第二十六話 おだてるって、案外難しい。
そこは、建物の中だった。
天井も壁も床もあり人工物に囲まれたその場所を、そうではないと言う者はいないだろう。
しかし同時に、その場所は室内にしては一つだけ、あまりに異質な特徴を持っていた。
乱雑に荒れた部屋の床の上に、転がる幾つかの巨大な物体。それらは全て、魔獣だった。
そのどれもが既に動かない。とても生きているようには見えないが、しかし外傷は何一つ見当たらない。まるで魂が抜けたかのように…或いは最初から魂など存在していなかったのかのように、それらはただ転がっていた。
その死骸の中に、一つだけ人影。朱の混じった亜麻色の髪の小柄な少女が、無表情に部屋の中を見回していた。
その姿は何かを探しているようだったが、しかし目当てのものが見当たらなかったのか、しばらくすると僅かに首を振り、踵を返した。
「…また、逃げられた………」
ポツリと呟いた声は、ひどく乾いて無感情だった。
しかし、その眼差しはそこにいない何者かに向けた強い意志を宿していた。
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「え……帰った?」
「はい。お二人は確かに、旦那様を訪ねて二日前にいらっしゃいましたが、その日のうちにお帰りになりました」
マグノリアは、レオニールを伴ってボルテス子爵邸を訪ねた。勿論、いきなり嫌疑をふっかけるような無計画なことはしない。ただハルトとアデリーンを探しているとだけ伝えたのだが。
しれっとした顔の執事の言葉は真実ではないと、マグノリアの直感が告げていた。
初老の執事は態度も表情も控えめで、何かを隠しているようには見えない。しかし、ハルトとアデリーンのことを訊ねたとき、僅かだが視線が動いた。それは本当に些細な仕草だったが、マグノリアは見逃さなかった。
「……ふぅん、そっか。じゃあ行き違いかな」
しかし彼女は、そこであっさりと引き下がった。嘘をつくということは、その必要があるからだ。ここで執事の言葉を否定したところで、それを認めることはないだろう。
「…ところで、領主さまに会いたいんだけど?」
その代わり、ボルテス子爵との面会を求める。彼女は平民ではあるが、第二等級遊撃士という肩書はそれなりに社会的認知度が高い。辺境の子爵であれば、そう無下に扱うことはない。
だが、
「申し訳ございません。旦那様は只今、ヴェーレ市議の方々と市街の視察にお出でになっておりまして」
恭しくお辞儀しながら言う執事からは、だからさっさとお引き取り下さい、と言わんばかりのオーラが漂っていた。
「…なら仕方ないな。また来るよ、邪魔して悪かったな。………ああ、そうそう一つだけ」
来た道を戻ろうと踵を返したマグノリアだったが、何か思い出したように振り返った。
「最近、ここの付近で本来ならありえないような高レベルの魔獣が出没してる。何か対策を考えた方がいいって、領主さまに伝えといてくれ」
「…………かしこまりました。貴重な情報をありがとうございます」
魔獣と聞いたときに執事の肩が僅かにピクリと震えたが、マグノリアはそれも気付かなかったフリをして子爵邸を後にした。
子爵には会えなかったが、そしてハルトたちの行方も分からないままだが、間違いなく子爵には何かがある。その感触を得られただけでも収穫だ。
「……どういうことだ、ハルト様はあの屋敷にいらっしゃるのではなかったのか?」
マグノリアと執事の遣り取りをやはり木陰で隠れて聞いていたレオニール(もしハルトが屋敷にいて鉢合わせしたらマズいという理由で)が、マグノリアに食って掛かった。彼からすれば、これでようやく主の居場所が分かるはずと思っていただろうから、憤るのも無理はない。
「屋敷の人間がいないっつってんなら、食い下がっても無駄だろ」
「無駄かどうかは、屋敷に押し入って確かめてみればいいではないか」
血気盛んなレオニールに、マグノリアは嘆息。常識人に見えて、どうも血の気が多すぎる男だ。
