第二十一話 誰にだって情熱を傾ける何かがある。
「なぁ兄ちゃん。だからさ、前も言ったろ?」
殺風景でこじんまりとした部屋で、向かい合う制服姿の中年男と仏頂面の青年。
「何もしてなくっても、このご時世ずっと同じところでウロウロしてる人間がいたら周りはみんな不審に思うものなの。分かる?」
制服姿の中年男はリエルタ市警地域安全課巡査長のアブダル=ポロック(46歳バツイチ子持ち)。定年を間近に控えて(リエルタ市警の定年は50歳)なお巡査長止まりのうだつの上がらない彼ではあるが、地域の安全を守ることに関しては人一倍の熱意で取り組んでいる、それなりには頼りになるお巡りさんである。
で、彼が今話しかけている青年は、ここ数日間で彼とすっかり顔馴染みになってしまった不審者だ。
何故かサンテン通りの旅籠「快眠亭」の目の前(の街路樹の陰)で毎日のように立っている青年。何をするわけでもないが何をするわけでもないのが余計に不気味に感じられたらしく、もう何度も近隣住民からの通報でポロック巡査長は青年のもとを訪れていた。
話を聞いたのは数回、屯所に連行したのはこれで二回目。
最初の聴取のときにそれほど怪しい感じはしなかったのであっさり釈放したのだが、それからも数回通報がありその度に彼を説得し不審な行動をしないようにと言ってきたのだが、まるで聞き入られることなくこれで六度目の通報、二度目の連行と相成った。
「私も貴様に言ってあるはずだ。他の者になど用はない、放っておけと。何度言わせれば気が済む?」
不機嫌丸出しの顔で青年はポロック巡査長を睨み付ける。が、彼に害意がないことはポロック巡査長にも分かっているので、子供が不貞腐れているようにしか感じない。
「だーかーらーね。毎日毎日同じところに同じ人間がずーーーっと立ってたら、周りの人たちは怖がるでしょ?」
発展するにつれ、リエルタ市も最近は物騒になってきている。かつては犯罪なんて無縁な平和な村だったのだが(そしてポロック巡査長はその頃からの住民である)、街が栄え人が増えれば負の面も広がっていくというもの。
ましてや見たことのない余所者が毎日うろついているという状況は、近隣住民に要らぬ誤解を与えてしまう。
「だーかーらー。私はとあるやんごとなき御方の身辺をお護りするためにあの場所を動くことは出来ないと言っているではないか」
ポロック巡査長の真似をして無表情で返す青年は、無表情ではあるのだが早く帰りたくてウズウズしている。
「ああ…こうしている間にもあの御方にもしものことがあれば私は………」
頭を抱えつつチラチラとポロック巡査長の方に視線を遣って訴えかける青年。前回はそれであっさりと帰してもらえたので今回も、というわけか。
「あのさ、そんなにやんごとなき御方なら、その人の名前を教えてよ」
ポロック巡査長も、今まで何度となく繰り返してきた質問を投げかける。この青年、話が本当だとするとどこぞの奇人…じゃなかった貴人にお仕えする騎士であるらしいが、主人の名前や家を聞いても頑なに答えようとしないのだ。
青年自身の名前は聞いている。しかしそれ以外のこと…彼の主のことや彼が不審者丸出しでサンテン通りをうろついている理由、主の傍ではなくわざわざ旅籠の外で中途半端に隠れながら護衛しているという理由は、教えてもらえない。
別にレオニール青年が何か罪を犯したわけではないし実害もないしただ住民が気味悪がっているというだけなのであまり疑うのも気が引けるが、それでもポロック巡査長はリエルタ市の治安を担う市警兵なのだ、まだ何も起きていないからまぁいいか、と事なかれ主義に走ることは出来ない。
「…………………」
「…ん?どうしたの、教えてよ。そんなに偉い人なら、市長や署長に頼んで警備を回してもらおうか?」
「そ…それには及ばぬ…!あの御方は現在お忍びでここへお出でになっているのだ、自らの権威を振りかざすことは望まれておられぬだろう!」
警備を回してもらう云々はポロック巡査長が適当に言ったことなのだが(彼の一存でそんなこと出来るわけない)、慌ててそれを辞退する青年を見ていると、
「あーーー、なるほどね。お忍びで出て来たご主人さまに無断で後をつけてきたわけか。それじゃバレたら叱られちゃうねぇ」
「き……貴様、何故それを……!」
やはり図星のようだ。人生経験豊富な小市民(バツイチ子持ち)を舐めてはいかんよ青年君。
「まぁ、君の立場も色々大変なのかもしれないけどさ、通報を受けてしまった以上はこっちも報告書を書かなくちゃならないんだよ」
「だから!とある御方をお護りするためにあの場所にいるのだと…」
「家も名前も不明なやんごとない御方の護衛のため…なんて書いても上は認めてくんないの。現に、前回はそんなんで通用するかってお叱り受けちゃったんだから」
「く……この分からず屋め……!」
「それはお互い様だと思うよ」
一刻も早く主のところへ戻りたいレオニール青年と、さっさと今日の仕事を終わらせて定時で上がり帰宅したいポロック巡査長の利害は、実のところ一致していた。
