第十一話 壊れた、と壊した、はまったく別物だからそこんところ留意しておくように。
きゅゆゆーん、わんわん。
…なんて声が聞こえてきそうな眼差しだった。
宿の部屋では、床に直接正座させられているハルト。その向かい側、ベッドに腰掛けて腕組みしているマグノリア。
現在、ハルトは絶賛お説教中、なのである。
「…ししょー、お腹すきました……」
「あァ?」
「ごめんなさいウソです冗談です」
ウルウルした仔犬の瞳で見上げられるとついついほだされて許してしまいそうになるマグノリアだったが、これからの財政事情を思い浮かべ、いやいやそんな簡単に許してたまるか、と自分に言い聞かせる。
「お前な、一つくらいは仕方ないとして、なんでギルドの在庫ありったけぶっ壊してやがるんだおかしいだろうがなんでおかしいって気付かないかなこのアホンダラ」
「だ…だって、壊れちゃったから代わりを…」
「今お前がすべきは言い訳じゃない」
「ごめんなさいもうしません」
ギロリとマグノリアに睨み付けられ、ハルトはしゅしゅーんとしょげ返る。叱られている原因や内容というよりは、叱られているという事実…マグノリアが腹を立てているという事実に凹んでいるだけのようにも見えた。
「あのな、二百万だぞ、二百万。どうやって弁償する気だ?実家にでも泣きつくか?」
「それは………イヤです」
「おう良い度胸じゃねーかこのクソガキ」
凹みながらも堂々と言い放ったハルトに、マグノリアの堪忍袋の緒は断裂寸前だ。(おそらく)金持ちボンボンであるハルトの実家ならば、息子の不始末を弁償することも出来るだろうしそうさせるのが筋というものだが…
「てめーが実家に頼りたくないってんなら、てめーの力でどうにかしなきゃなんねーんだよ。分かってるのか?」
「うぅ………はい…」
返事はするが、本当に分かっているのだろうか。目の前でウルウルしているハルトを見ていると、どうも疑わしくなってくるマグノリアであった。
ギルドには、正直に話した。ハルトが、訓練用標的を全部壊してしまった、ということを。
ギルド職員は半信半疑だったが(マグノリアだってちょっと信じられない気持ちだ)、隠したり誤魔化したり嘘をついたりする必要はないと思ったし、そんなことをしても何の意味もないので、素直に、ありのまま、犯人であるハルトに自白させた。
曰く、
「訓練してたら壊れちゃったけど、壊しちゃダメなものだって知らなかったから全部壊しちゃいました」
…とのこと。
なお、その途中で「壊れちゃった、じゃなくて壊した、だろうが」とツッコミを入れることをマグノリアは忘れなかった。
上位遊撃士ですら物理攻撃で破壊することが困難なギガサーペントの革で、鋼鉄をぐるぐる巻きにした標的。
それをハルトが壊しまくったという事実は、本来ならばマグノリアやギルドの受付嬢を驚かせるはずのものだったのだが、それよりも両者の心中を占めていたのは、標的の修理代=弁償費用…のことだった。
とりあえずマグノリアは自分の管理不行き届きを謝罪し(理不尽だという思いは拭えなかった)、なんとしてでもハルトに全額弁償させる、とギルドに約束した、のだが。
レンタルの際に提出した誓約書のせいで、結局は彼女が全責任を負うことになってしまった。
ギルド職員は理解を示してくれたし同情もしてくれたが、弁償の件はそれはそれ、何ら酌量を与えてはもらえない。
幸運なことに、ここリエルタ市のあるサイーア公国は奴隷制を廃止しており、借金が返せなかったからといって奴隷に落とされる心配はないが、それはあくまでも制度上の話。
返済はいつまでも待ってもらえないし、期限を超過すればマグノリアは信用ならない人物としてギルドのブラックリストに名を連ねてしまうことになる。
荒事専門の請負業とは言え、遊撃士も上位ともなれば信用が大切だ。それがない者は指名依頼を受けることもできないし、斡旋も受けにくくなってしまう。下手をすると、降級処分を受けてしまう可能性も。
マグノリアは今、自分が長い間かけて積み重ねてきた信用を失うか否かの瀬戸際にいる。
「いいか、世の中のほとんど全てのものにはな、所有権ってもんがあるんだ」
「しょゆうけん」
なんでこんなことから説明しなくてはならないのか心底分からないマグノリアだが、ハルトはどうも「こんなこと」すら知らないようなので仕方ない。
