第二十四話 即席コンビ結成
何事も、準備が肝要である。
マグノリアは、すぐにトーミオ村に向かうことはしなかった。
今回の件は魔獣討伐ではなく人間相手の捜査なので差し迫った危険は少ない、ということもある。
が、貴族でしかも領主という権力者を相手にするという状況は、それ以上の厄介さを孕んでいた。
仮に村人たちの懸念が的中していたとすると、子爵を敵に回すことになりうる。
純粋な暴力という点での力だけなら彼女たちに軍配が上がるかもしれないが(子爵の手駒の数と質にもよる)、暴力沙汰だけで解決できないのが人間相手の仕事の厄介なところなのだ。
確たる証拠もなく領主に人攫いの嫌疑を掛ければ、虚偽告訴罪に問われる可能性もある。当然のことながら、子爵が犯人だったとしてもそれを大人しく認めはしないだろう。それは言いがかりだ、と国に対して声を上げられてしまっては、平民でしかないこちら側の勝ち目は薄い。村人たちに至っては、不敬罪に問われるかもしれない。
そして何より最も懸念すべきは、やはり領主は無関係で村人たちの勘違いだった…というオチだ。そんなことにでもなったら、騒ぎを大きくした自分たちはとんだ道化である。正真正銘の虚偽告訴である。罪に問われるだけでなく、自分の遊撃士としての信用も評判も地に落ちる。
だから、いきなり子爵のところに突撃するだなんてのは愚の骨頂。彼女からすれば、デビュー戦の超初心者遊撃士だってそこまで軽はずみではなかろう。
従って、まずマグノリアが向かったのは、リエルタ市の図書館である。国の首都や大都市タレイラのように大きな施設ではないが、基本的な情報はここで入手できる。
彼女の目当ては、貴族年鑑と治政記録。地上界は階級社会ではあるが、ここサイーア公国は世界きっての近代都市タレイラを抱える国だけあって、封建制の濃い国では公開されていないような情報も市民に知る権利が与えられている。
それはあくまでも表層的かつ機密性の薄いものではあるのだが、何もないよりはかなりマシだ。
ボルテス子爵家が現在のトーミオ村を含む領地に封ぜられたのは、今から十二年前。ちょうど幼いマグノリアが遊撃士になったばかりの頃で、その頃はまだリエルタも小さな村だった。
先代子爵はもともと別地域の管理官をしていた男爵で、その手腕を問われ開拓地の守護と管理を公国から仰せつかった…らしい。
子爵家の領地は、ヴェーレ地方の一つの市と五つの村、七つの集落。収入の六割が林業、二割が商業、一割が農業、それ以外が残り一割。典型的な山間地方である。
貴族年鑑に見られる子爵家の系譜には目立った特徴はなかった。ごくごく普通の田舎貴族。親戚筋に有力貴族がいるだとかどこぞの王族と繋がりがあるだとか、そういった経歴は見当たらない。
領地経営にしても、公的記録から読み取れる限りは非常に健全だった。税率もごくごく平均値、しかも災害時などの減免措置もあったりして、貧しい領民から搾取する…という印象は受けなかった。収支にも不自然な流れはなさそうだ。
――――記録から読み取れる限りでは、子爵は何の変哲もない…寧ろ名君とは言わないまでも良君のレベルには達しているように見える。
であれば、裏で何か良からぬことを進めているのか村人たちに誤解されているのか、どちらかということなのだが。
「…ここまで粗がないと、めんどくせーなぁ……」
思わずぼやくマグノリア。遊撃士は警官でも軍人でもない。探偵でもない。これ以上のことを調査する権限もなければ、ノウハウもない。
何か目立った粗があればそこから相手の弱みを探ってやろうと思っていたのだが、どうやら空振りに終わったようだ。
「…んじゃ、実地調査といきますか」
とはいえ、いきなり子爵邸を訪問するような非常識なことはしない。そんなことをしても、相手が無実なら要らぬトラブルになるし無実でなければ警戒されてしまう。
なので、まずはお膝元のヴェーレ市や周辺の集落に行って情報収集しようと、彼女はリエルタを出発……しようとした、ところで。
出発前に、彼女は市警の屯所を訪れた。なんとなく…だったのだが、なんとなく気になっていたのだ。
「…おう、あんたは遊撃士の……ええと」
「フォールズですよ、ポロック巡査長」
仕事絡みで何度か言葉を交わしたことのある市警と出くわした。
「巡査長、ここに不審な男が連行されたって聞いたんだけど、さ」
図書館に出掛ける前に宿の前を少し見てみたのだが、レオニールの姿はどこにも見当たらなかった。ならば未だにここに留置されているのかも、と立ち寄ってみたのだ。
「あれ、もしかして知り合いかい?」