「あのなー、そんでハルトたちが見付からなかったらどうすんだよ。アタシら不法侵入の曲者じゃないか」
探してすぐに見つかるようなところにハルトたちがいるのであれば、そもそも執事はあんな噓をつかないだろう。それに、執事の言葉に嘘を感じはしたが、だからと言って二人が屋敷内にいるという証拠は何もない。ただの直感だけを引っ提げて貴族の屋敷に押し入ることなど、出来るはずなかろう。
…というのは、マグノリアだけの見解のようで。
「だからどうした。ハルト様のご無事を確認せねばならぬというのに、それの何が問題だ」
真顔でそう言われてしまっては、あれもしかして自分の常識の方がおかしいのかも?と一瞬思ってしまったりする。
「……………いや、いやいや。そんなことしたら、アタシら犯罪者だからな?」
しかし犯罪者は嫌なので、流されまいと思い直した。
レオニールは散々不審者扱いされて市警にまで連行されたりしてその面倒臭さを身をもって体感しているはずなのだが、マグノリアの言葉にまるで怯む様子を見せない。
「ならば、外部に知られぬように屋敷の者の口を封じてしまえばいいではないか」
「だからそれが犯罪だかんな!?」
力いっぱいツッコんだマグノリアだが、それの何がいけないのかと本気で思っていそうなレオニールを相手にしては、彼女の常識など何の力も持っていなさそうだった。
だが彼女は、レオニールの扱い方を知っている。
「この国の法など知ったことか。私はハルト様さえ…」
「んなことしたら、ハルトにすっげー迷惑かかるからな」
「…………!そ、それは………」
ほーら、ハルトを人質にしたら何も出来ない。非常に扱いやすくて助かるが、ちょっと馬鹿っぽい。
「特にアンタは、ハルトに自分のこと知られたくないんだろ?だったら派手に動くのはやめといた方がいい」
「…む………それも、そうか…………いやしかしハルト様の御身にもしものことがあれば……」
「はいはいだからそうならないようにもう少し探るぞー」
悶々とするレオニールの背中を押して、マグノリアはトーミオ村に戻ることにした。
子爵には何かあると思うが、村の人々にも気になるところがある。
何が真実なのか分からない以上、先入観は排除しなくてはならない。
どうにも何か隠している風な子爵邸の執事。これといって問題の見当たらない領主に疑いの目を向ける村人たち。ギルドへの虚偽申告。不自然な魔獣の出没。
簡単なはずの依頼が、予想以上に面倒な展開になりかけている。そんな中、ハルトの尻ぬぐいをしなくてはならない。
やっぱりハルトもトーミオ村も放っておけば良かった、と後悔しかけたマグノリアだったが、何とはなしにこれを放置するのはよくないと、感じていた。
これもまた直感なのだとしたら、随分と損な性分である。
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「だから違うって。全然分かってない。そんなんじゃ全然ダメ」
「……そんなこと言われてもよく分かりません」
厳しく諭すアデリーンと、むくれるハルト。
「いい?自分の中の魔力を感じるってのは、魔導の初歩中の初歩なの。それが出来なきゃ魔法なんて使えない。逆に、それさえ出来れば訓練次第である程度の魔法は使えるようになる」
「……ある程度以上の魔法は?」
「才能によるわねぇ…」
会話の中身から、どうやらアデリーンによる魔法学講義が行われているようだった…実技込みの。
それはそれで、ハルトが遊撃士試験に合格するための勉強の一環だと考えればいいのだが、問題が一つ。
「あの………今は、それどころではないのでは………」
おずおずと話しかけて来た若い娘の言葉どおり、今はそんなことをしているような状況にはない、ということだ。
二人に控えめにツッコんだ娘の後ろには、さらに十数人の娘たち。そのどれもが、十代後半から二十代前半までの若者ばかり。
