第二百三十一話 誰かへの強い想いというのは突き詰めれば一つに集約される、のかもしれない。
ラーシュとアデリーンの仲を取り持ち隊(隊長ハルト、隊員マグノリア)の活動はひとまずお休みである。何故なら、ハルトにはそれよりも重要で大切な用事があるからだ。
一言で言ってしまえば、他人の恋路より自分の恋路、だからだ。
皇帝の許可を貰ったとは言え大っぴらに出掛ける姿を目撃されるわけにもいかない二人はこっそり城を出る必要があったのだが、何故かハルトが秘密の脱出路を知っていたので、それを使ってすんなりと城外に出ることが出来た。
「……なんでお前がこんなの知ってんだよ」
「前に来たときに、ここからお城に入ったんですよ。ヴォーノさんが案内してくれて」
「ヴォーノ…………ああ、あの得体の知れないチョビ髭オヤジか」
マグノリアはヴォーノと直接言葉を交わしていない。が、あの印象的で特徴的な存在感と仕草と目つきと言葉遣い…要するに「ウザさ」は、彼女の記憶にしっかりと残っていた。
「そういや今回姿を見てないよな。帝国の人間じゃないのか?」
「さあ、ボクは知りませんけど」
「なんか不思議なオッサンだよなー、魔王とも気安い感じだったし」
廉族のはずなのに魔族連中とも顔見知りのようで魔王の復活にも少なからぬ貢献を見せた食道楽はしかし、まだハルトの前に姿を現していない。てっきり皇帝に付き従ってる侍従(にしては態度がデカいが)かと思い込んでいたマグノリアはそれが意外だった。
「…って、姿を見ないって言えば……ハルトお前、今回はレオの奴ついてきてないんだな」
「そうですね、ボク、レオには黙って出てきちゃいましたし」
ヴォーノついでにレオニールのことを思い出したマグノリア。これまたてっきり、ハルトストーカーであるところのあの男が今回もバレバレな感じでこっそりとハルトの周りをウロチョロしているかと思いきや、今のところその姿を見ていない…あれほど尾行が下手だったにも拘らず。
「黙ってって……何も言わずに出てきたのかよ」
「…はい。多分レオは、ボクが魔界で真面目に勉強して立派な王太子になることを望んでますけど、ボクはまだその期待には応えられないので……なんか顔を合わせづらくって」
ハルトが他人からの期待を気にしたり気まずさを感じるだなんて、これも成長の賜物…なのだろうか。
「…で、黙って出てきたと」
「はい。レオには失望されちゃったかもしれませんね」
いや、それはない。レオニールのことなんてハルト大好きのストーカー護衛であるということしか知らないマグノリアではあるが、それは断言できる。
魔界全てを敵に回してもハルトを守り抜こうとしていた彼が、今さらハルトに愛想を尽かすはずがなかろう。
…とは言え、姿も見えなければ気配も感じないので、今ここにレオニールがいないことは確かだ。
地上界に来た直後とは違い、今のハルトならば大抵の危険は自力で切り抜けられる。四六時中傍に付き従って護衛する必要はないとレオニールが(或いは魔王が)判断した、といったところだろう。
「レオは今までボクのせいで苦労ばっかりしてきたので、そろそろ好きにしてもいいと思います」
ハルトは、僅かに淋しさを残しつつ吹っ切れたような表情をしていた。彼なりに、臣下に頼り切っていてはいけないと感じ始めているのだ。
もしかしたらレオニールもそんなハルトの心情を慮って、今回はストーカー衝動を抑え込んでいるのかもしれない、と想像したマグノリアだったが。
流石に、過保護忠臣ストーカーの思考は読み切れていなかったのである。
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話は少し前に遡る。
さて過保護忠臣ストーカーであるところの魔界の王太子付き護衛騎士レオニール=アルバ卿は、公民館にいた。
公民館である。公民館。自治体の会議だとか地区のイベントの話し合いとか或いは住民対象の勉強会とか講演会だとかが行われる、あの公民館である。
帝都ヴァシリーサの一区画、中流家庭の住宅が立ち並ぶポル・クーネ第三街区、というのがここの地名だ。で、彼がいるのがポル・クーネ第三公民館なわけだ。
