうね」
「死ね、死ねクソ?」
「おい、それじゃ俺はどうなるんだ?…だ、そうです」
「心配しないでください公子。これを含めて、陛下にご相談いたします」
長居は危険だ。この兵士たちの仲間がもしこの場に来たりなんかしたら、間違いなくマグノリアたちが下手人だと思われてしまう。
渋る公子を半ば引き摺るようにして、マグノリアは撤退を決めた。の、だが……
「………………なぁ」
「何よ」
「何か………ついてきてないか?」
「ついてきてるわね」
彼女らの後ろから、黄金の精霊が、くっついてきている。
攻撃意志や敵意はないようだが、相手は最高位の精霊神。ものすごく気になる。
「なぁクウちゃん。あいつがなんでアタシらについてきてるのか、分かるか?」
「………わかんない」
クウちゃんにまた通訳をしてもらおうと思ったマグノリアだが、クウちゃんは首を振った。
ハルトの命令じゃないから聞いてくれないのか、それともベルンシュタインがそこまで話そうとしないのかは、よく分からない。
「クウちゃん、この子はどうしたいのかな?」
まさかそんなマグノリアの内心を察したはずもなかろうが、ハルトが追加で質問。
クウちゃんは、マグノリアが尋ねたときの素気無い表情から一変、ハルトと話すときには物凄く良い笑顔になる。
「あのね、ご主人とあえるまで、いっしょにいたいって」
「そっか。一人だと寂しいのかな?」
「クウちゃんも、ハルトいないと寂しい」
ハルトにしがみつくクウちゃんと、あははクウちゃんってばー…とかまんざらでもなさそうなハルトなのだが、この流れだとベルンシュタインはこのまま王城までくっついてくるつもり…ではないのか。
「…………もう、なんかめんどいから考えるのやめようかな……」
「じゃあ私は家に帰ってゴロゴロしたい……」
二人の遊撃士が口にする叶わぬ願望は、まるで呪詛のようだった。




