第五十九話 クウちゃん
翌朝。
今日は、魔獣駆除のお仕事の日である。
マグノリアはいつものように、ハルトの部屋に行き布団を引っぺがし軽く拳骨を落と…
…そうとしたところで、硬直した。
「な……ななななな……」
何か、いる。
ハルトの横で、ぴったりくっつくようにして眠っている……全裸の幼女。
少し体を丸めるようにして、穏やかな寝息を立てている……全裸の幼女が。
「な…●✕&%‘#!!おいてめーハルト、起きやがれ!!」
軽く、ではなくかなり本気の拳骨が出た。
殴られたハルトは当然ながら、いつもとは違う手荒さに驚いて飛び起きる。
「な、なんですか師匠痛いじゃないで…」
「お、おま、お前、な、ななな何なんだその子は一体どこから連れて来やがった!?」
幼女は見たところ、十歳前後。タレイラの法では…タレイラでなくてもこの辺りのほとんどの国で…ばっちり法律違反である。
いやいやしかしハルトも子供なわけだしその場合はどうなるんだ?けど大人になってからの四、五歳差と子供のうちのそれでは全然違うと言うか何と言うかやっぱり犯罪な気が……
色々なことがマグノリアの頭をよぎる。
可愛い顔して女を寝床に引っ張り込むハルトにドン引きだがそれより何より相手がこんな幼子だと色々とマズい。ヤバい。世間知らずなもので…とか言って許される系ではない。
「へ?その子ってどの………えぇえ?」
マグノリアの剣幕にたじろぎながらも、ハルトも自分のベッドを半分占領している幼女に気付いた。
丁度そのとき幼女も目を覚まし、寝ぼけ眼でハルトを見上げた。
「………って、もしかして、クウちゃん?」
ハルトの呼びかけに、幼女はもそもそと身を起こすとにっこりと微笑んだ。萌葉色の波打つ髪に空色の瞳、薔薇色の頬、細身だがしなやかで健康そうな体躯。
「…………は?」
「やっぱり、クウちゃんだね!凄い、人間にも変身出来るんだー!」
ハルトの称賛に、幼女は照れ臭そうに身をよじった。
「クウちゃん可愛い!」
「いやいや、いや、ちょっと待てんなわけないだろ」
幼女に抱き付くハルトをすかさず引き剥がすマグノリア。いくらなんでも言うに事欠いて、これがクウちゃん?言い逃れも大概にしろ、と言いたい。
どこかで幼女を引っ掛けてきた挙句、児童愛護法の摘発を逃れるためにそれを精霊だと言い張るなど、言語道断。
…と言うか、そんな言い訳、通用するはずがない。
精霊は精霊、世界を巡る自然元素が意思を持った、精神生命体。それが実体を…肉体を持つことなど、決してありえない。
仮にそんなことがあるとしたら、まさしく奇蹟…神の所業に他ならないだろう。
精霊に、受肉させる……などと。
「お前な、ハルト。一体どこから連れて来たんだそれ。言っとくけど、未成年の略取誘拐は懲役三十年以上、淫行は五十年以上だからな!?」
タレイラの…サイーア公国の刑罰は加算方式である。この分だと、ハルトは最低でも八十年は臭い飯を食べなくてはならない。
……いや、教皇と知己だし英雄の息子なんだから、揉み消すくらいはわけないか……?
