第四十八話 無口な人と一緒にいると微妙な空気が気まずいんだけどそういうときの無口な人ってどう思ってるんだろう。
「……………………」
「……………………」
非常に、気まずい。
ハルトは、椅子の上で所在なさげに身体をもぞもぞさせた。
グリードは、マグノリアたちから報告を聞くのだと言って、ハルトを別室に待たせたまま行ってしまった。てっきりハルトも同席できるものと考えていたので置いて行かれたのは意外だったが(彼もまた今回の事件の当事者だ)、別に彼が気にしているのはそんなことではない。
ただ、グリードは何の指示も出さずに行ってしまったので、部屋を出ていいのかダメなのか、この先の自分はどうすればいいのか……流石に無断でタレイラを出てしまってはグリードのせっかくの申し出を無駄にすることになってしまう。そうすれば、ギーヴレイに口利きをしてくれる、という約束は反故になってしまうだろう。
それは困る。彼は彼のために、なんとしてでも地上界でメルセデスに逢わなくては(あと強くなって彼女とパーティーを以下略)。
普段は考え無しで空気も読まず(読めず)刹那的な願望をそのまま実現させているだけだった(眠いとかお腹すいたとか退屈だとか散歩がしたいとか)ハルトだが、もっと大きくて大切な望みのためならば、今までの自分のスタンスを変えることに抵抗はなかった。……それほどの拘りがあったわけでもないが。
なので、ここは大人しくグリードに従ってみようと思ったのだが、やっぱり落ち着かない。
その原因は、部屋の隅に無言無表情で微動だにせず直立不動の青年…ルガイア=マウレの存在。
グリードと話している間、彼が口を挟んでくることはなかった。
魔界の民である彼ならば、帰りたくないと我儘を言うハルト(それが我儘だということくらいは最近になって分かるようになった)にもそれを後押しするかのようなグリードにも異議を唱えたっておかしくなかったのに、我関せず、といった感じで沈黙を守り続けているのだ。
今も、特に何か言うわけでもなくただただ突っ立っている。
ハルトを無視しているわけではない。彼がちょっとでも身じろぎすれば何かあったのかと視線を送って来るし、話しかければきちんと返事をしてくれる。
が、今まで自分の周りにいた愛情表現過剰で過保護な臣下たちとはあまりに違いすぎて、どう接すればいいのかよく分からない。
王城に居た頃は、皆がハルトに過干渉だった。
それほどか弱い存在ではないと自覚していたのだが、臣下たちはどうもそうは思っていなかったようで。
退屈だなーと思って廊下をブラつけば、すかさず護衛騎士や専属の侍女たちがどうかしたのか何か用があるなら自分に命じてほしいとくっついてくるし、勉強が終わって一息つきたいなーと思った瞬間にはお茶とおやつがすかさず用意されるし、目が合っただけでどうかなさいましたか何か御用ですかと寄ってくるし。
マグノリアとアデリーンにしたって、何かとハルトを構う傾向がある…アデリーンのそれはもう少し控えてもらいたいが。
しかし、ルガイアはそういった面々とは明らかに違った。
用事がなければ自分からハルトに話しかけることはなく、則ち今のところ用事はなさそうなので沈黙を守り、むしろハルトよりも腕の中のネコをモフる方に集中しているのではなかろうか。
気まずい。微妙な沈黙が、やけに気まずい。
しかしそれを打開するほどの社交性も持っていないので、ひたすらグリードが戻ってくるまでの間、落ち着かない時間に耐えるしかなかった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ハルトがマグノリアたちと合流出来たのは、その日の夜だった。
なんとなんと、教皇との晩餐に同席することになってしまったのだ。
「あ、師匠。どうでしたか?」
先に晩餐室に案内されていたハルトは、マグノリアとアデリーンが入室してきたのでようやくホッと一安心。地上界で彼が頼りに出来るのは、今のところこの二人だけなのだ。
「あ、ああ……まぁ、概ね問題なかった…つーか」
「むしろ今この事態の方がよっぽど問題なんだけど」
しかし二人の表情が冴えないのは、失踪事件の詳細報告と今後の処遇…ではなく、自分たちが教皇と食事を共にすることになってしまった事態のせいだった。
「ちょっとほんともう、キャパオーバーで今日は店じまいしたいんだけど。これ以上はもたないんだけど」
「…諦めろアデル。ここで固辞したらそれこそ失礼になる」
一刻も早く布団に潜りこみたくて不満そうなアデリーンを、マグノリアがげんなりしつつ宥める。
教皇聖下と食事を共にするだなんて、一般信徒からすれば望外の栄誉に違いないのだが、それで舞い上がって祈りを捧げるほどには二人の信仰心は強くない。
