第十五話 不幸ってやつは仲間を呼ぶ性質があると思う。
歓喜と畏怖に、魂が震えた。
レオニール=アルバがそのとき目にしたのは、己が真に仕えるべき主の姿だった。
ハルトの行方を追って街の外へ出たレオニールは、最初は街道方面に向かうつもりだった。
いくら成長の兆しを見せ始めた王子とは言え、まだまだ腑抜けたピヨピヨひよっこ。不気味な森よりも、人工物の見られる街道を選ぶだろうと思ったのだ。
しかしそんな折、森の方で魔力の高まりを感じたため、方向を変えすぐさま森へと向かった。
彼が感じた魔力は、魔獣のものだ。魔界基準だと、それほど脅威とは言えないレベル。しかし暴力に慣れていない主がそれに上手く対処できるとも思えず、彼は万が一の可能性を怖れて走った。
走った先で、彼は見たのだ。
オロチとかいう、地上界ではそれなりに怖れられているらしい魔獣を、一瞬で肉塊に変えた主の姿を。
魔獣を屠ったこと自体は、それほど驚くことではない。
だが、感情のない顔で平然と佇む主は、絶対の王者に相応しき威厳を纏っていた。
彼ら魔族でさえも、容易には近付けない高みに座す存在。それこそが魔王であると、レオニールの魂に刻まれた記憶が、魔族の遺伝子が、彼に告げていた。
「ああ……あれこそが真なる王者の姿………ハルト殿下を信じた私は、間違ってはいなかった……!」
感極まって呟くレオニールは、自分の頬が濡れていることにも気付いていなかった。
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「なんだったんだ…一体……?」
目の前で繰り広げられた光景…オロチが現れてから倒されるまでの一連の…がやけに現実味がなくて、マグノリアは一瞬自分が夢を見ているのではないか、と思った。
こんなところに現れるはずのないオロチが現れて、危うく食われるところで、そこにハルトが戻ってきて、やられたと思ったらオロチを瞬殺してしまって。
こんなこと話しても、遊撃士仲間の誰一人信じてくれないだろう。自分だって、我が身のことなのに信じられない。
しかし、自分の身体を苛む痛みと、首を残らず飛ばされたオロチの死骸が、これは現実なのだとマグノリアに訴えかけていた。
「なぁ……ネコ。お前のご主人って、何なんだ?」
「んに?んにーに」
勿体ぶるような鳴き方の黒猫だが、それがマグノリアの疑問に答えてくれることはない。
ハルトは、オロチの傍らで眠っている。正体不明の黒刃でオロチを切り裂いた直後、いきなりぶっ倒れたのだ。
そして今は、場違いに気持ちよさそうな寝息を立てている。
マグノリアは、ポーチから上級回復薬を取り出して飲み干した。致命傷は避けられたようだし(護符として持っていた魔導具のおかげだろう)、しばらくすれば動けるようになるはず。
とりあえず危機を脱することが出来て、疑問は何一つ解消はしていないが、今だけは安堵に身体を委ね休息を取ることにする。魔獣の闊歩する森の中と言っても、オロチの死骸が転がる場所に近付く下位魔獣はいない。
やがて回復薬が効いてきたのか、痛みが徐々に収まってきた。手足を動かし、骨折や修復不能な欠損がないことを確認したマグノリアは、慎重に起き上がると、オロチの死骸へ歩いていく。
その手には、解体用のナイフ。
「…ま、ハルトの手柄だが……あいつの借金返済のためなんだから、文句は言わないよな」
目的は、オロチの魔晶石である。若干興奮させてしまったので少し質は落ちるかもしれないが、それでも地上界最強の魔獣の魔晶石だ。ハルトが魔導具屋に持ち込んだヒポグリフのものよりも、はるかに高く売れるだろう。
そう思って解体を始めたマグノリアだったが。
「あ…あれ?なんでだ、見当たらねーな…?」
いくら切り進んでも、オロチの体内に魔晶石が見当たらないのだ。
そんなはずはない、と胴体だけではなく八つの首も、八つの尾も見てみた。
それなのに、石はどこにもない。
これは、妙なことである。
