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第十六話 消えた痕跡




 遊撃士組合ギルドリエルタ支部は、数多あるギルド支部の中でも新しい方である。それは、リエルタ市が支部を置くほどに発展を遂げたのが比較的最近であるからなのだが、そのせいもあるのかないのか、そこの支部長も役職の割には年若い男だった。


 彼の名は、レナート=ジョイス。今は現役を退いているが、かつては優秀な第二等級遊撃士であり、そしてまだ駆け出しだったマグノリアの指南役も請け負ってくれていた彼は、今も昔もマグノリアの良き先達であり相談相手である。彼女がリエルタ市を中心に活動しているのも、彼の存在によるところが大きい。


 今、マグノリアはギルドの支部長室で、レナートと二人きりで向かい合っていた。故あって、人払いを頼んでいる。


 「…で、内密に話というのは何だ?」


 レナートの年齢は40手前。引退の理由は負傷によるものだが、鍛え上げられた肉体も鋭い眼光も、現役時代からまるで衰えていない。

 しかし、その獰猛にも見える容姿の内側には驚くほど情に厚く真っすぐな性質が隠されていることを、マグノリアは知っていた。


 さらに、彼が回りくどい遣り方を好まないことも知っていたので、マグノリアは真っ先に、彼に一番伝えたいことを口にした。


 「北の森で、オロチに遭遇した」

 「……何だと!?」


 マグノリアの報告に、レナートは掛けていた椅子から半ば腰を浮かした。


 「あそこはせいぜいレベル4、5の魔獣が生息してるだけのはずだ、それなのにどうして……」

 「理由は知らない。けど、確かに妙だと思うからこうして報告しに来たのさ」


 レナートは、マグノリアの現実主義を知っている。冗談や憶測や誇張で、オロチが出たと吹聴することは彼女にはありえない。

 となると、近辺に最高位魔獣が出没したという事実はリエルタ市だけで処理できるものではなかった。


 「オロチとなると、中央に討伐軍を要請するだけでも時間がかかりすぎる……今すぐ森への立ち入りを禁止するように市長に言って、それから近隣の上位遊撃士たちをありったけ搔き集めなければ…」

 「落ち着いてくれよ支部長。その心配はない。もう討伐した後だから」

 「……何だと?」


 眉間に皺を寄せて対応策を考えていたレナートだったが、マグノリアに言われて先ほどと同じ言葉を先ほどと違うニュアンスで返した。


 オロチを討伐するには、第二等級以上の遊撃士最低でも三十名以上、或いは大隊規模の精鋭兵が必要だ。彼が訝しげに眉を顰めるのも無理はない。


 「討伐した……って、お前がか?」


 レナートは、マグノリアの力量を信じていないわけでも軽視しているわけでもない。寧ろ、自分が育て上げた一流の遊撃士として、誇りに思っている。

 しかし、そんな彼の親心をもってしても一匹狼ソロの彼女がオロチを討伐したとは、流石に信じられなかった。


 当然、マグノリアもそれは分かっている。


 「ああ…いや、アタシ…っつーか、メインで殺ったのは他の奴…なんだけどさ」

 「誰かとパーティーを組んでたのか?」

 「んー、そういうわけじゃないけど、なんつーの、なんかよくわからないけどとんでもなく強い通りすがりがいてさ、で、通りすがりに手を貸してくれた。手柄はそいつのものだ」


 珍しく、マグノリアの口調が冴えない。レナートはそれを、オロチとの遭遇という非日常(彼女ら遊撃士と言えども最高位魔獣と遭遇するのは日常的ではない)に戸惑っているからだと考えたのだが。