それなのに互いに妥協点を見いだせない両者の溝は、とても深かった。
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トーミオ村に到着した翌朝、時刻は四時半。ハルトは勢いよくアデリーンの部屋(雇われ人足用の簡易宿泊所を貸してもらっている)のドアをノックした。
「おはようございます、アデルさん!そろそろ出発したいんですけど、準備は出来てますか?」
牧場経営者や新聞配達員でもなければ大抵の人間はまだ寝ている時間なのだが、ハルトはアデリーンが就寝中だという可能性は全く考慮していない。自分が起きているので彼女も起きているに違いないと思っているのだ。
何故ならば、魔王城でハルトが起きたのにまだ寝ているだなんて不届き者は存在しなかったから。
当然のことであるのだが、部屋の中からは返事がない。しかしハルトは、マグノリアとは違う意味で容赦ない。
「アデルさーん?早く領主さんのところ行きましょうよ。サッと行ってバシッと解決して、師匠に褒めてもらいましょう!………アデルさん?」
大声でアデリーンを呼びながら、ドアをドンドンドンと鳴らし続ける。が、相手は“隠遁の魔導士”。この程度で天岩戸を開くには至らなかった。
至らなかったので、ハルトは次の手に出る。
諦めるのでも待つのでもなく、強引にドアを開けたのだ。
鍵が掛かっていたはずなのだが、躊躇を知らないハルトの手によって呆気なく破壊された。哀れにもブランブランになっているドアノブを不思議そうな目で見て、ハルトはそのままアデリーンの部屋の中へ。
アデリーンはベッドの上で布団を頭からすっぽり被り丸まって眠っていた。早朝だということもあるが、彼女は普段ほとんどこの体勢で一日を過ごしている。
ハルトはベッドに近付くと、無言でいきなり布団をはぎ取った。相手がお年頃の独身女性だということなんてまったく配慮していない。
ぬくぬくと守られた絶対領域から突然外の世界に向き合わなくてはならなくなったアデリーンは、ハルトのあまりに傍若無人な振舞いに目を覚まし、当然の抗議の声を上げる。
「な…何すんのよこのクソガキ!あんた、女性の部屋に無断で入ってくるとかどういう神経してるわけ?」
「アデルさん、もう朝ですよ。出発しましょう?」
朝四時半に目を覚ましていないことが心底不思議だと言わんばかりに言うハルトに、アデリーンは負けじと言い返す。
「あんたね、今何時だと……ってマジでしょ四時半…?ちょっと非常識にも程があるってーか年寄りじゃないんだから……」
「朝早くから動くとなんか気持ち良くないですか?」
「それはあんただけ。私は一日中惰眠を貪るのが一番気持ち良いの」
アデリーンはハルトから布団をひったくると、ふたたびそれに包まった。しかし顔だけは出しているあたり、完全にハルトを拒絶するつもりはなさそうだ。
…或いは、彼が部屋を出るのを見届けるまでは安心して眠れないだけか。
「けど、そろそろ領主さんのところに…」
「領主って何よ?そもそもマギーは?」
アデリーンは昨日の歓迎の席にはいなかったので、経緯を知らない。さらに、マグノリアが帰ってしまったことも知らない。
「領主さんは、今回の黒幕かもしれない人です。師匠は帰っちゃいました」
アデリーンの質問に律儀に答えるハルトだが、事情を知らない彼女には説明になっていない。
「…………は?帰った……マギーが!?」
彼女は黒幕云々には興味を示さなかった。それより何より、マグノリアが帰ってしまったことの方が彼女には大問題だ。
マグノリアへの借りを盾にされて無理矢理連れてこられたものの、自分の出番が来るまでは…要するに荒事が起こるまでは…この部屋でゴロゴロ引き籠もる気満々だった彼女だが、マグノリアがいないのでは話が違う。
「…だったら私も帰る」
どうせゴロゴロするなら不慣れな場所ではなく自宅の方がいいに決まっている。彼女がそう言い出すのも当然のこと。
「え、駄目ですよ。アデルさんが帰っちゃったら、ボク一人になっちゃうじゃないですか」
「知るか!なんで私があんたの心配までしなきゃなんないわけ?つか私があんたを心配するとあんたが考えてるのが不思議だわ!」
アデリーンは積極的引き籠もりである。則ち、なんとなく引き籠もってしまう消極的引き籠もりとは違い、引き籠もるためには努力を惜しまない。彼女にとって布団の中は逃げ場ではなく死守すべき戦場だ。
即座に飛び起きてさっさと着替え(目の前にハルトがいるのにまるで恥じらう様子がない)、ほどいてすらいなかったので纏める必要のない荷物を引っ掴み、部屋を出ようとする。
ハルトはそんなアデリーンにしがみついた。
「ちょっと、何すんのよ離しなさい。私は帰るんだから」
「駄目ですよ、帰っちゃ。アデルさんはボクと一緒に悪い領主さんを懲らしめに行くんですから」
「それ誰が決めたのよ!?」
「誰って……村の人たち困ってますし……」