彼がそこで何をしているのかと言うと……
「そうなのよ~、あそこのお湯はほんっと最高!皆さんも一度はいらしてみて?」
「泥湯って言えばほら、トリシュが有名じゃない。ラクルーにもそんなところがあったなんて知らなかったわ」
「素敵だわぁん。あたくしも最近お肌の調子がイマイチなものだからぁ、早速ラクルーに行って泥パックしてこようかしらぁん」
「……………………」
奥様方(とチョビ髭オヤジ一名)の座談会に、巻き込まれている。
「レオニール様、でしたっけ。騎士の方々はお休みのときはどちらへお出かけになりますの?」
「………………いや、私は………」
「レオちゃんってば、ご主人にずーっとべったりですものねぇ。もしかしてハルトちゃんと離れるのって初めてなんじゃありませんことぉ?」
「まぁ、忠義の騎士様なのですね。素敵ですわ!」
「…………………」
中産新興階級の奥様方に囲まれ、非常に居心地が悪いレオニール。あまりに場違いなところに、どうして彼が来てしまったかと言うと……
「それにしてもヴォーノさんがこんな素敵な御方とお知り合いだったなんて、驚きですわ!」
「それに私たちの活動にご興味を持っていただけるなんて、光栄です」
柔和な表情でニコニコと歓迎してくれている奥様方の瞳の奥に猛禽類の如き鋭さが垣間見えるのは気のせいだろうか、気のせいだと思うことにしたいレオニールである。
「けれど、よろしいんですの?レオニール様はサクラーヴァ公爵家の騎士様なのでしょう、こんな風に帝国の市民と関わり合ったりしたら、お戻りになった後で問題になりませんこと?」
「あらぁん、その心配はありませんわよん。公爵家の方々はみぃんな、とぉっても広い視野と御心をお持ちなんですものぉ。個々人の信仰や信条にはノータッチでいて下さるんですわよん。ね、レオちゃん♡」
「…う………うむ」
実はレオニール、再び地上界に戻ったハルトの後を追ってきたのはいいものの、“門”を開けるのをアスターシャではなくエルネストに頼んでしまったために、出口設定が異なっていたのだ。
それは本当にたまたま偶然であって、決してエルネストに悪気や悪戯心があったわけではない…はず。多分。
で、土地勘のない場所に放り出されてよく分からないままハルトを探し回っていた彼の耳に、人々の噂話が聞こえてきた。
…サイーア公国とグラン=ヴェル帝国が、国交を結ぶらしい。その使節団には、かの英雄、剣帝リュート=サクラーヴァの子息も参加するという話だ、と。
それを聞いたレオニールは、真偽も信憑性も確かめることなく帝国行きを決めた。
使節団でもなんでもないレオニールには正規の方法で帝国入りする手段がなく、彼はえらい苦労をする羽目になったのだが、諸々あって何とか帝都に辿り着いた彼が入都審査の門番に告げた名前が、ヴォーノ=デルス=アスのものであった。
その名を持つ人物に会いたい旨を話すと門番は怪訝そうな顔で首を傾げていたが、何処かにそれを報告しに行って戻ってきたときにはやけに慌てたような怯えたような表情でレオニールを丁重に門の内側へ招き入れた。
そこまでの反応は予想外だったが、結果は予想どおりだった。
レオニールは、帝国に於いて何が神と崇められているのかを知っている。その上で、自分の存在が帝国臣民にとってどのような意味を持つのか、も。
自分のことを…自分とハルトとの関係性を知っているヴォーノや皇帝が自分の来訪を知れば、拒むはずがない。かと言って皇帝の名を出すのは流石に憚られたので…遠慮でも何でもなくいきなり皇帝に会いたいなんて言っても鼻で笑われるのがオチだ…ヴォーノの名を出してみたのだ。
彼は皇帝の側近っぽかったし、まぁ何とかなるだろう…と。
結果、彼は仰々しく門番の見送りを背中に受けて帝都に入り、直後に仰々しい使用人たちの出迎えを受けてヴォーノの屋敷へと連行された。
一体このヴォーノという男、どれだけ帝国内で権勢を誇っているのやら。
そんな流れでめでたく?ヴォーノと再会出来たレオニールであったが、すぐに皇城へと連れて行ってもらえるという目論見は外れた。