「例えば、この部屋の備品…ベッドや机、椅子やら何やらは、宿の物だ。アタシらは滞在する時間分の金を払ってそれを拝借しているに過ぎない」
「あの、十五万イェルクですか?」
「そうだ。その金は、あくまでもこの部屋の使用料。この部屋の物がアタシやお前の物になったわけじゃない」
ハルトは分かっているのか分かっていないのか判然としない表情だ。もしかしたら、あまり重要な話だと思っていないのかもしれない。
「で、宿の物をアタシやお前が壊したら、宿の人は困っちまうよな?他の人に部屋を貸したらベッドが壊れてた、なんてなったら、困るよな?」
「…はい……?」
「だから、壊されたら直さなきゃならない。直すには、金を払わなくちゃならない。じゃあ、その金を払うのは?」
「宿の物だから、宿の人?」
「ちっがーう。何お前、アタシの話聞いてた?聞いてないよな聞いてたらなんでそうなる?」
言いながらマグノリアは、幼い頃の自分の幼年学校でのことを思い出していた。勉強が苦手でサボってばかりいた自分は、授業態度も非常に不真面目だった。教師の話をほとんど聞いていなかった。
…今さらながら、担任の教師に本気で謝りたくなった。
「壊した奴が払うに決まってんだろ。なんで壊された方の宿が払わなくちゃならないんだよ」
「けど、借りるときにお金は払って…」
「だから使用料!常識的な範疇で使用することを許可してもらう対価としての使用料!!」
「………………?」
眉間に皺を寄せて首を捻るハルトの姿に、マグノリアはどんどん不安になってきた。
一体このボンボンは、今までどこでどんな育ち方をしたのだろうか。
また例のお目付け役に会うことがあれば(そう言えば無事に市警兵からは解放されたのだろうか)、絶対に聞き出してやる、と心に決めたマグノリアは、とにかく今の自分に出来ることをすることにした。
すなわち、やってもいいことと駄目なことの最低限の区別を、ハルトに教えることにした。
そしてその第一歩とは、
「いいか、自分がされたら嫌なことは他人にするな。まずはこれが大原則だ」
「されたら、嫌なこと………?」
まだなお首を傾げたままのハルトは、ひょっとしたら今まで嫌な目に遭った経験がないのだろうか。今一つ実感が湧かない顔をしている。
「(そこからかよ…)あー、例えば……お前の剣、誰かが勝手に借りて壊したら、腹が立つだろ?」
「泣いて謝っても絶対に許しませんね」
「……………」
なんでそこだけ断言なのか。しかも堂々と。
「……ああ、うん、そうだろ。分かるだろ?だから、お前も他人の物を壊しちゃいけない」
「………はい」
自分のことに置き換えてみて理解出来たのか、ハルトはようやく素直に頷いた。
「他にも、誰かがいきなりお前を殴りつけてきたら、腹が立つだろ?嫌な気分になるだろ?」
「そんなことになったら臣……ええと家の者がその相手を血祭りにあげちゃうと思います」
「……………」
怖いよしかも確かに充分にありそうな話だし。
「いや、まぁ、家族…?は別として、お前自身も嫌だろ?だからお前も、他人を傷つけちゃいけない」
「…………ボク、魔獣を殺しちゃいました………」
途端に凹むハルト。自分が殺めた魔獣に対し、罪悪感が芽生えてしまったようだ。
「いや、魔獣はいいんだよ魔獣は」
マグノリアはあくまでも対人関係においてのことを言っているのであり、まさかここでハルトが魔獣のことを持ち出すとは思っていなかった。
しかし、
「……なんで魔獣はいいんですか?」
「………え?なんでって………」
心底不思議そうにハルトにそう問われて、うまい返答を思い付けなかった。
それはさながら、「どうして人を殺しちゃいけないの?」と無邪気に尋ねる子供に困る親の如く。
「だ、だってそれはお前、殺してなかったらお前が殺されてたんだろ?だったら正当防衛じゃねーか」
「せいとうぼうえい」
「自分の身を守るためになら必要最低限の攻撃は許されるってことだよ」
言いながら、しかし身を守るためではなく金を得るために魔獣を討伐する自分たち遊撃士の行為はどうなのだろうと改めて考えてしまったマグノリアである。
尤も、金を得るというのは則ち生きるためであり、生きるために殺すのは身を守るために殺すのとほぼ同義ではないかと自分の中の黒マギーは囁いている。
