第六十三話 指名依頼
マグノリアは、考え方を変えることにした。
これは、丁度いい機会である。
公王からの依頼。指名を受けたのはアデリーンではあるが、その彼女が指定したパーティーメンバーの一員となる…すなわち、公王の目に留まる、という点。
公王直々の依頼ともなれば、簡単なものではないだろう。だが、第四等級のアデリーンが指名されたということは、危険度合もそれに見合ったものであり自分がついていればハルトにとっていい経験になるであろう、という点。
公王からの依頼を達成すれば、遊撃士としての箔も付く。評判も上がる。昇級審査にも加点されるし、名が売れればそれだけハルトがメルセデスに認めてもらえる可能性は高くなる、という点。
あと、単純に高額の報酬が期待できる、という点。
どうせ最終目的(メルセデスとパーティーを組む)しか決まっていないハルトなのだ。どのような道でそこに至ろうが、自由。
だったら、師匠としてはなかなか得難い経験を積ませてやるのも、アリなんじゃないだろうか。
……懸念材料は色々あるけれども。
ハルトの突拍子のなさだとか非常識さだとか奇天烈な能力だとかクウちゃんのこととか。
が、ハルトも少しずつ常識を知りつつあるし、余程実家には帰りたくないのかそれを持ち出されれば大人しくなるし、クウちゃんに関しては……まぁ、見た目はただの幼女なのでなんとか誤魔化せるだろう。
こう、風属性に極めて高い親和力を持つ天才少女とかなんとか、適当なことを言っておけばいいのだ。
幸い、こちらの背後には教皇がいる。多少のゴリ押しなら問題はない…はずだ。
あと、なんかあったらレオニールに押し付けてやれ、とも思う。
……というわけで、マグノリアはハルトとクウちゃん、ネコを連れ、急遽アデリーンとパーティーを組むことになった。
王様の依頼を受けるにしては、随分とイロモノな面子の気もするが、細かいことは良しとしよう。
よく誤解している人も多いのだが、サイーア公国の首都はタレイラではない。
規模的にそう思われがちだが、首都はタレイラより南西、エプトマという都市である。
いかにも大都会、といった感じのタレイラとは違い、エプトマは落ち着いた古都の風情を漂わせた風光明媚な都市だ。
歴史ある煉瓦造りの建物は同じ建築様式で、屋根や壁の色も統一されている。派手さはないが、しっとりとした街並み。行き交う人々も心なしか、落ち着いた雰囲気を持っているように見える。
公王の居城であるエプトマ城も、街並みに合った歴史を感じさせる建築物だった。
一国の元首の住まいにしては、こじんまりとした造り。絢爛豪華で広大な城と言うよりは、砦のようだ。
そして、サイーア公王がそのように権勢をひけらかさないのには、立派な…そして重要な理由がある。
サイーア公王ウィルハード=レンブルク三世は、教皇グリード=ハイデマンの弟である。
本来ならば嫡子であるグリードがサイーア公王の座に就くはずだったのだが、彼は俗世を捨て聖職者となってしまった。そして、あれよあれよという間に大司教、枢機卿、そして教皇まで登り詰めてしまった。
いくらなんでも、一国の王が教皇を兼任するのは色々と問題がある。
そのため、大司教となった時点でグリードはサイーア公国王位継承権を弟に譲り、代わりに本来弟が就くはずだったタレイラの領主の座に就き、今に至る…というわけだ。
公王にとっては、本家筋ではない自分が王位を継いだという気持ちがある。加えて、グリードは地上界を席巻するルーディア聖教の最高指導者。
要するに、教皇の顔を立てなくてはならない、ということ。
幸い、サイーア王家と教皇・聖教会とは非常に友好的な関係にあるので、サイーア公国が聖教会から異端審問の嫌疑をかけられる心配はない。
が、それは教皇の卓越したバランス感覚と、王家の抜け目ない立ち回りのおかげで成り立っている平和なのである。
