第三十一話 天気予報をアテにしすぎてはいけない。
二日後。
高台に潜むマグノリアとレオニールは、子爵を乗せた馬車が子爵邸を出たのを確認した。急な呼び出しだったため、御者は執事が務めている。
これで、屋敷は無人のはずだ。
「それにしても、随分とすんなりいったものだな」
業腹だが、マグノリアに感心せざるを得ないレオニール。マグノリアの表情は冴えない。
「んー、まぁな」
「……………………」
レオニールはそれ以上何も言わなかったのだが、物問いたげな視線にマグノリアは白状した。
「……教皇庁からの呼び出しだよ」
「教皇庁…………ルーディア聖教とやらの、か?」
なんだかレオニールのその言い方が、まるでルーディア聖教に馴染みがないかのように聞こえたが、マグノリアは気のせいだと思うことにした。宗教面で地上界を統べる聖教会は、地上界の全ての民にとってどんな国家よりも大きな意味を持つ。
「ああ、しかも教皇直々の。いくら子爵でも、どんな急な呼び出しでも、応じざるを得ないだろうよ」
「貴様、ルーディア聖教の教皇と繋がりがあるのか」
マグノリアが、リエルタ市でどこかに連絡をつけているのはレオニールも知っていた。おそらくそれが、子爵を呼び出すアテとやらだとも思ったのだが、いくらなんでも世界宗教のトップの力を借りるとは、流石のレオニールにも想定外だった。
「よくは知らぬが、相当の権力者なのだろう?一体貴様は……」
「ま、アタシっつーかアタシの身内っつーか。良い関係とは言えないけど、多少の無理は効く」
感情の収まりどころが見当たらなくてとうとう冷たい無表情になってしまったマグノリアは、言葉には出さずこの話はここまでだ、と示した。
「……まぁ、無粋な質問はこの辺にしておこう」
「助かるよ、レオ」
「そう言えば貴様、この間からその馴れ馴れしい呼び方はなんだ」
「嫌なのか?」
「……………まぁ、良かろう」
レオニールのことをレオと呼ぶのは両親と親しい友人と、主君であるハルトだけである。それは本来、彼が心を許した相手にのみ認める呼び方だったのだが、不思議と気にはならなかった。
それは、マグノリアが取るに足らない廉族であるからなのか、一端とは言え他者に話したくないようなことを打ち明けてくれたからなのかは、彼には分からなかった。
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無人のハズ、と言っても、確証があるわけではない。留守にあたって、子爵が人を雇っているかもしれない。
なので、一応は気配を断ってこっそり子爵邸に侵入した二人。
だが、それはどうやら杞憂のようだった。
屋敷の裏、勝手口の扉の前に屈みこむと、マグノリアはポーチから小さな金具を取り出してガチャガチャやり始めた。
一体何をしているのかレオニールが怪訝に思っているうちに、軽い音がして錠が外れる。
「…よっしゃ。やっぱり田舎貴族だな。裏口はラクショーじゃねぇか」
「貴様……何故そんな技術を持っている……」
今のマグノリアのスキルは、どう見ても表稼業のものではない。
「まあまあ。長いこと遊撃士やってると、いろんな技術が必要になるもんだよ」
適当に誤魔化して、マグノリアは屋敷の中へ入る。何かを言いたげなレオニールも、今はそれどころではないと思い直して後に続いた。
屋敷の中は、静まり返っていた。ここまで不用心でいいのか、と心配になるくらい、警報装置のようなものも見当たらない。
「……こっちには有難いけど、こんな不用心で大丈夫かね」
「このような辺境では、貴族邸に侵入するような者もそうはいないのだろう」
「ここにいるけどな」
軽口を叩きながら、屋敷内を隈なく調べて回る。貴族の邸宅とあって確かに広いことは広いが、一般的な貴族邸と比べると幾分控えめな造りだ。隠れる必要もなかったため、二人が屋敷内を全て見て回るのに三時間とかからなかった。