同時に、金の稼ぎ方なんて遊撃士に限らず沢山あるのだから、それをもって「生きるため」と言ってしまうのは暴論だと諭す白マギーもいたりして。
「身を守るためなら…………………じゃあ、魔獣も身を守るためなら人を殺しても」
「だからそういう極論はやめろ。とにかく、必要もないのに他人を傷つけるのはダメだっつー話だ」
「……分かりました」
それでも晴れないハルトの表情を見ていると、やはり彼は遊撃士には向いていないのではとマグノリアは思う。魔獣退治だけでなく、遊撃士の仕事は大抵が暴力沙汰だ。いちいち傷つけた敵のことで思い悩んでいたら神経がもたない。
遊撃士になることを選んだのはハルト自身であり、それによってもたらされる結果の責任の所在もまたハルトにある。だからマグノリアがそれを気にする必要はないのだが、この世間知らずで純真無垢な少年が血生臭い世界で良心と利己心の板挟みに苦しむ姿は見たくないとも思う。
一方で、そういう不条理から目を逸らし続けることもハルトのためにならないとも分かっていた。
「あー……七面倒な理屈はパスな。とにかく、殺すな、傷つけるな、盗むな、奪うな、嘘をつくな、騙すな。自分に害が及ばない以上は、この六つを守っておけばなんとかなるから」
「はい、分かりました」
実を言うと、それらを全て生真面目に守っていたら遊撃士の活動などとても不可能なのだが、ビギナーのうちはそれでもやっていける。その後でぶち当たる壁については、おいおいハルト自身が模索していけばいいだけのこと。
とりあえずハルトに世渡りの大原則を理解してもらえたようなので、肝心の話題へ。
「さて、前置きはここで終わり。これからが本題だが」
この点に関しては、甘やかすつもりも妥協するつもりもない。単純にお金の話だけでなく、マグノリアの意地だとか沽券的なものも関わっているのだ。
「ハルト、お前はギルドの持ち物である標的を壊しちまったよな?ギルドはあれがないと困る。次にレンタルしに来た奴に貸すものがないからな。だから直すか新しいのを調達しなきゃならない。…ここまではいいか?」
「………はい」
「で、ギルドからしたら壊したのはお前なのにどうしてギルドで金を出さないといけないのかってわけだ」
さらに言うなら、壊したのはハルトなのに何故自分が弁償しなくてはいけないのか。
「だからお前は、壊した分の金を払わなきゃならない。これが弁償ってやつな」
「でもボク、二百万?も持ってませんよ」
しれっと言うハルトに(しかもあまり困った感じには見えない)、マグノリアは頭痛を感じ始めていた。
「持ってませんよ、じゃない。んなこたぁ分かってんだ。持ってないならどうすんのかって解決策まで考えるんだよ」
「解決策…………………分かりません」
言葉の間の沈黙に思考の気配を感じられなかった。おそらく、ハルトは真剣に考えていない…考えようとしていない。
「お前なぁ…その立派なオツムは何のためについてんだよ。金がなけりゃどうするんだ?」
呆れ果てたマグノリアだったが、その言葉にハルトは何かを思い出したようだった。急に顔をぱぁっと輝かせて、
「お金が欲しかったら、稼げばいいです!」
授業で先生に当てられた生徒のように、やけにはきはきと嬉しげに答えた。
「なんだ、分かってんじゃねーか」
マグノリアは心底ホッとした。ここでマグノリアの財布をアテにしたり他人の情けをアテにしたりというような答えが返ってきたらどうしようと思っていたのだ。
「はい、前に会った人がそう教えてくれました!お金が欲しかったら、稼ぐか持ち物を売るしかないって」
しかし、ハルトはそこまで言ってから徐々にトーンダウンしていった。
「だからボク、あの石を売ったんですけど、それと同じことをすればお金が………あ、でも、それってせいとうぼうえいじゃ……ないんですよね…?」
「蒸し返すのやめろ!いいんだよそれでその考え方で!お前のやったことは、遊撃士としてはごくごく一般的なこと!それが嫌なら遊撃士なんて諦めろ!!」
「わ……分かりました」
なんで怒鳴られているのか納得はしていなさそうだが、ハルトはマグノリアの言いたいことを理解はしてくれたようだ。
そのことに安堵し(ハルトに対する要求値がどんどん下がっていってる気がしなくもない)、マグノリアが次に直面したのは、ハルトに稼ぐための手段をどう教えるか、というさらなる難問なのであった。