短い遣り取りでアデリーンは、何故マグノリアがハルトを見捨てて帰ってしまったのか分かったような気がした。この少年の行動と理屈には、まったくもって道理が存在していない。
細かい経緯は分からないままだが、アデリーンはマグノリアが無意味な行動を取るはずはないと知っているし、ならばそれとは違う行動を取っているハルトのほうが無意味なことをしている…しようとしている、のだろう。
そもそも、アデリーンはマグノリアに借りがあるのであって、ハルトには何の恩も義理もない。道理がどちらにあるのかなんて関係なく、マグノリアがいないのにハルトに付き合う理由などなかった。
だから、ハルトの懇願(にしてはやたらと図々しいが)を無視して、部屋を出ようと……
「……ちょっと、だから離しなさい」
「嫌です」
「…離せって」
「だって離したらアデルさん行っちゃうじゃないですか」
ハルトの力は、その細腕からは想像出来ないほど強かった。典型的な魔導士らしく筋力に乏しいアデリーンには、振りほどくことが出来ない。
「……離しなさい」
「嫌です」
「離せってば」
「嫌ですってば」
不毛な遣り取り。しかし両者とも真剣だ。そのまま「離せ」「嫌だ」を十回以上繰り返した後、堪忍袋の緒が切れたのはアデリーンだった。
「……………………」
「…アデルさん?」
何やら小声でブツブツと呟きだしたアデリーン。何か文句を言っているのだろうかとハルトは思ったのだが、それにしては発音が奇妙だ。
そしてアデリーンは実力行使に出た。
魔導士である彼女の、実力行使。それは則ち……
「【雷糸縛鎖】」
魔導攻撃である。
敵の捕縛と無効化を同時に行う雷撃系低位術式を、アデリーンはハルトに向かって放った。
アデリーンにしがみつくハルトに、電流の鎖が容赦なく絡みついた。電流と言っても、きちんと術者であるアデリーンは感電しないよう同時に絶縁結界も展開してある。
バリバリバリ、と弾けるような音が耳を打ち、強烈な閃光が視界を覆い尽くした。
これで、終わりなはずだった。
殺傷能力こそ低いが、対魔導用の障壁もなくまともに食らえばただでは済まない。アデリーンはハルトの拘束から逃れて、自由になれる…はずだった。
彼女はまさしくそれを狙っていたのに。
「…眩しいです、アデルさん」
「…………………………え……えぇえ!?」
ハルトの腕の力は全く緩まなかった。と言うか、ハルトはピンピンしていた。オーガですらしばらくは動けなくなるような電撃を受けて、出てきた感想が「眩しい」だけだった。
「う……うそでしょお?術は確かに発動して………えええーーー……」
自分の目で見たことが信じられず、アデリーンは呆ける。
魔獣でもないんだし、廉族が雷撃耐性を持っているなんて考えられない。
「……あんた、今何をしたの…?」
「……?アデルさんに、抱き付いて…ますけど」
ハルトは何もしていないので「何をしたか」と問われてもそう答えるしかない。のだが、アデリーンの自分への態度が僅かに変化したことを感じ、彼女から手を離した。
希望どおり自由になったアデリーンだが、そこを動かなかった。しばらくの間、ハルトをまじまじと見つめるばかり。
「え…っと、アデル…さん?」
急激な温度変化に、さしものハルトも面食らう。そのくらい、アデリーンのハルトを見る目には熱がこもっていた。
「…………興味深い」
「…はい?」
それまでの無気力な瞳から一転、好奇と情熱で上ずった表情は、まるで別人と見紛うほど。
「ちょ、ちょっともう少し試してみていい?それが終わったら領主んところでもどこでも付き合ってあげるから、ね?」
「え……と、なんかイヤですアデルさん顔コワいです…」
ハルトは本能的な感覚でアデルから距離を置こうとするのだが、次はアデルがハルトにしがみつく番だった。
「ね、ね、いいでしょちょっとだけ。ちょっとだけだから…ハアハア」
「あのほんとごめんなさいボクが悪かったですまだ寝てていいですから」
「もう興奮して寝てなんかいられないわ。ほらおねーさんに見せてちょうだいな?」
「アアアアアデルさん落ち着いてください何か変ですよ?」
「そんなことないわよ私はいたって普通……ジュルリ」
「なんでそこで舌なめずり!?」
「完全無効化レベルの耐性スキルってほんと珍しいのよもしかしてスキルじゃなくて天恵かしらそれに対象属性も知りたいわ雷撃だけじゃないのかしらウフフフフフフフ……」
不気味な笑みを浮かべ舌なめずりしつつ、アデリーンはハルトを追い詰めていく。どうやら、二、三発は試してみなければ気が済まなさそうだ。
マッドサイエンティストの如き熱量に圧倒されながら、ハルトの胸に去来したのは後悔の念。
安全な魔王城から出なければ良かった。
師匠の言うことに素直に従っておけば良かった。
アデリーンを無理矢理起こすんじゃなかった。
しかし、後悔とはえてして取り返しのつかない状況下で湧き上がるものである。
どうやら、彼らが領主のもとを訪れるのは、もう少し後のことになりそうだった。




