第二十三話 物を隠すときにあんまり念を入れ過ぎるとそのうち何処に隠したか分からなくなるよね。
「……なるほど、それは確かに気になることだ」
ハルトの説明を一通り聞き終えたボルテス子爵エミリオは、真剣そうな顔でそう言った。心から、行方不明になった娘たちを案じているように見える。しかし同時に、心から案じている様子を振舞っているかのような芝居臭さも、そこはかとなく漂っていた。
「しかし、残念ながら僕が彼女らの失踪に関連しているというのは誤解だ。領主である僕には、領民の身体と財産を守る責務があるのだからね。その僕が彼らを害するだなんて、そんな馬鹿げたことをするわけがない」
実際、領民を守るどころか搾取する一方の領主も少なくない。だがその事実を知らないハルトは、領主は領民を守るものだから領民に危害を加えるはずがない、という子爵の言葉を額面どおりに受け取った。
「…そうですか。なら、村の人たちは勘違いしてるんですね、きっと」
「ああ、そうだろうね。悪いけれど、君たちから彼らには説明をしておいてもらえないかな?失踪者については、僕の方でも調べてみよう」
子爵の申し出は、ハルトには心強いものだった。マグノリアに見捨てられてしまった今、独力で行方不明事件を解決するには彼はあまりに無知で、アデリーンはあまりに頼りに出来ない…したくない。
「本当ですか?ありがとうございます助かります!それじゃ、ボクたちは村に戻りますね。お茶御馳走様でした!」
子爵は無実っぽいし、偉い人なんだから協力してもらえれば百人力だ…とハルトはこの事件の解決も近いと思った。ここで灰色の脳細胞を持った名探偵だとかうちのかみさんが…が口癖のヨレヨレトレンチコートの警部だとかだったら、きっと子爵にもう少し食らいついたことだろう。ところでムッシュウ、とか。あと一つだけよろしいですか?とか。
けれどもハルトは名探偵でも警部でもなければ身体は少年だけど頭脳はそれ以上にお子様なので、何一つ疑いを抱かずに子爵の調査を終えてしまった。
調査というより、ただお茶を御馳走になっただけだった。
けれども、子爵の言うことを鵜呑みにしていたのは、ハルトだけだったようで。
「……ネコ?どうしたの、帰るよ」
ハルトは、子爵邸を出てすぐハルトの肩から降りて屋敷の裏の方へ歩き出したネコに声をかけた。今まで勝手な行動を取ることのなかったネコなのに、何か余程気になるものでもあったのか。
「……に、んにー」
門から正面玄関に続くアプローチの途中から、裏庭へ向かう小道が分岐している。ネコは、その小道の途中で地面に鼻を近付けていた。
「何かあるの?変な物拾い食いしちゃダメだからね」
言いながらネコの傍に行ったハルトだが、それはネコにとって失礼な言いがかりだったらしい。
ネコの鼻先には、青い石があしらわれた髪留めが落ちていたのだ。
「……落とし物?子爵のかな?」
「んにゃにゃにゃ、にゃにゃ」
「それどう見ても女物でしょ」
アデリーンが、ネコを代弁して言った。彼女はハルトと子爵の遣り取りの間ずっと無言だったのだが、決して警戒を解いてはいなかった。
それは、彼女が社交的ではないから、というだけではなく。
「それじゃ、子爵の家族の…かな?」
「あの屋敷に、家族の気配はなかったわね。写真も肖像画も飾られてなかったし、子爵の年齢からいったら母親か姉妹がいてもおかしくないけど、そのくらいの女性が好みそうなインテリアもなかったし。それに、それ大した品じゃないわ。雑貨屋に売ってる安物よ」
引き籠りなのに着眼点が鋭いアデリーン。屋敷の内装にまで目を向けているとは、意外である。
「…そうなんですか?」
「仮にも貴族の女性がそんなもの付けてたら、社交界で赤っ恥かくこと間違いないわ」
アデリーンに言われ、ハルトは髪留めを手に取ってマジマジと見る。見ても何かが閃くということはなかったのだが、
「それじゃ…誰の落とし物だろう?」
子爵家の人間と客人しか立ち入らない敷地内にそれが落ちているという事実に引っかかるものを感じたことだけは、確かだった。
「ま、どうでもいいわ。帰りましょ」
散々ハルトを煽っておいて、戻ろうとするアデリーン。彼女にとって重要なのは、トーミオ村を救うことではなく、