 実際には、マグノリアの態度が怪しげなのは、彼女が嘘をついているからである。


 「……そいつが、ほとんど一人でオロチを倒したっていうのか」

 「ああ。ちょっと人間離れしてた。あれは多分、凶剣よか強いな」

 「それはそうだ。いくらメルセデス=ラファティでも、流石にオロチを単独で討伐は無理だ。…それで、そいつは今どこに?」


 オロチを倒すほどの実力者となれば、間違いなく第一等級相当以上である。是非とも顔を見てみたいとレナートは思った。

 しかし、マグノリアは首を横に振った。


 「オロチを倒した後、すぐに立ち去っていったよ」

 「そうか……どんな奴だった?」

 「若い男さ。多分、アタシとそう違わない。金髪を短く刈り込んでて、目は深いエメラルドだった。ここいらでは見ない顔だったから、他所から来たんじゃないかな」


 マグノリアがレナートに告げた特徴は、レオニールのものだった。


 そう、彼女は全てレオニールに押し付けてしまうつもりなのだ。



 


 森の中で目を覚ましたとき、ハルトは何も覚えていなかった。ただついさっきまで見ていた夢の余韻に浸ってにへらにへらしていただけで、その直前の激闘?のことなどまるで記憶に残っていないかのような。


 ハルトがオロチを倒した力について、マグノリアは口外しない方がいいと感じた。ハルト自身ですら自覚のないその力は、常識の範疇を大きく超えている。

 おそらくそれは、天恵ギフトと呼ばれる限られた者にのみ顕在化する神授の能力。マグノリアはそう判断したが、強力な天恵ギフトやその持ち主は、往々にして欲深い連中に利用されがちなものだ。

 ましてやそれが、超世間知らずボンボンのハルトであれば、なおさらのこと。


 だから彼女は、他の誰にも、ハルト自身にすら、その力のことを知らせるのは危険だと感じ、自分の中だけに留めておくことにした。

 しかしそこで問題が一つ。


 彼女らの前には、オロチの死骸。何者かがそれを討伐した、ということは一目瞭然。さらに、こんなところに生息しているはずのないオロチが現れた原因が分からない以上、オロチの存在そのものを秘することは出来ない。

 もし他にも強力な魔獣が現れれば、今度こそリエルタ市が大きな被害を受けるかもしれないからだ。


 だから、せめてギルドと市の上層部だけにはオロチが出現したという情報を伝えなくてはならない。

 そして当然、それがもう討伐済みであるのならば一体誰が?という話になる。


 マグノリアが愚かで虚栄心に満ちた三下遊撃士であったならば、自分の手柄だと主張したであろう。しかしそんな見え透いた嘘はすぐに露呈する。露呈すれば、大法螺吹きの信用ならない奴、とのレッテルを貼られてしまう。


 困ったマグノリアだったが、頭を悩ませている彼女の脚を黒猫が突っついた。それに気付きネコの視線を追いかけると、その先には岩陰でなんだか気色悪く悶絶しているレオニールの姿が。隠れているつもりだろうが、相変わらずバレバレであった。


 そうだ、全部こいつがやったってことにしてやろう。


 そのときマグノリアの脳裏に閃いたのは、そんな厄介払い的な考えだった。

 自分が倒したわけでもないので手柄を第三者に押し付け…譲渡したところで、まったく気にもならない。

 男は遊撃士ではなさそうだったが、その腕前は自分を超えるものだと確信がある。流石にオロチを瞬殺出来るほどかどうかは不明だが、細かいことまでは彼女の知ったことではない。

 どうせほとんど見ず知らずの赤の他人なのだ、知らないことばかりでボロが出る可能性もまずない。


 そんなわけで、彼女はハルトの力を伏せたままでオロチ出没の経緯をレナートに話しているのであった。



 「……なるほど、他の魔獣が姿を消した……か。オロチの気配に怯えて隠れただけ、ということもありえるが……これは詳しく調べるしかないな」


 マグノリアの説明…世話の焼ける新人(候補)を訳あって鍛えている最中にオロチに遭遇して大ピンチだったが颯爽と現れた通りすがりの凄腕剣士が助けてくれてその後すぐに立ち去って行った…を聞いた後、レナートは調査団を森に派遣することに決めた。そして、そこに支部長である彼自身も同行することにした。


 