さてエプトマ市に入った四人と一匹は、滞りなく公王との謁見を果たすことが出来た。
風情のある古城に案内され、謁見室へ。
ハルトとクウちゃんは置いといて、マグノリアとアデリーンにも王様と会うことに対する緊張がほとんど見られなかったのは、それより偉い教皇と会ったことがあるから、だろうか。
しかしそれがなくとも、公王はあまり他者に緊張を強いるようなタイプではなかった。
「おお、其方がアデリーン=バセット殿か、よく来てくれた。そしてそちらが、かのマグノリア=フォールズ殿だね?噂はかねがね聞いておるよ」
「勿体ないお言葉です」
「恐縮です、陛下」
アデリーンとマグノリアは頭を下げつつ、随分とカジュアルでフランクな王様だなー、と思っていた。
確かに王様らしく立派な身なりはしているのだが、優しげな風貌といい威圧感の皆無な雰囲気といい、グリード=ハイデマンから腹黒さを取り除いたような正真正銘の好々爺にしか見えない。
公王は、おそらくアデリーンからハルトのこと(ともしかしたらクウちゃんも)を聞いているのだろうが、メインはアデリーンとマグノリアの二人、残りはおまけ…とでも思っているのか、ハルトたちには言及がなかった。
「それで、早速なのだが依頼の説明をさせてくれ」
公王は、右手をさっと挙げた。それを合図に、衛兵が扉を…マグノリアたちが入って来た正面扉とは別の…を開ける。
そこから歩み出たのは、アデリーンより若干年上に見える、若者。
着ている服の立派さと、周りの衛兵の畏まる様子と、顔立ちと髪と目の色から、それは公王の血縁だとすぐに分かった。
「紹介しよう、我が息子セドリックだ」
やはり、公王の息子だったか。
…にしては、穏やかな父王とは真逆の仏頂面は、どうしたことか。
セドリック公子は、アデリーンたちを睨み付けた。歓迎しているようには見えない…と言うよりも寧ろ、敵意剥き出しである。
しかし相手は一国の王子。平民であるマグノリアたちに、それを不愉快だと思う…のは無理ないとしても表明することは出来ない。
そのあたりの処世術には長けているマグノリアなので、初対面の父親の客人に不躾な態度を見せる公子にも、きちんと礼は尽くす。
「お初にお目に掛かります。私はマグノリア=フォールズ。遊撃士をしております」
「死ねクソが」
……………………………んん?
……今、妙な言葉が聞こえたような気がした。
一時的に、自分の耳がおかしくなってしまったのだろうか。
「ええと……あの、殿下?」
「死ね、死ねクソが」
……………………………。
やっぱり、聞き間違いではなかった。
横を見ると、アデリーンもポカーンとしている。
いくら一国の王子でも、いきなり赤の他人に対して「死ねクソ」はないだろう。
第一、自分たちがここまで敵視される理由が分からない。
「死ね、死ねよこのクソが死ね死ね」
「あ………あのー……陛下?」
過激すぎる反抗期なのか過激すぎる人見知りなのかは知らないが、死ねとクソしか言ってくれない王子とは会話なんて出来ない。思わず、助けを求めるように公王の方を見るマグノリアだったが。
…公王の表情には、息子の非礼に対する驚きはなかった。
そこには、疲れ果てたような諦めが。
「其方らに依頼したいというのは、まさにこのことなのだ」
って王様、すごく真剣なところ悪いけど他人様の口の悪さを直すのは遊撃士の仕事ではない…はすだ。
しかし、どうやら公王が悩んでいるのはそういうことではないようで。
「我が息子セドリックは、恐ろしい魔女に呪いをかけられてしまったのだ。その日以来、何を語ろうと彼の口からは「死ねクソ」という品性の欠片もない言葉しか出てこない」
「……………呪い?恐ろしい魔女?」
もう一度マグノリアがセドリック公子をチラッと見たら、やっぱり仏頂面で「死ねやクソ」だそうだ。これ、本心から言ってるんじゃないだろうか?