かつては、魔獣を倒しても魔晶石が手に入ることは稀だった。もともと魔力とは不可触の力で、そうそう簡単には結晶化しない。
だから、その頃は魔晶石を入手するには運に頼るか一定の条件を満たすしかなかった。
しかし、十五年前の聖戦の影響で世界の理が大きく歪むことになり、その影響なのか魔獣の魔力は非常に結晶化しやすくなった。
今では、魔獣を倒せばまず魔晶石は手に入る。
しかし、現実として彼女の目の前に横たわるオロチには、魔晶石が見当たらなかった。
「………マジかよ、ついてねーな」
昔とは正反対で、今では魔晶石が手に入らない方が稀である。しかし、皆無というわけではない。たまたまなのか原因があるのか、せっかく魔獣を倒したのに収穫がなかった…という不運も、長く遊撃士を続けていれば何度か経験している。
流石に諦めるのは惜しすぎたが、無いものにいつまでも固執するのは無意味だ。マグノリアはオロチの死骸から離れてハルトを起こそうと思ったのだが。
その前に、とある重大なことに気付いてしまった。
「………ヤバい、魔導石の安全弁……全部取っちまった…………!」
彼女の腰のポーチの中には、五つほど魔導石が入っていた。オロチに喰われることを覚悟して、それでも一矢報いてやろうと五つ全部の安全弁を、彼女は外した。
安全弁は加工途中で組み込まれるものであり、一度外したものを再度付けることは出来ない。
そして、安全装置を失った魔導石は僅かな衝撃でも暴発してしまう、不安定かつ危険なシロモノ。
「し……しまったぁあああ!」
頭を抱えて叫ぶマグノリア。一度こうなってしまった魔導石は、危険過ぎる。なので、安全装置の機能しない魔導石は、然るべき手順を踏んで廃棄する…というのが大原則だ。
なお、彼女の魔導石は総額120万イェルク。自分一人では対処出来ない強敵と出逢ったときのための「とっておき」であり、こつこつお金を貯めてせっせと買い集めたものだった。
「こんなことなら、全部外すんじゃなかったーーーーーー!!」
後悔しても、後の祭り。彼女は、120万イェルクの財産をドブに棄ててしまった。
「ウソだろ……借金減らすための行動で、余計に出費って………ウソだろぉ……」
がっくりと膝から崩れ落ちるマグノリアのすぐ横で、呑気で腑抜けた寝顔のハルトがうーんむにゃむにゃとかやっている。
「ううーん……結納は、日取りを見てから……むにゃ」
…………ぷち。
マグノリアの中で、何かが音を立てて切れた。
「…っざけんなよオイてめー舐めたこと抜かしてんじゃねー!誰のせいでこんなことになったと思ってやがる!?」
「むにゃあ……まずは両家に挨拶を……」
マグノリアに襟元を掴まれてブンブンされながらも、ハルトは未だ夢の中。どうやらメルセデスとの話はだいぶ順調に進んでいるらしかった。妄想とは言え勝手な話である。
ハルトがこさえた借金…弁償という名の…が、二百万イェルク。とは言え実際ハルトには魔晶石を売ったときの金があるので、宿代やら諸費用を差し引いても80万は返済に充てられる。
残り120万イェルク…というところで、さらに120万の損失。計、240万のマイナス。
マグノリアは例の弁償費用をハルトの借金だと思っているが、書類上は…則ち公的には、マグノリアの借金だ。
ツイていない。実にツイていない。不運を他者のせいにするのは愚行だと分かっているが、しかしハルトに関わらなければ借金を抱えることも魔導石を無駄にすることもなかったわけで。
「聞こえてんのかこのクソガキ!返せ、アタシの金を返せ!利息込みで返しやがれーーー!!」
「むにゃ……うふふダメですよメルセデスそういうことは籍を入れてから……」
「妄想もいい加減にしやがれっつーかそういうことってどういうことだーー!?」
ムキになってハルトをブンブンするマグノリアと、締まらない寝顔で締まらない寝言を漏らすハルトと、岩の陰で感激に身を震わせているレオニール(隠れているつもりでバレバレである)の温度差を、ネコは半分は呆れ気味に、半分は面白そうに、いつまでも見ていた。




