第四十二話 呼び出しってなんか緊張する。
レーヴェ市にある、一軒宿。
その裏手の空き地で、レオニールはネコと向かい合っていた。
宿に搬入された食材が入っていたと思われる木製の空き箱の上にネコはすまし顔で座り、レオニールはと言えば…
……見事な土下座スタイルだった。
「…し、知らぬこととは言え、大変な無礼を働いてしまったこと、どうかご容赦いただきたく…」
「んにゃお?」
「いえ、その、私と致しましてもあの状況で理性を保つことは非常に困難で……それに、まさか貴方様がかような場所においでだとは思いもよらず…」
「ににゃ」
「いえ!決して言い訳などではございません!!」
しれっとした顔のネコに対し、レオニールはひたすら平身低頭で謝罪を続ける。
ハルトが(何故か)無事だったことに安堵した一方、激昂した自分がやらかしてしまったツケは残っていたのだ。
「しかし、エルネスト様も殿下のお傍にいらっしゃったのであれば、一言お教えくださっても良かったではありませんか」
「なぁーう」
「も、申し訳ございません出過ぎたことを申しました!」
そもそも、エルネストは最初からハルトと行動を共にしていたのであり、それをレオニールに伝えておいてくれさえすれば(ハルトじゃあるまいしレオニールの存在に気付いていなかったなんてことはないはず)、事態はもっとスムーズに終わらせられたのに。
そう思って愚痴をこぼしたかったレオニールだが、咎めるようなネコ…エルネストの返事に慌ててそれを撤回した。
魔王城内での官職だけで言えば、エルネストよりもレオニールの方が上である。かたや王太子の私的な側役に過ぎないエルネストに対し、正式に護衛騎士を任命されているレオニール。
しかし、両者には官職だとか実力だとか功績だとかとは無縁なところで、大きな差があった。
エルネスト=マウレは、魔王の眷属である。
全て創世神の構築した理の上に存在する全生命体と異なり、彼と彼の兄だけは魔王自らがその存在を定義した。
それは、魔王絶対主義の魔界において、彼が特別な存在であるということを示す。
どのくらい特別かと言うと、魔界のナンバー2(実質的にはナンバー1)である宰相ギーヴレイでさえ、エルネストに対しては命令権を有していない。実際には色々と指示することはあるようだが、例えエルネストがそれを拒んでも強要することが出来ない。
さらに言うと、仮にハルトに万が一のことがあった場合、魔王の後継者としてエルネストかその兄の名が真っ先に挙げられることになる。
そういった事情があり、またレオニールのような若輩にとってエルネストは魔王に直接仕えていた先達ということもあり、力関係は完全にエルネストが上だったりするのだ。
そんな相手に対し、知らなかったとは言え、暴言&無礼の数々。生真面目なレオニールが頭を上げられずにいるのもやむを得ないことだろう。
「それで、その……お教えいただきたいことがあるのですが…」
「んに?」
「昨夜の、ハルト殿下のご様子は……あれは、一体どういうことなのでしょうか」
「にゃにゃ、んにゃ」
「確かに、殿下は偉大なる魔王陛下の御嫡男として非常に優れた能力を秘めておいでだとは存じておりますが、しかしあのときのアレは…」
「ににゃお、にゃんにゃなーお」
「……………………エルネスト様」
どこか煙に巻くようなエルネスト…ネコに対し、レオニールは大真面目な顔で頭を上げた。
「……何を仰っているのかまったくさっぱり分かりません」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
そこは、一面の花畑だった。
見渡す限り、地平線の彼方まで続く極彩色の絨毯。澄み切った青空。吹き抜ける爽やかな風。
咲き誇る花々の中を駆けるメルセデスは、さながら舞い踊る花の精だった。
「ふふ、うふふ。ほら、ハルト。早くいらっしゃいな」
「あはは、待ってくださいよー、メルセデス」
ハルトを誘うように揶揄うように、メルセデスはハルトの伸ばした手をするりとかいくぐり、蠱惑の笑みで彼を翻弄する。
「ほらほら、何をしているの?そんなんじゃ、私に追いつくなんて、さらに並ぶだなんて、出来ないわよ?」
「んもー、言ったなー。ボクだって、その気になれば……」
「きゃあ!」