 「報告感謝する。災難だったな、後はこっちで調べておくから、今日はもう戻って休んでおけ。もし他にも高位魔獣が出るなんてことがあれば、お前にも協力してもらうことになるだろう」

 「ああ、頼んだよ支部長………って何だよ」


 退室しようと腰を浮かしかけたマグノリアだったが、レナートの微妙そうな表情に気付いて動きを止めた。


 「いや……昔はパパ、パパと愛らしく呼んでいてくれてたのにな………」

 「な……っいつの話してやがんだよ!」


 早くに両親を失ったマグノリアが、自分の面倒を見てくれたレナートに父の面影を重ねて甘えていたのは、マグノリアにとって恥ずかしい思い出だ。


 しかし、レナートにとっては懐かしい良き思い出なのである。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆



 レナートにオロチの件を報告した後、マグノリアは宿へ直行した。ハルトには大人しく待っていろと伝えてあるが、なんだか長い時間放置するのは危険な気がしたのだ。

 と言ってもハルト本人が危険というわけではなく、結局のところ、もしハルトの気が変わってこのまま実家に帰られたりしたら、彼がこさえた多額の借金は全てマグノリアに遺されてしまう、という危惧だった。


 しかし宿に入る手前で、相変わらず外に貼り付いたままのレオニールに気が付いたので、先に話をつけておくことにする。


 「よう、色男。ちょっといいか?」


 既にマグノリアには接触しているレオニールなので、彼女が近付いてきても話しかけてきても、それほど気に留める様子はなかった。

 ただし、心底どうでもいい…と言いたげな表情は浮かべていたりする。


 「……何の用だ?」

 「例のオロチの件だけどさ、あんたが倒したってことになってるんでそこんとこ宜しく」

 「どういうことだ?あれはハルトで…様が仕留められたものだ。この私ごときがその戦果を横取りするなど、不敬どころの話では…」

 「まぁ聞けって」


 それにしても一体ハルトはどこのやんごとなき御方なのだろう。レオニールの口振りを聞いていると、まるで王族か何かのようにさえ思えてくるマグノリアだった。


 「アタシだって、あいつがオロチを倒したのをこの目で見てる。けど、それを馬鹿正直に報告したら、あいつの妙な力が注目を受けることになるんだけど?」


 マグノリアが危惧していることが、レオニールにも伝わったのだろうか。それを聞いた途端、彼の表情に焦りが浮かんだ。


 「それは……困る」

 「だろ?あれはちょっと…常識外れにも程がある。正直アタシも、あいつが何者なのかって興味を持たざるを得ない…嫌でもな。……安心しろ詮索はしないから」


 ハルトの正体に関心を持ったらしいマグノリアを見るレオニールの視線が圧を増した。マグノリアは慌てて彼の懸念を否定する。


 「アタシは基本、自分に影響がなければ他人のことはどうでもいい。けどな、世間にはそうじゃない人間の方が多いんだ。あいつの力のことが知られれば、あいつ自身に関心を持つ奴も増える。あんただって、それは御免被りたいんじゃねーの?」

 「だから、私が手を下した、と虚偽の報告をしたわけか。……ふむ、確かに貴様の判断にも一理あるな。よかろう、今回に限っては貴様の提案を受け容れることにする」


 レオニールの物分かりが良くてマグノリアは助かった。ここで嫌だと突っぱねられてしまうと色々面倒なことになるからだ。

 レオニールのハルトに対する忠義を見ていればそんな心配はいらないと確信があったからこそ、本人に承諾を得る前に虚偽の報告をしたのだが。


 「…悪いな。最高位魔獣の討伐だなんて、荷が重いかもしれないが…」

 「構うことはない、あれしきの雑魚ならば私でも…………いや、何でもない」


 遊撃士でもなければ名を売ることにも興味がなさそうなレオニールではあるが、何かの拍子に「オロチを討伐した剣士」として知られてしまえば、当然人々の興味は彼に集中してしまう。実力にそぐわない評価を下されてしまうと後々大変な思いをするのではないかとマグノリアは心配したのだが(それも彼女の勝手な判断のせいで)、レオニールは気楽そうにそう言って…言いかけてマグノリアの唖然とした表情に気付いて言葉を途中で止めた。