寧ろ、超お偉いさんと一緒に食事をしなくてはならない気詰まりの方が大きかった。
「報告は終わった。子爵の方の聴取ももう終わってるだろうから、今後のことはここで軽く説明してくれるってさ」
気分はまな板の上の鯉。諦めたように、マグノリアは侍従に案内された席についた。それを見て、アデリーンも渋々着座した。
やがて、教皇が姿を見せた。立ち上がろうとしたマグノリアとアデリーン(とそれを見て慌てて真似をしようとしたハルト)を軽く手で制し、さっさと自分の席に着く。
席次は、当然のことながら教皇が上座なのだが、次席に案内されていたのはハルトだった。その時点で、教皇がどれだけ彼を重要視しているのか、マグノリアは察する。
単純に、英雄の息子だから…という理由ではないだろう。
教皇が実を重んじる現実主義者であることは知っている。親が重要人物だというだけで何の力も価値もない息子まで同じように遇するはずはなかった。
やはり、ハルトには何かがある。
しかし自分がそれを問うことはおそらく許されない。教皇の態度とその場の空気で、なんとなくそう感じるマグノリアだった。
教皇は聖職者であり、王侯貴族ではない。だが同時に、グリード=ハイデマンはタレイラを治める公爵でもある。
食事は、あからさまに贅を尽くした…というものではなかったが、少なくとも平民であるマグノリアとアデリーンを気後れさせるには充分なものだった。
ハルトは王太子として贅沢には慣れっこなので、平然としている。
「さて、トーミオ村及びレーヴェ市に対する聖教会の決定なのだけどね」
他愛のない世間話で場を和ませてから(和んでいるのはハルトくらいだったが)、グリードが本題を切り出した。
「トーミオ村の指導部の面々は、宗教裁判にかけられることになる」
それは、予想していたことだった。
今回の場合、宗教面だけでなく刑法面でも彼らは罪を犯しているのだが、トーミオ村の属するサイーア公国の司法よりもルーディア聖教の決定が優先されることは、そして異端の神…実際には魔獣…を崇め人命を軽視した罪を考えれば、その決定は当然のことである。
そして、宗教裁判にかけられる、という事実が意味するところは、一つしかなかった。
「…そうですか。それで、他の村人や、子爵の処遇は?」
しかし、マグノリアはそれについて仕方ないと思っている。伝統や風習、思い込みにより思考停止に陥っていたとは言え、彼らは自分たちの勝手な考えに基づいて大勢の娘たちを殺害しようとしていたのだ。未遂とは言え、酌量の余地はない。
それよりも気になるのは、直接的には罪のない他の人々。
聖教会のやり方を考えると、みんなひっくるめて火刑だ、と言われても文句は言えない。それほどに、ルーディア聖教の異端弾圧は苛烈なものである。
聖教会の教是は「赦しと救い」なのだが、それはただの皮肉ではないかとマグノリアは常々思っていた。
「ボルテス子爵家は、領主の地位を剥奪されることとなった。今後、レーヴェ領は聖教会の直轄地となる。トーミオ村に関しては、聖教会から管理官を直接派遣することになるし、ペナルティとして重課税が課されるだろう。ああ、勿論、君たちに関しては完全に無罪放免だ」
「それだけ………ですか?」
マグノリアは、肩透かしをくらった気分になった。
勿論、グリードが述べたのはそれほど軽い罰ではない。
爵位だけが残り領地を没収された子爵家は、領地経営以外で生計を立てなくてはならなくなる。だが、ただでさえ開拓地の多い辺境の地では商売が難しく、さらに聖教会から目を付けられた、という事実は、子爵が人脈を使って再生を図る妨げになろう。
ボルテス子爵家が今までどんな暮らしをしていたかは知らないが、一般的な貴族の贅沢を続ければあっという間に斜陽の憂き目だ。
事実、そうやって没落していった貴族は少なくない。
レーヴェ市全体で見ると、一般市民に与える影響は小さい。帰属先と納税先が変わるだけで、寧ろ自分たちは聖教会直轄地に住んでいるのだ、と他地域に対し優越感を抱くこともできる。
が、商人たちにとっては大打撃だ。
流通も卸も小売りも、今までの自由経済から聖教会に管理されることになる。当然、各種規制は厳しくなり、新規事業や事業内容変更も難しくなる。
それまでは、比較的野放しに近かったフィールドで勝手にやっていた商いが厳しく監督されるようになる、というだけで、レーヴェを避ける隊商も増えるだろう。
最終的に税収が落ち込むという点は聖教会にとってもよろしくないが、世界中の宗教マネーで潤沢に潤っているので、最終的な損失は軽微だと判断されてしまったのだ。
そして、トーミオ村。