「あの…「死ねクソ」しか言えなくなる呪い……ってことですか?」
アデリーンは愕然としているんだか呆れ果てているんだかイマイチ判別出来ない表情をしている。
そりゃそうだ。魔女の呪いと言えば野獣の姿になったりカエルになったり百年眠り続けたりとかそういうものだろう。
何だってまた、「死ねクソ」しか喋れないというしょーもない呪いをかけるのか。
と言うか、何があってそんなしょーもない呪いをかけられてしまったのか、この公子は。
「ああ、そうなのだ。なんと恐ろしいことだ……ああ、どうか息子を救ってほしい」
「……………………」
アデリーンが一瞬、「じゃそゆことで」と言い捨ててその場を立ち去ろうと思いかけたのを、マグノリアは察した。何故察したかと言うと、彼女も同感だったからだ。
憔悴している公王には悪いが、何と言うか………非常に下らない。
「死ねクソ」しか言えなくなった王子サマを救う?
それ、達成したとしても全然自慢できる気がしない二人である。
……が、平民である二人は事態の大きさが今一つ理解出来ていなかった。
いや、平民でも「死ねクソ」しか言えなくなったら本人としては大事だけど傍から見てるとただ笑えるだけだったりするのだが、一国の王族ともなればそれでは済まされない、ということ。
「セドリックは、いずれ儂の跡を継ぎサイーア公国の王となる者。外交にせよ内政にせよ、「死ねクソ」しか言えない王では、国は成り立たない」
「言われてみれば……確かにそうですね」
「死ねクソ!」
思わず素直に同意してしまったマグノリアに、公子は悪態をつく。呪いのせいで「死ねクソ」になってはいるが、態度からすると呪いがなくても似たような言葉だったんじゃないかなーと彼女は思う。
「今はまだ、このことは伏せられている。だが、周囲に知られるのも時間の問題だろう。そのときに、王位継承者にこのような呪いがかけられたと分かれば、セドリックの資質を疑う者も出てくるに違いない」
「あー、それは確かに」
「死ねクソが!」
考えてみれば…考えるまでもなく、そんな王様イヤだ。「死ねクソ」しか言わない国家元首なんてありえない。国民からしたら、頼むからまともな会話が出来る人に王様になってほしいものである。
「だから、なんとしてでも早急に、息子の呪いを解く方法を見付けてもらいたいのだ。それが叶えられた暁には、報酬は惜しまぬ。公国から勲章も与えよう。どうか引き受けてはもらえぬか、“隠遁の魔導士”殿よ」
なるほど公王がアデリーンを指名したのは、遊撃士としての実力よりも魔導研究者としての能力に期待しているからか。
確かに、上位遊撃士の中には彼女以上の魔導士も少なくない。さらに、世界最高峰の学者たちの見識はアデリーンを遥かに超える。
が、遊撃士でありながら魔導研究者である、という点において、彼女に勝る者はそうはいない。
呪いを解いた上で犯人をとっちめる、というのが公王の依頼内容ならば、アデリーン=バセットは確かに適任なのだ。
………と考えたのはマグノリアの早とちりだったらしい。
「あの、公王陛下。思ったんですけど、その、なんで私をご指名いただいたのかってこと…なんですが、その、もしかして、セドリック殿下に呪いをかけたっていう魔女って………」
アデリーンには、なんだか心当たりがあったっぽい。
公王もアデリーンが何を言わんとしているかは分かっているようだ。
「…うむ、其方の考えているとおりだ。我が息子セドリックにかような恐ろしき呪いをかけた魔女……それは、かの“黄昏の魔女”なのだ」
…………………。
“黄昏の魔女”。聖戦の英雄。神の試練の炎から地上界を守り抜いた偉人。
三剣の勇者の一人、剣聖アルセリア=セルデンの随行者にして、世界最高の魔導士。
ヒルデガルダ=ラムゼンと言えば、魔導士でなくとも知らぬ者のいない超有名人だ。
「……ぅええ?」
しょーもない話の中でいきなりビッグネームが出て来たことにマグノリアは驚いて素っ頓狂な声を上げてしまったのだが、アデリーンは何やら得心が行ったように、神妙な顔でうんうん頷いていた。
「…………やっぱり。あの師匠、相変わらずしょーもないことばっか……………はぁ」
特大の溜息は、幸先の悪さを感じさせるような不吉な響きを漂わせていた。