子爵が呼び出されているのは、現在教皇が滞在している大都市タレイラ。ここからだと、どんなに急いでも馬車で往復三日はかかる。腰を据えてじっくり家探しを出来ると思っていたマグノリアだが、それほど時間がかかることもなく調べ終えそうだ。
…とは言え。
「……いないな、誰も」
「いないではないか!どういうことだ、ここにハルト様がいらっしゃるのではなかったのか!?」
人っ子一人見当たらない。レオニールはプンプンしているが、マグノリアにそれを言っても仕方ない。
もしかしたら隠し部屋とか?と思ってそれらしき場所を入念に調べてみるが、やっぱり見当たらない。
「…参ったなー……仮に魔導的なもんで隠されてたりすると、アタシにはお手上げだし………なぁレオ、お前はそういうの使えねーの?」
レオニールはどこからどう見ても剣士だが、マグノリアのように全くさっぱり魔導適性がない剣士というのも案外珍しい。強力な術式とかはまだしも、補助系のレパートリーくらいはないものかと尋ねたのだが。
「攻撃用術式ならいくつか習得している。が、隠蔽用のものは馴染みがない」
あっさりと断られてしまった。
「へー、攻撃魔法は使えるのか。魔導剣士ってやつ?」
「尊き御身をお護りするためにはそのくらい出来て当然だ。とは言え、それほど得手というわけでもない。屋敷ごと吹き飛ばしても構わぬのなら問題ないが、ハルト様に万が一のことがあったらと思うと、そのようなこと出来るはずもない」
さらに、とんでもない発言が飛び出した。こいつは、飛翼亜竜を瞬殺する剣技だけでなく、屋敷を吹き飛ばすほどの術式も持っているということか。
「あー…そう、だな。穏便に頼むよ……頼むから」
ハルトといいレオニールといい、どうも非常に厄介かつ不可解な相手に関わってしまったと、今さらながらマグノリアはこの先が心配になったりした。
二人は、一日中屋敷の中を調べに調べた。
しかし、すっかり日が落ちて暗くなっても、ハルトやアデル、娘たちの姿はおろか、その手がかりになりそうなものさえ見つからなかった。
「くそっ………一体何処におられるのだ、ハルト様……!」
憤りで壁を殴りつけるレオニール。だが屋敷を破壊するのはやめてほしい、壁にヒビが入ってしまったではないか。
まぁ今なら自然劣化ってことで誤魔化せるかな、とか思うマグノリアだったが、完全に空振りに終わってしまった調査に頭を抱える。
せっかく、嫌な思いをして頼りたくない相手を頼ってまで子爵邸を無人にしたというのに、全くの無駄足だ。こんなことなら、もう少し慎重に考えれば良かった。
「……いないもんは仕方ない。アタシらの読みは外れてたってことで、出直しだな、これは」
「く…………止むをえまい……!」
諦めきれないレオニールだが、それはマグノリアも同じだ。
事態はこれでフリダシに戻る。夏至祭りまでもう時間もない。何度も同じ手で子爵を呼び出すわけにはいかないから、屋敷を調べられるのもこれが最後だろう。
不完全燃焼のもやもやを抱えながら、二人は屋敷の外に出た。夏のぬるい夜風が、やけに腹立たしい。忌々しげに空を見上げて、マグノリアは思わず立ち止まった。
「…どうした?」
急に止まったマグノリアを不思議に思うレオニールだが、彼女の視線を追ってその理由に気付く。
ついさっきまでは、晴天のはずだった。天気予報でも、ここ数日間は好天続きだと言っていた。それなのに、彼女たちの頭上には急速に暗く重い雲の塊が渦を巻いていた。
風に、湿気と冷気が混ざり始める。勢いも強くなってきた。
嵐の前兆だ。しかし、それにしてはあまりに急激すぎる変化。現に、雲の塊は子爵邸の真上だけで、その周囲には星空が広がっている。
局所的な嵐。ここまでピンポイントなのは、聞いたことがない。
見ているうちに、黒雲は畏れを抱くほどに凶悪に厚く成長していく。何か尋常ならざる事態が起こりつつあると、マグノリアは直感した。
「おい、レオ。なんかヤバい。一旦屋敷の中に避難……」
そう、呼びかけたところで。
耳をつんざく轟音と共に、網膜を焼かんばかりの閃光が一条の光となって、二人の目の前に炸裂した。




