第四十五話 親の知り合いってどう接すればいいのかちょっと困る。
子爵は、聴取ということで別室へと呼ばれていった。
同じ立場のような感じでマグノリアたちと同行してはいたが、彼は今回の件の責任者である。第三者的な立場のマグノリアたちと同じ扱いを受けられるはずもなかった。
そして、マグノリアたちはいよいよ教皇との謁見へ。
「…アデルさん、どうしたんですか?」
案内されながらぎこちない動きのアデリーンに、ハルトは気付いた。いつでもマイペースの彼女が、こんなにガチガチになっているのなんて意外だった。
「ど……どうもこうも、教皇…聖下への謁見よ?とんでもなく雲の上の人物よ?緊張しない方がどうかしてるわ!」
それでも、そうやって呑気なハルトに食ってかかるあたり、アデリーンもなかなかに図太かったりする。
「ねぇちょっとマギー。どういうこと?なんで聖下が直接会うって言ってんの?アンタ、どういう関係?」
案内の神官の手前、あまり騒がしくすることは憚られるが、それでも気になって仕方ないアデリーン。
無理もない。王侯貴族であればまだしも、平民中の平民であり遊撃士だなんて無頼の徒であるマグノリアが、世界宗教の長と面識があるなんて意外すぎる。
今までアデリーンはマグノリアと何度か組んだことがあるが、そんなこと初耳だ。
「……うっさいな、こっちにも色々あるんだよ」
しかし、ただ騒がしいアデリーンを窘めたというだけではなさそうなマグノリアの返事に、アデリーンはそれ以上追及することを諦めた。
話せる事情であれば、マグノリアはそう言うだろう。色々、という言葉で濁すあたり、彼女がそれを他者に明かすつもりはないのだと、或いはそこまではアデリーンに心を許していないのだと、察したのだ。
三人が案内されたのは、教皇の執務室だった。
「ちょちょちょ、え、どういうこと?なんで謁見室でなくてこんなとこ?」
ますます訳が分からないアデリーン。これではまるで、マグノリアが教皇の私的な関係者のようではないか。
しかしそれにしては、マグノリアの表情は硬い。少なくとも彼女の方は教皇をそう思っていないことは確かだった。
次の間を素通りし、執務室に足を踏み入れた三人を出迎えた教皇は、初老の男だった。傍らには、秘書らしき青年が無表情で控えていた。
「やぁ、マギー。呼び立ててしまってすまないね。ご友人にも、面倒をかけてしまったようだ」
にこやかに和やかに言った教皇は、厳格な信仰と苛烈な異端弾圧で名を馳せた男とは思えない好々爺だった。
まるでマグノリアとは気心の知れた間柄だ、と言わんばかりの気さくな態度。
これにはアデリーンは仰天したし、ハルトはあれ、教皇って偉い人なんじゃなかったっけ?と首を傾げてしまった。
対するマグノリアは、仏頂面のまま。
「…いや、貴方には手間をかけさせてしまって、申し訳ない」
彼女にしては、固い口調。それは相手を敬っているから、というよりは距離を置きたがっているように聞こえた。
「ははは、何を言っているんだね。君の力になれて私は嬉しいよ。さて、立ち話も何だから、お茶でも飲みながら話を聞かせてもらおうか」
そう言って教皇は、入口とは違う扉に三人を誘う。それは、テラスへと続いていた。
…と、ネコが突然ハルトの肩の上から降りた。そのまま、秘書の青年の方へ駆け寄ってぴょん、とその腕の上に飛び乗り、ゴロゴロと喉を鳴らして甘え始めた。
「え、ネコ?どうしたの?」
それまで自分以外には抱かれようとしなかったネコの突然の浮気に戸惑うハルト。
いきなりネコに懐かれてしまった青年は、無表情のままだが優しく撫でてくれているあたり、まんざらでもないようだ。