「もう、師匠ってば何言ってるんですか。連れてくるもなにも、クウちゃんは昨日も一昨日も一緒だったじゃないですか。ね、クウちゃん?」
「だーかーらぁ!そいつ、どこからどう見ても人間だろ!」
幼女もハルトに話を合わせるかの如く彼の問いかけに頷いていたりするが、おそらく状況が理解出来ていないだけだろう。
とにかく大騒ぎになる前に、親の元へ帰さなくては。
「んもー、師匠分からず屋さんなんだから。ねぇクウちゃん、クウちゃんはクウちゃんなんだって、師匠に説明してあげて?」
ハルトに言われ、幼女は勢いよく頷いた。
「あのなぁ、そんな幼女に「私精霊なんですー」とか自己紹介されたところで、信じられるわけ…」
げんなりしたマグノリアの言葉の途中で、幼女が右手を掲げた。
一体何をするつもりなのかと疑問に思う暇さえ与えず、彼女のすぐ傍にあったテーブルが、ずばし、と真っ二つに切断された。
「…………え…?」
重い音を立てて足元に転げたテーブルを見下ろして、マグノリアは茫然と呟いた。
切断面はまるで最初からこうだった、と思えるほどに滑らかで、刃物で同じことをやろうと思ったら達人級の腕前と逸品級の得物が必要に違いない。
どんな名剣よりも鋭利に対象を切断する……真空波。
「う…ウソだろ、今のはほら、魔導……だよな?」
しかし幼女が術式を詠唱していた様子はなかった…こんな幼子に魔導が行使可能かどうかは置いといて。
ただ、世の中には稀ではあるが詠唱を破棄することが出来る化け物じみた魔導士もいなくはない。目の前のあどけない幼女がその一人であると考えるには些か無理はあるが、しかし精霊だとするよりはよっぽどありえる話だ。
「…師匠、まだ信じてくれないんですか?……クウちゃん、どうしよう?前の姿に戻れる?」
ハルトの問いかけに、幼女は首を横に振った。だが、
「もとにはもどんないけど、クウちゃんおっきくなれるよ?」
……喋った。
軽やかな鈴の音のような、可憐な声だった。
そして言い終えるやいなや、その姿が変化する。
…まるで、人の成長を早送りで見ているようだった。
あどけない幼女の顔立ちは、蠱惑的な少女の顔立ちへと変わり、丸みを帯びた手足はすらりと長く、ぺったんこまな板だった胸は、しっかりとした丘陵を……
「ちょっと待ったーーーーー!!!」
考えるより早く、マグノリアは先ほど引っぺがした布団を少女になった幼女にぶわさぁ!と投げ掛けた。
「分かった、分かったから!裸でそれはマズい!さっきの姿に戻ってくれ!!」
「師匠、どうしたんですか慌てて?」
ハルトは、何故マグノリアが慌てているのか分かっていない。その理由が自分にあることを分かっていない。
……と言うか、目の前で裸の女性を見ても、まるで動じていない。
だが、そんなハルトの感覚…女性にまるで興味がないのか見飽きているのかそんなことは知ったこっちゃないが…には構わず、マグノリアは頭を抱えて座り込んだ。
「あああー……どういうことだよこれ。精霊が実体化?聞いたこともねーぞそんなの。つか、なんかヤバい奴じゃないだろうな……」
布団から顔を出した「クウちゃん」は、既に幼女の姿に戻っていた。
あどけない顔のまま、きょとんと首を傾げている。
その姿は邪悪なものには見えないが、普通の精霊のあるべき姿からかけ離れていることは事実。
その要因が何なのか…クウちゃんが特別な存在なのか何らかの力がクウちゃんに働いたのか或いは恐ろしい偶然の賜物なのかはたまたハルトの得体のしれない能力がまた一つ開花してしまったのか、分からない。
分からないが、教皇から直々にハルトのお守りを依頼されてしまった以上、今のところ実害はなさそうだからいっか、とは思えないマグノリアだった。
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「………………………………ふむ」
長い沈黙の後、教皇は一言だけ呻いた。
魔獣駆除の依頼はとりあえず延期にして、マグノリアは真っ先に教皇のもとを訪ねたのだ。
早朝に世界宗教の最高指導者の自宅に押し掛けるという不作法極まりない所業ではあったのだが、マグノリアにそんなことを気にしている余裕はなかったし教皇もそんなことを気にするほど狭量ではなかった。
未だ法衣ですらなく寝間着姿の教皇は間違いなく寝起きだったが、その頭脳は既に明晰だった。
沈黙が長かったのは寝ぼけていたわけではなく、事実の大きさを噛みしめていたから。
「そんなこと、ありえるのか?精霊が実体を持つだなんて……」
遊撃士としてキャリアの長いマグノリアではあるが、一切の魔導適性を持たないためそちら方面には不案内である。
が、それが如何にありえないことであるか、くらいは承知していた。
マグノリアの問いに、教皇は答えなかった。
