第三十九話 アデリーンのとっておき
魔導具の糸に絡みつかれ動きが鈍くなった魔獣に、マグノリアと子爵は斬りかかる。
動きを封じた…と言っても完全に動けなくしたわけではなく(本来はそういう魔導具だが、魔獣のレベル的にそれは叶わなかった)、油断すれば爪や牙、尾による反撃が帰ってくる。
魔獣の防御力は、オロチほどではないがグリフォンよりも強固。見た目にはフワフワの体毛に覆われているのだが、よく見ればその毛一本一本はまるで極細の針金。それが幾重にも重なり、さながら鎖帷子のようだ。
特に子爵の攻撃はパワーに不足しているので、もっぱら牽制専門となっている。
「【地牢縛鎖】!」
丁度二人が魔獣の攻撃を避けるため距離を取った瞬間、アデリーンの声がした。
彼女の放った地系統術式で重力を三倍くらいに高められた魔獣の体は、地面に縫い付けられた。
「…アデル!」
「ごめん、遅くなった。状況は後できっちり説明してもらうからね!」
アデリーンも、戦線に参加。これは非常に心強い。
何せ、マグノリアも子爵も前衛タイプなので攻撃が単調になってしまうのだ。そこに魔導士が加われば、戦術に選択肢が増える。
「よっしゃ。今のうちに片を付けるぞ!」
粘性の糸と重力の鎖に拘束され、今度こそ完全に動きを封じられる魔獣。怒りと苦悶に唸り声を上げるが、三人は構わず攻撃を続けた。
何度目かの攻撃術式の後、アデリーンは魔獣の異変に気付いた。うずくまり、じっとしている。
それは三人の攻撃に耐えている体勢のように見えたが、しかし彼女の目は魔獣の中で急速に高まる魔力を捉えた。
「マギー、子爵、下がって!」
アデリーンの警告に、二人は疑問を挟むことなく即座に魔獣から離れる。マグノリアが無言でアデリーンの背後に回ったので、子爵もそれに倣った。
「【地守壁】!」
二人が後退した瞬間、アデリーンは待機させておいた防御術式を展開した。余談だが、この術式待機という技術、魔力の多寡とは関係ない部分で才能頼みの能力であり、これが出来る出来ないで魔導士としての実力が大きく左右される。
大地の壁がせり上がり、巨大な盾となる。
それとほぼ同時に、うずくまっていた魔獣が…三つの頭のうち、鷲が高らかに咆哮した。
魔獣を中心に、暴風が吹き荒れる。
何となくの見た目と魔力の匂いから、アデリーンはそれが大気属性の魔獣だとアタリを付けていた。だからこそ相性のいい地系統の術式を多用し、防御にもそれを選択したのだ。
激しい風が、大地の盾を打ち据える。
風に強い地の術式ならば、安全なはずだった。
しかし、アデリーンの前で大地の壁に亀裂が入った。刃のような風が、次々と襲い掛かり土を削っていく。
「そんな!?」
魔導のセオリーを無視するかのような現象に驚きの声を上げつつ、アデリーンは壁を強化するべくさらに魔力を注ぎ込む。
しかし、壁が強化され修復されるより、それが削られる速度の方が勝っていた。
「アデル!!」
マグノリアが、アデリーンに手を伸ばした。
大地の盾が、粉々に砕け散った。
盾を失った三人に、暴虐の風が襲い掛かった。
アデリーンを固く抱きしめたまま、マグノリアは吹き飛ばされた。飛ばされながらも、アデリーンの身体が地面に叩きつけられないように自らを盾にする。
何メートルか飛ばされ地面をごろごろと転がって、ようやく止まってから魔獣を見たマグノリアは、舌打ちした。
今の風のせいだろうか。魔獣を捉える糸は全て断ち切られ、アデリーンの拘束術式も効果を打ち消されているようだった。
「アデル、無事………っ…」
腕の中のアデリーンの無事を確かめようとしたマグノリアだったが、自分の身体に走った激痛に呻いた。
「他人のことより、自分のこと気にしなさいよ!」
「………悪い。……くっそ、ただの風じゃなかったってわけか」
マグノリアの左脇腹と大腿部に、大きな裂傷が生じていた。
魔獣の風の中には、真空波が隠されていたようだ。利き手が無事なだけマシとも言えるが、足をやられたのは痛い。
「おい、子爵。アンタは無事…………じゃ、なさそうだな…」
子爵に目を向けるマグノリアは、彼が右肩を押さえて立ち上がろうとよろめいているのを見た。
「…最悪だな、こりゃ」
言いながらマグノリアは、ポーチからハイポーションを取り出して飲み干す。子爵には、アデリーンが同じものを渡していた。
