第四十七話 七翼の呪詛
話が脱線してしまった。
グリードとしてはハルトの母親について気になるけど気にしたくない…というか気にするのが怖いので、ここはもう何も聞かなかった、気付かなかったことにする。
「……それで、ハルト君。君は、愛する女性と共にあるために地上界に残りたい、と?」
「残りたい、だけじゃなくって強くなりたいんです……と言うか、強くならなきゃいけないんです!」
とりあえず大事なのは、ハルトの今後である。さらに言うと、それによって魔界と地上界との関係がどうなるか、である。
「しかし、私がメルディオス殿に連絡をすれば、間違いなく魔界から迎えが来てしまうと思うよ?」
「そ、それは……困ります」
どうやらグリードは、可哀想だから黙っててあげよう、とは思ってくれないようだ。
今すぐここから逃げ出せば、なんとか逃げ切れないかなーと企むハルトだが、グリードはそんなことお見通しだった。
「君には、私の監督下にいてもらうよ。まぁ、地上界にいて私の目から逃れることは非常に難しいわけだけど」
グリードの言葉は脅しではない。一度捕捉してしまえば、ハルトがどこに逃げようと地上界全土に張り巡らされた聖教会ネットワークを通じて常にその居場所を知ることは可能だ。
完全に地下に潜られてしまえばその限りではないが、遊撃士になりたいだのメルセデスとパーティーを組みたいだの言っているハルトなので、そういうわけにもいかないだろう。
「でも、だけど、ボクはまだ帰りません。帰ったら、もう二度とチャンスはないと思うから」
諦める様子のないハルトの真摯な眼差し。
世界レベルの話に比べるとあまりにちっぽけな、しかし彼にとっては何よりも大きい望み。
そしてグリードは、望みには貴賤などないということを知っていた。
自分がどうありたいのか、どうなりたいのか。
ハルトの父である魔王が望んだのは、とても個人的でささやかな、誰でも望むことと同じだった。
ご立派な大義名分よりも、大切なもの。
「……そういうところは、似ているのだね…」
ぽつりと漏らしたグリードの表情は、やけに感傷めいていた。
「私には、メルディオス殿に君のことを黙っている、という選択肢はない。が、もう少し君に時間を与えてはどうか、と提案することくらいは出来るよ」
「え………?」
「ただ、結果については保証できないから、あまり期待し過ぎないでほしい」
グリードの申し出はありがたいが、言われるまでもなくあまり期待は出来ないハルト。
ギーヴレイが、自分の考えを曲げてグリードの提案を受けるとは、どうしても思えなかった。
ギーヴレイ=メルディオスは、ハルトに激甘ではあるがそれゆえに過保護・過干渉の姿勢を崩そうとはしない。
それは彼の魔王に対する忠誠とセットになった感情であるため、教皇だろうが何だろうが、廉族ふぜいの意見を聞き入れる余地などありえないはず。
だが、不思議なことにグリードを見ていると、この人に任せておけば何も問題ないのではないか…という思いがハルトの胸中に芽生えてくるのだった。
どのみち、彼の言葉に甘える以外にハルトに出来ることはない。で、あるならば。
「……分かりました。よろしくお願いします」
ここは素直に頼るべきだ。
他者に頼ったり甘えたりすることに関しては慣れっこなので、ハルトは変な意地を張ることもなく、グリードに自分の身を預けることを決めた。
「承知した。ただ、その代わりと言ってはなんだが、君に一つ頼みがある」
「頼み…ですか?」
自分は他者に頼りまくりなくせに他者から頼られたりお願いをされたりしたことのないハルトは、こんな偉い人が自分に何を頼むんだろう?と思う。
魔界の王太子と言っても、今のハルトは何の力も持っていない。内政も軍事も外交も財務も司法も、全て動かしているのは武王たちであり、ただのお飾りに過ぎない自分が口を出そうとしても相手にしてもらえないだろう…というか口を出すにもどうすればいいのか分からない。
地上界で一番偉い人、なグリードが求めるようなことが、自分に可能だとは思えなかった。
……が、グリードがハルトに望むことは、そんな大仰なことではなかった。
大仰なこと、ではなくて。
「その…何と言えばいいのか……節度は守ってもらいたい、と言うか、奔放すぎる振舞いは自重してもらいたい、と言うか、相手の気持ちとか自分の行動が及ぼす影響だとかそういったことをきちんと考えてほしい、と言うか……」
ハルトには、よく分からないことだった。
「あの、すみません。一体何の話ですか?」
回りくどいグリードが何を言いたいのかが、全く分からない。
言っているグリード自身も、もっと直接的な説明でなければいけない、と思ったようだ。
「要するに、手あたり次第女性をとっかえひっかえするような真似は、厳に慎んでもらいたい!」
