第十二話 練習と本番って、ビックリするくらい違う。
迂闊だった。
主の気配の感じられない宿の前に茫然と立ち竦んで、レオニールは赤の他人に重要なことを任せてしまった己の愚かさを呪う。嘆く。悔いる。
あの女剣士。ハルトに対し決して悪い感情は抱いていなかったように思え、何故だか信頼できるような気がして僅かな間の自分の代わりを請うたのだったが、それがそもそもの間違いだったのだ。
廉族ふぜいが、我が主と連れ立って出かけるなどと。
何かを勘違いしたフシのあるレオニールは、ギリギリと歯を食いしばって己の不甲斐なさに耐え、一刻も早く主の行方を掴もうと行動を開始した。
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「わ、わわわわ!ちょ、蹴らないで、痛いってば!」
逃げ惑うハルトと、ぴょんぴょん飛び跳ねながらそれを追いまわす一匹の魔獣。
…と表現すると不穏な状況が想像されるが、実際には中型犬サイズのウサギ…ただし額から一本の角が生えている…が少年を追いかけるという、実に微笑ましい光景が繰り広げられているだけだった。
「し、ししょぉおー、どうすればいいんですか、これ?」
角の生えたウサギ…一角兎は、魔獣とは言っても非常に非力で低レベルである。角は確かに凶悪に見えるし気性も荒いが、一角兎にとっての角は同族との縄張り争いに必要不可欠なものであり損傷することを好まないため、その攻撃方法は主に後ろ足でのキック、および体当たりだ。
まぁ爪で引っ掻かれればそれなりに痛いが、飼い猫にやられるのと大差ない。
さらに言うと一角兎は食用として重宝されている。しっかりとした肉質と芳醇な味。煮込み料理がおススメ。したがって、遊撃士でも猟師でもない一般人…村人Aだとかその他大勢とか呼ばれる…にもすぐに狩られてしまう。特殊攻撃も持たない魔獣なので、倒すのは簡単。田舎の方へ行けば十歳やそこらの少年少女でも仕留めていたりする。
そんな最弱レベルの魔獣であるのだが、ハルトはただただ逃げている。
マグノリアは、そんなハルトを見て呆れればいいのか怒ればいいのか諦めればいいのか、分からなかった。
自分が壊してしまった訓練用標的の弁償費用を稼ぐというハルトの決心?と、遊撃士になりたいというハルトの願望との両方にお誂え向きなのが、魔獣討伐(の練習)だ。
因みに、それは遊撃士の専売特許というわけではない。凶悪な個体であれば軍が動くこともあるし、辺境では村人たちが自力で対応することもある。単純に、遊撃士は討伐そのものを依頼として受けるため、ただ魔晶石や素材を収集するだけでなく依頼料も得ることが出来るというだけなのだ。
素人が狩場を荒らすようなことがあれば恨まれたり睨まれたりもするだろうが、低レベルの魔獣を数匹相手に訓練する程度で見咎められることもない。
だからマグノリアは、実戦形式でハルトを鍛えつつ、金を稼がせようと思った次第だ。
訓練、という意味では少し性急かもしれない。ハルトはまだ型稽古を少しばかりこなしただけで、打ち込み稽古も始めていない。
が、マグノリアとしては、それは出来れば遠慮したいところだった。
打ち込み稽古ともなれば、相手が必要になる。そしてそれはこの場合、マグノリアが務めるしかないだろう。
しかし、上位遊撃士ですら破壊できない標的を一刀のもとにぶった斬りまくったハルトの攻撃を、訓練とは言え受けたくはなかったのだ。
こうして見ていても、ハルトには脅威の欠片も見当たらない。まともに戦えば、それが本当の戦いであれば、マグノリアは自分が勝つと確信している。いくら単純な攻撃力…筋力だとか速度だとか…が優れていても、駆け引きのかの字も知らない素人に勝つことは容易い。
のだが、打ち込み稽古となればそうもいかない。ハルトの攻撃を受け、いなさなければならないのだ。
ギガサーペントの防御力をものともしない攻撃を真向から受け止める自信は、さすがのマグノリアにもなかった。
なのでその可哀想な役は、魔獣とは名ばかりで危険は少なくて食べると美味しい一角兎にお任せしようと思ったわけだ。動く標的、しかも生きているものを狩るという行為は、技術面でも精神面でもハルトを著しく成長させることだろう……一角兎程度で著しく成長させられるのは情けない話ではあるが。
しかし、マグノリアの目論見は外れた。確かに、対象の選択は間違っていない。もっと危険だったり狂暴だったりする魔獣が相手ではハルトの訓練どころではない。
一角兎であれば、きちんと向き合えばハルトであっても確実に勝てる。
きちんと向き合えば。
「ししょー、これどうすればいいんですかっていうかどうにかしてください~」
「甘えんな、アタシが手を出したらお前の稼ぎじゃなくなるだろーが」
今のところ、それほど窮地に陥っているようには見えない。何しろ、興奮してキックを繰り出す一角兎からひたすら逃げ続けているだけで、目立ったダメージは負っていないようだし、闇雲でも武器を振り回せば撃退出来るような相手なのだ。
則ち、それが出来ていないということは、ハルトがその気になっていない、ということだ。
「おい、お前本当に例の魔獣を倒したんだろうな?」
ウサギ一匹仕留められないヘタレっぷりを披露しているハルトを見ていると、とてもではないが信じられない。
「だって、だって、あのときは必死だったから…」
「だったら今も必死になりやがれ。言っとくが、二百万の借金は必死になってもいい額だぞ」
「そんなこと言われてもわぷっ」
