第二十二話 魔王子殿下は性善説の持ち主のようです。
「ううう…………」
「ふむ、ふむふむ。なるほど雷撃と炎熱・氷雪は無効化…けど衝撃によるダメージはあり…と」
「あんまりですアデルさん………」
「でもって風・地属性は無効化されない……ということは魔導無効じゃなくてこれは状態異常あるいは状態変化無効ということ?ということは毒物や睡眠系も」
ブツブツと呟くアデリーンの表情は陰鬱ながら満足げで、対するハルトの表情は怯え切っていた。
「けど物理ダメージもなんでこんなに回復が早いわけ?早いってか速すぎるわよね普通に考えて異常なくらい」
「アデルさーん……もう行きましょうよぉ」
「けどまぁ傷も状態異常と定義するならばそれもありなのかでも流石に無効化というほどタイムラグがないわけじゃない…」
「アデルさんてばぁ……」
すっかりアデリーンの実験動物にされてしまったハルト。
彼女が行った実験は、「ハルト君はどんな魔導耐性を持ってるのかとりあえず魔法をぶつけてみて確かめてみよう」で、ある。
アデリーンの魔導適性は、炎熱・氷雪・雷撃・風・大地・精神の六系統。所謂、オールラウンダーの魔導士であり、ここまで多くの適性を持つ魔導士は非常に珍しい。
それもまた彼女の才能ではあるのだが、その才能は随分と無駄遣いされている、とハルトは思う。
かれこれ二時間、ハルトはアデリーンの実験に付き合っていた。
低位から中位まで、アデリーンの持つ術式レパートリーを次から次へと試して…則ちハルトに向けてぶっ放して…いたわけだが、それでも彼女のとっておきである上位術式は試していないあたり、彼女にも慈悲の心はあるのだろうか。
「すごい……すごいわハルト!あんた、自分がどれだけ凄いか分かってる!?」
「うぇえ?」
両肩をがっちり掴まれて真正面から力説してくるアデリーンに、ハルトは抵抗する気を失っている。至近距離で術式を直撃させられても、彼にはダメージらしきものは見られない。が、それは肉体的なことであって、問答無用で攻撃術式を連発されることによる精神的ダメージは計り知れなかった。
「あんたのそれは、おそらく天恵よ。限られた者にのみ顕現する特別な能力、スキルとは訳が違うの。魔導攻撃無効化だなんて、そんなの美味しすぎるじゃない」
アデリーンの言う「美味しすぎる」とは戦力的に心強いという意味ではなくて心置きなく実験に使えるという意味である。
ハルトにはアデリーンの頭の中身は分からないが、しかし彼女が自分を使って良からぬこと(ハルトにとって)を考えているだろうことくらいは分かった。
何故なら、アデリーンはまだまだ満足していなさそうだったから。
アデリーンは、これで引き籠りだなんて言われてもまるで説得力がないくらいに生き生きしている。水を得た魚のようだ。
「それじゃ次、次いいかしら?無効といってもどの時点でどんな仕組みで術式が阻害されてるのか確かめて…」
「にゃにゃにゃにゃにゃ!」
ハルトが恐怖のあまりに猫になってしまった…わけではない。主の危機に、遅ればせながらネコが立ち上がったのだ。
立ち上がったというか、アデリーンの顔にしがみついたのだ。
「…………ちょっと何よこれ」
レディの顔に断りもなくしがみつくなど非礼極まりない所業なのだが、アデリーンは思いの外冷静である。ネコのふわもこな腹毛に顔を埋めるかたちになって不機嫌になれる者など存在しない。
ネコのおかげで解放されたハルトは、二、三歩…もう一声で四、五歩…いやいや余裕を持って十歩ほど、アデリーンから遠ざかった。
柱の陰に身を隠して、恐る恐るアデリーンの様子を窺う。
「あの……アデルさん。ボクたち、この村の人たちを助けなきゃいけないんですよね?」
「なにそれ。私そんなの知らない。そんなことより…」
「にゃーーーなあーぉ」
村人たちの災難なんて知ったことではない。アデリーンの関心は、自分の知的好奇心を満足させるただ一点にのみ注がれている。