 止めたのだが、彼の言葉の意味はマグノリアにしっかり伝わっていた。


 レオニールにとって、オロチは雑魚である。



 勿論、それを鵜呑みにするマグノリアではない。ハルトの天恵ギフトらしき妙な力…オロチの攻撃も防御もまるで通用しない…は、常識の範疇を大きく超えたとんでもない能力なのだ。そのハルトに仕えているからと言って、レオニールもそんな非常識な力の持ち主ではないだろう。

 彼が、主に注目がいかないように強がっているだけかもしれないし、マグノリアに気を遣っただけかもしれない…いや、それはないにしても、彼がオロチを文字どおり「雑魚」だと考えているはずはなかった。


 しかし、レオニールの様子からすると、彼もまた単騎でオロチを討伐できる程の強者なのだろうと、マグノリアは感じた。



 「……そう言ってもらえるのは助かるよ、色男」

 「その、軽佻浮薄な呼び方は不快だ。私には、レオニール=アルバという名があるのだぞ」

 「それじゃ、名前で呼んでいいのかよ?」

 「…………………」


 軽々しい呼び方に気分を害したレオニールが馬鹿正直に名乗るのだが、冷やかすようにマグノリアが尋ねると黙り込んでしまった。苦虫を噛み潰したような顔をしている。


 「駄目なのか?じゃ、仕方ないよな色男」

 「…………………」

 「これから先、あいつのことであんたとは何度か接触することになるかもしれないが名前を呼べないんじゃ、どうしようもないよな」

 「…………………」

 「正直、呼び方なんてどうでもいいと思うけどな、色男」

 「…………………。……………く……致し方あるまい。特別に、特別にだぞ!貴様には、私を名で呼ぶことを許可してやろう」


 お前一体何様だよ。

 マグノリアは思ったが口には出さなかった。


 「おー、寛大な御心に感謝し奉るぜ、色男…じゃなかった、レオニール。アタシはマグノリア=フォールズだ。特別に名前で呼ぶことを許してやるよ」

 「……………………。言っておくが、ハルト様には教導者が必要だということで貴様の振舞いを不問にしているのだからな。調子に乗るな」

 「へいへい、肝に銘じておきますよ。あいつの教導者ってのはちょっと納得いかないが…まぁいいや」


 マグノリアとしては、ハルトが自分の名前でこさえた借金を全額返済してくれるまで、彼を逃すつもりはない。

 

 そこまで言うのなら何故レオニールがハルトの教師役を務めないのか不思議なマグノリアだったが、それもまた彼の嫌う余計な詮索とやらになるだろうから、これもまた口には出さなかった。



 かくして、ハルトに注目を集めたくないレオニールと、ハルトを逃がすわけにはいかないマグノリアの利害が、微妙に一致した。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






 奇妙なことになった。


 マグノリアから報告を受けたレナートは、即座に調査団を結成し自らそれを率いて北の森へ向かった。

 オロチ出没の原因が分からない以上、他の高位魔獣の存在も否定できないからだ。


 調査団として連れて行ったのは、ギルド支部の信頼できる職員たちである。実力にも口の堅さにも定評がある者たちばかり。市の近隣で高位魔獣が現れたなんてことが広まれば、パニックが起こりかねないので、口の堅さは譲れないのだ。

 魔獣も怖いが、統制の利かなくなった民衆もまた恐ろしい。だから彼はある程度事実が確定するまでは、この件を公表するつもりがなかった。




 そして彼は、何も見付けられなかった。

 マグノリアの報告にあった地点には、確かに彼女が目印として残した短剣が突き刺してあった。


 しかし、報告のとおりならばそこに転がっているはずのオロチの死骸は、どこにもなかった。

 切り飛ばされた頭も、胴体も、鱗の一枚も。



 この森にオロチがいたという形跡は、綺麗さっぱりなくなっていたのである。



 

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