第三十二話 パラダイムシフトはときに意図せずして引き起こされるものである……多分。
時間は、ほんの少し遡る。
「んー……何かおかしいのよねー…」
首を傾げるアデリーン。目の前には、集中疲れでへばっているハルト。後ろには、一体いつまでこの人たちこんなことやってるんだろう?と不安そうな娘さんたち。
子爵に夏至祭りまでは休戦だと申し出たおかげで時間が出来たアデリーンのすることと言えば、ぐーたらするのと食べるのとハルトをしごくことだけ。
閉じ込められていては出来ることも限られているとは言え、脱出方法を探ることさえしない。と言うかそもそも、脱出しようとさえ思っていない。
そしてハルトは完全に被害者である。
彼がすることと言えば、アデリーンの実験台になるかアデリーンにしごかれるか。脱出方法を探る余裕なんてありはしない。
「ここまでやってて出来ないってのも……寧ろ出来ないっていうより、出来ないと思い込んでる……或いは…深層で拒絶……?魔力は確かに動いてるのに本人が感じられないってのも妙だし……」
始めのうちはハルトを罵倒していたアデリーンだったが、大真面目に頑張っても一向に進まない彼の姿に、やる気の問題ではないのかもしれないと思い始めていた。
「そう言えばハルト、あんたマギーに剣を教わってるのよね?」
「…え?……はい、そうですけど……?」
「どんなことやってるの?」
「え…と、まだ型稽古だけです。師匠がやるのをそのまま真似てるだけなんですけど…」
ハルトとしては、そろそろ実戦訓練もしたいところである。だが、それどころか地下へ来てから素振りくらいしか出来ていない。
「…それ以前には、どこかで習ってたの?」
「いいえ?師匠に会うまでは、剣なんて全然使ったことありませんでした」
剣と魔導は、根源からして違う。しかし、それが力という要素のもとに存在するものであるからか、必要とされる技能や鍛錬は意外に似通っていたりする。
勿論、魔導に筋肉は必要ない。剣に、演算や呪文は必要ない。
しかし例えば精神集中だとか、攻めるか引くかの判断だとか、反復によって体に染み込ませるだとか、基本的な概念は共通しているものが多い。
ハルトの型稽古を数日見ていて、アデリーンは彼が長い間どこかで剣を習っていたのかと思っていた。だが言われてみれば、その剣筋はマグノリアのものと酷似している。
二人が出逢ったのはつい最近のはず。その短期間で、ハルトはマグノリアの剣筋を一部とは言え盗んだのだ。
その模倣能力には、目を見張るものがある。
「だったら……剣で出来るなら、魔導でも…………いやいやまさか……けど理屈でダメなら理屈抜きって方法も……………………試してみるか」
何かを決めたアデリーン。
ハルトの正面に来ると、目線を合わせて座り込んだ。
「……あの、アデルさん?」
「ちょっと遣り方を変えてみましょう」
アデリーンは、魔導教育のセオリーを無視することにした。
「自分の魔力の流れを感じるってのは基本中の基本なんだけど、誰にでも出来ることがあんたに出来ないってのも変な話なのよ」
「………はぁ」
「もしかして、あんたは変に意識しすぎてるのかもしれない」
もっと上級者であれば時折あることなのだが、自然に、無意識のうちにやっていたことが、意識しすぎることによって出来なくなってしまう…ということがある。所謂、スランプというものである。
上級どころか下級の入口にさえ立っていないハルトではあるが、それと似たような現象が起こっているのではないかとアデリーンは思ったのだ。
本当は見えているのに、意識しすぎて逆に見えなくなっている…みたいな。
そうなったときの対処法は一つ。何も考えないこと。考えるのではなく、感じること。能動的ではなく、受動的であること。
しかし言葉で伝えるのは難しい。ならば、見せればいい。
見えないものを見ようと必死になるのではなく、見えるものに集中させる。否、見えるものだけに集中させる。
ハルトの中から思考を放棄させ、からっぽの状態で本能に訴えかける。