しかし、それは答えを持ち合わせていなかった、というよりは答えることに躊躇いがあるように感じられた。
そして、答えはあるのにそれを告げないということは、教皇はマグノリアにそれを知る必要はない…もしくは権限はないと考えているに違いなかった。
「……確認したいのだが、その精霊…クウちゃん、といったかな?それは、君の目から見て危険なモノかね?」
「……いや、それは………」
問われてマグノリアも考え込む。
クウちゃんがテーブルを両断した真空波は、魔導術式で言えば低位か中位相当の威力だ。それだけをもってクウちゃんを危険だと断じてしまうのには抵抗がある。
が、受肉した精霊という前代未聞の存在を、普通の精霊と同じように考えるのも怖い気がする。
見た感じ、クウちゃんはハルトに懐いていてその意に反するつもりはないようだったが、それは則ち、ハルトの意に沿うならば危険な存在にもなりうる、ということではなかろうか。
……とは言えあの無邪気であどけない表情に、悪意や邪気といった一切の負の感情を見い出せないのも確か。
「……正直言って、分からない。邪悪なものとは思えないが、それは安全だという理由にはならない」
悪意を持って悪事を為す者は、危険である。だが、それは対処のしようがある危険である。
一方、悪意のない者の為す振舞いが全て善とは限らず、それが為す無自覚の悪事は予想が出来ない分、始末が悪い。
「…だが、今朝の様子を見るにハルトの言うことには従順に従うようだ。用心が必要だとすれば、それはクウちゃんの方ではなくてハルトの方…かもしれない」
言いながらマグノリアは、朝食時のことを思い返していた。
ハルトの隣にぴったりと寄り添うように座り、ハルトと同じものをそれはそれは嬉しそうに食べていた幼女の姿。
テーブルマナーだとかなんだとかは無縁…というか本来は食事そのものと無縁なはずの精霊がそんなものを知るはずもなく手づかみで何でも口に入れようとしていた彼女(?)に、ハルトは基本的なマナーを教えていた…常識知らずのくせにそういう行儀作法はきっちりしてるのである。
フォークやスプーンを使うという動作はクウちゃんにはやや難しかったようだが、ハルトに窘められると一生懸命に思うようにならない手付きでそれらを扱っていた。
未だにネコとは妙な縄張り争いを繰り広げていたが、ハルトが言えばすぐに大人しくなる。寧ろネコの方が気ままにやっているように見える。
傍目には、害のない愛らしい幼女なのだ。それを、「危険だから」という理由で排除するには相当の鉄の心が必要と思われた。
「……………ところで、君たちのところにもう一人、まぞ……じゃなくてハルトのお目付け役が付いているはずなんだけど、知っているかな?」
「ああ、レオ…レオニールのことか?だったら今日も宿舎の周りをうろついていた。貴方も奴をご存じだったのか」
もしかしてタレイラでレオニールが不審者通報されていない理由は、それだったのかもしれない。教皇でありタレイラの領主でもあるグリード=ハイデマンが裏で手を回せば、官憲の行動など簡単に制御出来る。
「うん、まぁハルトのご実家から聞かされていてね。君も彼と知り合いなら丁度良かった。その精霊については、もし暴走の危険があった場合に彼に対応を依頼しておいてくれ」
直接面識のない相手に対して遠慮もクソもない教皇である。
「対応を依頼…って……そりゃあいつの腕前は知っているが、得体のしれない実体化した精霊の相手を押し付けたりして大丈夫なのか?」
「まぁ、大丈夫だろ。私が聞いている彼の実力ならば、そこいらの精霊の無力化など造作もないだろう」
直接面識のない相手に対して信頼が過ぎる教皇である。
「……分かった、貴方がそう言うのなら従おう」
「ああ、勿論危険な兆候が見られた場合は即座に報告してくれたまえよ」
またぞろトラブルの種を抱え込んでしまったマグノリアは、嘆息しつつ頷くしかなかった。
それでも、「何かあったら君が一人で対処したまえ」と言われなかっただけでもまだマシか。
しかし考えようによっては、全責任を教皇に押し付けることも出来るわけだ…彼の指示に従う限りは。多少の監督責任は免れないが、最終決定権がマグノリアにあるわけでもないし、こんな前代未聞の案件に関して一遊撃士に過ぎない彼女に全てを背負わせるほど狭量な教皇ではない……と思いたい。
クウちゃんの処遇に関しては、ひとまず様子見ということになった。
宿舎への帰り道、これから自分はクウちゃんのことを精霊として扱えばいいのか人間の幼女として扱えばいいのか、そもそもその両方とも扱い方なんて知らないのに…と暗澹たる気持ちに押しつぶされそうだった。
別に自分、幼女好きじゃありませんからね。どこぞの魔王さまじゃあるまいし。