連れていたペットの突然の非礼に、当然のことながらマグノリアとアデリーンは慌てる。
「おいハルト、こんなところに動物なんて連れてくるなよ!」
「そうよ、失礼があったらどうすんのよ!!」
しかし、一部始終を見ていた教皇は、それを愉快そうに笑い飛ばしただけだった。
驚いたことに、教皇は自らの手でお茶を淹れた。何故だか傍らに控える秘書の青年は何もしようとせずに突っ立っているだけで、教皇もそれについて何か言う素振りもない。
「ちょ、ちょっと、ちょっと、私今、夢でも見てんの?聖下自らお茶を…って、どう考えてもありえないでしょ!?」
無礼にならないよう小声でマグノリアを問い詰めるアデリーンだが、マグノリアも流石に驚いていた。
教皇は確かに、諸々の事情からマグノリアに対して寛大でいてくれる。彼女が求めれば、それなりに便宜を図ってもくれる。
だが、いくらなんでも自らお茶を淹れてくれるほど、心安い間柄ではない。
「さて、では改めて。私がルーディア聖教会教皇、グリード=ハイデマンだ」
「あ、ええと、私はアデリーン=バセットです。その、マギー…フォールズとは一応、パーティーメンバー…的な感じです」
世界宗教の最高権力者にお茶を勧められて動転したアデリーンのはっきりしない自己紹介を、グリード教皇は笑って受け流した。
「ああ、君が“隠遁の魔導士”殿か。ヒルダの直弟子だ、と聞いたけれど?」
「え、あ、はい。ヒルデガルダ=ラムゼンには、かつて師事していたことがあります」
いきなり師の名前を出されて驚いたアデリーンだったが、考えてみればグリード=ハイデマンは剣聖アルセリア=セルデンとそのパーティーメンバーの後見人だった。“黄昏の魔女”を知っていても当然である。
ハルトは、居心地の悪そうなマグノリアと恐縮しているアデリーンの横で、へーアデルさんもやっぱり有名人なんだなー教皇さんにも知られてるなんて…とか他人事のように考えて呑気にお茶をすすっていたのだが。
不意に教皇が自分に向けてきた視線に、奇妙な感覚を覚えた。
「それで、君がハルト君…だね」
「あ、はい、そうです………けど、あれ?ボク、名前……」
返事をしてからハルトは、自分はまだ名乗っていないことに気付いた。教皇の知り合いっぽいマグノリアや有名人(の弟子?)っぽいアデリーンはまだしも、どうしてこの人は自分のことを知ってるのだろう?と不思議に思う。
教皇は、ハルトのその疑問には答えず、しばらく彼の顔を見つめていた。
「……あ、あのー……?」
初対面の老人に長時間見つめられ、さしものハルトも気まずくなってくる。
少し引き気味のハルトに、教皇は苦笑した。
「いや、すまない。確かに彼に…君のお父君に、とても良く似ている…と思ってね」
「え?」
「は?」
「へ?」
グリードの言葉に、ハルトとマグノリアとアデリーンが同時に声を上げた。
「え、父上に…って、父のこと、知ってるんですか?」
「待ってくれ聖下。こいつの父親って、貴方の知己なのか?」
「ちょっともう、どういうこと?何がどうなってるの?」
狼狽える三人を、微笑ましげに眺める教皇。
「ああ。君の父、リュート=サクラーヴァにはとても世話になったのだよ」
「えええ?」
ハルトは、教皇の口から出た名に仰天する。
リュート=サクラーヴァ。
それは確かに、彼の父…魔王の、もう一つの名。その名前で地上界に干渉していたことがあると、臣下に聞かされたことがある。
だが、まさか世界宗教の偉い人と知り合いだとは思わなかった。
それに、廉族に紛れるための名を知っているこの教皇は、果たしてそれ以上のことを…リュート=サクラーヴァという名の人間が、実は魔王であったこと…を、知っているのだろうか?