「いい?よく見るのよ、理屈とか考えなくていいから、ただ私を見てなさい」
アデリーンはそう言うと、自分の中の魔力に働きかけた。自分の中。深い深い根源と、世界が繋がる部分。その流れを感じ、その流れに触れる。
「…どう?分かるでしょ?」
「……………………」
ハルトの返事はなかった。他者の魔力の流れを感じることが出来るのは一部の特殊スキル保持者のみなので、分かるかと言われても本来は無理な話なのだ。
しかし、その沈黙は決して否定の意味ではないと、アデリーンは感じ取っていた。
ハルトの目。その焦点が、自分の奥深くに据えられている……そんな感覚があった。ふと、その双眸に銀色の光を見たような気がした。
「いい、私の真似をしてみて。ただ真似するだけでいいから」
もう一度思考の放棄を言いつけると、アデリーンは詠唱を開始する。その言の葉と共に、魔力を相応しき形と濃度に調節していく。
彼女が選択したのは、雷撃系低位術式【雷霜】。雷撃系の中で最も基本的な、初歩中の初歩の術式である。実際の戦闘で用いられることは少なく…というかほとんどなく、もっぱら初心者の教導に用いられるものだ。
彼女がそれを選んだのは、詠唱が短く構造が単純で…すなわち模倣しやすく、また威力は静電気に毛が生えた程度という極小で…すなわち扱いやすく暴走しても被害はほとんどない、簡単な術式だからだ。
アデリーンは、自分のあとに続いてハルトがたどたどしくも詠唱を重ねるのを注意深く見守っていた。
確かに彼の中に、魔力は渦巻いている。一度感覚を覚えれば、ハルトにも分かるようになるだろう。
ハルトの内部の魔力の流れ。春の小川のように穏やかなそれは、ハルトが呪文を紡ぐごとに変化していく。
流れを増し、渦を巻き、世界と繋がる極細の糸が煌めきながら揺蕩って…
「………え…?」
アデリーンが異変を感じたのとほとんど同時に。
堰が切れたかのように、濁流が押し寄せた。
制御など不可能な、暴力的なまでの魔力の奔流がハルトと繋がるのが、一瞬だけ視えた。
どこか虚ろな蒼銀の瞳で、ハルトはぽつりと、アデリーンがしたのと同じようにその名を口にする。
「ハルト、待…」
「…【雷霜】」
言いようのない恐怖を感じハルトを止めようとしたアデリーンも、何も気付かず見ていた娘たちも。
具象化した破壊の雷が、それらごと地下の空間を、貫いた。
「…にゃーお」
視界を埋め尽くす真っ白な光と薄れる意識の中で、アデリーンはどこか遠くに猫の鳴く声を聞いた…ような気がした。
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「な……んだったんだよ……今の………」
完全に地面にへたり込んで…決して腰を抜かしたわけではないと、彼女の名誉のために付け加えておこう…マグノリアは茫然と呟いた。
幸運にも、雷の直撃は避けられたようだ。マグノリアもレオニールも無事である。だが、雷が落ちた裏庭の一角が、見るも無残に破壊されていた。
ふと空を見上げると、いつの間にか黒々とした雷雲は消え去っていた。いくらなんでも不自然極まりない。
「これは………まさか」
レオニールは、マグノリアよりも幾分かはしっかりしている。何かに気付いたかのように、雷の落ちた場所に駆け寄ろうとして……
「ちょっと!何なのよあんた、今の何なのよ!!」
「ご……ごめんなさい~」
責めるような声と責められるような声が地面の下から聞こえてきて、慌てて物陰に逃げ隠れた。
「え…おい、レオ?」
いきなりどうした?とマグノリアが怪訝に思ったとき、地面にぽっかりと空いた穴の中から、何かが這い出てきた。
「……って、ハルト?アデルも、何やってんだよこんなとこで!!」
まさか二人が地面の下からゾンビよろしく這い出してくるとは思っていなかったマグノリアは、素っ頓狂な声を上げる。それから、レオニールが慌てて姿を隠した(隠れきれてないけど)理由に気付いた。
「何って色々……色々、大変だったんですよぉ……」
ハルト、泣き顔である。さてはやはり子爵に捕らえられていてあんなことやこんなこと(どんなこと?)、相当酷い目に遭わされたのかとマグノリアの頭の中が沸騰しかけたところで、