しかし、彼女にしがみついたままのネコが何かを言いたげに一声鳴くと、アデリーンは何かに気が付いたかのように言葉を止めた。
「…………アデルさん?」
「そうね、分かったわ。それじゃ、その悪徳領主とやらのところに急ぎましょうか」
「…へ?」
いきなり態度を翻したアデリーンにハルトは驚く。一体どんな心境の変化だろう。今の今まで、村人たちの窮状なんて完全無視でハルトに魔法をぶち込むことばっかり考えていたくせに。
「ほら、何してんのよ行くわよ。てかネコ、あんたもいい加減離れなさい」
顔からネコを剥がしハルトを促し、アデリーンはスタスタと部屋を出る。彼女の翻意についていけずにハルトは一瞬呆けるが、どうやら危機は去ったと悟って彼女の後を追った。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよアデルさん」
「遅い。さっさと片付けないと時間がなくなるじゃない」
やはりアデリーンは引き籠もりとは思えない。キビキビとした動きで足早に歩く彼女は、どこからどう見ても精力的に活動する凄腕の遊撃士、である。
ただし、彼女の頭の中身は精力的に活動する凄腕の遊撃士とは一線を隔していた。
「時間…って、何のですか?」
「どうせなら魔導だけじゃなくて他のも試してみたいわよねああでも実戦もいいわ実験とは違う結果が得られるかもしれないし……」
「ねぇ、アデルさん!?時間って、何のですか?ねぇちょっと!!」
聞くのは怖いが聞かずにはいられないハルトであった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
せっかくやる気?になったアデリーンではあるが、二人と一匹が領主の邸宅を訪問したのはそれから三時間後だった。
当然である。ハルトがアデリーンを叩き起こしたのが四時半。アデリーンによる「実験」が一段落したのが六時半。
人攫いの嫌疑がかけられていようがいまいが、貴族の屋敷をアポなし訪問するのには非常識な時間である。
常識知らずを村長に窘められた二人は、仕方なく朝食を取りながら時間を潰したのだった。
勿論、ただ食事をしていただけではない。作戦会議も兼ねている。
「…で、その領主が犯人だっていう証拠はあるの?」
「ないそうです」
「…じゃ、どうすんのよ」
「本人に聞いてみようと思って」
「ふーん……まぁそれでいいか」
……以上、アデリーン=バセットとハルト=サクラーヴァの作戦会議終了。
残念ながら、ここに常識人はいなかった。
オートミールをぺちぺち食べながらネコは、多分この二人よりかは村人たちの方が余程上手く事態に対処できるのではないか…と思った。
しかしこれまた残念なことに、領主のところに直接乗り込む勇気は村人たちにはないようで…領主とは領民の生殺与奪を握っているようなものなのだ…、彼らは常識を知らないハルトと常識なんてどうでもいいアデリーンに全てを任せるしかなかった。
ボルテス子爵は、父親から家を継いだばかりの若者である。しかしまだ継いで間もないということと、ここが極めて辺境であるということから、彼の手腕がどれほどのものであるか知っている者はほとんどいない。
そして、彼がどのような人物であるか、もまた。
ここにマグノリアがいたならば、貴族しかも領地持ちにアポイントメントも無しで会いにいって応じてもらえるはずがない、と当たり前の助言をしてくれただろう。
だが、ここに彼女はいない。ここにいるのは、常識知らず&無視の二人組。
ハルトとアデリーンは、断られる可能性なんて微塵も考慮せず…もともと何も考えていないのだが…、子爵邸の扉を叩いた。
そしてその結果……何と二人は、快く迎え入れられた。
扉を開けたのは初老の執事。アポなしの非礼を詫びることすらせずに子爵に会いたい旨を告げると、ハルトたちが待たされたのは少しの間だけで、すんなりとお目通りは叶ってしまった。