「戻ったら実験の続きに付き合ってくれるって約束だったわよね?」
「……へあ!?」
彼女にとって重要なのは、知的好奇心を満足させることと惰眠を貪ることだけなのである。
「ちょちょちょ、待ってくださいそんな約束した覚えないですよ?てか、してないですよ!?」
「あらそうだったかしら。忘れてるんじゃなくて?」
「いえいえいえいえいえ、知りません約束なんてしてませんしてません」
このままだと、再び実験動物の憂き目である。なんとかそれを逃れる方法はないかと考えを巡らせるハルトの脚を、ネコがつっついた。
「にー、ににゃーにゃ」
ハルトの気を引いてから、裏庭の方へ駆け出す。
「あ、あれ?ネコ、どうしたんだい、勝手にそっちに行っちゃダメだよ、それとも何か見つけたのかなぁ?」
ややワザとらしい棒読みで、ネコの助け舟に乗っかったハルト。そのままアデリーンを誤魔化すために、ネコについていく。
「ちょっと、話が違うじゃない………はぁ、いいわ。あと少しだけは付き合ってあげる。その代わり、帰ったら……ウフフフフ覚悟しておいてね」
アデリーンも、不気味に笑いながらハルトとネコを追いかけた。ハルトは自分の背後の走ってもいないのにやや粗めなアデリーンの息遣いを、必死に気にしないようにした。
「……ネコ?」
さてこの次はどうアデリーンを躱そうかと思案に暮れていたハルトだが、そんな我が身の心配はすぐに引っ込んでしまった。
ネコが、地面を引っ掻いている。
そのときハルトが思い出したのは、自分が魔王城を抜け出したときのこと。あのときも、ネコは隠されていた非常用出入り口を探し当ててみせたのだった。
「……もしかして…」
ならば今回も、とハルトはその近辺を探る。が、何の変哲もない地面のようで、手触りや見た目には全く違和感がない。
「ネコ、本当にここに何かあるの?」
「ににゃ、にゃあ」
ネコは何かを確信している。
と、そこにアデリーンが割って入った。
「ちょっとどいて。………何か隠してあるわね」
「え?」
一瞥しただけで断言するアデリーン。ハルトには、彼女が何故そう思ったのかどうしてそう判断したのか、まるで分からなかったが、アデリーンの視線はその地面ではなくて周りの風景に向けられていた。
「……あの、アデルさん?」
「…ふぅん。ずいぶんと周到ね。よっぽど見られたくないものを隠してるのかしら」
今まで子爵には何の興味も示していなかったのに、今のアデリーンの表情はどことなく楽しそうだ。どうやら、魔導オタクの血が騒いでしまったらしい。
「あの、どういうことですか?」
「いい?普通、隠したい物があるときってのは、物理的細工か魔導的細工を行うものでしょ」
「でしょ」と言われても、ハルトにはそんな知識はない。が、そこで正直に言うと流れを阻害しそうなので、適当に頷いておいた。
「けど、物理的に細工…何か別の物で隠したりって痕跡はここにはない。だったら魔導的に何か細工したってことになるわけだけど…」
そこに、「実は何も隠されていない」という可能性もあるのだが、それは最初から除外しているアデリーンとハルトは、たかがネコ一匹の行動をやけに信じすぎである。
が、当のネコも全て分かっていると言いたげに頷いているので(猫は普通、頷かない)、二人の判断は正しいのだろう。
「けど、この地面には術式の痕跡がないの。ここを調べるだけじゃ、何も見つからないってわけ」
「……はぁ」
術式の痕跡とは何だろう。魔導の知識もまたからっきしなハルトには、分からないことだらけだ。
「で、どうして痕跡がないかっていうと、正しくは痕跡を感じられないってわけなんだけど」
「………?」
ますます分からなくなってきたハルトを置いてけぼりにして、アデリーンは周囲の構造物に目を付けた。
右手に、小さな噴水。左手には、子爵らしき人物の石像。奥には、小道の曲がり角に謎の壺。そして地面には煉瓦とタイルで流麗な模様が描かれている。
センスとしてはイマイチだが、地方貴族のお屋敷ではよくある光景だ。
「魔法陣ってのは、別に複雑精緻な文様である必要はないのよ……高度な術式でもない限りは」
「…そうなんですかーー」
とりあえずハルトは、自分の頭で考えるのをやめた。