「ねぇ何!?今のどういうこと?ねぇ、ねぇったらどうなってんのどういう理屈でどういう仕組み!?」
「ししょお~、助けてください…」
ハルトの表情(アデリーンを怖がってる)とアデリーンの表情(興奮している)に、何があったのかを瞬時に悟った。
「ねぇほんと、これちょっと魔導理論とか魔導力学とか根本から覆しちゃうんだけどねぇどうなってんのねぇねぇちょっと解剖してみてもいい?」
「いいはずないですよぉ~」
アデリーンの興奮具合が尋常ではない。マグノリアの知る限り、彼女はハルトにほとんど興味を持っていなかったようなのに、一体何があったのか。
「……なぁ、アデル。もしかして、今の雷…………」
まさかとは思うが、タイミング的にひょっとしたら…と尋ねてみたマグノリアは、自分を振り返ったアデリーンの血走った目と狂気めいた表情に、思わず一歩引いた。
「そう、そうなのよ!何がどうなってんのかさっぱりなんだけど、彼、とんでもない逸材よ、って言うかもう人間とは思えない常識では考えらんないなんで初歩の低級術式であんなんになるわけ信じられない!」
鼻息荒く語るアデリーンは、ハルトの腕をがっちりとホールドして放そうとしない。ハルトの表情にはだんだん諦めめいたものが混じり始めていた。
「ま……まぁ、落ち着けってアデル。とりあえず、何があったのか…ハルトの件だけじゃなくって、詳しく説明してもらえるか?」
マグノリアとしても、気になるのはこの雷のことだけではない。ハルトたちの後ろから、不安そうな表情でぞろぞろと若い娘たちが穴から出てきたのを見て、今はそれどころではないと思い直した。
「んもー、私はそれどころじゃないのよ。これは今までの魔導を根本から覆す大転換点になるかもしれ…」
野暮なこと(アデリーンにとって)を言い出したマグノリアに抗議しかけたアデリーンだったが、ふいに言葉を止めた。
突然、地面が揺れたのだ。
「え、え?何ですか?」
揺れる足元に、ハルトも娘たちも何事かとキョロキョロしている。事態の厄介さに気付いていない彼らを尻目に、マグノリアは即座に剣を抜いて警戒態勢に入った。アデリーンも同様に、ハルトを放り出すと魔導杖を構えて周囲に視線を走らせた。
「あの、師匠、アデルさん?この地震は……」
油断なく警戒する二人に、ハルトは不安そうに駆け寄った。協力する…というよりは、二人の背後に隠れ気味である。
「…地震じゃねーな」
「なるほど、強引に障壁を破壊すると起動する防犯装置ってところかしら」
確信を込めて言うマグノリアとアデリーンにまるで応えるように、庭園に飾られた石造りのオブジェがバラバラに崩れ、そして再び集まって一つの塊を形成した。
それは巨大な、石造りの人形。
「ま、こういうときに石人形ってのは、お約束だよな」
「……石魔像じゃないだけ、マシかしら。ちょっと平均より凶悪そうな顔してるけど」
アデリーンの言うとおり、それは一般的な石人形…よく貴族の屋敷で防犯用に導入されている…よりも巨大で、動きも機敏そうだった。
そもそも石人形は、侵入者を威圧して退散させることを目的としていることが多い。万が一客人に危害を与えたら大変だからだ。なので、侵入者の捕縛もしくは殺害を目的とする石魔像に比べると可愛げのある戦闘力なのだが、目の前の石人形はなんだか殺る気満々に見えた。
体表面には魔力コーティングが施されているのか、まるで金属のように艶やかで、形状はまるで人間のようにスタイリッシュだ。よく見られる典型的な石人形に比べると鋭角的なデザインは、きっと異世界転生ものの主人公ならば「ロボット」と表現したことだろう。
マグノリアたちにそんな異世界の知識などあるはずもないが、戦うためにデザインされたその形状がこの石人形の手強さとリンクしていると察した。
「…来るぞ!」
マグノリアの声がまるで戦闘開始の合図であるかのように、石人形が動き出し、その巨体からは想像出来ない速度で三人に襲い掛かった。