ふくれっ面で、ハルトはメルセデスに飛びついた。その細くたおやかな腕をつかみ、勢いで押し倒すような形になる。
メルセデスは、楽しげな悲鳴を上げて彼に身を委ねた。
花の絨毯の上で、見つめ合う二人。
「メルセデス……ボク、ボクは、あなたのことが……」
意を決したハルトの唇に、メルセデスはそっと人差し指をあてた。
「それ以上は、言わなくても分かってる。そして私の返事も、分かってるわよね…?」
「メルセデス……」
「ハルト……」
そのまま二人の距離は近付いて…………
「いい加減にしろ!!」
ごちん。
ハルトにもたらされたのは、メルセデスの熱く柔らかな唇ではなく、叱責と拳骨だった。
「痛て!……何するんですかメルセデス……って、あれ?」
「誰がメルセデスか!気色悪い夢見てるんじゃねー!!」
流れとしては情熱的かつロマンチックなキスシーンになるはずだったのに予想外の行動に出た愛しい人に抗議しようとしたハルトは、それがメルセデスではないことに気付いた。
「……あれ?師匠………?」
「ようやく起きやがったか…」
殴られた頭を押さえながら起き上がったハルトに、マグノリアは疲れた表情で手近な椅子に座り込んだ。
なお、拳骨を落とさなければ寝ぼけたハルトの熱い接吻を受けてしまうところだった。
それについては惜しいことをしたかも、という本音が全くないというわけでもなかったが、非常に恥ずかしかったのでこれで良かったのだ、とマグノリアは自分に言い訳をした。
「えっとー……あれ?メルセデスは?今すっごくいいところだったんですけど…」
「……なんか大体は分かってる。けどそれは夢。いい加減、現実に戻ってこい」
ハルトは、まだ状況が上手く呑み込めていないようだ。
そもそも、自分が何故ここで寝ていたのかも分かっていない様子。
マグノリアがまず最初に確認したかったことに、
「…で、何も異常はないか?」
ハルトの体調があった。
「異常?」
「どこか痛むとか、変な感覚がするだとか、或いは感覚がないとか、とにかくいつもと違うところはないか?」
「えー……?いえ、特には………」
真剣な表情で覗き込まれて、ハルトは自分の体調を再確認する。
別に怪我もしていないし、疲れもない。ついさっきまで見ていた素晴らしい夢の名残である高揚感と、一番いいところでそれが中断されてしまった落胆はあるけれども。
特に問題なさそうなハルトを見て、マグノリアは安堵の息をついた。
しかし、まだ確認したいことがある。
「ハルト、お前さ…どこまで覚えてる?」
「どこまで?って何をですか?」
「昨夜のことだ」
尋ねられて、ハルトは記憶を引っ張り出した。
「昨夜…は、ええっと、土地神さまが願いを叶えてくれるっていう泉に行こうと思ってて、そしたら悲鳴が聞こえて………あ、そうだ!」
思い出している最中に、突然顔を輝かせた。
「なんか怪しい奴らが女の人たちを襲ってて、ボク、そいつらをやっつけたんです!」
その表情は、お手伝いをしたことを親に報告して褒めてもらうのを待っている子供そのものだった。手柄の吹聴だとか武勇伝とは全く異なる幼い主張に、思わず微笑ましく顔がにやけそうになってしまうマグノリアである。
が、重要なのはその先だ。
「それで、その後は?」
「その後…?…………んーと、確か村長たちが来てくれて、それで…………あれ?それからどうしたんだっけ」
思い出そうとするハルトだったが、そこから先の記憶がすっぽりと抜け落ちているようだった。
「……そうか、ならいい」
マグノリアとしては、そう言うしかなかった。自覚も記憶もないハルトに、昨晩彼が…彼とは思えない何かが…為したことを説明するのは容易ではなさそうだったし、それについては出来得る限り口外しない方がいいような気がしてならなかった…例え本人に対しても。
その後、ハルトには事実を脚色して説明した。脚色と言うよりも、省略と言うほうが適切か。幸い、ハルト自身があまり探求心が強くないというか分からないことを分からないままにして平気なタイプだったので、実は村長と長老たちが黒幕で子爵は少女らを守っただけだった、という簡単な説明で満足してくれた。
「……そうだったんですかー。それじゃ、もう何も心配はいらないんですね?」