「やぁ、このような辺境にようこそ、遊撃士殿。この僕が、エミリオ=ラ=ボルテスだ。お目に掛かれて嬉しいよ!」
立派な応接室で二人を迎えたボルテス子爵は、確かに言葉どおり歓迎しているように見えた。
長めの前髪といいそれをしきりに跳ね上げる仕草といい長い睫毛といいやたらとキメ角度を気にしている様子といい、やや自意識過剰の気はある。しかし、その笑顔にも声色にも二人を謀ろうという気配はなかった。
てっきりてっきり腹に一物ありそうな黒幕の姿を想像していたハルトは、少し気勢を削がれてしまった。
「あ…ええと、ボクは、ハルトっていいます。で、こちらはアデリーンさん」
「おお、麗しき二振りの刃よ、僕に何の用かな?」
芝居がかった口調だが、不思議と嘘臭さがない。子爵自身が本気でそう思っているからだろう。
「ええと……」
ハルトは、横にいるアデリーンをチラッと見た。これは確かにマグノリアが自分の鍛錬&お金稼ぎのために受けた依頼なのだが、しかしアデリーンは先輩遊撃士なので自分をリードしてくれないかなーと思ったのだ。
しかしアデリーンは、逃すまいとハルトの腕をがっちりホールドするばかりで、子爵には目もくれない。
仕方なくハルトは、ズバリと切り込んだ。
「トーミオ村の近辺で行方不明事件が多発しているそうなんですけど、それって子爵の仕業なんですか?」
「……………………」
「……にゃ、にゃにゃ」
あまりにズバリすぎるハルトの質問に、子爵は笑顔のまま固まった。ネコは「こりゃ駄目だ」と鳴いた。
「村の人たちは、子爵が怪しいって言ってました。娘さんたちを出仕させないと税を上げられるって。でもみんな言うこと聞かないから、無理矢理攫ったんですか?」
「…………………」
「……にゃ、にゃーにゃにゃー…」
子爵の笑顔は崩れなかった。ネコは「あーもう、これはもーーーー」と鳴いた。
しばらくして子爵は、ようやく口を開いた。
「これは驚いたね。一体誰がそんなことを言い出したのか知らないけど、実に心外だ。僕は常に領地と領民の平穏を願っている。その僕が領民を苦しめるようなことを、するはずがないじゃないか!」
嫌疑を否定する子爵は面食らったようだったが、しかし不躾な質問をしたハルトに腹を立てている様子はない。
「そう……なんですか?」
「そうだとも!」
「そう……ですか、分かりました!」
ハルトは、納得してしまった。
そもそも、彼は人を疑うことを知らない。騙された経験も騙した経験も、その必要性もなく生きてきた彼は、世の中の全員が自分と同じだと考えている。
悪意でもって、或いは私利私欲のために、他者を騙したり陥れたり傷つけたり…という行為は、彼の世界には存在しない。
それは、愚直なまでの性善説。
「それじゃ、村の人たちにはそう伝えますね!ありがとうございました」
寧ろ、疑われた子爵の方が面食らっていた。領主に人攫いの嫌疑を掛けてアポなしで突撃訪問しておいてこんなにあっさりと子爵を信じてしまうハルトが、理解し難いのだ。
彼は、ぴょこんとお辞儀をしてさっさと帰ろうとするハルトを、呼び止めた。
「ああ、待ちたまえ。せっかく来たのだから、お茶くらい御馳走させてくれたまえよ。それに、その行方不明事件とやらについても、詳しく教えてもらえないか?」
やはりここにマグノリアがいたならば、領主である子爵が領地の異変を知らされていないはずはないと気付いただろう。
しかし、やはりハルトはそんなことには気付かず、アデリーンはそんなことはどうでもいい。
「分かりました。ええと、村の人たちが言うには……」
なのでハルトは、本来ならば自分なんかよりもずっと状況を詳しく把握しているはずの子爵に、村人たちから聞かされた話をそのまま繰り返すのだった。
ハルトの話を聞く子爵は、表情こそ平静なままだったが、しかしその笑顔の温度が僅かに変化したことに気付いたのはネコだけだった。
アデリーンは、ハルトの魔導耐性を天恵だと思ってますが、違いますね当然。




