第四十三話 タレイラへ
街道を、二台の馬車が行く。
両方とも二頭立てだが、大きさと意匠が異なっていた。
前を行くのは、典型的な貴族所有の、乗合馬車よりは遥かに豪華で、王族や大貴族のものに比べると幾分控えめな造りのもの。
それに続くように、大きめの幌馬車。乗合馬車や隊商でよく見られるタイプ。
前方の馬車に乗っているのは、レーヴェ領主ボルテス子爵と、マグノリア、アデリーン、ハルトの四人。定員ギリギリではあるが余裕を持った造りなので、窮屈さはない。
レーヴェ市からタレイラまでは徒歩で五日ほどかかってしまうのだが、子爵が馬車を出してくれたので楽々二日間で到着することが出来る。体力に余裕のない引き籠もり魔導士と遊撃士未満のぺーぺーを抱えるマグノリアとしては、有難いことだった。
街道は整備されていて宿場町も多く、魔獣もほとんど出没しないのでかなり順調な道中だった。
が、この後のことを考えると気が重い子爵とマグノリアは悶々としているし、来たくなかったのに強引に連れ出されてしまったアデリーン(彼女は出発直前まで頑として布団から出ようとしなかった)は仏頂面だし、ハルト一人が初めて行く大都会にワクワク胸を高鳴らせていた。
「師匠、師匠。これから行くタレイラって、リエルタ市よりももっと都会なんですよね?」
無邪気に尋ねてくるハルトを無下にも出来ず、マグノリアは渋々ながらも会話に付き合う。
「ん、ああ。大陸一の都市だな。交通の要所だし商業が盛んで、さらに現教皇のお膝元ってことで信仰面でも大きな意味を持ってる」
そして教皇庁の支所もあり、そこで今回の経緯を洗いざらい報告しなくてはならないわけだ。
マグノリアの説明にそのことを否応なしに再確認させられて、子爵は密かに溜息をついた。自分のような田舎貴族の嘆願を、どの程度教皇庁が聞き入れてくれるのか、全く自信がないのだ。
今回の件については村長ら村の指導部の企みであって、トーミオ村の人々は何ら関係していない。だが、「知らなかった」で許されるほど異端審問は甘くない。
一体どれだけの罰が与えられるか分からない現状、子爵にとってこの道程は処刑台に続く道に見えてしまう。
「…きょうこう……」
マグノリアの言葉に、ハルトがまたもやきょとんとした。
「えっと、そのきょうこう…さん?って、どんな人なんですか?」
素朴な疑問に、馬車の中が凍り付いた。
「…………お前、まさか…教皇が何なのか知らないとか、まさかそんなこと言わねーよな?」
「はい、知りません」
悪びれず答えるハルトに、残り三人は絶句。
「ウソでしょ……常識知らずにも限度ってもんがあるんだけど」
アデリーンにだけは常識とか言われたくないハルトだが、他の二人の表情を見てもどうやら分が悪そうだ。
「……ちょっと、まぁ、お前の無知っぷりにはいい加減慣れたつもりだったんだが、まだまだアタシの認識が甘かったみたいだ……」
呆れるを通り越して愕然とするマグノリアだが、この件に関しては無知なままでいられると困る。何せ、これから会いに行くその人物はVIP中のVIP、世界の指導者的存在なのだから。
「ルーディア聖教は、分かるよな?」
「…………なんか、宗教的な?名前くらいは聞いたことある…と思うんですけど………」
自信なさげなハルト。
王城での勉強の際に、ほんの僅かだけ地上界の文化風習にも触れた記憶がある。だがそれは本当に少し触れただけ、といった程度で、地上界や廉族を軽んじている魔界ではあまり馴染みのない名なのだ。
「…マジか………そこからか…………」
このことを知ったのが今で良かった、とマグノリアは心底安堵した。これがもし、教皇の面前でこんなことをぶちまけられたのであれば、かなり色々とヤバいことになっただろう。
王様の面前で、「アンタ誰?」と問うのに等しいのだから。
「あー……ルーディア聖教ってのは、この世界を作った創世神を唯一神として崇める宗教。地上界じゃ、人口の9割以上が信徒だ。世界宗教ってやつな」
「…へー、そうなんですかぁ」
頷いているハルトだが、果たして本当に分かっているのだろうか。
「で、これから会いにいく教皇ってのは、ルーディア聖教のトップ。一番偉い御仁ってわけだ」
「…王様なんですか?」
「王権は持ってない。けど、下手な国王よりもよっぽど権力を持ってる。なんせ、王様たちもほとんどがルーディア聖教徒だからな。そういう意味じゃ、世界一偉い人物って言っても過言じゃない」
マグノリアのその言葉を天使族や魔族が聞いたなら、異論が噴出したであろう。しかしそれは地上界においては一般常識レベルの共通認識である。
「そんな偉い人に、今から会いにいくんですか?」
「おう、そーだよ。だからくれぐれも大人しくしててくれよ。つか、アタシが許可するまでは、勝手な行動は禁止。口を開くのも禁止。とにかく人形みたいに黙って突っ立っててくれ」
教皇自身は、決して狭量な人物ではないとマグノリアは知っている。が、流石に分を弁えることを知らないハルトの振舞いをどこまで容認してくれるか分からないし、周りの付き人や聖職者の反応も怖いし、何よりこれから気の重い報告をしなければならないのに余計な心配の種は御免だった。
「…?よく分からないけど、分かりました」
ハルトは素直に頷いてくれたのだが、完全には信じ切れないマグノリア。彼は言わば爆弾のようなもので、どこでどんな小さな衝撃でいきなり爆発するか知れたものではない。しかも一人で爆発しててくれるのであればいいものを、質の悪いことに周りを…マグノリアを巻き添えにすることは確実。
彼女と子爵は、後ろの幌馬車に乗せているトーミオ村の長老たち…もちろん監視の兵付き…に目を光らせなくてはならないのだが(アデリーンはアテにならない)、ハルトからも完全に目を離すことは危険だと二人同時に理解し、相互に協力して彼の非常識行動を未然に防ぐことを無言のうちに申し合わせた(アデリーンはアテにならない)。