「ええ、まぁ……知らない仲じゃ、ないと言いますか…」
知ってるのは名前くらいだが。
「丁度良かったよー。特に何かしたってわけじゃないから釈放してあげたかったんだけどね、前回に身元保証人もなくそうしたら上司に叱られちゃってさ」
人好きのする笑みで頭を掻くポロック巡査長。根がお人好しというか、どこか抜けたところがあるため出世とは縁遠いが、警察としては信頼できる人物だとマグノリアは評価している。
「…ええと、身元保証人って、身内じゃないとダメだったり…?」
「あんたなら、問題ないさ。レナート支部長の秘蔵っ子だってうちの署長も知ってるからね」
どうやら、リエルタ市で長らく積み重ねて来たマグノリアの信頼は警察相手にもそれなりの効果を発揮してくれるようだ。
ポロック巡査長も、不審だけど特に悪いことをしているわけではない、けれども不審な行動を改めるつもりは全くなさそうで聴取にも応じてくれないレオニールの扱いに困り果てていたようで、マグノリアの申し出に快く許可を出してくれた。
マグノリアのおかげで無事に釈放されたレオニールではあったが、その表情は非常に仏頂面だった。
「……一体、どういうつもりだ。何を企んでいる?」
マグノリアに、レオニールを助ける理由などありはしない。それは当然、レオニールにも分かっている。だからこそ、マグノリアの狙いが分からなくて警戒しているのだ。
そして、勿論マグノリアも人道的な理由とか同情したとか、そんなわけではない。
「いやぁ、人聞きの悪い言い方するなって。アタシはただ、アンタに恩を売っといた方が今後のためだと思っただけさ」
正直に告げると、レオニールの表情から警戒が取れた……面白くなさそうなのは変わらないが。
「……なるほど、私に貸しを作ったというわけか。それで、何をさせるつもりだ?」
レオニールの物分かりが良くて、話が早い。
マグノリアは、レオニールの戦力もアテにするつもりだった。
何しろ、アデリーンは魔導士としての腕前こそなかなかのものだが、あまり視野が広い方ではない…というか考えが深い方ではない。ハルトは言わずもがな。
そんなパーティーで、戦力的にも常識的にも申し分のないレオニールが助太刀してくれるならば、心強い。
「なーに、アンタのご主人サマのためでもあるんだから、アタシにちょっとばかり協力してくれればそれでいい」
「…ハルト様の……?」
ほら、すぐに食いついた。借りの有る無しに関わらず、ハルトの名を出せば彼がそれを無視するはずはないと、分かっていたのだ。
マグノリアは、レオニールに状況を説明した。近くの集落で失踪事件が頻発していること。よせばいいのにハルトが首を突っ込んでいること。マグノリアはこれから彼を手伝いに行くつもりだということ。
説明を終えると、レオニールは何やら考え込んでいた。
「……事態は理解した。しかし私は……」
「分かってるって。ハルトには知られたくないんだろ?そこんところはアタシが上手く誤魔化しとくからさ。アンタには、裏からちょっとばかり手伝ってほしいだけだ」
「…………………了解した。指示に従おう」
しばしの思案の後、レオニールは素直に頷いた。決して友好的には見えない男だが、意外に真っ直ぐな性分をしているのかもしれない。
マグノリアは知らない。魔族であるレオニールが自分より遥かに劣る(と思っている)廉族であるマグノリアの指示に、どんな思いで従うと言ったのか。
主のために、どんな思いを呑み込んだのか。
しかしレオニールもそれを敢えて口にするような野暮は自尊心が許さなかったので、表面上は和やかに、即席コンビが誕生したのだった。
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その頃。
とある城で、一人の男が頭を抱えて悶えていた。
「ああ、ああああああああハルト殿下一体何処で何をなされているのかあの御方にもしものことがあれば陛下になんと申し開きをすれば良いのかあああああああああ」
普段は研ぎ澄まされた氷の刃の如き威厳を纏うその男は、「普段」なんて何処かに置き去りにしたかのように狼狽えて憔悴して嘆きに嘆きまくっていた。部下がその姿を見れば、何か天変地異が起こったのかと勘違いするだろう。
…否、彼にとってはハルトの不在がすでに天変地異に等しいのである。
その男の名は、ギーヴレイ=メルディオス。魔界の宰相にして最高幹部である六武王の筆頭にして、魔王の腹心だった男である。
魔王亡き今…魔王がいた頃からも…実質的に魔界の秩序を保っていたのは、彼の手腕だ。