ハルトが眠っている間に、子爵により黒幕は全員縛に就いた…死んだ村長を除いて。トーミオ村はいきなり指導部を失ってしまうことになったが、それに関しては子爵の方から管理人を向かわせると言う。
あわや生贄にされかけた少女たちのショックは小さくなかったが、何はともあれ無事だったので全体としては一件落着、である。
…のだが、まだ問題は残っていた。
「ああ、まぁ、失踪事件そのものについては、一応解決ってことになる…んだが、アタシらはこれからタレイラに行かなきゃならない」
「…タレイラ?」
「ああ。色々あって、呼び出しを食らった。今回の件に関わった者は全員連れてこいって言われてさ」
マグノリアは、苦虫を噛み潰したような顔をしている。
彼女のところには、教皇庁から連絡があった。
子爵を屋敷から遠ざける目的で教皇の手を借りた時点で、失踪事件については知られている。その詳細説明をせよ、とのことだ。
世界宗教の最高権力者を利用したのだから、それなりの筋は通さなくてはならない。
「えーと……分かりました……?」
イマイチ状況が呑み込めていないながらも、ハルトにはそれを拒む気はなさそうだ。メルセデス絡み以外では主体性のない彼なので、言われれば何処にでも行ってしまうのだろう。
だが、マグノリアの本音としては、ハルトを教皇のもとへは連れて行きたくなかった。彼の正体不明の能力が万が一看破されてしまった場合、聖教会がどういう反応を見せるかが予測できない。
それだけ、ハルトの能力が規格外だということもあるが、聖教会が秩序を守るために見せる強権的手法も恐ろしかった。
それでも、教皇に後ろ暗い面は持ちたくなかった。それは信仰ではなく、ましてや親愛の情などでもなく、相手に対して弱みとなる要素を出来るだけ排除したい、という意地に近い感情だった。
結果、現在教皇が滞在している大都市タレイラには、マグノリアとハルト、アデリーン、ボルテス子爵とその執事、捕らえられたトーミオ村の長老たちが向かうことになった。
なお、生贄にされかけた少女たちは、被害者ということで容赦してもらった。必要があれば、教皇庁から村へ人が遣わされることだろう。
「あ、でも、遊撃士試験……」
「まだ少し間があるだろ。子爵が馬車を出してくれるってさ。それに、何ならタレイラでも遊撃士試験は受けられるから、安心しろ」
騒ぎのせいですっかり忘れていたが、ハルトの一番の目的は遊撃士試験に合格することだった。
それを思い出し、危ない危ない忘れるとこだったこれでうっかり試験を受けさせ損ねたらハルトが可哀想だな、と考えた後で。
マグノリアは、彼女の一番の目的を思い出した。
「……師匠?どうしたんですか師匠?」
いきなり頭を抱えたマグノリアに、ハルトは首を傾げた。
「………忘れてた。結局、今回の件じゃ完全に奉仕活動じゃねーか……」
トーミオ村の依頼は、虚偽申告のせいでキャンセルされてしまっている。それに基づく違約金は、ギルドに支払われるのであってマグノリアたちにはビタ一文入ってこない。
依頼はあくまでもハルトが個人的に請け負ってしまったものだ。
マグノリアはギルドの受付嬢に言われて様子を見に来た、という体を取っているが、それだって正式な契約ではない。
全て片付いたら礼金という形で村長から幾許かせしめてやろうと考えていたわけだが、指導部がまるっと不在になってしまった村にどう請求しろというのか。
残る手段は、子爵に始末料という名目で請求することだが、考えてみればそもそも少女らを保護しようとしていた子爵を妨害しまくったのは自分たちである。それを思うと、手を貸してやったんだから対価を寄越せ、とは言いづらい。
「……また魔導具も消費しちまったし……全然稼げてないし…………あああああふっざけんなよ死にそうな目に遭ってタダ働きって割に合わなさ過ぎるじゃねーかぁもとはと言えば全部このガキ……」
「師匠?具合悪いんですか?だったら休まないとダメですよ」
ハルトが疫病神にしか見えなくなってきたマグノリアだが、元凶であるハルトはどこまでも呑気に無邪気に、マグノリアの不調を心配するのだった。
因みに、魔王の眷属というとマウレ兄弟だけじゃなくって、武王のイオニセスと、堕天使セレニエレも含まれます。
が、魔王によって存在を定義されてるという意味で本当の眷属と言えるのは、ルガイア兄ちゃんとエルネストの二人だけです。