だが、戦闘中におけるポーションなどは気休めにしかならない。痛みをやわらげ、少しばかり出血も抑えてくれる効能があるが、そして傷の回復を早める効果もあるが、それを待ってくれる敵など存在しない。
現に、魔獣は自由になった喜びを露わにして、舌なめずりをした。動けなくなったマグノリアたちは、魔獣にとっての外敵から食料へとクラスダウンしてしまったのだ。
「…ねぇ、マギー。あの娘らさ、どこまで行けたと思う?」
「え…?まだそんなに経ってないし、村の避難も終わってないんじゃねーかな…」
祭りの真っ最中に魔獣が出たから逃げろと言われても、即座に行動に移すことは困難だろう。下手すると、パニックが起こって余計に事態が悪化しているかもしれない。
「あと、どのくらい持ちそう?」
「正直……自信ねーな。動きを封じても、すぐ解除されちまうし……」
弱音を吐きながらも、マグノリアは立ち上が…ろうとして膝をついた。太ももの裂傷は思ったよりも深く、痛みと急激な出血のせいで身体の自由が効かない。
思うようにならない身体に内心で喝を与え、なんとか立ち上がる。立つことは出来たが、そこから動くことさえ出来ない。
「けど、もー少しカッコつけたいもんだよな、師匠としては」
「…あなた、そんなキャラだったっけ?」
強がるマグノリアに、アデリーンが白け気味にツッコんだ。いつのまに相棒は、気合と根性の熱血漢に宗旨替えしたのだろうか。
「……ま、それも悪くないけど」
が、存外にマグノリアにはその方が似合うと思い、彼女に肩を貸す。
「手伝ってくれんのはありがたいけど…なんつーか、ちょっとバランスが……」
「うっさいわね!背が違いすぎるんだから、仕方ないでしょ!」
軽口を叩いてはいるが、視線は魔獣に固定している。
マグノリアが庇ったおかげでアデリーンのダメージはそれほどではないが、肝心の前衛二人が戦闘不能に近い状況。
「…仕方ないわね、とっておきをくれてやろうじゃない」
アデリーンが、不敵に笑った。それを見て、マグノリアが何故か溜息をつく。
「ちょっと何よその反応。事態を打開してやろうってんだから、ちょっとくらい無理しなさいよね」
「分かってるけどさぁ……ちょっとくらいじゃ絶対済まないからさぁ……」
やれやれ、と肩をすくめ、マグノリアがポーチから取り出したのは小さな小瓶。回復薬に似ているが、中身は全くの別物。
「なんだ、やっぱり持ってたんじゃない」
「そりゃ、ソロだからな。……だからソロじゃないのにこれ使うのは嫌なんだよ…マジで」
「四の五の言わない。ソロだろうがパーティーだろうが、死んだら終わりでしょ?」
アデリーンに尤もなことを言われ、観念したマグノリアは瓶の中身を一気にあおった。
そして、肩を貸してくれていたアデリーンから離れると、再び魔獣に向かって走る。
それを見た子爵は、目を丸くした。
彼女の動きは、まるで怪我を思わせない鋭いものだった。しかし、傷が癒えたわけではない。今も、傷付いた腹部から、脚から、血は流れ続けている。
仮に気合だの根性だので痛みをねじ伏せたとしても、これではあまりに無理が過ぎる。
傷付いた彼女の身体が無言の悲鳴を上げているのを、子爵は聞いた気がした。
先ほどマグノリアが服用した薬品。
あれはおそらく、痛みを麻痺させるものか…それだけではなく、身体強化も付与されているように見える。
言わば、強力なドーピング剤。
しかし、肉体が回復したわけでもなく薬の力でダメージを誤魔化しているだけなので、その副作用も大きかろう。
何より、そんな無茶が長く続くはずもない。
ならば、何の理由でマグノリアがそんな無茶をしているのか。
その答えは、すぐに出た。
マグノリアが素早く動き回り、魔獣を牽制し、翻弄する。
彼女がほとんど攻撃を仕掛けていないことに、子爵は気付いた。魔獣の注意を引くために斬りつけることはあるが、ダメージを狙って深追いすることは決してない。
そして、マグノリアが時間を稼いでいるうちに、アデリーンが詠唱を終えた。
アデリーン=バセットのとっておき。
人類が到達しうる最高難度の、そしてかの“黄昏の魔女”直伝の、炎熱・雷撃複合上位術式。
「マギー、離れて!ぶちかますわよ!!」
マグノリアに警告を発してから解き放つのは、全てを焼き尽くす奔流。
「【爆炎雷渦】!!」
魔獣を、炎の渦が包み込んだ。
前作ではぞんざいな扱いの上位術式ですが、地上界一般の感覚ではチート的なレベルだと認識されてます。