「特に魔力を流してやるだけだったら、子供の落書きだって十分」
アデリーンは、地面の模様をつま先でコンコンと叩く。その模様は、噴水や石像や謎の壺に続いていた。
「魔力は万物に宿るけど、意味のあるものは特に強いって、知ってた?」
「いいえ…」
「だから、目的を持って作られた物が魔力を多めに持っていても、誰も不思議には思わない」
アデリーンは次に、石像のところに行き台座をコンコンと叩いた。
「尤も、魔力感知のスキルなんて持ってる人間はそうそういないから、これを仕組んだ奴は最初からその手の専門家が派遣されることまで考慮に入れてたってわけ。……ね、周到でしょ」
「………ですねーーー」
一体何の話をしてたんだっけ?となっているハルトである。
「術式反応なんて、魔力を逃してしまえば分からなくなっちゃうんだし、しかも隠蔽のために新たに術を組むわけじゃないからそっち方面からバレる心配もない。仕組みは巧妙だけど使われてる術式は初歩中の初歩、魔導知識なんてそれほど必要ない。この手を使えば、魔導の初心者でも専門家の目を誤魔化せるって思ったのかしら。まぁ着眼点は悪くないけど…ほとんどの魔導士なんて、どれだけ強い術式をモノにするかに必死になってる連中ばっかりだし」
アデリーンの口調には、蔑むような調子があった。確かに、持っている術の難易度がそのまま魔導士の実力評価に直結する傾向は強い。
しかし敢えて低レベルの術式でも、工夫次第では充分に上級者の目を欺くことが出来るのだ。
「高みを目指すことしか念頭にない優秀な魔導士さま方は、案外足元が疎かだったりするのよね」
自分はそうではない、と言いたいのだろうか。アデリーンは上機嫌で壺の方へ歩いて行く。
彼女が壺を選んだ理由は単純だ。それが一番、動かしやすいから。
「てい!」
掛け声と共に、アデリーンは壺に蹴りを入れる。人が隠れられそうなくらいの大きさのものなのでそれはただ転げるだけだったが、アデリーンはそれで充分なのである。
壺が地面の模様から離れた瞬間、ハルトとネコの目の前の地面が光を放った。線状の光が軌跡を描き幾何学的な文様が生まれた。
「え、アデルさん今何をしたんですか?」
「何もしてないわよ。ただ隠れてたものを暴いただけ」
事も無げに言ってのけるアデリーンを見るハルトの視線が変わった。
それまでは、胡散臭さと警戒の混じった表情…極力近付きたくない…だったのだが、その中にマグノリアへ向けるような称賛と憧憬の色も僅かに、ほんの僅かにだが混じり始める。
「スゴイですアデルさん!なんかよく分かんないけど、スゴイです!」
「よく分かんないって…こんだけ丁寧に説明してやってんのに馬鹿じゃないの」
ハルトの素直な称賛に対し辛辣に返すアデリーンだったが、彼女の唇の端がほんの僅かに緩んでいたことを、ネコは見逃さなかった。
アデリーンはハルトに背を向けて、地面の文様に屈みこむ。
「……メインは光学式、か。専門外だから得意じゃないんだけど…このくらいなら」
その辺りに落ちていた小枝を拾うと、それで文様に線を足していく。
何をしているのか、とハルトがそれを覗き込もうとしたとき、文様は消え、そこに突如として鉄扉が現れた。
「……えええ?」
「ビンゴ、ね」
地面に嵌め込まれた重厚な鉄扉。錆びの一つもなく巧妙に隠されていたそれは、ただの物置だとか忘れ去られた過去の遺物だとかには見えない。
これは、どう考えても。
「アデルさん、これ…………隠し扉ですね!」
「いちいち言わんでも分かってるわ」
「怪しいですね!」
「それも分かってる。…………で、どうする?」
アデリーンはハルトを試すような視線で見上げた。
近辺の失踪事件。何も知らなかったと言う容疑者。容疑者の家の裏手に隠された地下への扉。
ここで一旦戻ってもっと詳しく子爵の周辺を調べてから出直すのか、このまま突撃するのか。そのどちらを選ぶかによって、ハルトの遊撃士としての質が問われる。
そして、どちらがアデリーンの好みかと言うと。
「……行きましょう!この奥に、きっと攫われた娘さんたちが閉じ込められてるに違いありません!!」
間違いなく前者を選ぶであろう慎重な相方とは正反対の答えを選んだハルトに、アデリーンは満足げに微笑んだ。