そして、ハルトを甘やかしに甘やかしまくった臣下たちの筆頭でもある。
「私が迂闊だったのだもう少し殿下の動向に目を配ってさえいればこのようなことにはならなかったというのに今さら言っても詮無きことではあるがあああああああハルト殿下どうかご無事で……」
「いい加減少しは落ち着いたらどうだ、ギーヴレイ。ここで悩んでいても仕方なかろう」
武王筆頭の情けない姿を見るに堪えかねて、同じく武王の一人ルクレティウス=オルダートが窘めた。彼もまたハルトを甘やかす臣下の一人だが、一応常識的な範疇に収めている。
「簡単に言ってくれるな、これは魔界の…否、世界の存亡にも関わる大事なのだぞ」
「そうは言っても、我らには殿下の居所を捕捉できんのだからどうしようもあるまい」
魔界には、魔王の遺物でもある秘宝が数多く存在している。その中に、世界中のあらゆる物質を捕捉し把握する観測装置もあったりするのだが、それを使って他時空界にまで干渉できるのは魔王くらいである。彼ら魔族には、地上界に行ってしまった(と思われる)ハルトを探す手段がなかった。
とは言え、それは魔界にいながらにして…の話であって。
「それに、レオニールが殿下の後を追い地上界に行ったのだろう?あやつに任せておけばいいではないか」
「あれは確かに腕は立つが、所詮は若造だ。現に、未だ連絡の一つもないではないか!」
「地上界にいるのだから仕方あるまい……」
彼ら六武王は、魔王より“門”の能力を授けられている。しかし若輩であるレオニールには地上界から簡単に魔界に戻ってくる方法がない。魔界に繋がっている時空の断裂を見付けるしかなく、報告するにしてもそれでわざわざ戻るしかないのだ。
「……………いっそ、この私が地上界へ乗り込んで……」
「よせよせ、下手に地上界を刺激するのはまずいぞ」
ハルトを案じるあまりに暴走しかけたギーヴレイを、ルクレティウスは慌てて止めた。
現在の各時空間は、非常に危ういバランスの上に成り立っている。魔界の実質最高権者であるギーヴレイが迂闊に動けば、地上界や下手をすると天界にまで要らぬ誤解を与えてしまうことだろう。
同様の理由で、ハルトの地上界滞在も公には出来ない。
「しかし、もし殿下に万が一のことがあったら……」
「落ち着け。エルネストも一緒なのだろう?ならばその心配はない」
ハルトが城を抜け出した日、彼の側役であるエルネスト=マウレもまた姿を消していた。誰にも何も告げないままだったが、ハルトについていったことは間違いないと、ギーヴレイもルクレティウスも確信している。
「…むぅ……エルネスト…か。しかし、奴はどうにも信用しきれないと言うか何を考えているやら……そうだ!ルガイアに殿下の捜索を命じれば…」
「あやつはルーディア聖教に貼り付いておるだろうが」
「……む、むぅ……」
眉間に皺を寄せて黙り込んでしまったギーヴレイだが、まだ諦めたようには見えない。ルクレティウスは、どうすれば要らぬ混乱を防ぐことが出来るかと、慣れない頭脳労働に溜息をついた。
「だが……そうだな、今の教皇とやらは確かあの男だったはず。彼ならば、信用出来るのでは?」
ルクレティウスは、地上界で唯一そして最も頼れそうな人物に思い当たった。それは、ギーヴレイも知らない相手ではない。
「ああ……あの男か。確かに能力は認めるが……しかし所詮は廉族、しかも憎き創世神を崇める一派の首領ではないか……」
「だが、陛下があの者を信頼なさっていたことも確かだ。それに我らは連中に大きな貸しがあるのだからな。殿下の御身を任せたとして、否やとは言うまいて」
「…………………………」
ギーヴレイは、面白くなさそうだった。それは、自分以外に魔王の全面的な信頼を得ていた相手に対する、つまらない嫉妬。
だが、非常に業腹ではあるが、魔王が信頼していた相手ならば、自分もまた信頼しないわけにはいかない。
「………………仕方あるまい。あの男を頼ることに…………く、たかが廉族如きに……だが殿下の御身のためならば………」
ルクレティウスも、魔王や王太子に対し非常に強い畏敬と崇拝の念を持ち絶対の忠誠を誓っている。ついつい、魔王の忘れ形見であるハルトが可愛くて何かと甘やかしてしまうことも確かだ。
ハルトが非力であることも知っているし、そのハルトが自分たちの手の届かないところに行ってしまったことに心配も絶えない。
しかし、忠義心と自尊心の狭間で苦悩している同輩の姿に、行き過ぎた想いというのも面倒臭いものだ…と寧ろ冷静になってしまうのだった。
久々に武王を書きました。ギーさんの魔王愛は相変わらずです。




