第六十一話 他人の修羅場ほど心躍るものはない。
タレイラの街を、三人と一匹が行く。
二十代前半の女剣士と、十代半ばの少年、十歳になるかならないかの幼女、そして猫。家族なのか友人なのか今一つ分からない共通点のなさげなそのグループは一応遊撃士のパーティーなのだが、それっぽいのは女剣士一人だけであとは非常にほのぼのとした顔ぶれなものだから、道行く人々にはお姉ちゃんと小さい弟妹、あとペット、のように見えているに違いない。
そんな微笑ましい一行を陰からじっと見つめる不審な男が一人。隠れているのに隠れられていない絶妙さが怪しいんだか怪しくないんだか。端正な顔立ちと騎士風の出で立ちのおかげで周囲の人々に黙殺されているが、これが薄ら笑いを浮かべたいかにも変態風の容姿であれば間違いなく即座に通報されていただろう。
そんな男、レオニール=アルバは今まで以上に警戒心を持って主君の動向を注視していた。
今朝方マグノリアから聞かされた事実は、彼にとっても信じがたいものだった。
精霊の受肉。
マグノリアはそれを何らかの外因によるものだと考えているようだったが、レオニールは主君の力によるものだとの確信を持っている。
そもそも、精霊を実体化させられるのなんて神格を持つ存在以外に可能なはずがない。
あの精霊…おそらく風の精霊…は、ハルトが望んだからこそ肉体を得たのだ。それは、変化と言うよりも進化に近い。
しかも、自然に定められた進化ではなく、存在の根本に働きかけられたことによる進化、言うなれば、神の手になる奇蹟。
今までのオロチやトーミオ村の一件で、その片鱗は見られていた。
しかし、今回ほど明確にハルトの意志に依るのは初めてである。
臣下として、ハルトが魔王の後継たるに相応しい力に目覚めるのは喜ばしいことだ。しかし、ここは魔界ではなく地上界。それが衆目に晒されるようなことにでもなれば、ハルトにとって良からぬ展開になることは間違いない。
幸い、地上界を牛耳る宗教組織の最高権力者は、ある程度事情を知っているらしい。国家や公的な組織であれば、そちらの方面から圧力をかけることも出来るそうだ……と言うのは先日エルネストから聞かされた。
しかし、愚かな廉族の全てがお上に従順なわけではないと、レオニールは理解していた。
そういった無頼の徒や破落戸どもから、主君を守らなければならない。
もしあの精霊のせいでハルトの身に害が及ぶことがあれば、レオニールは事前にその元凶を排除する心づもりでいる。
神格を持つハルトに呼び出され受肉した精霊ともなれば、一筋縄ではいかないだろう。だが、剣技だけでなく広い魔導適性を持つレオニールにとって、属性体を相手にすることは容易い。
僅かでも怪しい動きを見せたならば即座に消し飛ばしてやる。
そんな思いでクウちゃんを睨み続けるレオニールの姿は、やはりあからさまに不審者だった。
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「……ちょっとマギー。あんたまたお子様を拾ったわけ?」
「…げげげ、アデル!」
ブラブラと歩いていたマーケットで、アデリーンと遭遇してしまった一行。
「な、なんでお前真昼間っからこんな外に出て……」
「うっさいわね私だって好きで出てるわけじゃないわよけど食料の備蓄がなくなったんだから仕方ないじゃない」
アデリーンの両手には、保存食でパンパンになった袋が抱えられていた。彼女はいつもこうやって保存のきく食料を大量に買い込んでそれが尽きるまで引き籠もり生活を送るのだ。
……が。
「…つーか、リエルタに帰ったんじゃなかったのかよ?なんでまだタレイラに……」
タレイラに来たのは、トーミオ村の一件の報告のためだ。関係者と言っても限りなく部外者に近いアデリーンがいつまでもタレイラに残っている理由などない…はずなのだが。
「当然でしょ。まだハルトとの約束が残ってるんだもの」
「…約束?ハルトと?」
思わずハルトを振り返ったら、蒼白の顔で首をブンブンさせていた。
「いえいえしてませんそんなのしてません約束なんて知りません」
「なーに言ってんのよ、約束したじゃない」
明らかに怯えているハルトの腕を、アデリーンはがっちり抱え込んだ。
傍から見ると口説いているようだが、実際は……まぁ口説いているようなものである。
ただし、恋愛事全く無関係で。
「あんたに協力してやったら、実験に付き合ってくれるって約束でしょ?まさか私にタダ働きさせようって腹じゃないわよね?」
「だだだだだからそんな約束してませんってば!て言うかアデルさん、教皇さんからお礼貰ったでしょ!?」