何を企んでのことか、ヴォーノが妙な話を持ち掛けてきたのだ。
「ねぇレオちゃん。この帝国で、ハルト殿下に仇なそうとしている人たちのこと、気にならなぁい?」
「気にならぬはずがなかろう。帝国であろうと何処であろうと、殿下に害為す不埒な輩を見過ごすことなど出来ん」
「そう言ってくれると思ったわぁん。それじゃ、行きましょうか」
「……?おいちょっと待て。行くとは何処に……おいその前に説明をだな…」
とかなんとかいう遣り取りの後に連れられてきたのが、この公民館である。今は、魔神教教会の婦人部による慈善活動のための話し合いが行われている…というのだが。
「まぁ、素敵な方にお仕えしていらっしゃるのね。それなら心配は要らないのかしら」
「そうよ、それにサイーア公国とは国交が樹立されるのでしょう?だったらロゼ・マリスだって近いうちにそうなるんじゃないかしら」
「そうしたらレオニール様も頻繁にヴォーノさんに会いに来られるのですね、それはとても素敵ですわ!」
きゃいきゃいとはしゃぐご婦人方がしているのは、話し合いではなくただのお喋りである。未だ、慈善活動のじの字も出て来ていない。
異空間に紛れ込んでしまったかのような錯覚を覚えてレオニールは途方に暮れている。しかも、何やらヴォーノとの関係性が妙な具合に勘違いされているような…
「おい、貴様。この者たちに私のことをどう説明したのだ?」
ご婦人方に聞こえないようにこっそり耳打ちでヴォーノに訊ねるレオニール。その光景にご婦人方の温度が急上昇したのには気付かなかった。
「え、どうって言われましてもぉ、変に疑われないように、自然な感じに誤魔化しておきましたわん」
「自然な感じ?」
「ええ、アタクシとはとても親しい間柄にあるのだけれど国境という見えない壁に阻まれて離れ離r」
「それのどこが自然な説明だ!!」
思わずヴォーノの首を締め上げそうになって、ご婦人方の目の前だということに何とか思いとどまった。が、看過できるものではない。
「それではあらぬ誤解を受けるではないか!さっさと訂正しろ!!」
「え…でもぉ、そうしたらどのように説明すればよろしいのですのん?」
「…む………」
いくらサイーア公国との国交樹立が目前とは言っても(調印式は終わっているが公示はまだされていない)、ロゼ・マリスの騎士がグラン=ヴェル帝国に侵入するという行為にはかなりの危険が伴う。かなりの危険が伴う行為には、相当の理由が存在するものである。
正体を明かすことが出来ない以上、レオニールはサクラーヴァ公爵家の騎士でしかなく、魔王だの魔王子だのという言い訳は使えない。使うわけにはいかない。使ったとしてもご婦人方がそれを信じるとは思えないが。
…で、あれば。
「いいこと、レオちゃん。人が危険を顧みず行動するときにその原動力になるのはぁ、強い愛か強い忠義のどちらか、なのですよん」
強い愛か強い忠義。確かにそうだ。レオニールは強い忠義に突き動かされて、帝国に侵入したのだ。
と言ってもそれは勿論、
「なんなら、忠義の方に言い換えてもいいですけれどぉん……レオちゃんはそんなの、嫌でしょお?」
「む……うむむ……」
レオニールの忠誠はハルト一人に捧げられているのであり、例え方便でもその行き先をヴォーノにすることは死んでも容認出来なかった。
「だったらほら、そういうことにしておいた方が……いいのではなくて?」
ちらりと視線を動かしたヴォーノにつられて横を見てみたら、興奮に頬を赤く染めて二人を注視するご婦人方の姿が。
「ああ、素敵ですわ…障害などものともせず貫かれる真実の愛!」
「国境も信仰も、二人の愛を妨げることは出来ないのですわね!!」
しかも誤解は加速中。レオニールがヴォーノに詰め寄っている姿勢なのでそれも当然か。だって傍から見ると接吻一歩手前、である。
「もう、レオちゃんったらぁ、昼間っからダメですわよん」
「………………」
ヴォーノがこれみよがしに声を張り上げて、ご婦人方からは嬌声が漏れる。レオニールは殺意を抑えるので精一杯だ。
彼は今初めて、魔界を出たことを少しだけ…ほんの少しだけだが、後悔していた。