「何を言ってるのよ。こういうときだからこそ、時間を有効に使わなくっちゃ」
隠されていた地下への扉を見付けて中に侵入したのはいいものの見事に閉じ込められてしまったお間抜けなアデリーンとハルトだが、あまり緊張感は見られなかった。
「ゆ…有効にって言っても……」
「夏至祭りまではここにいてもらうって言われたんでしょ?だったら、少なくともそれまでは安全ってことよ」
アデリーンは、ここでの娘たちの様子とその会話から、脅威がすぐそこに迫っているわけではないと判断した。
だから彼女は、そのときが来るまで惰眠を貪るのとハルトで自分の好奇心を満足させるのに専念することに決めたのだった。
子爵邸を訪れたその日。隠された扉を見付けたハルトとアデリーンが地下へと入った瞬間、扉は固く閉ざされてしまった。どうやら鍵がなくては内側から開けることは出来ないらしく、閉じ込められたことを悟った二人はさらに先に進むことを選んだ。
隠し扉で監禁とくれば、その先にあるものが容易に想像出来たからだ。
そして案の定。
階段を降りた先で二人が目にしたのは、戸惑いながらも無事な様子の娘たち。
彼女たちは皆、顔色も良く怪我や体調不良はなさそうで、地下の空間も決して居心地が悪い場所ではなかった。
降りてきた階段からしてしっかりと灯りが取ってあったし、室内の照明も十分に灯されている。どういう仕組みか換気もしっかりされていて窒息の心配もなく、天井が高いので狭苦しさも感じない。
最低限の生活は出来るように整えられているようで、水道も通っているし非常食も豊富に用意されていて、ご丁寧に着替えや寝具まで。
娘たちは突然現れたハルトたちにひどく驚いていたが、トーミオ村の依頼で二人が来た(ただしうっかり閉じ込められてしまった)ことを聞くと、安堵しつつ呆れつつ、自分たちの身に起きたことを話してくれた。
娘たちは全員、トーミオ村の住人と村に滞在していた旅人だった。ここへ連れてこられた経緯は様々で、話があると呼び出された者もいれば村の外にいたときに気を失い気付けばここにいた者も。
しかしそのどれも、犯人は子爵の手の者だということで共通していた。
奇妙なのは、その後。
子爵は、彼女らを攫った理由を語らなかった。そして、彼女らに何も要求しなかった。手荒なことをされるわけでもなく、寧ろ衣食住に関しては村での生活以上の水準で提供された。ただ外に出ることが出来ないという以外に彼女らが被った害はなかった。
地下にあった非常食はどうやら本当に緊急時のためのものらしく、三日に一度彼女らのところには豊富に食料と飲み物が提供されるそうだ。持ってくるのは執事だが、時折子爵も様子を見にやって来るらしい。
そして何よりも奇妙なのが、そのときの子爵の態度。
意に反して監禁してしまっていることを娘たちに詫び、しかしそれほど罪悪感に駆られているようには見えず、まるでやむにやまれぬ措置だったと言わんばかりだったそうだ。
威圧するでも脅すでもなく、しかし家に帰してほしいとの娘たちの願いは拒否された。
ただし、
「…そう言えば、夏至祭りって何ですか?」
地上界の風習を知らないハルトが尋ねた。
子爵は娘たちに、「夏至祭りまではこのまま我慢してもらいたい」と告げたのだと言う。
「え……夏至の、お祭り…ですけど」
この近隣のみならず地上界全土で見られるポピュラーな伝統を知らないハルトに娘たちは驚きつつも説明してくれた。
「土地神さまにお供え物をして、夜通し踊ったり篝火を焚いたり祈りを捧げたりして、収穫期に向けて豊饒をお願いするんです」
「全国各地でそれぞれ形は違いますが、五穀豊穣の祭りだと考えてもらえればいいです」
不運にも巻き込まれてしまった旅人の女性もそう付け足してくれた。
「特に今年は五十年に一度、夏至に蝕が重なる年ですから、祭りも特別なものになるそうですよ」
「……へぇ、じゃあ賑やかなお祭りになるんですね」