そう、今回の件でアデリーンには、ハルトに協力してくれたということで教皇から褒賞が与えられている。なので、タダ働きという表現は間違いなのだが……
「は?冗談じゃないわよお金なんかが褒美になると思ってるわけ?つか、それは私と聖下とのことでしょ。あんたは私と約束してくれたんだから…」
「だから約束してませんてば!!」
ぐいぐいと迫るアデリーンにハルトは必死で抗議するが、腕の力を緩めてくれる気配はない。
……と、そこに。
「はると、いやがってる。おまえ、だめなやつ」
クウちゃんが、割って入ってしまった。
「……は?何この幼女。ガキのくせして私に意見しようっての?度胸あるじゃない」
「ままままってアデルさん!クウちゃんも、ちょっと師匠と一緒にあっち行ってようか」
実験体、解剖…の語句が頭をよぎり、ハルトは慌ててアデリーンとクウちゃんを引き剥がしにかかる。
だが、クウちゃんはアデリーンにハルトを奪わせまいと反対の腕にしがみつき、アデリーンは自分を「だめなやつ」呼ばわりした失礼極まりないお子様に大人げなく反感を抱く。
「あっちいかない。あっちいくのは、そいつ」
…と、アデリーンを指差して言うクウちゃん。
「ふん、子供だからってなんでも許されると思ったら大間違いよ。…ハルトこの娘、あんたの何?」
…と、クウちゃんを睨み付けたままハルトに問うアデリーン。
「クウちゃんは、はるとのクウちゃんだもん」
「へぇ、なに?いっぱしに彼女気取りってわけ。背伸びしちゃって笑えるわ。ハルトは私の実験体なんだから、あんたなんてお呼びじゃないのよ」
「ちょちょちょ、待って二人とも。なんかそれ違うでしょ?」
火花を散らして睨み合う二人。行き交う人々も、何だ何だと視線をチラチラと送ってくる。なんだか微笑ましい修羅場になりそうな予感。
へぇあの男の子、年上の女性と年下の女の子に取り合いされてるのか可愛いねぇ。なんて声が聞こえてきそうだ。
「ちがうくないもん。クウちゃんははるとのクウちゃんで、はるとはクウちゃんのはるとだもん」
「そうよ私は一つも間違ってないわ。あんたの身体は私が好きにさせてもらうんだから」
…おやおやこれはなかなか泥沼の展開じゃないか?
ゴシップ好きの通行人が密かに胸を躍らせていたりした。
「ちがうもんはるとはおまえのじゃないもんすきになんてさせないもん!」
「はん!言ってなさいよ。お子様がいくらムキになったところで………ん?」
アデリーンが、不意に動きを止めた。
クウちゃんを睨み付ける視線の色が、変化する。
「………………あんた、何?」
「クウちゃんは、クウちゃんだもん!」
返事になっていない返事に、アデリーンは黙り込んでしまった。言い負かされたわけではなく、何かを思案して…何かに、気付いたようだ。
「あ………あの、アデルさん?」
「…………ふーん。へーえ。そう、面白いわね」
「えっと……あの、アデルさん?」
「……ふ、ふふふ。ほんと、面白い。なんでこんなことになってんの、ねぇ?興味深い…実に、興味深いわ」
「あの、アデルさん?なんか勘違いしてるみたいですけど、勘違いですよきっと!!」
嫌な予感のしたハルトは、慌ててアデリーンから身を離そうとする。が、アデリーンの腕の力は今までになく強く万力のようにハルトの腕を抱え込んで離さなかった。
アデルは、その姿勢のままクウちゃんに顔を近付けると、まじまじと観察した。その瞳の狂気めいた好奇心に恐れをなしたのか、クウちゃんがちょっと怯える。
「はると、なんかこいつこわい…」
「ふふ、うふふふ。いいわ、あんたもまとめて可愛がってあげるから」
…なんてことだまさか泥沼展開がこんな風雲急を告げるとは。いたいけな幼女の運命や如何に!?
ゴシップ好きの通行人の興奮度合いもMAXである。
「こんなところで出会えたのも何かの縁よね、二人とも私と一緒にいらっしゃい。新しい世界を見せてあげるわうふふ、うふふふふ」
「や、待ってくださいアデルさん!クウちゃんには手を出さないで…ってボクにも出さないで!…師匠、見てないで助けてください師匠!!」
不気味な笑みを浮かべてハルトとクウちゃんをまとめて引き摺ろうとするアデリーンは、まさしく魔女そのものである。
ハルトの叫びに、それまで茫然としていたマグノリアがようやく我に返った。
「あ、ああ。悪い。随分モテるんだなーって、感心してたわ……」
「そんな感心要りません!って言うか、モテてませんこんなの!!」
アデリーンの様子にドン引きで完全に傍観者に徹していたマグノリアに、ハルトはこういう場面では師匠を頼りにすることは出来ないのだ、とほんのちょっぴり、絶望した。