ただでさえギリギリの生活をしている開拓村への重課税は、人々の暮らしを直撃する。干ばつや大雨が続けば、少なくない餓死者が出る恐れもあり、蓄えの余裕がない村を疫病などが襲えば、村ごと全滅することだってありうる。
何一つ罪を犯していない、その存在さえ知らされていなかった村人たちがそんな罰を与えられるのは実に不条理だと思う者も少なくないはず。
しかし、それは一般的な国家の司法のみに当て嵌めた場合の話であって。
一切の異端を認めない、というルーディア聖教会において、異端信仰は須らく神に対する裏切り、処刑一択の罪業なのだ。
特に聖戦以降、混乱した地上界を纏め上げるために、聖教会の遣り方は非常に厳格になっている。
犯行に関わっていようがいまいが、知っていようが知るまいが、それを阻止しようと尽力しようが、子爵とトーミオ村の全村民は問答無用で処刑台送りになっていてもおかしくない。
因みに、異端信仰には一切関わっていないが、知らず知らずとは言えトーミオ村の依頼を引き受けてしまったマグノリアたち三人に関しても、何がしかのお咎めがあるはず。
それを思うと、首謀者以外に誰一人処刑されることのない今回の判決は、非常に寛大と言えるものだった。
「随分と、その……慈悲深い内容ですね」
「ふむ、安心したまえ。裏があったりはしないから」
マグノリアの言葉が皮肉だと分かったのだろう、グリードはそれを笑い飛ばした。
「まぁ、枢機卿や大司教連中の中には五月蝿く言ってくるのもいるだろうけど、彼らを黙らせられるくらいの材料はあるから、何も気にすることはない」
「黙らせる…って」
さては教皇、ことを強引に推し進めてしまうつもりのようだ。
宗教界のトップであり、聖戦の英雄にもきっちり名を連ねている彼ならば、確かに無理な話ではないのだろうが…しかし、
「貴方に、それで何か利があるとは思えないんだが」
そもそも、異端弾圧を加速させていたのは教皇本人である。
それなのに、今回だけ寛大な処置だなんて道理に合わない。公になれば、恣意的に法を曲げたという点が彼の立場を危うくもするだろう。
マグノリアとしては、自分に咎めがないのは非常に有難いし、出来れば子爵や村人たちの処遇も軽いものであってほしいと望んではいた。
だが、いくらグリードが彼女のことを気にかけてくれているとは言え、そこまでの我儘を聞き入れる筋合いはない。
グリード=ハイデマンは、実利のない行動・判断はしない。
ならば何故、自身にとっての汚点になる可能性を残してまで、この決断に至ったのか。
やはり、何か裏があるのではないか、と勘ぐってしまうのも無理はない。
「うーん、そうだねぇ…利、と言うか、理由はいくつかあるのだけども」
あんたが同情や憐憫だけでこんなことをするはずはないって分かってんださっさと白状しやがれ、的なマグノリアの視線に、グリードは困ったように頭を掻いた。
「一番の理由は、ハルト君と約束をしたから、かな」
グリードは、ハルトにチラッと視線を遣る。ハルトは、前菜の根野菜の温サラダをモグモグやりながら、グリードの視線に頷いた。
「…ハルトと?約束?」
「詳細は言えないけどね、まぁ、聖教会の管理下にいてもらうって感じの内容さ。ああ別に、行動の制限を設けるつもりはないよ。で、それにあたって彼から出されたいくつかの条件の中に、今回の件での恩情も含まれていた…と」
なんだそりゃ。
それが、マグノリアの正直な感想である。
ハルトに約束を守らせるためならば、聖教法を捻じ曲げることも厭わないのか。
そもそも、ハルトが出した条件を聖教会が守る必要などありはしない。聖教会信徒である以上は、聖教会の命令には無条件で絶対服従。それはいくら彼が英雄の息子だろうと、免れない大原則である。
寧ろ、聖人にまで叙されている者の息子であれば、一般信徒よりもその教義は厳しく課されることだろう。
ハルトを管理下に置きたい理由はさて置いて、この特別扱いは異常である。
しかし、詳細は言えないと最初に言われてしまっては、それ以上のことを聞き出すことは諦めるしかなかった。
「後は、そうだねぇ……私としては、君のことを罰したくもなかったし、ボルテス子爵も君に随分と手を貸してくれたようだし、ね」
付け足しのように言うグリードだったが、マグノリアはそれを本気には受け取らなかった。
その気になれば、必要とあらば、彼は情など簡単に切り捨てる。
おそらく、教皇の目的は他にあるのだろう。
「まぁ私にも色々と立場とか思惑とか、ね。そういうのがあるというのは、理解してもらえるだろう?」
同意を求める体裁で、グリードはそれ以上の疑問を封じてしまった。
納得も理解も出来ないことは多かったが、マグノリアは自分が立ち入ることが出来るのはこの辺りが限度だと判断し、その後は気まずい晩餐に調子を合わせることにした。