それを聞いてウキウキしているハルトだが、夏至が終わるまでここに閉じ込められていては祭りを楽しむことは出来ないのだと気付いていない。
祭りを楽しむことには興味ないアデリーンは、そんなことよりじっくりハルトで遊ぶ…否実験をすることが出来ると、敢えて何も言わなかった。
「で、夏至祭りが終わったら領主さんは皆さんを家に帰してくれるんですよね?」
「そうはいくかしらね」
子爵が「夏至祭りまで我慢しろ」と言うのであればそうなのだろうとハルトは思ったのだが、すぐさまアデリーンに疑問を呈されてしまった。
「え、でも子爵は夏至祭りまでって…」
「それはそうだろうけど、祭りが終わったら無事に帰してやるなんて言われてないんでしょ?」
アデリーンの言葉に、娘たちは不安そうに互いの顔を見合わせた。彼女たちもまた、同じように考えていたのだろう。
「じゃあ、領主さんが嘘ついたってことですか?」
「言わないことと噓をつくことは別。ひょっとしたら、夏至祭りまでは生かしておいてやる…とかそういう意味かもしれないわ」
恐ろしいことをさらりと言ったアデリーンに、ハルトは怯えた。その可能性にではなく、それを大したことではないかのように言うアデリーンに怯えた。
「なら、早くここを脱出しないと……!」
「まあ落ち着きなさいって。だから少なくとも夏至祭りまでは安全でしょ?でもって、子爵は間違いなく夏至のときに動きを見せる。そこを押さえれば、罪に問うことも出来るでしょ」
今の状態では、子爵が娘たちを拉致した動機が分からない。しかし彼に何らかの狙いがある以上、夏至まで待てばそれが判明するはず。
それになにより、
「どのみち脱出するったって、方法がないしね」
ハルトたちは現在、どこからどう見ても閉じ込められている真っ最中なのである。
「え……でも、アデルさん、パパっと魔法で…」
「ここ、魔導防壁が張り巡らされてるみたいなのよ」
アデリーンの魔導をアテにしていたハルトの目論見は外れてしまった。
「上位術式レベルじゃないと、破れないわね、これ」
「アデルさん、上位術式は使えないんですか?」
その時のハルトの表情に失望めいたものを感じ取ったアデリーンは、いきなりハルトの頭を殴りつけた。
「痛い!何するんですかアデルさん!」
「しっつれいね。人を出来損ないみたいに言うんじゃないわよ!」
…ということは、アデリーンは上位術式を使える、ということか。
「使えなくはないけど、私のレパートリーで上位なのって炎熱系と爆裂系だけなの!特性がそっちよりだから!こんなところでぶっ放したら、アンタ以外全員巻き添えでエライことになるわけ!」
何故ハルトだけ除かれているかと言うと、散々試された後だからである。
「か、加減とかって…」
「加減したら防壁が破れないでしょ。何言ってんのアンタ」
余程自尊心を傷つけられたのか、アデリーンの怒りは収まらない。
系統属性が限られているとは言え、上位術式を扱えるというのはかなり凄いことであり自慢してもいいはずだが、アデリーンはそれに満足していないようだった。
ムキになる姿に、彼女のコンプレックスが透けて見えた。
「あのね、言っとくけどね、上位術式ってのは第一等級の連中だって使えるかどうかっていうレベルなのよ。二種類だけでも使えるのは凄いことなんだから!滅多にないことなんだから!」
「わ、分かりました分かりました。アデルさんが凄いってことは分かりましたから」
どうやらアデリーンの痛いところを突いてしまったらしいと気付いたハルトは、全面降伏。
「……分かればいいのよ、分かれば」
まだ若干むくれているが、ようやくアデリーンはそれまでずっとハルトの胸倉を掴んでいた手を離してくれた。
それから、何事もなかったかのようにいつもの調子に戻ると
「ま、そういうことで、夏至祭り或いはその直後に子爵が動いたときが、最大のチャンスってわけよ」
「わー…流石ですアデルさん冴えてるー」
涼しい顔で言うアデリーンに、とりあえずおだてる、ということを覚えたハルトだった。