……いくらなんでも、ストレート過ぎる表現だった。
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マグノリアとアデリーンが再び教皇と面会を許されたのは、一時間ほど経った後だった。
「待たせてしまってすまないね。色々と積もる話もあったものだから」
「いえ、事情が事情ですから」
実際、教皇とハルトとの間の事情などマグノリアは知らない。しかし教皇が、大勢の命が危険に晒されることになったトーミオ村の事件の詳細報告よりも、ハルトとの対話を優先したことは確かだ。そのあたりの「事情」に踏み込むつもりは、マグノリアにはなかった。
グリードは、そんなマグノリアの思うところを察したのだろうか、少しばかり言い訳がましく。
「なに、本人は気味悪がるかもしれないが、私はリュート=サクラーヴァを息子のように思っていてね、ハルト君は言わば孫みたいなものなんだよ。私自身に子も孫もいないから、そう感じるのだろうか」
そう言って笑うグリードは、確かに孫がいてもおかしくない優しげな表情をしていた。
またぞろハルトを甘やかす輩が現れたか…と少々げんなりしてしまったマグノリアだが、ふと気付く。
「もしかして、貴方は最初からハルトのことを知っていたのか?それで、私にあいつを連れてこさせた…?」
グリードの……聖教会の情報網をもってすれば、それも不可能ではないかもしれない。
ひょっとしたらずっとストーキングされていたのかも?とマグノリアは薄ら寒くなったのだが、グリードは首を振った。
「いや、流石に私もそこまで全てをお見通しというわけではない。現に、彼がここに来たという事実は、ついさっき知ったばかりなのだから」
勿論、ギーヴレイから依頼があった時点で王太子ハルトの行方を探らせていたわけだが、まさか本人の方からやって来てくれるとは思っていなかったのだ。
その点グリードは、非常に幸運だったと言える。
「え…?でも、どうやって……」
知らなかったのであれば、何故すぐにハルトの正体に気付いたのか。いくら親子で似ているとは言っても、あの時のグリードは全く疑うこともなくハルトをリュート=サクラーヴァの息子だと断定していた。
「ああ、それは彼の聖円環だよ」
「聖円環?ああ、ハルトが父親の形見って言ってたやつか」
そう言えばハルトは、悪趣味な真っ黒い聖円環を所持していた。確かにあんなものを持っている信徒はそうそういない。
「あれは、七翼の騎士の証なのさ」
「…………………!」
グリードの口からその単語が出た瞬間、マグノリアの表情が硬直した。
それは、マグノリア=フォールズにとって呪詛にも等しい禁句。
怒りと悔恨と罪悪感と、そのどれでもない形容し難い感情が彼女の中を巡る。
グリードは、そんな彼女をどこか痛ましげな目で見ていた。
「……そっか。そう…だったのか。てことは、あの剣帝も、七翼の騎士だった…ってわけか」
何故か自虐めいた口調で言い捨てるマグノリア。その目は、ここではないどこかを見ているようだった。
「マギー、言っておくが彼には何の責もない。君がそうであるのと同じように…ね」
「分かってますよ。ただ、境遇は同じなのに置かれた立場が真逆だなって思っただけです」
慰めるようなグリードに、マグノリアは皮肉を返した。
ただの八つ当たり…逆恨みと言ってもいい…に過ぎないとは分かっていても、何か言わなければやりきれない思いが胸の中で爆発しそうだった。
「あの、すいません」
不意に、アデリーンが発言した。
彼女はそれまでずっと黙って二人の遣り取りを聞いているだけだった。もともと、面倒臭い話は全てマグノリアに押し付ける気満々だったのだ。
しかし、今まで見たことのない相棒の様子に、黙っていることは出来なくなった。
アデリーンは、マグノリアと教皇との間に何があったのか、どんな事情があるのかは知らない。
知らないが、それはマグノリアにとって決して愉快なものではないのだと、短い遣り取りを聞いていて理解した。
「いい加減、宿に戻って部屋に籠りたいんで、さっさと用事を済ませてもらえませんか?」
ついさっきまで、教皇相手にガッチガチに緊張&気後れしていたのと同一人物とは思えない。が、それこそが“隠遁の魔導士”の真の姿である。そもそも、他人に気を使ったり遜ったりするのは、アデリーン=バセットには似合わない。
そしてそんな彼女が、今のマグノリアにはこの上なく頼もしく有難かった。
グリードも、アデリーンの意図を察した。
「そうだったね、失礼した。それでは、今回のトーミオ村における村人の失踪事件について、詳細を報告してもらおうか」
そう言ったときのグリードは既に、マグノリアを気遣う老人でも穏やかな笑みの好々爺でもなく、厳格で冷静で合理的な権力者の顔をしていた。