話しながら逃げ回っていたせいか、盛大にこけた。
それを見逃す一角兎ではない。しめたとばかりに、倒れたハルトの頭の上で飛び跳ねて連続キックをお見舞い。
「痛い痛い痛い痛いってばやめてよもう!」
悲鳴を上げたハルトは、防御のために腕を振り回した。それはおそらく、一角兎を遠ざけようという目的を持っていたに違いない。
しかし、ハルトの腕が偶然一角兎に命中し、不運な兎は放物線ではなく直線を描いてすっ飛び大木に激突した。
「……………………あれ?」
しばらく頭を抱えていたハルトだったが、それきりウサギからの攻撃が止んだことに気付いて恐る恐る顔を上げる。
彼が見たのは、木の根元でひっくり返る一角兎。
恐る恐る近付いて、恐る恐るそれを突っついて、反応が返ってこないことを確認したハルトは、弾んだ笑顔でマグノリアを振り返った。
「師匠、ボクやれました!」
「あー……うん…まあ、結果だけ見れば…な」
ただのまぐれ当たりではあるのだが、仕留めたのはハルトの攻撃であることは間違いない。なので喜んでいるハルトに水を差すようなことは言いたくないマグノリアだが、それでもこれで喜んでいる頭の目出度さは今のうちに修正しておいた方が後々の彼のためでもある。
「言っとくけど、それ一匹じゃ二千イェルク程度だからな」
「二千……じゃあ、あと999匹倒せばいいんですね!」
「おう、そのとおり………っていやいやいやいや違うだろ!」
なんだかハルトが、これで希望が見えてきた…的な表情になっているので、マグノリアは慌ててツッコむ。計算上は確かにそうだが、そうじゃない。
「お前な、んなちまちま1000匹も狩ってたら時間がいくらあっても足りねーだろ。それにお前、今みたいな体たらくでどうにかなるとでも思ってんのかよ?」
「え……ボク的にはけっこう頑張ったつもり…」
「頑張ってこれか!?」
一体今のハルトが、何をどう「頑張った」のだろう。ただ逃げ回り、転び、腕を振り回しただけではないか。
それを頑張りというのならば、多分世の中に頑張っていない人間は存在しないということになる。
「お前が本当に例の魔獣を自力で倒したって言うなら、お前にはそれだけの力があるってことだ。それなのに一角兎程度にこんなに手こずってるってことは、やる気がないってことじゃないのか?」
「そんな、やる気ならあります!ありまくってます!」
「だったら少しはそれを見せろっつの!」
説得力のないハルトの主張に、マグノリアは苛つきっぱなしだ。
彼女は特に傲慢な人間でもないし、強者でありながら持論を弱者に押し付けるタイプでもない。だが、やれるはずなのに言い訳ばかりでやろうとしないのは弱者の怠慢だと思っている。
「いいか、本気で遊撃士になりたいんだったら、腹ぁ括れ。言い訳も泣き言も無しだ。それが出来なきゃ弁償はおろか、メルセデスに近付くなんて夢のまた夢だろうよ」
遊撃士になることでも借金返済でもない本来の望みを持ち出され、ハルトは少なからずショックを受けたようだ。
「そんな、困ります!ボク、強くなって彼女と一緒にいたいんです。いつまでもお飾りの無能なままじゃ、嫌なんです!」
「意地を張るなら根性見せろ。出来ないなら泣き寝入りすることだな」
マグノリアは、踵を返してその場を立ち去ろうとした。
それはポーズである。本気で彼を置いて行こうと思ったわけではなく、少しばかり突き放した方がいいだろうと考えたからだ。
……無論、そこでハルトが追いかけてこないのならば本気で見棄てるつもりではあった。
しかしマグノリアの予想どおり、ハルトはマグノリアに縋り付いてその足を止める。力だけはかなりのものだ。
「待ってください師匠、もうワガママ言いませんから、ちゃんと頑張りますから!!」
「…そう言うってことは、ワガママ言って怠けてたっつー自覚はあるわけか」
「う……そ、それは…………別に怠けてたつもりは………」
気まずさに目を逸らすハルトだが、腕はしっかりとマグノリアの腰に巻き付けたまま。
そんなハルトに苦笑すると、
「分かってるよ、んなことは。お前はただ、戦うのに不慣れで臆してるだけだよ。そこを経験積んで解消してやれば、問題はないだろうさ」
それまでハルトを観察していて思ったことを告げる。それを聞いたハルトは、目を輝かせた。
「本当ですか?すぐに彼女に追いつけますか?一緒にパーティー組みたいんです!」
「いや……まだ遊撃士になってすらいないのに、第一等級に追いつくとか………ってお前!!」
楽天的にも程があるハルトの台詞に呆れたマグノリアだったが、その直後素っ頓狂な声を上げた。
「ちょ……手ぇ血だらけじゃねーか!なに拭かずに人にしがみついてやがるんだ!!」
実は説教の真っ最中、ハルトはハルトで一角兎の解体の真っ最中だった。食べると美味なせっかくの肉も台無しになるような適当なやり方で、その中の魔晶石を取り出していたのだが。
当然、両手は血だらけである。そんな手でマグノリアに抱き付いたものだから。
「………こないだ、洗濯したばっかりだっつーのに……」
「ご………ごめんなさい」
返り血なんて日常茶飯事の遊撃士であっても、自分が倒したわけでもない魔獣の血で汚されるのは面白くない。前の依頼を終わらせて身ぎれいにしたばかりだ、ということも含めて。
「……ったく。宿に戻ったら洗ってもらうからな」
「師匠を?」
「アタシじゃねーよ、アタシの服だ!ハレンチか!!」
怒鳴られたハルトは、なぜ怒鳴られたのか分からない様子で首を傾げていた。