いや、それは有り得ない。仮に知っていたとしたら、自分が魔界の王太子であるという事実もまた、知られていることになるのだから。
父親と教皇の意外な関係(とても世話になった、とはどういうことだろう?)に落ち着かないハルトだが、マグノリアとアデリーンの驚きはそれどころではなかった。
「う……ウソだろ…リュート=サクラーヴァって、あの……?」
「……剣帝……とは同姓同名の赤の他人……だったりは、しない……わよね」
「え、師匠もアデルさんも、父を知ってるんですか?って、剣帝って何ですか?」
三者三様に驚いて狼狽えてワタワタやっている光景を愉快そうに見つめるグリード。こうしていると、優しいおじいちゃん、という風にしか見えない。
「は?お前、父親のことなのに知らねーのか?つか、剣帝を知らない?今までどういう教育受けて来たんだよ?」
「なんかもう、あんたの常識のなさには、どう対処したらいいのか分からないわ…」
どうやら、ハルトの父「リュート=サクラーヴァ」は教皇以外の人間にも知られているらしい…というよりは、ものすごく有名人らしい。
もう一体何が何やら、押し寄せる初耳情報に思考がフリーズして、とりあえず落ち着こう…とお茶をすするハルトだったが、教皇はさらに追加で爆弾を投下してくれた。
「実は、メルディオス殿から連絡を受けてね」
ぶふぉ。
お茶を盛大に噴き出すハルトに形相を変えるマグノリアとアデリーンだったが、彼はそれどころではない。
「な……え……?メルディオス…って…………なんで…ギーヴレイ?」
その名が出るということは、教皇はハルトと魔界の関わりを知っている、ということ。
と言うか、魔王のことも全て知っていたりする…のかもしれない。
「君のご実家とは、ときどき遣り取りがあるんだ。それで、君のことをよろしく頼まれたわけさ」
しれっと言う教皇だが、ハルトは冷や汗ダラダラである。
ギーヴレイの言う、「よろしく頼む」というのは、つまるところ……
さてどうやってこの場を凌ごうか、と普段は全く使わない頭をフル回転させて考えるハルトの内心を読み取ったのか、教皇はマグノリアとアデリーンの方を向いて、
「さてマギー、そしてアデリーン嬢。少し彼と話がしたいから、席を外してもらっても構わないかな?トーミオ村の件については、後ほど詳しく聞かせてもらいたい」
「え、あ………ああ、了解した」
未だ驚き冷めやらぬマグノリアとアデリーンだが、教皇にこう言われては大人しく引き下がるしかなかった。
色々とハルトを問い詰めたい気持ちを押し殺して、二人はその場を退出する。
廊下を進んで先ほどの控えの間に戻り扉を閉めてソファに腰掛けて一息ついてから。
「ちょ、ちょちょちょちょちょ、ほんとにもう、どういうことなわけ?ハルトが剣帝の息子?つか剣帝って息子いたの?なんかもう、初耳過ぎるんだけどちょっとこれどうなってんのよ!?」
「知るか!アタシだって今初めて聞いたんだ、どうなってんのかなんて、分かるはずないだろ!」
ひとしきり騒いだら、ちょっと落ち着いた。
控えの間には、セルフサービスだがお茶やお茶菓子が用意されている。
お茶を淹れるという行為で心を静めたマグノリアは、改めてハルトのことを考えてみた。
「……まぁ、確かにあの剣帝の息子なら、ハルトの規格外の基本スペックは寧ろ納得がいくってもんだよな」
「それは…確かにそうね。剣帝は確か、魔導士としてもとんでもない実力者だったって話だから、彼の魔導適性も父親譲りだと考えれば…………納得……してもいいのかしら?」
マグノリアに続いて自分を納得させようとしたアデリーンだが、やっぱり途中で思い直した。
「にしても、あの魔力量はちょっと普通じゃない気がするんだけど」
マグノリアもそう言われると、自分の判断が怪しくなってくる。
「うーん………けどまぁ、勇者連中ってのは、揃いも揃って化け物じみてたって話だし…」
彼女らは、先の聖戦を知らない。
当時マグノリアは十歳足らず。何かとても恐ろしいことが起こっている、ということは幼心に感じていたが、そしてその際に父親を失ってもいるのだが、具体的にどのようなことが起こっていたのかは完全に蚊帳の外であり、知る由がなかった。
彼女ら力無き人々は、試練の炎にただ怯えていることしか出来なかったのだ。
アデリーンに至っては、当時まだ二歳。物心すらついておらず、聖戦と言われてもピンとこない世代だ。
そんな二人であるので、三剣の勇者と言ってもその名前と功績くらいしか知らない。それは、幼年学校の必須授業で誰でも教わる程度の知識である。
「…まぁ、いいとこのボンボンなんだろうなって想像はしてたけど…」
ハルトの浮世離れしたところは、確かに普通の出自とは思えない。
「え、剣帝って貴族か何か?」
「いや、知らないけど……もし平民だったとしても、確か“天藍なる聖人”に叙されてたんじゃなかったか?」
「あー、何だっけ、聖教会で一番上の称号…だっけ?」
しかし、聖人はあくまでルーディア聖教の中での称号であって、確かに遺族は何不自由ない暮らしを聖教会に保証してもらえるだろうが、王侯貴族のような贅沢三昧、というわけではないだろう。わざわざ凄腕の剣士が護衛にくっついているのも、意味が分からない。
「……………………」
「……………………」
無言になる二人。
やがて、同時に同じ結論に達した。
「……ま、考えるだけ無駄ね」
「別にハルトが何者でも、貸しを返してもらえればそれでいいんだよ、それで」
考えても無駄なことは考えない、自分たちに不都合でなければ物事に深入りしない、というのも立派な遊撃士には不可欠な姿勢なのである。




